「手を繋ぐか」

言い出したのはがくぽのほうだ。カイトからすると、それは「ぜったい安心」と同義になる。

とはいえ、お祭りの高揚感の中で言われたものだろうし、普段の彼のシャイ度を見るにつけ、おそらくその場限りの言葉だろうと考えていた。

「カイト殿、大丈夫か」

「ん、うんっ」

右手に、がくぽの手。

おざなりではなく、きちんと力強く繋がれて、頼もしく牽引してくれる。

あのひ、きみとみた04‐

近所の商店街が夏祭りを終えても、まだまだ各所で夏祭りが開かれる。週末ともなれば、どこに出かけようかあみだ籤が必要になりそうな状態だ。

カイトの足も、マスターの診断通りだった。

きちんと手当して一晩経ったら、痛みも違和感もきれいに治った。泣いたりしたのが、少し恥ずかしいくらいの快癒ぶりだ。

「それでは心置きなく、次に行く夏祭りを決めましょうかね!!」

朝になってもう一度謝ったカイトに、マスターは地域のミニコミ誌を突き出して笑った。

顛末を聞いた弟妹たちは、そこに自分たちが付いていなかったことをとても後悔して、カイトの傷心をどう慰めようかと、いろいろ画策してくれた。

そうやって、各々がリベンジに燃えて出かけた夏祭り。

会場に着くやいなや、弟妹の頭のネジが飛んでいくのが現実に見えた。

即座にはぐれたが、とりあえず心配はない。彼らは行きたいところに行きたいように行く能力もあるし、シベリアンハスキーより優秀な帰巣本能を持っている。

問題はやはりカイトで、どうしてもおたおたしてしまう。果てにはたぶん、どんぶらこっこどんぶらこっこの運命が待っている。

親切なおばあさんと運命的に出会えればいいが、おそらくこの人波では、おばあさんの膂力でカイトを釣り上げられないだろう。

会場に近づくにつれて人波に揉まれ、おたおたし出したカイトの手が、ふいにきつく握られた。

「…………がくぽ?」

おたおたしつつも瞳を見張って見上げれば、がくぽは人波を厳しく見つめて臨戦態勢――いや、夏祭りなのだから、もう少し気安く楽しんでも。

「約束したであろう」

「…………うん、した」

した、が。

たとえ家族ではあっても、いい年をした男同士、べたべたするものではない、というのが普段のがくぽの主張だ。

家の中ですらそうなのだから、ましてやこんな、外に出ては。

だが、がくぽの手は躊躇いもなくカイトの手を握って、その力は強い。

「厭か」

人波を掻き分けながら訊かれて、カイトは勢いよく首を横に振った。

「やじゃない、やじゃないよ!」

喧噪に紛れて消えないように、大きな声で主張する。

「それ、『ぜったい安心』って言うんだって、言ったよ!」

「…」

真剣に言うカイトに、がくぽが笑った。

あまりにきれいでうれしそうな笑顔に、思わず見惚れる。

「……っわっ」

「これ、ぼんやりするなっ」

いくら手を引いてもらってはいても、ぼんやりしていて越えられるものではない。

おたおたするカイトを引き寄せて、がくぽは出来るだけ体を添わせる。

「おや、がくぽさん今日はやる気ですね!」

前を歩いていたマスターが、その様子に気づいて笑う。

今日も今日とてロイドたちは派手派手しい浴衣なのに、マスターである彼女は質素な甚平だ。髪だけは、メイコがきれいにアップでまとめたが。もちろん、言いたいことなどない。

指摘されても恥じ入って手を放すことはなく、がくぽは睨むようにマスターを見返した。

「もちろんだとも。リベンジを誓ったからには、手は抜かん」

「良い心意気ですそれでこそもののふというものですよ!」

「………どうしても、どこまでも、いい加減なのだな………」

肩を落とすがくぽに高く笑って、マスターは瞳を細めてカイトを見た。

「いいですね、カイトさん。それ、『ぜったい安心』っていうんでしょう?」

二人の会話は聞こえていたはずもないが、そう言ってうれしそうに首を傾げるマスターに、カイトはこちらも笑顔で、大きく頷く。

「うん!」

ようやく、うれしさが実感となってこみ上げた。

別に、がくぽと手を繋いで歩きたかったとか、どうしても約束を守って欲しかったわけではない。

こうやって手を引かれているというのは、とりもなおさず、おにぃちゃんの自分のほうが守られているという、情けない現状。

それでも、うれしい。

人ごみは、ほんとうに苦手なのだ。

傍で座りこんでぼんやりと眺めているのは好きだが、いつでもこの波を越えることに苦労する。

自分ひとりだったら、きっと家に帰れなくなっている確信がいつでもある。

人ごみに出たときのカイトは、常に心細い。

いつでも、家に帰れない、ひとりぼっちになって取り残されてしまう恐怖が背中合わせだ。

だから、情けなくても、呆れられての行為でも、こうやってしっかりと繋がっているのは、安心する。

それが、まるきりおとうとなどとは思えないほどにしっかり者で、頼もしいがくぽだと言うなら、その安心は『ぜったい』になるのだ。

「ふひゃ」

カイトは笑って、繋ぐ手に力を込めた。

それでも、嫌がられることはない。

がくぽは安心したように表情を和ませてから、再び人ごみへと相対した。

その瞳が、敵を定めるように厳しくつり上がる――いや、だから夏祭りだ。基本、楽しむところだ。

力強く繋がる手があって、カイトはこの間より余程リラックスして、出店や催しものを品定めすることが出来た。

途中でマスターとメイコともはぐれたが、少しも不安にならない。

とはいえ、人ごみに手の一本はまだまだ、心許なかった。

カイトがなにかに見入ってしまって少し歩調が緩むと、がくぽとの間に距離が生まれる。

基本、皆が皆、なにかしらに気を取られながら歩いているから、前方不注意はデフォルトで、そうすると伸びた腕にぶつかられる。

そのたびに慌てて距離を詰めたり、手が離れたり――

「あ」

「っっ」

それは前回の再現だった。

アイスを片手に走ってくる子供。

気がついたカイトが、咄嗟に避けようとする。不器用に見えても、機敏な動作だとて可能なのだ。

けれど、ちょうど人波に押されて、バランスが崩れた。

手が離れる。

足が泳ぐ。

繊細な足首に掛かる、無理な――

「っ…………」

「大丈夫か?!」

揺らいだところで、即座に距離を詰めたがくぽの腕に腰を抱かれ、体が宙に浮いた。

――これでいて一応、成年だ。それほど軽い体というわけでもない。

なのにがくぽは軽々と腕一本で、カイトを抱き上げている。

それも一瞬のことで、すぐさまそっと地面に下ろされたが、おかげで前回を完全に再現することにはならなかった。

「どこか痛めておらぬか」

「ふぁ」

心配顔で覗きこまれ、あまりのことに呆然としていたカイトは、マヌケな声だけを返した。

「カイト殿?」

「ん。うん………へーき!」

「………」

請け負ったというのに、がくぽの愁眉は晴れない。

無為に立ち尽くしていると遠慮なくぶつかってくる挙句、邪魔者扱いされる人ごみを眺め、しばし思案に暮れている間があり。

「手一本では、『絶対』とはいかぬか」

「ほえって、わっ?!」

つぶやきが拾えずに首を傾げるカイトの手に、再び手が繋がれることはなかった。

がくぽの腕がカイトの腰に回り、体を抱き寄せる。

「行くぞ」

「ふわわ」

そうやって腰を抱いたまま、がくぽは歩き出す。呆然としたまま、カイトも歩き出した。

すぐに、がくぽの意図に気がついた。

手を繋いでいたときとは比べものにならない密着度と、体全体を支えられている、究極の安心感。

カイトが少しばかりなにかに見惚れてぼんやりしても、人にぶつかられて揺らいでも、距離が開くこともなければ、手が離れることもない。

腰を抱いたがくぽの腕は強く、カイトの体すべてを支えてくれる。

そのままだと今ひとつ姿勢に無理があったため、カイトの手も自然とがくぽの腰に回った。ただ、こちらは力強く支えるというより、すがりついている意味合いが強い。

「がくぽ」

「なんだ」

片手でカイトを抱き、片手で人ごみを掻き分けるがくぽに、カイトは屋台のひとつを指差した。

「アイス!!」

「………見つけたか」

ぶつかりかけた子供がアイスを食べていたことを思い出し、懸命に見渡した結果、カイトは無事にアイス売りの屋台を見つけられた。

きらきら顔を輝かせるカイトに苦笑し、がくぽはアイス屋台目指して進路を変えてくれた。

「ふわわ、アイスアイスアイスー♪」

カイトの声が無邪気に弾み、心もち足まで弾む。

カップアイスとコーンアイスと二種類選べたところを、さんざん悩んだ挙句にコーンアイスにした。

ついでに無茶はわかっていて、二段にする。

だって、アイスを二段にしてくれると言うのだ――二段にしてくれるアイスを一段しか買わない、その論理がさっぱり理解出来ない。人類的にも構造的にも、有り得ない事象だ。

「………さすがにこの人ごみで、歩きながらそれは無理だぞ」

「でも食べたい!」

「わかっておる」

ことアイスとなると理性が飛ぶカイトに、現状の冷静な分析を求めても果てしなく徒労だ。

カイトが悩んでいる間に辺りを見渡したがくぽは、食べる場所に目星をつけていた。

少なくとも、メインストリートから外れれば人ごみはそれほどではない。

屋台と屋台の隙間を抜けて脇道に入りこむと、案の定、少しばかり立ち尽くしていても、ゆっくり出来るだけの空間があった。

そこでカイトの腰を抱いたまま、一息つく。

「んんー、アイスアイスアイスー♪」

がくぽの腕に囲われたまま、カイトは満面の笑みでアイスにかぶりつく。

「ふゃや、おいひぃ~っ!」

「良かったな」

「うん!」

無邪気に答えてから、カイトははたと気がついた。

そういえば、カイトはこうやって、あれやこれやと楽しんでいるが、がくぽはそれに付き合っているだけだ。

カイトがあれしたいこれしたい、あれ食べたいこれ食べたいと言って、がくぽがそこへ向かう。

祭りの最初からずっと、そんなことばかりで、がくぽがあれがこれがと言った記憶がない。

「……カイト殿?」

大好きなアイスを前にしているのに気難しい顔になったカイトに、がくぽが首を傾げる。

「どうしたおかしな味でもするか?」

「おいしいよ!」

そこには即座に答えておいて、カイトは眉をひそめてがくぽを見上げた。

もしかして――カイトのお守りに懸命になるあまり、祭りを楽しむという、ごく初歩的かつ基本的なことを忘れてはいないだろうか。

ほかのきょうだいだったら、そんな心配はしない。

だが、がくぽだ――ファンクな見た目に見合わず、がくぽはまじめで融通が利かないところがある。

「あのね、がくぽ…………」

言いかけて、悩む。どう言ったらいいのだ。

俺のことは気にしないで楽しんで、と言ったところで、現状、がくぽがいないとカイトはまともに歩けもしない。

それでも無理やり独立してみても、この間の二の舞になるなら、またがくぽに心労と心配を掛けるだけだ。ついでに、また負ぶってもらうような身体的迷惑を掛けることにもなる。

「…………ぬぅう」

「なんだ?」

言いたいことはあっても言えない状況に、カイトは顔を歪める。

がくぽは不思議そうに首を傾げ、そのままメインストリートへと顔を向けた。

「なにか見つからぬ屋台があったか今度は何処へ行きたい?」

訊かれてしまう。

「……がくぽはがくぽは、行きたいところ、ないの?!」

「俺か?」

勢いこんで訊いたカイトに、がくぽは花色の瞳を見張る。

しばらく考えている間があって、珍しくも表情が気弱に歪んだ。

「行きたいところと言うても…………なにしろ俺は、祭りに行きつけておらぬゆえな………なにがあるのか、皆目わからぬ。一応、知識としてはそれなりに入っているのだが、………開かれる祭りによって、催し物は違うのだろうゆえに、ただぶらりと眺めるしか………」

「あ………!」

言われて、初めてカイトは思い至った。

あまりに頼もしくてしっかりものでうっかりしていたが、がくぽは今年起動したばかりだ。

もちろん、夏祭りなんて初めての経験で、その初めての初めてである前回は、ろくに楽しむ間もなく引き揚げることになってしまった。

圧倒的に経験値が足らないのだ。

「そっか……」

「うむ。ゆえに、カイト殿がこうして共にいて、案内してくれると、いろいろ出来て愉しい」

「…………そっかぁあ………!」

きちんと楽しんでいたのだとわかって、カイトの全身から力が抜けた。

カイトの性格だと、知っていることでも知らないことでも無邪気に飛びついて経験を重ねるが、慎重ながくぽは初めてのことに飛びこむのに躊躇いが勝つ。

まずはじっくりと観察し、厳しく分析したうえでないと、行動に繋げにくいのだ。

カイトがまず、あれがしたいこれがしたいと言って、率先して挑戦する。失敗してもあっけらかんと笑い飛ばして、懲りずにまた挑戦する。

がくぽが失敗したところで、からかったり莫迦にしたりすることもない。

どこまでも明るく笑い飛ばして、全部『たのしい』でまとめてしまう。

そういうカイトだから、がくぽもいっしょにいて、初めてのことに手を出しやすい。

慎重ではあっても好奇心がないわけではないから、あれもしたいこれもしたいと思うことは思うのだ。

「ふひゃ」

安心して、カイトは再び心置きなくアイスにかぶりついた。

たのしい。

それだけが心を埋めて、笑いが止まらない。

腰に回されたがくぽの腕はどこまでも頼もしく、力強く自分を支えてくれる。

言った以上に、「ぜったいの安心」。

その「ぜったいの安心」がくれる、弾むようにたのしい時間。

「…」

暑さに早くも溶けかけのアイスを眺め、カイトはしばし思案した。

「カイト殿?」

どうした、と首を傾げるがくぽに、ひどくまじめな顔で、一段になったアイスを突き出す。

「ひとくち、あげる」

「…っ」

がくぽが花色の瞳を見張って、凝固する。

ことアイスに関しては、分け合いの精神が枯渇しているカイトだ。たとえ一口であっても、あれほど溺愛している弟妹相手であっても、譲ることはない。

「んっ」

覚悟を固めた顔でアイスを突き出すカイトに、がくぽはしばらく呆然とし。

それから、恐る恐るといった風情でアイスに口をつけた。

一口にしてもあまりに遠慮がちな一口で、小さくアイスを削っていって、冷たく甘いそれを呑みこむ。

「…」

見つめるカイトに、がくぽは濡れたくちびるを舐めた。

その顔が、やわらかな笑みに崩れる。

「美味い」

「………ふひゃ」

真実心から感嘆したように言われて、カイトも笑み崩れた。

アイスだもの、おいしいのは当たり前だ。

それでも。

「今度はなにしよっか!」

「カイト殿の気の向くままに」

中世の武士のような答えが返って来て、カイトは弾けるような笑い声を響かせた。