相変わらず、テーブルも座卓も小机もないリビングだ。

床の上に直接盆を置き、そこに猪口を二つと徳利を二つ、それにつまみのさきいかを盛った平皿を置いた。

Pop goes the weasel-01-

「旦那様って酒の良し悪しはわかるものなのか?」

「そういう貴様はわかるのか?」

訊かれて問い返すと、差向いに座るマスターは笑った。

「それもそうだ。飲みやすいか飲みにくいかくらいしか気にしない」

酒飲みのような答えを返して、猪口を空ける。

そこに新しいのを注いでやったところに、風呂から上がったカイトがやって来た。

「いいお湯でした」

風呂から上がったらそう言うものだ、と躾けられたらしい。カイトはとりあえず、風呂から上がるとそう言う。

「そなたな…」

当然のように傍らに座ったカイトに、がくぽはうれしそうな、困ったような、微妙な笑みを浮かべた。

最近のカイトの寝間着は、がくぽと揃いの浴衣だ。以前はパジャマを愛用していたカイトだが、ある日、がくぽと同じものを着たいと言いだした。

特に理由を問いただすこともなく、マスターは奏に言って、カイト用の浴衣をしつらえさせた。

そうやって旦那様とお揃いの恰好となったカイトだが、うまく着こなせているわけではなかった。

そもそもが寝間用の浴衣だから、着付けが難しいこともない。だが、カイトはいつでも、うまく着られずに衿が崩れていたり、裾が割れていたりした。

ある意味仇っぽく着崩されてしまうカイトの浴衣を整えるのが、がくぽの新たな仕事となったのは言うまでもない。

今日も今日とて微妙な着こなしのカイトへと手を伸ばし、旦那様は甲斐甲斐しく浴衣を整えてやる。

おとなしく整えられながらも、カイトは不思議そうな表情で、床に置かれた盆と、猪口を構えるマスターを見やった。

「なにをしているんですか?」

訊かれた内容に、がくぽは面食らう。

「晩酌だ」

「ばんしゃく………」

それ以外のなにに見えるのかと言ったがくぽに、きれいに着付け直されたカイトは首を傾げる。

不可解そうな態度に、がくぽは訝しげな視線をマスターへと投げた。

「これまで、家で飲んだことはないのか?」

「家じゃ飲んだことないな。相手がいないから。酒はひとりで呑むなっつーひいじいの教えがあってな」

適当なことを混ぜられつつ返された答えに、がくぽは眉をひそめる。傍らで首を伸ばし、不思議そうに盆を覗きこむカイトを見やった。

相手がいないと言うが、カイトだとて成人だ。

「カイトは飲めぬのか?」

「さあ?」

「飲ませないだけだ」

首を傾げたカイトに対し、マスターのほうは軽く、しかし迷いなく言い切った。

二人を交互に見やって、がくぽはさらに眉をひそめる。

「飲ませぬとは、どういう意味だ」

「どういうって」

問いに、マスターのほうが面食らった顔になる。

がくぽになにか言いかけてから、口を噤んで少し考えこんだ。

それも珍しい態度だ。思考と言葉がともに進むのがマスターだというのに。

「カイト。飲みたいか」

猪口を揺らしながら訊かれ、カイトはけぶる瞳を瞬かせてマスターを見た。

「マスターが飲むなと言うなら、飲みません」

穿って読みこめば、飲むなと言われなければ飲んでみたい、ということだ。

マスターは数回、首を捻ってから、頷いた。

「俺からは積極的に飲ませない。面倒見切れないからな。旦那様がいいと言ったら貰え」

「…」

カイトががくぽへと、けぶる瞳を向ける。

マスターに渋面を向けたがくぽは、そのままの顔をカイトにも向けた。

「一度飲んでみればよい。好き嫌いはそのあとに決めれば…」

「では、下さい」

「…」

立ち上がって新しい猪口を持って来ようとしたがくぽの膝に手をやって押さえ、カイトは舌を伸ばした。

「飲めるようなら、改めていただきますから」

「………それもそうか」

いたずらに洗い物を増やすこともない。自分たちで片づけるならともかく、ひとに頼むのだ。

頼まれる相手であるハウスキーパー、奏はおそらく、猪口のひとつやふたつが増えたところで、気にもしないだろうが。

頷いて座り直し、がくぽは盆から猪口を取った。

渡そうと差し出したそれに、カイトは首だけ伸ばす。そのまま、口を付けてわずかに啜った。

「…」

「口に合わぬか」

黙って眉をひそめたカイトに、がくぽは小さく笑う。

昔から、左党――甘いもの好きに、酒好きはいないと言う。カイトが左党かというと微妙なところだが、嗜好はアイスだ。

酒が口に合わないとしても、不思議はない。

「…」

「どうする?」

口元を押さえて頬を染めるカイトに、がくぽは猪口を揺らした。

「…………要りません」

「そうか」

小さく吐き出された拒絶に笑って、がくぽは酒を啜った。

酔う機能はないから、飲むことに意味はないが、風味の好き嫌いくらいはある。

この酒に関して言えば、マスターに付き合ってやるくらいは許容してもいい範囲だ。

「口直しに、アイスを持って来てやろうか」

「………いいえ」

あまりにも浮かない顔をしているので気を回したがくぽに、カイトは首を横に振った。

「カイト。気分が悪くなったら旦那様に頼れ。旦那さまは介抱をがんばれ」

「はい、マスター」

「貴様な」

酒を啜りながら軽く言ったマスターに、カイトは素直に頷き、がくぽは眉をひそめる。

わずかに一口、啜っただけだ。しかもロイドだ――基本的に、酒に反応しない。気分が悪くなろうはずもない。

「…」

そこまで考えて、がくぽはカイトを見た。

それとも、カイトは酒に反応するように出来ているのか。

確か、カイトと同世代機の、MEIKOシリーズは酒に酔う。嗜好が酒で、ならば酔わなければ面白くないとか、そんな理由で。

「……」

だがKAITOシリーズに関しては、そういう情報はない。

そもそも、嗜好はアイスだ。アイスに関して理性を飛ばすという話ならよく聞く。あれもある意味、酔っているというのだろうが。

おそらくはマスター得意の、偏見という適当な思いつきだろうと結論して、がくぽは酒を啜ろうと猪口を口元に運ぶ。

その途中で、マスターの手が徳利を求めてあらぬ方を彷徨っているのを見つけ、猪口を置いた。

徳利を取ると、彷徨う手に触れさせてやる。

「酒酔いになると、さすがの貴様も勘が鈍るか」

「多少はな。だから余計にひとりだと飲まない」

口元を歪めたがくぽに、マスターは愉しそうに答えた。

徳利から猪口へと酒を注いで、濡れた指を舐める。

「だんだん指の感覚も鈍って加減がわからなくてこぼす。酒はこぼすと後始末が面倒だろう。だから次は徳利に口をつける。徳利が空いたら瓶」

「強いのか弱いのか、わからん」

「弱いさ。一升瓶がひとりで空けられない。だいたい途中で放り出す」

明るく笑うマスターに目を眇め、がくぽは空いた徳利の口いっぱいまで、酒を注いだ。

「口をつけておいて途中で放り出すな、性質の悪い」

「だから人と飲むんだ。注いでもらえるし」

腐されてもまったく反省の色皆無で、マスターは愉しげに酒を啜る。

そのマスターにさらに眉をひそめ、言葉を継ごうとしたがくぽは、瞳を見張った。

「…」

「…」

がくぽの膝に手を置いたのは、カイトだ。

マスターとがくぽの諍いを嫌うカイトだ。常々、がくぽは言葉が過ぎると、苦言を呈されてもいる。

制止されたのかと思って顔を向けると、妙に熱っぽく潤んだ瞳で見返された。

「カイ…」

どうした、と上げかけた声が、閊える。

膝に乗せた手をそのまま滑らせ、太ももを撫で上げたカイトは、がくぽの手を取ると、自分の股間へと導いた。

「ん……っ」

自分で導いておきながら、手が触れた瞬間に背筋を震わせる。

カイトは鼻に抜ける甘い声を漏らして、寄せたくちびるでがくぽの耳朶を食んだ。

「カイト……?!」

「ぁ………っ」

小さな声で呼びながら導かれた股間を探り、がくぽは再び瞳を見張った。

反応している。

だがいったい、なにに煽られて。

突然のことに固まったがくぽの手をさらに股間へと押しつけ、カイトはくちびるを舐めた。

「旦那様ぁ………」

「っっ」

甘いさえずりに、がくぽは股間へと導かれた手を取り戻した。

性急なしぐさで腰を上げると、カイトの手を引いて立ち上がらせる。

しかし、立つことも覚束なくなっているのがわかると、多少乱暴に、その体を抱え上げた。

「マスター、俺たちは引き上げる。そこそこにしておけよ!」

「ひゃっはっはっは!!」

口早に言ったがくぽに応えたのは、かん高い笑い声だった。

堪え切れないとばかりに笑い転げるマスターの態度に言いたいことが山ほどあったが、そんな場合ではない。

がくぽはカイトを抱えて、自分たち夫婦の寝室へ飛びこんだ。