なにが悪いとかそういうことではなく、タイミングが合ってしまったのだとしか、言いようがない。

うちのおとーとは、とっても初心です。

「にぃにーっ♪」

ゴキゲンなカイトにぽんぽんと肩を叩かれて、がくぽは何の気なしに振り返った。

ひとつ言うと、そのときがくぽは自室にいて、床に座りこんでいた。だから普段なら合うはずもない、小柄な弟と背丈が変わることもなく。

膝立ちしてがくぽの後ろにいたカイトは、いつもの通り、べしゃっと背中に覆い被さってきて、その衝撃を逃がしてから、がくぽは振り返った。

「なん………っ」

「………っ」

振り返る。その、ほんの一瞬のタイミング。

狙ったわけでもなく、何の気なしに。

おそらくカイトはいつもの習慣で、がくぽの頬にキスしようとしていた。

しかし、がくぽが振り返った、そのタイミングと角度――が、どんぴしゃりと合い、カイトのくちびるは、がくぽのくちびると、ばっちり。

あまりと言えばあまりなアクシデントに、咄嗟に反応することも出来ず、二人して無意味にびしりと固まった。

そうやって、くちびるとくちびるが触れあったまま、お互いに瞳を見開いて呆然と見合うこと、数秒。

「か………カイトっ!」

「………………………………………………………」

我に返ったのはがくぽが先で、慌てて仰け反るとくちびるを離した。

カイトはそれでも呆然としたまま、へたへたと床に座りこんだ。そろそろとくちびるを手で覆い、小刻みに震える。

がくぽはひたすらに慌てて、座りこんだカイトへと向き直った。力なく項垂れる肩を掴んで、揺さぶる。

「すまんっ、悪気があったわけではっ」

「ふぁーすときす………」

「ぅぐっ」

弟がぽつりと吐いた言葉の意味とその重さに、がくぽは呻いて固まった。

普段から、「にーにvv」とがくぽばかりに馴れているカイトだ。集まりなどで他のロイドの女の子と会っても、そうそう親しくなるわけでもない。

むしろ女の子たちには冷たいくらいで、ひたすらに兄にへばりついている。

だからもちろん、そういった関係を持つことがあるわけもなく――

ということが理屈上は理解できないでもないのだが、しかし、年齢的なものを考えると、兄にべったり懐いているだけで済む体の構造でもないはずだ。

そうと意識していたわけではないが、なんとなく、カイトも一通り済ませているような気になっていた。

が、それはやはり、がくぽの勝手な思い込みだった。

一通りどころか、最初の一歩すら。

「か、かい………」

事の重大さに青褪めるがくぽに、カイトは口元を覆ったまま、俯く。

「初めて………………にーにが…………………」

「ぅうっ」

初めてのキスが兄では、人生の汚点も甚だしいだろう。そうでなくてもカイトはどちらかというと、そちら方面に微妙な夢を持っていそうな気がする。

一通り済ませているだろうと思っていたのとは別の次元で、乙女とまで言わないが、年頃の少女のような無邪気で幼い夢を抱いているような、そんなイメージが。

それが、もっとも夢を抱いていそうなファーストキスを――

取り返しがつかない、とさらに青褪めるがくぽを、カイトはうるるん、と潤んだ瞳で見た。

「にーには………?」

「ぅぐっっ!!」

さらに言葉に詰まって、がくぽは仰け反った。

ここ最近は大人しくしているが、カイトが来るまではそこそこ『やんちゃ』だったがくぽだ。

もちろん、初めてのわけもなく。

兄の態度からそうと察して、カイトの瞳がきりりと尖った。口元を押さえていた手を離すと、垂れる髪をぎゅいぎゅいと引っ張る。

「ずるいっ!!ずるいよ、にーにっ!!カイトの『初めて』を奪ったんだよっ、にーにはっ!!オワビになにか、にーにも『初めて』をカイトに寄越せっ!!」

「ぃたたっ、たっ!!」

喚きながら、カイトは髪を容赦なく引っ張る。痛い。考える隙もない。

がくぽは慌ててカイトの手から髪を取り戻し、暴れる弟の体をとりあえず胸の中に抱えこんだ。きつく抱きしめて、暴れるのを押さえこむ。

「にーにっ!」

「一寸考えさせろ!」

だから、がくぽはそこそこ『やんちゃ』だったのだ――そうすぐ思いつくような『初めて』など、欠片も残っていない。

動揺著しい思考は、思いついても実行に躊躇うような、マニアックかつうれしさの欠片もない『初めて』ばかりを提案してくる。

キスもしたことがなかった弟に、そんな『初めて』が受け入れられるかどうか以前に、言っていることが理解できるのかどうか。

いや、そもそも弟相手に、いくらなんでも実行していい『初めて』ではない。

「にぃにぃ~…………っ」

胸の中で、カイトの声が恨めしさを増す。いつもは可愛らしさ満点で明るく甘く弾んでいるというのに、おどろおどろしく地を這っている。

罪悪感と常にない弟の声にがくぽは、高速で思考を空転させた。

「にぃいにぃいい~…………っ」

「ああああっ、わかったわかった!!」

悲鳴のような声で叫ぶと、がくぽは胸の中の弟をわずかに引き離した。

壮絶に目を眇めているのに一瞬怯んでから、そんな場合ではないと思い直して、カイトの前髪を梳き上げる。

晒した額に、ちゅっと音を立ててキスを落とした。

「……………にーに………?」

意味がわからぬげにきょとんとするカイトに、がくぽはわずかに項垂れかける。

思っていた以上に、親愛のキスというものは恥ずかしかった。最近はなんだかんだでカイトに強請られて、頬へのキスくらいはするようになっていたが――

額はまた、別次元なのだと思い知る。

「………………誰かにでこちゅうしてやるのは、初めてだ……」

「……」

もごもごとつぶやくと、カイトはきょとんとして、そっと額を撫でた。

しばらくして、その顔がいつも通り、愛らしく笑み崩れる。

「ぇへ」

「………」

こてんと凭れかかって来たカイトを、がくぽはぎゅっと抱きしめた。

ファーストキスの代価がこんなことでいいのかとは思うが、下手にツッコまれても、これ以上は出てきそうにない。

「んん♪」

「…」

ゴキゲンな鼻唄にがくぽが胸を撫で下ろしたところで、腕の中の体がぴくりと強張った。

「…………ん……んん………?」

「……カイト?」

嫌な予感に、がくぽは恐る恐ると声を掛ける。

カイトはそろりと、がくぽの腕の中から体を起こした。

「………考えてみれば、カイト、誰かにでこちゅうされたの初めて…………カイトの『初めて』、またにーにが………………」

「ぐっ?!」

「にーにも初めてかもしれないけど、カイトも初めて……………」

おどろおどろしい声で、指摘されたくなかったところを指摘される。

そのまま、カイトは指を立てて突きつけた。

「にーにの初めてはいっこだけど、カイトの初めてはにこ…………!!」

「ぐぐぐっ!」

呻いて仰け反るがくぽを、カイトは恨めしげな顔で睨み上げる。いつもは愛らしく和んでいる瞳が、うるるんと潤みながら尖った。

「にーに…………っ」

「……!」

そう言われてもだから、がくぽは『やんちゃ』な過去があって、そこに大抵の『初めて』を済ませて来てしまっているのだ。

そしてこの反応を見るに、これからがくぽがなにを思いついてやったとしても、おそらくすべて、カイトにとっても『初めて』になる可能性が高い。

差はひとつかもしれないが、永遠に埋まらないひとつ。

たかがひとつだというのに、その差の大きさ。

「にぃにぃ~…………っ」

「ぐぅう………っ」

恨みがましい目で迫られ、がくぽはなにを答えることも出来ないままにひたすら仰け反る。

そのままにじって逃げそうな気配に、カイトはがっしりと兄の胸座を掴んだ。

「にぃにっ、ずるいっ!!ちゃんと責任取れっ!!カイトの『初めて』奪った責任、ちゃんと取れぇええっっ!!」

「ぁあああっ、落ち着けカイト!!」

いつにない剣幕で迫られ、がくぽは頭を抱えた。