ぱんと音を立てて勢いよく襖が開けられる。

開いた勢いに負けず劣らずの威勢で入って来たねこみみ魔女っ娘は、ファンキーな魔法のステッキをくるりと回して座るがくぽに突きつけると、しっかりポーズを決めてウィンクとともに叫んだ。

「アイスくれなきゃイタズラするぞ☆」

Please TRiCK Me

「………っ」

血を吐きそうだ。

堪えきれずに畳に手をつき、がくぽはくらくら回る視界と闘った。

「あれ、がくぽがくぽー?」

ハイトーンボイスをいつものトーンに戻して、もう少しでおぱんつが見えそうなふりふりフレアのミニスカを履いた二次元ねこみみ魔女っ娘は、脳天気にがくぽの名前を連呼する。

「ど…っ、だ……っ」

言いたいことが声にならない。

「がくぽ?」

ねこみみ魔女っ娘は無邪気に首を傾げながら、がくぽの目の前にちょこなんと座った。細く骨ばった太ももが危ういところまで露出されて、すぐそばにある。

「か……っ」

言葉が咽喉に絡む。

心配そうにねこみみ魔女っ娘は顔を覗きこんで来る。ごくごく間近で見るその顔にはしっかりと薄化粧が施されていて、まったく抜かりがない。

「カイト殿……っ」

「うん」

ようやく声を出せたがくぽに、ねこみみ魔女っ娘ことカイトは、無邪気に首を傾げた。

「その恰好は……」

「ハロウィンだし」

あっさりした答えに、がくぽはますます畳に沈みこみそうになった。

確かにハロウィンには仮装する。それもお化けやら、怪物やらの仮装で、魔女は定番中の定番だ。

だが、魔女の仮装はあくまで女の子の定番で、男なら魔法使いだろう。

しかもハロウィンの仮装はあくまでもひとを驚かすことに重きが置かれるから、おどろおどろしかったり、コミカルに作るものだ。

間違っても色気に走るものではない。

そのうえ、カイトは男だというのに。

確かにその前に来たミクもリンもレンもおどろおどろしいというよりはアイドルらしい、かわいらしい扮装だったが、カイトのこれは群を抜いている。

群を抜いている以上に、やり過ぎだ。

「カイト殿、貴殿な……」

「アイスちょーだい、がくぽ。さもないとイタズラしちゃうよ?」

「…」

カイトは無邪気に強請る。

がくぽは畳と仲良くなりかけてなんとか踏みとどまった。この距離で倒れるともれなく、カイトのむき出しの膝に顔を埋めることになる。

ひたすらに沈黙を返すがくぽに、カイトが眉をひそめる。

「……ないの?」

それはもちろん、ない。

「…菓子では」

「ぶー。だめです。アイスー」

グロスを塗って艶めくくちびるをコケティッシュに尖らせてきっぱり言うカイトに、がくぽは項垂れた。

どこかの回路が切れそうだ。あまりに危な過ぎて、迂闊に身動きも取れない。

そもそもハロウィンに強請るのはお菓子のはずで、アイスでなければだめだというのがおかしい話だ。

だが、カイトはそこを譲る気はないらしい。

「ないんだね?」

「…」

確認されて、がくぽは頷いた。

ミクやリンレン用にお菓子を買って、その残りがいくらかある。しかし、さすがにアイスは買っていない。

それに、カイトはあげる側であって、強請りに来るとはまるで予想していなかったから、尚更だ。

「……ないんだ」

しゅん、としょぼくれた声で言うカイトに、がくぽの胸が痛む。

ここまで気合いを入れてイベントを楽しみにしていたカイトに、なにも応えられな

「じゃ、イタズラだね☆」

一段跳ね上がったハイトーンボイスが、明るく無慈悲に宣告する。

反射的に顔を上げたがくぽを、カイトはわくわく顔で見返した。

おっとりぽややんとした風情に忘れがちになるが、カイトはこの家の長男だ。『あの』妹たちがだれより慕う兄だ。

「なにしよっかな♪」

それはもちろん、イタズラが嫌いなわけがないのだ……。

魔法のステッキをくるくる回しながら楽しそうに笑うカイトに、がくぽはくちびるを空転させる。

イタズラといっても妹たちに比べたら、他愛ないかわいらしいものだろうが、そこはカイトだ。

思考の飛び方は時に想像を絶する。

油断していると間違いなく痛い目を見る。

せっかく弟妹をうまく躱したというのに、こんなところにこんな落とし穴が。

それはもちろん、カイトのイタズラならおとなしく受けもしようが、ものによっては理性が。

そうでなくても、奇抜な衣装のせいで今にも理性が切れそうなのに。

「…」

ふと思いついて、がくぽはカイトの全身を眺めた。

肩の部分だけを覆う黒いミニマント。タックをたっぷり取ったボリューミィなブラウスに、おぱんつまであと少しのフレアなミニスカ。

青い短髪はパンクに跳ねて、そこに黒いねこみみカチューシャをちょこなんと乗せている。

だが言ってみれば、それだけだ。

「カイト殿、その前にひとついいか」

「うん?」

楽しそうに首を傾げたカイトに、がくぽは手を差しだした。

「Trick OR Treat?」

「…」

カイトがきょとんと瞳を見張り、がくぽとがくぽの差し出した手を交互に見つめる。

がくぽは軽く手を揺らし、カイトの返答を促した。

考えてみれば、カイトががくぽに強請るというなら、当然、がくぽにもカイトへの請求権があるということだ。

「がくぽ、発音きれい」

「ああ、まあ。それで、お菓子をくれるのか?」

「んまかせて☆」

すぐさま立ち直ったカイトは、得意満面で笑うと腰に手をやった。後ろのほうから小ぶりなポシェットが出てきて、その中を漁る。

「ん。んん。んんー???」

がさごそ探っていたカイトは、とうとう、ポシェットを逆さにして振った。

埃ひとつ落ちてこない。

しばし沈黙が落ち、カイトはいっそ感心したように頷いた。

「なくなっちゃった!」

「ということは…」

がくぽはひどく用心深く、ポシェットをかざすカイトを見た。

「俺はカイト殿に、悪戯してよいのか」

「そうなるね!」

躊躇いもなくカイトは頷き、ひどくわくわくした顔でがくぽを見つめた。

「なにする?」

「…いや」

元来生真面目ながくぽは、イタズラしろと言われて、すぐさまなにか思いつきはしない。

それにそもそも、今回の場合。

「では、痛み分けということで、悪戯はなしに」

「だめ!」

言い差したところで、カイトがきっぱりと遮る。

「ちゃんとイタズラしなきゃ!」

「……カイト殿。悪戯されたいのか、貴殿は」

眉をひそめて訊いたがくぽに、カイトが黙りこむ。

ややして、その頬がうっすらと染まった。珍しい恥じらいの色が浮かび、上目使いにがくぽを見つめる。

「カイト殿?」

血を吐きそうになって身を強張らせたがくぽに、カイトは緊張と媚びの混じった声を上げた。

「されたい」

たぶん、なにか飛び出たと思う。

凝固しきったがくぽに、カイトは恥じらいながら、言い募る。

「だって、がくぽって普段、ぜんぜんイタズラしないもん。がくぽにイタズラされてみたい。ううん、がくぽにイタズラしてほしい」

「……っ」

鼻から血涙が噴き出しそうになって、がくぽは顔を覆った。

この天然が!

こころの中で盛大に罵る。

自分がなにを言っているか、まるでわかっていないに違いない。設定年齢は確かに成人男性でありながら、あまりに卑怯過ぎる思考回路だ。

立派な成人男性であるがくぽには、その言葉で想起される『イタズラ』は一種類しかない。

だがもちろん、カイトが意図していないことだけは明白だという、この現実。

ミニスカねこみみの二次元魔女っ娘は、無邪気に首を傾げると、うっとりとがくぽの顔を覗きこんだ。

「イタズラして?」

「……っ」

ミニスカねこみみだろうが、二次元魔女っ娘だろうが、そんなものがそんなセリフを言ったところで鼻先であしらう自信がある。

たとえばミクやリンが言ったなら、回れ右して後も見ずに逃げ出す。

だが、相手はカイトだ。

カイトなのだ。

どうしてカイトなのだ。

がくぽは手を伸ばすと、カイトの頬をつねり上げた。

「いいいい、いひゃいいひゃいいひゃい!がくほ、いひゃい!」

妖しげな色香を消していつものように叫んだカイトに、がくぽは小さく胸を撫で下ろす。

手を放すと、カイトは恨みがましい目でがくぽを見た。

「がくぽ、がくぽのイタズラって……」

「悪戯などしておらぬわ」

「だよね…。ああよかった。あんな乱暴なのイタズラとか言われたら、どうしようかと思った」

頬を撫でながら、カイトはぶつぶつとつぶやく。

がくぽは再びカイトへ手を伸ばすと、その体を引き寄せた。抵抗することを知らない体はおとなしくがくぽの胸に収まる。

「がくぽ?」

不思議そうな声を上げるカイトに応えないまま、がくぽは顔を俯かせる。マフラーもなく晒された首にくちびるを寄せると、噛みついた。

「ひゃぅ?!」

びくりと大きく震えて固まったカイトの背をひとつ叩き、体を押しやる。

「終いだ」

「…ほえ?」

強張ったままのカイトが、首を傾げる。がくぽはそっぽを向いた。

「がくぽのイタズラって……」

「あとで鏡でも見よ」

「かがみ?」

わけがわからないらしいカイトは、がくぽが噛みついた首筋を撫でる。とりあえず、ちょっとばかり痛かったから、結局乱暴をされたという認識にしかならないだろう。

ある意味合っているから、それはそれでいい。

「なんかしたの?」

「そうだな。数日は首を人目に晒せぬことをした」

「ええ?」

ますます不思議そうな顔になるカイトだ。

この反応を見ると、がくぽもさすがにちょっと心配になった。もしかしたら、違反規定に触れるくらいのイタズラだったかもしれないと思う。

だがやってしまったものは仕方がない。

「それより、貴殿は俺に悪戯せぬでいいのか」

話を強引に変えると、カイトは瞳をきょとりと瞬かせた。

すっかり忘れていた顔だ。さすがはあの妹たちを溺愛できるおにぃちゃんだ。

鷹揚さが違う。

「あ…そか。んっと」

思案顔になると、カイトはしばらく天井を睨んでいた。ややして、にこりと笑う。

「にゃー♪」

ワントーン高い声で啼くと、呆然とするがくぽに顔を寄せ、膝に置かれた手に口づける。びくりと跳ねた手を追いかけて、がぶりと噛みついた。

「カイト殿?!」

「にゃん♪」

甘く啼かれて、今度こそ鼻から血涙が。

強張るがくぽに、カイトはかわいらしく啼きながら、本物のねこのようにすりすりと擦りつく。

「にゃぁん」

一際甘く啼くと、仕上げにがくぽの耳に噛みついた。

ちゅう、と吸って離れる。

「どぉだこれぞマスター直伝、ねこねこの術戸惑うでしょう、困るでしょう、嫌でしょう!」

「…っ」

あの駄マスターがぁああああああ!!なにを教えているかぁあああああ!!!

と、こころの中では叫んだ。

だが現実のがくぽはなにをすることもできず、ただ仰向けで畳に倒れた。

するすると意識が遠のいていく。

「あああああれ?がくぽ?ちょ、がくぽそんなにショック受けなくてもえ、わ、わぁあああん、マスタあああああ!がくぽがぁああああ!!」

取り乱したカイトが叫ぶ声を遠くに聞きながら、がくぽの素直な本能はつぶやいた。

マスターGJ。