それは、鈴の鳴る音にも似ていた。いくつものベルが重なり、空間を広がって震わせる。

聴き慣れない異国の言葉と、さやけく風のような旋律。

ありふれたマンションの一室が、異世界へと姿を変える。

The Key Of The Kingdom-04-

「…」

残響とともに、リンとレンが口を噤む。

茫洋とした碧眼は、うたの名残も手伝って、ふたりを神子のように気高い存在に見せた。

いつものお転婆娘やんちゃ坊主が、嘘のような変貌ぶりだ。

彼らと付き合って半年になるものの、うたう姿自体は初めて見たがくぽは、純粋に感嘆していた。

きょうだいに憧れて購入したという奏だが、きちんとした調声もできるらしい。万能家政夫さんだ。

「…」

「…」

仲良く手を繋ぎ合ってうたっていたリンとレンが、夢世界から現実に戻ってきて、続く静寂に不安そうに瞳を見交わす。リビングに揃った誰もが、口を開かずに黙って考えている。

自分たちのマスターである奏の顔を窺ったが、奏のほうも、観客であるマスターとマスターの弟を窺っている。否、奏の場合、マスター以外見えているとも思えないが。

「いいな。前よりずっと奏らしくなった。ちびどももずいぶん練習したようだ」

カイトの膝に頭を乗せて横になっているマスターが、至極満足そうに頷く。

奏の顔が喜色に輝き、そのマスターの反応に、緊張していた鏡音シリーズの顔も輝いた。

「ありがとうございます!」

言いながら、奏は自分のロイドの頭を乱暴なくらいに勢いよく掻き混ぜた。

明るい悲鳴を上げて、リンが奏に抱きつく。レンは顔を赤くしてわずかに抵抗したものの、結局、奏の腕にしがみついて、得意そうな笑いを閃かせた。

なんだかんだで、懐かれている奏なのだ。

「聴き慣れぬ言葉であったが…どこの言葉なのだ?」

もう口を開いてもいいだろう、と、気になっていたことを訊いたがくぽに、奏はわずかに頬を染めた。

「あー…それは。その、なんというか…造語です。一応意味は通していますけど、まず音ありきで。既存の言語だと、どうしても音と意味が合わせられなかったので、…その、創作で」

「ほう」

恥ずかしそうに告白する奏の意外な才能ぶりに、がくぽはまた感心した。

ロイドの中でもボーカロイドを選んだのには、それなりに理由があったのだ。

若さまがカイトを買ったのを見て、と言っていたが、そちら方面の才能があればこそ、憧れもしたのだろう。

「恋のうたですね」

「…え」

マスターの頭を膝に乗せたカイトが穏やかに言ったことに、空気が固まった。

空気読まない能力勇者レベルであるカイトは、周りの反応を気にしたふうでもない。

髪を梳きながら、マスターに笑いかけた。

「片想いのうたでしょう?」

「そうだな。もっとも奏らしいうただ」

マスターは満足そうに受けた。平然としているのは、このふたりだけだ。

奏はリンとレンを抱えて、赤くなったり青くなったりと忙しなく、マスターに抱えられたままのリンとレンは目を見張って首を伸ばした。

「どうして、カイトさん?!」

「なんでわかんだよ?!」

三人の反応からも、カイトの言葉が正しいとわかる。

がくぽも目を見張って、妻の顔を覗きこんだ。

「そなた、この言葉がわかるのか?」

問われて、カイトは微笑む。

「わかりません」

すげなく言ってから、首を傾げた。

「そんな気がしました。片想いのうただと。苦しくて切なくて、でもあなたを好きになれて幸福だとうたう、野辺の花の恋のうただと」

「はははっ」

カイトの答えに、マスターが笑う。真っ赤になって委縮している奏のほうへ顔を向け、カイトを指差した。

「おもしろいだろう?」

「…ええっ。…いや、あのその…」

「若さま、マスターを虐めちゃいや!」

しどろもどろの奏を庇うように、リンが顔を突き出す。弟に対するのとは違って、トーンはあくまでやわらかい。が、どうにも対処に困っている感があった。

対するほうは、自分のロイドから、→頭がおかしいひとだ、と括られた人間だった。

「ちょっと虐めると奏はものすごくかわいいんだ」

悪逆非道なことを恥ずかしげもなく言い捨てて、傍らに座して黙りこんでいる弟のズボンを引っ張った。

「どうだ?」

「…」

この場合、深月がなにも発言していなかったのは正解だ。

たとえ褒め言葉であろうと、リンとレンは深月からの評価など欲していない。どころか、そんなものを与えられようものなら、ドブに叩き落として鉄砲水で流す勢いだ。

たちまち尖ったリンとレンの瞳に気圧されることもなく、深月は眉間の皺を叩いた。

「独特だな」

「#$&☆っ!!」

叫ぼうとしたリンとレンの口を、寸でのところで奏が押さえる。

感想を求めたのは彼の敬愛する若さまなので、たとえいけ好かない深月の評であろうと、黙って聞きなさい、と無言で告げる。

ロイドに剣突くされることなどまるで意に介さない男のほうは、あくまで自分の頭の中をさらっている。

「調声としては、そこそこのレベルにまで行っていると思う。だが、うたがな。独特だぞ、ずいぶん。兄貴は奏らしいと言うが、どちらかというと、『声』を聴いているというより、『楽器』を聴いているといった感がある。うたはうたでも、インストゥルメンタルに近い。こいつらは、人間のようにうたわせることに価値があるのではないのかだとしたら、楽器のように扱うのはどうなんだ?」

「%&☆■っっ!!」

懲りないレンが口を塞がれたまま叫ぶ。がくぽには叫んだ言葉がなにか、想像がついた。

リンのほうはもっと直截で、女の子が決してやってはいけないやり方で、深月に対して指を立て、振り下ろした。

深月はいけ好かないものの、マスターの反応も気になるがくぽは、チェシャ猫のように得体の知れない笑みを浮かべているマスターを見た。

弟のズボンを掴んでいた手を離し、マスターはカイトの頬を撫でた。顎をくすぐり、咽喉へとたどる。

「声も楽器だ。ボイスパーカッションの例もある。なにごとも極めればごくシンプルな形に還る。俺は今のちびどもで十分大丈夫だと判断する」

「兄貴が言うなら俺はいい。どちらにしろ、音に関して俺は門外漢だ」

簡単に引き下がり、深月は壁に背を預けた。懸命にリンとレンを押さえこんでいる奏を見やる。

「曲はこれで行くんだな?」

「いちばん自信のあるものを聴かせろと言ってこれを出して来たんだぞ」

「わかった。あとは衣装か。来週までにいくつかデザインを出そう」

「そっちはおまえが適任だわな」

呑気な口調での兄弟の会話に、がくぽは首を傾げる。

己のロイドと格闘していた奏も、胡乱な気配に気がついて、顔を引きつらせた。

「なんの話です?」

嫌な予感しかしないらしい奏に答えたのは、敬愛する若さまではなく、弟のほうだった。

「大燦会だ。行く以上は、優れた『才能』を連れる必要があるだろう。どうやらその餓鬼どもは合格点のようだからな。そうなればいつものその、貧相な服で出られるわけもなし、おまえの分も合わせて…」

「なんの話ですか?!」

衝撃のあまり、奏は必死に押さえこんでいたロイドたちを取り落してしまった。せっかくきれいな顔をしているのに、今はまるでムンクの叫びのように歪んでいる。

対してリンとレンのほうは、顔を輝かせて素早く起き上がった。

「大燦会?!出ていいの、若さま?!」

「マジで?!マスターもいっしょに?!」

が、あくまで訊くのは弟のほうではなく、若さまのほうにだ。

飛び跳ねるように寄ってきたふたりに耳元で叫ばれて、若さまのほうは少し顔をしかめた。しかし寝転がったまま手を伸ばすと、黄色い頭を撫でてやる。

「奏とおまえらふたりだ。いい子にできるか?」

「「できる!!」」

「待てこら!!」

若さまに肉薄するリンとレンの襟首を掴んで引き離し、奏は真っ青な顔で悲鳴を上げた。

「ご冗談ですよね?!」

「だとしたら、つまらん冗談だぞ、奏」

「ぼっちゃまには訊いておりません!」

「…どこまでもおまえというやつは…」

天を仰ぐ深月に、リンとレンがうれしそうに舌を出す。

奏の手が怪しく彷徨った。狂乱のあまりに踊りでも踊りだしたようだが、別に踊っているわけではないだろう。

「使用人風情を連れて行く場ではないとおわかりでしょう、若さま。私などを連れて行けば、物笑いの種になります」

奏の言いように、リンとレンが瞳を尖らせる。がくぽも眉をひそめた。

だが、誰がなにを言うより早く、当の若さまがごく軽く、しかし厳然と言った。

「おまえは俺の自慢だ」

鏡音シリーズが、奏の後ろで手を組む。快哉を叫びそうだ。がくぽもわずかに愁眉を解いた。

愁眉のままなのは、奏だ。

「いけません」

二重三重の意味を含んだ、いけません、だ。珍しくも、毅然として怖い。

若さまの言うことでもこればかりは、という決意が滲み出ている。

「若さま、よろしいですか。そもそも」

「補佐がほしい」

説教されかけているほうは、軽く言う。

だがその内容の重さは、がくぽやリンレンなどより、よほど奏に迫るものがあるのだろう。

説教姿勢に入っていた奏が、言葉に詰まって口を噤んだ。

「『俺』の補佐が必要なんだ。おまえ以上の適任がいるなら推薦しろ。聞いてやる」

「…」

奏の瞳が泳ぐ。くちびるが言葉を紡ぎだせずに空転し。

「…補佐が、ご入り用なんですね」

「そういうことにしておいてやる」

「それ以外認めません。わかりました。同行させていただきます」

ため息とともに頷いた奏に、今度こそリンとレンは快哉を叫んだ。

傍らで深月の体がわずかに弛緩するのがわかり、がくぽは目を見張った。

奏の返事を、それほどに緊張して待っていたのかと思うと、意外だ。

満足そうに笑ったマスターが、自分のボーカロイドであるカイトとがくぽ、ふたりに顔を向け、手を振った。

「次はおまえたちの番だ。うたえ。俺のために!」