Crazy TRiCK You

話を聞いたマスターは、しあわせそうな顔で眠るがくぽを眺め、感心したように頷いた。

「見事な克己心ですねまさかねこねこカイトの術を躱すとは……。自己犠牲精神が行き過ぎている気はしますが、まあ、カイトさんを任せるならそれくらいの男でないとと、自己欺瞞フル活用で無理やり納得してみましょう」

「マスター?」

おろおろするカイトは、マスターの言うことがさっぱり理解できず、ただ心配そうに眠るがくぽとマスターを見比べる。

そのカイトに、マスターはにっこり笑った。

「大丈夫ですよ。情報の処理限界を超えて、安全装置が働いただけです。がくぽさんの機能は優れていますから、しばらくすればご自分で再起動しますよ」

「処理限界を超えたって……俺のせい俺がイタズラしたから?」

ぐす、と洟を啜り、カイトはマスターを見つめる。そのカイトを見返して、マスターはわずかに首を傾げた。

手を伸ばすと、カイトの襟元を軽く開く。

「マスター?」

俺が悪いの?

うるうる目でくり返すカイトに、マスターは生真面目な顔でこくっと頷いた。

「今のうちです、カイトさん。がくぽさんを着替えさせましょう」

「…」

しばしば会話が成立しないのが、マスターというものだ。脳が時折、高速回転のうえ、あさっての方向に着地するらしい。

潤んだ瞳を瞬かせるカイトを置いて、マスターは一度、がくぽの部屋を出た。

戻ってくると、その手にはなにやら山盛りの布地を抱えていた。

「自分で自分の用意周到さに感心します。さすが私です。やること為すこと抜かりがないとはこのことですよ!」

「そなえあればうれしーな?」

ばちばちと瞳を瞬かせて涙を払うカイトに、マスターはやさしく笑う。

「そのとおりです、カイトさん。状況に即応した言葉が出てくるなんて、頭の回転が半端ないですよさすがです!」

「…えへ」

おそらくがくぽが起きていればツッコミと修正が入っただろうが、今は寝ているのだった。

ツッコミは不在のままボケ倒しで、マスターは畳の上に持って来た衣装を広げる。

「吸血鬼なんて、がくぽさんにぴったりじゃないかと思うんですよ」

「きゅうけつきかっこいーね!」

ねこみみ魔女っ娘は、素直に感嘆の声を上げる。

ちなみに、ミクやリンレンの衣装は言うに及ばず、カイトのこの衣装もマスターの見立てだ。

「定番中の定番なので迷ったんですが、まあ、カイトさんのおかげで吹っ切れましたよ。やはり定番を疎かにしてはいけませんね」

「ほえ俺?」

カイトはきょとんとしてマスターを見る。

「俺が、なにしたの?」

「少なくとも、がくぽさんは感謝していいと思いますね」

マスターは自分の首を指で叩く。

意味のわからないジェスチュアに、カイトはますますきょとんとした。

自分で自分の首に指をやって、マスターのしぐさを真似て、とんとんと軽く叩く。

「?」

真似てみても、なにが言いたいのかさっぱりわからない。

そんなカイトに構わず、マスターは腕まくりした。

「さて、がくぽさんの服の構造には詳しくないのですが……」

「あ」

マスターのやろうとしていることを思い出し、カイトは眠るがくぽを見た。

「いっちょ、やりますよ、カイトさん」

がくぽは男性体で、しかも成人体で、マスターはれっきとした成人女性だ。うら若いとは言えないが、年寄りと言ってしまう年齢でもない。

だが、がくぽが眠っている間に裸に剥いて衣装チェンジをすることに、まったく抵抗がない。

そこらへんの恥じらいを持ってくねくねしているようでは、生き馬の目を抜く芸能界で、女性の身でプロデューサの肩書など名乗り続けていられないのだ。

ねこみみ魔女っ娘は、神妙な顔になると軽く背筋を伸ばした。

両手を合わせると、がくぽに向かって小さくお辞儀する。

「なむなむ」

その一言で済ませて、カイトはマスターを手伝うために魔法のステッキを脇に置いた。

マスターが畳に広げたがくぽ用の吸血鬼衣装は、実にオーソドックスなセットだ。

シルクのシャツに、燕尾服。黒い大振りのマントに、片眼鏡。

一応はロイド用のしつらえで、仮装とはいえそこそこの質のものだ。だがとにかくオーソドックスに過ぎて奇抜さや面白みには欠ける。

マスターが出してくるのを渋るのもわかると思いながら、カイトはがくぽの着物に手を掛けた。

「…?」

「がくぽさんのシリーズはどうも、衣装デザインがまだまだ物堅い感じなんですよね。遊びがないというか」

手を掛けたところで動けなくなり、カイトが首を傾げているのを、マスターは気づかぬげに振る舞う。ぺらぺらとしゃべりながら、さりげなくカイトの手から着物を取り、がくぽを脱がしていった。

「あ…うん。だって、しょうがないよ。がくぽってかっこいーんだもん。きれいに飾りたくなっちゃうんだよ」

「かっこいーからって飾り立てるだけじゃ、なんの特徴にもなりはしませんよ」

辛辣な口調で言いながら、マスターは淀みなくがくぽを脱がしていく。もはや女性の所作ではない。

対して、カイトのほうはどんどん身を引き、剥きだしになっていくがくぽの素肌を直視できずにおどおどと視線を彷徨わせた。

自分で自分がよくわからない。

駆動系が苦しいほどに暴れ回って、目が回る。

「いえ、別に飾り立てるのは構いませんよ。でも、どうにも思いきりってもんが足らないんですよ。もっとこう、いっそこうなったら、がくぽさんしか出来ないよねっていう飾り立て方をすればいいものを、なんとも中途半端で」

「…マスター、中途半端嫌いだもんね」

「中庸と中途半端は違うんですよ。中庸は長生きしますが、中途半端は短命どころか一命すらありません。私はがくぽさんにそんな生き方をさせるつもり、さっぱりありませんから」

男前に言い切るマスターのやりようも、まさに男前に躊躇いがない。

下着を残してがくぽをきれいに剥くと、小さく息をついた。間断を置かず、新しく着せかける衣装を手に取る。

「…て、てつだう……」

つぶやき、カイトは手を伸ばした。だが、がくぽを見られない。

その顔は、衒いというものを知らないような普段のカイトからは想像もつかないほどに真っ赤に熟れ上がっていたが、カイト自身は気がついていなかった。

ましてや、それを指摘するマスターでもない。

マスターは素知らぬ顔で、重いがくぽの体を無造作に転がし、新しい衣装を着せつけていく。

「あ、のね、マスター。でも、がくぽは」

「がくぽさんにはがくぽさんの性格があって、売り出し方ってものがあります。いくら私が無体でも、それくらいは承知してますよ」

「…」

ふうふうと荒い息をつきながら、マスターは言う。

カイトは首を傾げ、ようやく裸体が隠されたがくぽを見た。

「マスターは、無体じゃないよ。俺たちのこと、いつも考えてくれてるもん」

「それってマスターなんだから当然ですよ。そのうえで、売り出すためにある程度の無体を強いるのが、プロデューサです」

立派な成人体であるがくぽを転がし回って、さすがに疲れ切ったマスターに替わり、カイトが衣装の仕上げを施していく。

丁寧なその手つきを眺め、マスターは密やかに笑った。

「だからっていって、愛だ恋だいうものを後回しにするなんて、あんまりにも非生物的なんですけどね」

「マスター?」

顔を上げたカイトを、マスターはごく真面目に見た。

「カイトさん、とりあえず、がくぽさんが起きたらこう言ってください」

「うん?」

あまりに真面目な表情に、カイトはわずかに居住いを正す。

そのカイトに、マスターはこくっと頷いた。

「『もう一度咬んで』」

「……『もういちどかんで』?」

胡乱げに訊き返したカイトに、マスターは思案顔になった。

「…ちょっと弱いですね。うん、カイトさん、がくぽさんの腰に跨って」

「え?」

「こう、馬乗りに」

仕事モードの顔で言われ、カイトはつい、言われるがままにがくぽの腰に馬乗りになった。

カイトは今、ちょっと動くとおぱんつの見えそうなミニスカだ。そんなふうに座ると、いつもは隠されている足が惜しげもなく晒されて艶めかしい。

「えっと、でも、これ、がくぽが重くない?」

できるだけ体重をかけないようにするカイトに、マスターは厳しい顔で首を振る。

「容赦しちゃだめです。それで、そのまま、もっと体を預けて」

「え、えと、こう?」

がくぽの体の上に寝そべるような形になって様子を窺うカイトに、マスターは頷いた。

「そう、それで、こころの底から、『もう一度触れてほしい』と思いながら、はい!」

「え、ええと…」

一度目線を上にやり、マスターの指示を舌の上で転がしてから、カイトはごく間近にあるがくぽの寝顔を覗きこんだ。

自然と、瞳が細められる。

「……もういちど、咬んで……………?」

切ない掠れ声が、甘く強請った。

カイトの指は無意識のうちにがくぽの頬を辿り、瞳は熱を持って潤んだ。

閉ざされたがくぽの瞼を、狂おしく見つめる。赤い舌が覗いて、もどかしげにくちびるを舐めた。

まさに、情欲に飢えた魔女の風情で。

しばしの沈黙ののち、カイトは戸惑いながらマスターを振り返った。

「…これ、どういう意味?」

そうやったカイトはもう、いつものカイトだ。

マスターは親指を立てると、にっこり笑った。

「咬んでって言われたら、がくぽさん、ご自分が吸血鬼にされたんだってすぐわかるじゃないですか衣装を見て、なんの扮装だって叫ぶ時間の短縮になる、マスター渾身のアイディアです!」

今時、幼稚園児でもこんな見え見えの言葉に騙されはしないだろう。

しかし、カイトは感心したように頷いた。

「そっかマスター、あったまいい!!」

「A-HA!!」

怪しい笑い声を響かせ、マスターはカイトの頭を軽く撫でた。

「うん、そろそろがくぽさんが目を覚ましますね。ぐどらくです、カイトさん!」

「ん!」

無邪気に笑うカイトを置いて、マスターはささっと部屋から出る。

襖の向こうには、ミイラ女と化したメイコが立っていた。

「あんたねえ」

「あら、メイコさん」

腕を組んで尊大に立つメイコに、マスターはごく無邪気な笑顔を向ける。

だが、この笑顔に騙されてはいけない。彼女は今まさに、妹たちに勝るとも劣らぬ極悪なイタズラを仕掛けてきたところだ。

というより、妹たちのかわいいイタズラが、極悪になった原因、師匠こそ、このマスターだ。

「あれじゃあ、目を覚ましてもまた倒れるんじゃないの?」

呆れたようには言いつつも、止める気はないらしい。

言葉だけは投げるメイコに、マスターは軽く爪を噛んだ。

「そうはさせないわ」

その顔に浮かんだ表情は、メイコにしか見せない、彼女本来の負けず嫌いで利かん気なものだった。

「ねこねこカイトさんを躱したからって、私を負かしたと考えるなら甘いのよ。私には尽きせずアイディアがある。絶対にがくぽさんの理性をぶち切らせてみせるわ」

「……あんたねえ…………」

なんの決意だ。

メイコは額を押さえ、おかしな方向へと闘志を燃やしているマスターへの言葉を探した。

困ったことに、ことイベントが絡むと、あるかないかわからない理性がすっ飛ぶ癖がある。

理性をぶち切って進展させても、傷が残るだけだ。

それに気がつかないほど愚鈍なマスターでもないはずだが、とにかくイベントが絡むとなりふり構わなくなる。

こんなことはお互いに任せておけと言いたいし、これでほんとうにがくぽの理性が切れてしまったらどうするのだ。

「……」

結局メイコは考えることを止めて、肩を竦めた。

その程度には、マスターのことを信用していたし、信頼もしていた。ミクに言わせれば、信奉だよね、だが。

マスターは決して自分とカイトに悪いようにはしない。

その、確固たる自信があるから。

「マスター」

「ん?」

「Trick OR Treat?」

つぶやいて手を差しだしたメイコに、マスターが輝く笑顔になる。

「もちろんよ、メイコさん。ちょっと待って」

「ちなみに、酒以外認めない」

胸を張って言ったメイコの声に被さるように、襖の向こうから壮絶な罵声が轟いた。

マスターが行儀悪く、ちっと舌を鳴らす。

「…負けないわよ」

「はいはい」

根暗くつぶやくマスターの肩を抱き、メイコは多少強引に、彼女をがくぽの部屋から引き離しにかかった。

さすがに今日、これ以上のイタズラはがくぽが可哀想だ。

それくらいの分別があるから、メイコはこの家の家長なのだ。