Sat UpOn a cLod

肚を決め、がくぽは傍らに座すカイトへ顔を向けた。

「かぃ……」

呼びかける。言葉は中途半端に終わり、がくぽはそのまま沈黙に落ちた。

沈黙。

沈黙。

ちんもく………………

「がくぽ?」

けぶる瞳で訝しく見返すカイトに促され、がくぽはようやく、中途半端に止まったくちびるを戦慄かせた。

「否、そな………いや、ぅんあー………ぁあ?」

正気に返ったとは言い難い、未だ衝撃を残す表情のがくぽがこぼす言葉は、実にそれらしい断片で、常の明瞭さが片鱗もない。

カイトはさらに訝しく瞳をけぶらせ、首を傾げた。

「………がくぽ?」

どうしたのか、と。

こころ当たりらしいものも浮かばず、ここまでくるとわずかな不安も過らせながら訊いたカイトを、がくぽは信じられないものであるかのように見た。

「否、そなた、な………なにゆえ、今、………つまり、口づけた?」

「……?」

先よりましになったとはいえ、未だがくぽの言いは不明瞭だ。なんの意図でもって夫がそんなことを訊いてきたものか、カイトにはまるでわからない。

わからないが、どのみち常の、明瞭な言いであったとしても、カイトは夫の意図を汲むことが難しい。

だから、仲の良い夫婦の間柄で、いったいどうしてそんなことを逐一訊かれるのかという訝しさは棚に上げ、カイトは素直に答えた。

「『したい』と思ったからですが」

「ああまあ、然もありなんな?」

「ええ…」

それ以外に答えもない、答えだ。少々、過ぎ越すほど仲の良い夫婦の間柄では、答えるまでもないという。

がくぽもわかっていただろう、即座に容れたが、実のところカイトの答えはこれで終わりではなかった。

「より正確に言うなら、『できそうだ』……ですかあなたは普段、俺を相手にも、隙なく構えているでしょう。それが今、なにか、……ゆるんだような気がしました。ですから『できそうだ』と。できそうなら、『したい』と……………がくぽ?」

「ああうん、ああ………うんぅんんそうだなそうだ、そうであろうとも………然であろうとも……!」

カイトの答えを聞きながら、がくぽは徐々に体を撓め丸め、最後にはうずくまって頭を抱えてしまった。

くり返すが、カイトにはいったいなにがこうも夫を打ちのめしたものか、まるでわからない。

ただ、途方に暮れたように眺めるカイトに、その雰囲気は感じ取りながらも、がくぽは即座には立ち直り難く、むしろ頭を抱える手に力をこめた。

言おうとした。

奥さんのほうから口づけてはもらえないかと。

ここ最近、なんだかんだとがくぽからカイトへ口づけを与えることが、多かった。それもそれでがくぽが望んでのことではあるからいいのだが、なにやら急に、カイトから口づけて欲しくなったのだ。

しかし前後との脈絡もない望みであるし、さてどうしたものかと思案して――

結局、当たって砕けて微塵と散れと覚悟を固め、奥さんへ顔を向けた。

そしていざと、口を開いた瞬間だ。

ねだるまでもなく奥さんのほうから顔を寄せてきて、がくぽのくちびるを掠めていった。

してほしかったから、してくれたのはうれしい。が、がくぽの奥さんは『天女』と仇名されるほど浮世離れした相手で、ひとの機微など逐一読まないし、空気はもっと読まない。

だというのに、いったいどうして今日に限ってがくぽの意図を先読みしたのかと――

けれどこの様子から見るに、カイトにはきっと、『先読みした』という意識はない。

意識はないが、結果的にはそうなった。

今日、今の、この瞬間、『甘える』ことがあまり得意ではない旦那様が、決死というほどの覚悟を固め、奥さんに甘えようとした、そのときに。

「がくぽ」

「そなたはとんでもなく甘えさせ下手の、甘やかし上手だな、カイト………っ!!」

戸惑うカイトの気配は感じながらも羞恥に歪む顔を上げられず、がくぽは頭を抱えたまま、狂おしいほどの悦びを吐きだした。