違和感はあった。
Pumpkin Peter-01-
マスターを仕事に蹴り出し、リビングに戻ったがくぽは訝しく眉をひそめた。
南向きで窓の大きなリビングの真ん中には、いつもと変わることなくカイト――がくぽの最愛の妻が座っているだけだ。家具らしい家具を置かない家なので、カイトは絨毯の上に直に腰を下ろしている。
まったくもって、いつも通り――
だが、なにかが引っかかる。
引っかかるものの、大きな差異があるというわけではなく、咄嗟には思い至らない、小さな差異――
眉をひそめつつも、がくぽはカイトの傍らへと歩み寄った。自分がもっとも気に入っている角度から妻の顔を眺められる場所に腰を下ろし、胡坐を掻く。
「………？」
相変わらずの、違和感。
背筋を這い上がるものがあるような、あまりよろしくない感触だ。だからといって、危険かというとそうではなく、―――曰く名状し難い。
違和感の追及に気もそぞろながくぽへ、カイトは甘えるように身を乗り出してきた。
いつも茫洋と霞み、焦点のぶれている瞳が熱を持って潤み、甘い色を刷いて最愛の旦那様を見つめる。
どれだけ体を開き重ねても、一向に愛情の醒めることがない相手だ。こうして淫靡ささえ含んだ瞳で見つめられると、がくぽの咽喉は勝手に鳴る。
抱いた違和感を追及することを後回しにし、がくぽは陶然とした表情のカイトに見入った。
その旦那様をさらに誘惑するかのごとく、カイトはがくぽの膝にやわらかに手を置いて身を寄せる。
おねだりのとき特有の殊更な上目遣いとなると、嫣然と微笑んだ。
「旦那様………『悪戯』……してください………」
「なっ？！」
――表情は表情で、態度は態度でも、意想外のおねだりだった。
瞳を見張り、素直に驚愕に染まったがくぽは、慌ててリビングを見回す。
がくぽの最愛の奥さんは、会う人あうひとことごとくから『天女』の号を得る相手だ。その思考は常人には図りがたく、飛躍ぶりはカイト自身が『→頭がおかしい』と断じたマスターに並ぶ。
なにか言われたからと言って用意もなく漫然と応じると、ろくでもないことになる。
抱く愛情とは別のところで危機意識が発達したがくぽは、奥さんの発言の依拠を探し、まずはリビングを――見渡して、カレンダーで目を留めた。
十月だ。
さらに言うなら、今日は十月の最終日――
「旦那様」
「…………」
甘くさえずる奥さんを、がくぽは一瞬、胡乱な目で見た。
まさかカイトが、ハロウィンを知っているとは思わなかった。
――抱く愛情と、その感想が生まれるのは別の問題だ。
がくぽの妻であるカイトはマスターの意向により、うたうたうことのみに特化した『うたうたい人形』と等しい。
日常のことは最低限ほどしか出来ず、生活のほとんどを器用な夫に頼り、なんとか過ごしている。
出来ないのは日常のことだけでなく、ひとが騒ぐイベントや時事にも疎い。
隔絶した、箱庭のうたうたい。
それがカイトだ。
だからまさか、ハロウィンを知っているとは――
とはいえ、いきなり『悪戯してくれ』はない。意味も順番も理解できていないということだ。
甘える瞳で答えを待つカイトを、がくぽは殊更にしかめた顔で見返した。
「カイト、そなたな……ハロウィンをなにか、誤解しておるだろう？本来は、『菓子か悪戯か』と訊いて、菓子を渡して済ませるものだ。いきなり『悪戯してくれ』では、趣旨も順番も違う」
諄々と説いた旦那様を、奥さんはけぶる瞳はそのままに、首を傾げて見返した。
「でも俺は、お菓子を持ってないんです………でしたらどちらにしろ、悪戯されるしかないでしょう？」
「まあ………いや………」
穏やかかつ緩やかに生きているように見えて、意外に短絡的なカイトらしい思考の飛躍だ。
説明されて一瞬は納得しかけたがくぽだが、ここで素直に頷いてはいけないと思いとどまった。
いくら菓子の持ち合わせがないとはいえ、いきなり『悪戯してくれ』に飛ぶのでは、精神的に悪いことこのうえない。
がくぽの思考において、奥さんから要求される『悪戯』というものは、確実に種類が限定されてしまう。
しかしカレンダー的に考えると、そういう日ではない。
性格的なものもある。たとえ普通にしていたとしても、すぐには無邪気な悪戯も思い浮かばない。
もうひとつ、葛藤がある。実のところ、これがもっとも深刻だ。
なにゆえがくぽが、菓子を強請るほう――つまりは『子供』に設定されているのか。
ハロウィンにおいて、『菓子を寄越せ、さもなければ悪戯するぞ！』と脅して回るのは、子供だと相場が決まっている。
その子供に菓子を渡すのが、大人の役目だ。
起動年数的な話で、カイトはがくぽより年上だが、それはそれ、これはこれだ。
ごく自然と割り振られた役目が、即座には納得し難い。
し難いが、奥さんの知識と思考の飛躍ぶりからするに、そこまで意識してのことかというと、それも悩ましい。
「ぬぅ………っ」
すべてのことが相俟って懊悩する旦那様に、瞳を熱っぽく潤ませるカイトは急かすように身をすり寄せる。膝に置かれた手が滑って、意味を含んで太ももを撫で上げた。
「好きにしてくださって、いいんですよ？旦那様がなさる『悪戯』なら、どんなことでも堪えますから……」
「かい、」
「たとえ用意できたとしても、悪戯してくれないなら、お菓子なんか上げませんから………旦那様……」
度を越して熱烈に強請られながら、くちびるにくちびるが触れる。
「っっ、カイトっっ！！」
「ぁ……っ」
普段ならば、疑問や懊悩多々あれど、求められるくちびるに存分に応えてやる。
しかし今日は違った。
潜りこんで来た舌の味に、がくぽは慌ててカイトの肩を掴み、引き離した。
非常に情けなく表情を崩すと、半ば項垂れつつ、甘く蕩けてくちびるを濡らす奥さんと瞳を合わせる。
「カイト、そなたな。酒を飲んだな？！」
「はい」
悲鳴のように叫ばれても、カイトは悪びれることなく素直に頷いた。そのうえで、引き離された旦那様へとすり寄る。
「ね、旦那様……『悪戯』してください………」
「カイト………」
項垂れるしかない。
間違いなく、自分が真っ先に思い浮かべた『悪戯』で良かった。
だれがいつ、どうカイトに酒を飲ませたのかはわからない。
いつもは甘いだけのカイトの口の中にアルコールの苦みが残っていたということは、飲んだばかりだということを端的に示してもいる。
がくぽが目を離したのは、マスターを玄関に送り出すそのとき程度のはずだが、思い返してみれば――
しかし言うと、こうなった以上は原因追及の時間はない。
カイトは――KAITOシリーズの酒癖は、一部で評判だった。非常に悪い意味で。
たかが一口程度の酒で、覿面に反応する。各々の環境や性格にも多少は因るらしいが、穏やかさや大人しさが消え、――
追及は後回しにして『満足』させてやらないと、夫婦仲が危機だ。
愛らしく淫靡な奥さんに煽られつつも、それとこれとは別のところでがくぽは涙目になった。
「っぇえい、仕様のないっ！ほんにそなたの酒癖は、極悪だな！！」
複雑な心持ちのまま、がくぽはアルコールに蕩ける奥さんを抱き寄せた。