奏が頭を抱えた理由は、ほどなく判明した。

なんのことはない。マスターの弟は、すべてのロイドと険悪な仲なのだ。

The Key Of The Kingdom-03-

「ちょっとなんでミキとマスターが並んでご飯作ってんのよ?!」

「てめえミキ、マスターに寄るな触るな近づくな飛んで弾けて消えろ!!」

「相変わらず小うるさい餓鬼どもだ。まるで成長しないな、チビが。あと気安くミキミキ呼ぶな、ロイド!」

「ミキの分際で命令とか超うざっ!」

「っていうか、マスター、ミキとふたりきりで飯作るとか、頭どうかしてんじゃないの?!あと俺らがやるから向こう行っとけ!」

「そうだ、奏。おまえは向こうに行って兄貴の面倒を見てろ。つうか餓鬼ども、貴様らも要らん。邪魔だ、ちょこまかと!」

「ミキは存在から超うざっ!」

キッチンの喧噪は、ほとんど戦争レベルだった。

奏のロイド、鏡音シリーズもがくぽと同じく、尊大な深月に対しては反感しか持っていないらしい。

レンはある意味いつもどおりだったが、がくぽとカイトの前だと、精いっぱいおしとやかで上品な少女として振る舞うリンがもう、そこらへんのコギャルと同レベルになっている。

主家の息子と、自分に帰属するはずのロイドふたりから揃ってキッチンを追い出された奏は、蹌踉とした足取りで、カイトの膝枕で横になる若さまの前まで来た。

「あの…今からでも遅くないですから…」

いっしょに夕食を、というのは、なしにしませんか…?

お伺いを立てた奏に、若さまは朗らかに笑った。

「噂には聞いてたが半端ないなおもしろいだろうカイト」

「元気ですね」

ずれた答えを返すカイトは、穏やかな笑顔だ。奏が咽喉の奥で引きつった悲鳴を上げ、へたり込んだ。

「すみません申し訳ありませんかくなるうえは八十八か所巡りに行かせていただきます…」

「四国かあそこらへんの名物っていうと」

考える顔になった若さまに、奏は陰々とした声で訂正した。

「いえ、地獄です」

「全力で後ろ向きに前向きだな!」

感心したように言う内容がおかしい。

「それは結局、どちらを向いているのだ」

呆れたがくぽが腐すと、マスターはこう向いてこう走る、と手を振って説明した。

説明を聞いたがくぽがさらに難癖をつけようとすると、微笑んだカイトの手が伸びて長い髪をひと房取った。

愉しそうにくちびるを付ける。

「…カイト」

奏ひとり、マスターひとりいても、馴れ合うことに抵抗を覚えるがくぽだ。それが今はこの人数。

キッチン組には、まったくこちらに構いつける余裕がないとわかっていても、体が固まる。

マスターを膝に懐かせたまま、カイトの手は髪をたどってがくぽの顔へ伸びる。いたずらに耳を引っ掻かれ、がくぽは項垂れた。

奥さん怒りっぱなしだ。展開上、謝る隙がないのが大いに災いしている。

そうこうしているうちにおかずが作り足され、リビングに運ばれた。

といってもマスターの主義によって、この家にはテーブルがない。床にクロスを広げて、その上に皿を並べていく。

そこに深月が文句をつけ、それに対して反論するのがなぜか、がくぽでもカイトでもなく、リンとレンだ。

いつもならリンは、憧れの天女様であるカイトの隣に座りたがる。

しかし今日はのっぴきならない事情があるらしく、カイトもがくぽも目に入らない様子で、マスターである奏の隣に陣取った。やはりいつもはリンの隣に座りたがるレンも、今日は奏の反対側の空白を埋める。

マスターの隣には当然のようにカイトが座り、反対側の空白には深月が座った。

必然的にがくぽはカイトとリンの間に座ることになったが、別に文句はない。どちらにしろ、マスターの隣になど座るつもりはないからだ。

問題は、カイトが怒っている今、食事中だろうがなんだろうが、手を出される可能性があることくらいだ。

しかしてすぐに、別の問題に行き当った。

「ほら、兄貴。トマトのリゾット好きだろう。まだ熱いぞ。ちゃんと冷ませよ」

「あいあい。あとなんかサラダ系食いたい」

「パプリカのサラダと、サーモンのマリネがある」

「ふたつ混ぜたらうまくね?」

「…またそういう…。わかったわかった。混ぜてやるから…」

マスター兄弟だ。

ロイドに対してはどこまでも不遜でいけすかない深月は、それはそれは甲斐甲斐しく、兄の面倒を見た。

人数が増えた分、広がって取りづらくなった皿からおかずを取り分けては、兄へと献上する。兄のほうも慣れた様子で、甘えまくりだ。

がくぽとて、カイトの面倒を見ている点でまったく同じ光景が展開されているのだが、とりあえず夫婦だ。

いい年をした兄弟がやっているのを見ると、背筋がざわつく。

「…あの兄弟は、いつもああなのか」

カイトに訊くことは無意味の骨頂なので、がくぽは隣のリンに訊いた。眉間に深い縦皺を刻んだリンが、それを解かないままに小さく吐き捨てる。

「クソブラコンがっ」

「…」

現在、リンに訊くことも無意味らしい。

頭ひとつ追い越して、胃が痛んで食事が進まないらしいハウスキーパーに目をやる。

短時間で、ずいぶんやつれたように見える奏だ。隙を見せると深月に食いつきに行くリンとレンの牽制に忙しい。

「…自業自得と言えば自業自得だが…」

「なにがですか?」

ペンネ・アラビアータをつついていたカイトが、なんの気なしに訊いてくる。疑いもない眼差しで、空になった小皿を差し出した。

「からいです」

「ああ、悪かった…」

「もっと」

「…」

会話が繋がらない。しかしこれは常態だ。

がくぽは大して気にもせず、受け取った小皿に、大皿に残っているペンネをきれいにさらって盛る。カイトに渡しついでに、口の端についたソースを拭ってやった。

「そなた、意外と辛いものが好きよな」

「食後のアイスがおいしくなりますから」

然もありなん。

納得して、がくぽは自分用にムサカをよそった。ジャガイモは除けて、茄子だけ取る。行儀は悪いが、これだけ人数がいれば紛れてしまう悪行だ。

「それで、なにが自業自得ですか?」

「ん?」

珍しく会話が続き、がくぽは口の中の茄子を咀嚼しながら考えこんだ。

まあ、たまには他愛ない会話が続くこともあるだろう、と結論づける。

「マスターの弟と、鏡音シリーズだ。ずいぶん険悪だからな」

「ああ」

今気がついた顔で、カイトはリンとレン、それに気持ち悪いほどに兄の世話を焼く深月を見た。

茫洋として焦点のぶれた瞳が、しばらく喧噪を眺め。

「マスターが言うには、鏡音シリーズは危機感を持っているらしいです」

「危機感?」

思いがけず情報が繋がり、がくぽは瞳を見張って、下界に興味のない妻を見やった。

「タバスコください」

「……………それ以上辛くしてどうする…」

「アイスがおいしいです」

生真面目に言うカイトに、がくぽはタバスコを取ってやる。

蓋を開けて渡すと、カイトは尋常ではない量を振りかけた。一口食べて、わずかに顔をしかめる。さすがに辛くし過ぎただろう。

しかし放り出すこともなく、食べ続ける。

見上げたアイス好きといえばいいのか、これでいて本心から辛いものが好きなのか、判断に悩むところだ。

「それで、危機感とは?」

これ以上の情報も期待せずに訊いたがくぽに、カイトは口の中のものを飲みこむ間を挟んだ。

「つまり、弟さんが奏に懸想していると」

「…」

「鏡音シリーズが奏の元に来たのは、俺とマスターが本宅を出たあとなので、詳細は知りませんが…。本宅のほうでは、鏡音シリーズと弟さんの、奏を巡る諍いは常態だったそうです。マスターは一度でいいから、その現場に居合わせたいと言っていました」

なにそのおもしろ設定!

昼ドラ好きのがくぽの血が、俄然沸き立った。

マスターに惚れている幼馴染みのハウスキーパーと、そのハウスキーパーに惚れているマスターの弟。

その弟は重度のブラコンで、兄に盲従。だが募る恋心。そこに兄の出奔。

邪魔者のいなくなった邸宅で、ハウスキーパーに迫る魔の手…!

べた展開おいしい。全員男でも。

「まあ、鏡音シリーズの勘違いだそうですが。この場合、誤解させた弟さんにも非があるそうなので、…がくぽ?」

「…」

夢想世界に飛んでしまった旦那様に、奥さんは首を傾げる。最後のペンネをフォークに刺すと、旦那様の口元に運んだ。

「あーんしてください」

初めての「あーん」だった。ひとの面倒などまったく見ない奥さんからの、自主的初「あーん」。

しかしながら、久しぶりの大ネタゲットに沸く旦那様は、ほとんど無意識に口を開き。

「ぬぁっ!!」

その辛さに、がくぽは口の中のものを吹き出しかけて、慌てて思いとどまる。

どうにか呑みこんだが、口の中が痛い。

「そなたな…いくらなんでも、辛くし過ぎだぞ!」

苦言を呈した旦那様に、奥さんはかわいらしく微笑んだ。

「アイスを食べればいいんですよ」