B.Y.L.M.

ACT1-scene7

特に意図はないだろうが、カイトに宛がわれた着替えは以前とそう、変わらなかった。上下衣とも、白の一色という。

ただ、型は馴染んだものと違った。一瞬、寸法を間違えているのではと案じたほど、上下ともゆったりと、身幅を取って縫われている。袖や裾の丈がぴたりと納まったから、寸法違いではなく、こういう型なのかと得心したが。

身幅が広いから、よく風を通す。湯上りで火照った体には、心地よいつくりだった。

そうやってカイトが着替えを終えたところで、がくぽは約束通り、迎えにきた。

鎧を脱ぎ、髪もきれいに梳き直して、普段着と思しい衣装に着替えてだ。

ゆとりを持った白い上下衣と、カイトと同じようなものだったが、がくぽはそのひと揃いの上にもう一枚、袖なしで革製の胴着を羽織っていた。

洒落ものというより、職人の作業着に似たつくりだ。小道具を入れる大小のかくしが、裏にも表にも数多くつけられているという。

よく使いこまれた感があるから、おそらくはがくぽが屋敷にあるとき、日常的に着ていたものなのだろうが――

それにしても、少年の来し方だ。

カイトが身支度を終えるや、まるで待たせることなく訪れた。約束したとはいえ、束の間、刹那の間すら置かず、だ。

見計らったかのようにと言えば聞こえはいいが、まるで見張っていたかのような――

手持無沙汰な時間が生じないのはいいことだが、この少年に関しては、わからないことばかりが増えていく。

自分の騎士団に所属していた騎士のはずなのに――だからといってカイトが所属する騎士の素性すべてを詳細に把握しているわけではないが、少なくとも『王太子の』従属騎士団なのだ。

身辺調査は厳重に行ったうえで、入団を許可したはずだ。

誰であれ、入団に際して家格より実力を重んじたのは、カイトの意向だ。

騎士団長らとも意見の一致を見たところではあるが、それでも後ろ暗いところの疑われる相手を、飛び抜けた実力だけで採用することはなかった。どこの馬の骨とも知れない相手では、カイトに――王太子に、ひいては国に、万が一の事態を招きかねない。

だからがくぽの身辺調査も、入念に行われたはずだ。出身地、両親兄弟姉妹含め一族の全体、規模、資産状況に、本人の交友範囲や性格傾向、心身の健康状態――

それこそ、分厚い書物が一冊、編み上がる程度のことは調べ上げたうえで、ようやく入団を許可した。

『神威がくぽ』という人間に関して、不明瞭な部分はない。

――はずだが、今だ。

そもそもこんなところに屋敷を構えているなどという話が、あっただろうか。

どう考えても、哥が属する西方とはまるで気候が違う、海も近い、こんな場所に――

調査書を、覚えるほどには読みこまないまでも、ひと渡り目を通すことはやっていた。そんな記述があれば、さすがにカイトだとて記憶していると思う。

『神威がくぽ』に関してカイトが記憶していることといえば、騎士としては憐れなほどに幼いとしか言いようのない年齢であり、しかし突出した実力者であるということ。

それに、初めて会った日の、年頃の少年らしい、複雑な視線だ。

王太子相手になんと無礼なと、周囲が慌てふためくほどの、あまりにまっすぐと強い瞳。

その強さと、瞳に兆していた感情の由来だけは不明で、けれど潔白の身。

――だったはずだ。

それが今日、塔を訪れてからというもの、新たな、微妙な疑いばかりが刻々と増えていく。

隠しごとのある婚姻は、すでに破綻を前提としている。

一度は赦そうと言ったカイトだが、ほとんど舌の根も乾かない程度の時間ですでに、前言を撤回すべきかと検討したくなっていた。

隠しごと、秘密、不明瞭、不透明な事実、不可解で理解不能な現実が、あまりにも多過ぎる。

いくらどうでも、鷹揚の範囲で賄える許容値を超えていると思うのだ。

やらずに堪えているのは、一度与えた恩赦をそう簡単に覆すものではないという、王太子として得た絶対的な経験則があるからだ。

あとは、――おそらくは恩人である少年への引け目と負い目、それに、言っても自分は年上なのであるから、少年に対しては年長者らしく、鷹揚な振る舞いをこころがけなければという、いわば負けん気めいたものと。

もやつくばかりで晴れることのない腹を抱え、今ひとつ愁眉のままのカイトに構うこともなく、がくぽは今度は、食堂へと案内した。

「給仕はいませんので」

「……ああ」

入れられた、今さらな断りをカイトは右から左に聞き流した。ただもう、呆れるような心地で食卓を眺める。

四人掛け程度、たとえば気心知れた相手などと囲んで、札遊びをする程度の広さの食卓には、今作られたばかりと思しき料理の皿が、ずらりと並んでいた。

がくぽが給仕がいないと断ったのはつまり、そこに前菜から汁ものから主菜に食後の菓子まで、すべて並んでいることの説明だ。ひと皿を片づけたら新たな皿に入れ替える、いわゆる貴族様式の食事方法は取らないという。

そんなものはどうでもいいと、カイトは促されるまま椅子に腰かけつつ、並ぶ皿を眺めた。

鮮やかな色だ。彩り豊かという言葉すら、不足に感じるほど。

それに、見知らぬものが多い。

肉や魚はどのみち切り身で供されるものだから、見知らぬという感はない。

口に入れてみれば、もしかして違和感を覚えるかもしれないが、少なくとも今、見た限りでは、異様なものが並べられているとは思わない。

比べる対象はたとえば、野営地の騎士たちが面白がって調理し、出してみせた蛇や蛙、もしくは芋虫などといったものだが――騎士であり、貴族の出身ではあるが、カイトの従属騎士団の彼らは、統括する騎士団長の性格もあって非常に、なんと言うかつまり、ひどく鷹揚で、とても寛容であり、好奇心と悪戯心とがとてつもなく旺盛だった――

とにかく、主菜に関してはさほどに違和感もないのだが、添えられて、あるいは混ぜられて、下に敷かれてと、周囲を彩り飾る野菜や果実の類が、あまり馴染みのある気がしない。

切り刻まれ、あるいは調味されてというふうに、加工されているからというだけでなく、色形から見知った感がない。

だからと先に例示したような、いかにも不気味な感が漂っているわけでもない。

表現は難しい。

たかが緑ひとつとっても、非常に濃く、強い色だということだ。見ただけで、口に入れた瞬間に広がるであろう、その香りまで想起できそうな、そういう色味であり、醸される存在感だ。

そこまで強い色味の、たとえるなら躍動感に溢れるような野菜や果実は、哥を含む西方ではあまり覚えがない。

「……これは、おまえが?」

使用人はいないと言っているのだ。それ以外に答えもないが訊いたカイトに、傍らの椅子に腰かけつつ、がくぽは小さく頷いた。

「口に合うと、いいんですが」

「いい香りだ」

少年の、これまで懸命に取り繕おうとしていた強気を揺らがせた声に、カイトは反射で応えた。

嘘ではない。

あまり馴染みのない見た目であり、香りではある。が、もやつく腹ですら、その空白を埋めたいと現金に主張するような類のものだ。

カイトはもう一度、改めて食卓の全体を見渡す。香りとともに立つ湯気に目を細めてから、自分の右側に控えるよう座ったがくぽへ微笑みかけた。

座ったところで動きを止め、なにごとか、待つ姿勢を取る『夫』へ。

「食べても?」

カイトの問いに、がくぽは翳る瞳を伏せ、頷いた。

「そのためのものです」

「ああ」

――そういった意図で訊いたわけではない。

だからカイトはこの少年の『妻』で、少年は『夫』だということだ。

少なくとも哥の国において、食卓でまず食事に手をつけるのは一家の主、夫だと決まっていた。夫が料理を口に運び、それから妻が続く。妻が先に手を出すことははしたなく、悪徳とされていた。

もちろんがくぽも、カイトの問いの意味をわかってはいただろう。

わかっているうえで、矛先を逸らした。

自分は夫だと、主張する。

カイトを妻とすることだけを望むと、強固に、譲らず、なにかをひどく思いつめて。

けれどこの少年にとって『主』とは、『一家の主』と成り得るのは依然、カイトなのだ。

カイトを妻とし、夫と成ったところで、これまでの上下関係を崩したいわけではない。

いびつで複雑な少年の望みは、ここまでの言動の端々に容易く読み取れる。

なにかを思い決め、思いつめてカイトを妻にと望んだ。

ただそれは、カイトを貶めたい意図のもとにはない。

年頃の少年らしい無愛想さや慇懃さはあれ、カイトはずっと王太子として――がくぽに剣を授けた騎士団の主として、敬われ、尊ばれている。

がくぽの態度はひどく丁重で、丁寧であり、壊れものを扱うような風情すらある。

いかに『温室育ち』の王族とはいえ、カイトはそこまでやわではない。

――思いつつもあえて反駁することはなく、ここまで来た。

今回もそうだ。カイトはことに反論するようなことはしなかった。

ただ黙って、ふわりとした湯気を香らせる汁椀にまず、匙を潜らせる。具材は後にして、汁のみを軽く掬って口元に運び、慎重に温度を確かめてから、啜った。

こくりと鳴らす咽喉、その咽喉から胃の腑に至るまで、ふわりと立ち昇る湯気のように、心地よい温かさが伝わっていく。

「………あたたかい」

「ええ」

つぶやきに、頷きが返る。笑いそうになって、カイトは瞳を伏せた。

鼻の奥が痛む。潤む瞳で、視界が悪い。

こと『主』の機嫌となると、意想外の敏さを発揮する騎士が、どうか気がつくことのないようにと――

笑いの発作は、反動だ。

思わずこぼれた言葉の意味を、説明しなければ少年は理解することができないだろう。

先とは違う。がくぽはカイトの言葉の意味を、含まれることをわかっていない。ただの相槌だ。なにも思わない。

けれどこんなことを、こんなものを、どう説明するのか――避けようもなく、夫婦となる将来が定められているとはいえ、その素性もまだ、明らかではない相手だ。

否、騎士団にいた以上は明らかなはずと思っていたそれが、揺らいでいる相手だ。

今ここで、胸に迫った感情の由来を、あけすけに話すことはまだ、できない。

いずれできるようになるかも、判然としない。

胸の内を交わさず、手続きのみで繋がる夫婦など、いくらでもいる。肉体は交わしても目を交わすことはない夫婦など、それこそ数えきれない。

自分たちもまた、そうなるのか。それとも深い絆を結び、想い感じたことを常に、素直に吐露できる関係となるのか――

なにも読めない、今の段階では。

だからカイトは黙って、香りとともに湯気を立たせる食卓を眺める。

丈高い塔に幽閉されても、つみびととして扱われたわけではない。カイトに運ばれる日々の食事は城で暮らしていたときと変わらず、王族専用の料理人が腕を振るった、きちんとしたものだった。

ただし運ぶのは、年老いた塔番だ。それも長大な階段を上って。

動き回るわけではないという、前提もある。日がなずっと、狭い一室でぼんやりと過ごすだけだ。

だから量はずいぶんと減って、それでも不足を覚えることはなかったが――

丈高い塔ならば太陽に近いはずなのに、吹く風は地上のそれよりはるかに乾いて、冷たかった。防寒はされていたが、それでも常に、うっすらと冷えた。

心理様態もあっただろう。先が見えない、どころか振り返ってすら、経緯も意味もわからないまま進んだ、一連の――

せめて温かい茶の一杯でも飲めれば、違ったと思う。胃が温まる感触は、ひとをひどく安らがせるのだから。

けれど年老いた塔番が、城から届いた料理をなんとか塔の最上階にまで運んだときには、ぬくもりを残すものなど、なにひとつとしてなかった。

それは塔番の咎ではない。

たとえば健脚の騎士がひと息に駆けのぼったところで――そもそも、城から塔までの距離がある。

そして、いかに健脚の騎士であっても、ひと息に駆けのぼれるような高さの塔ではなかった。

ゆえにカイトが、ぬくもりを残した、胃の腑まで温めてくれるようなものを口にしたのは、実にしばらくぶりのことだったのだ。

もはやいるのは、風の冷たい塔の最上階ではないし、むしろここの気候は蒸し暑いような予感もある。今はまだ顔をしかめるまでではないが、湯冷めの心配が要らない程度には、温度が高い。

それでも胃が、内腑が温められる感触というのは、堪えようのない感覚であり、感情だった。

「それに、――とても、美味しい」

大声を上げたい衝動をなんとかやり過ごして、カイトはがくぽへと微笑みかけた。

自分は自分で適当なものを口に運んでいた少年は、カイトが向けた笑みと言葉とに、切れ長の瞳を最大限にまで見開き、固まった。

「あ。………あ、はい。あ、……」

――ややしてようやく応えたが、実のところ、とても『応えた』とは言えないようなものだった。言葉になりきらず、無為な音ばかりをこぼす。

無防備なところで褒められ、取り繕うこともできなかったのだろう。少女とも見紛うような美貌の少年が、頬を赤らめて瞳を伏せ、身を竦める。

素直に照れてしまったがくぽの姿に、カイトは密かな後悔を抱き、自らの言動を戒めた。

愛らしい。

突き抜けて愛らしい。

彼は夫だ。同性だが、自分は彼の妻だ。妻となる。

夫は、妻となる身に対し、あまりに不誠実だ。隠しごとと秘密、内緒ごとが多い。しかもそれらは増えていくばかりで、一向に減らない。

同性で、隠しごとばかりで、そして年頃の少年。

赦そうと言った、決意が早くも揺らぎかけていた――刹那ほど、直前の話だ。舌の根どうこう以前だ。

赦せる。

こんな愛らしい所作を見せられては、赦さずにはいられない。怒りも猜疑も軽く吹き飛ぶ。

――といった具合に、言動の由縁が不安定であることを自覚したカイトは、次からはもう少し慎重に事態を見極めようと、自らに言い聞かせた。

さもなければ、問題は多かれ、この幼気で愛らしく、一途な少年を、ひどく傷つけることになる。

それは本意ではない。少なくとも、今のところは――

なんとか年長者としての体面を保とうと四苦八苦するカイトへ、同じく照れる自分を抑えようとして四苦八苦するがくぽは、それでもなんとかぽつりと、想いをこぼした。

「ありがとう、ござい、ます」

「………………………………………………………………うん」

――なんだというのか、この応えは。

まさか礼を言われるとは、年頃の少年が、手料理を褒められた礼を言うとは、思ってもみなかったカイトだ。

それで、意想外を突かれたとはいえ、自分のこの応えはどうなのかという話だ。年長者としての体面を、まるで保てていないではないか。

思考の片隅ではそう自分を鞭打ちつつも、カイトが言葉を重ねることはなかった。

それどころではなかったのだ。

刹那の将来には夫となる、しかして年頃の愛らしさが垣間見える少年を抱きしめたい衝動を、料理を口に運ぶ動作で誤魔化すことに懸命だったのだから。