B.Y.L.M.

ACT3-scene4

案の定で、がくぽはそれがいったいどうしたというふうに返してきた。

そうやって束の間カイトと見合ったものの、すぐに逸れる。気まずく泳ぎながら、浮かべる表情はあくまでも静かだ。怒りも恨みも、憎しみもない。

諦念だ。

毛嫌いはしている。けれど、憎しみはなかった。憎悪は――

薄々と、理由は察せられる。昨日の南王も散々に言っていたし、今また、がくぽの口からも一端がこぼれた。

『最弱の』――

「……っ」

カイトはくっとくちびるを噛み、こみ上げるものを堪えた。

カイトにとって――哥の国の人間にとって、がくぽは決して弱くなかった。きっと数年もすれば英雄の冠を被ることもあっただろう、優れた騎士、将来を嘱望される『少年』だった。

しかし南方にあって、未だカイトが与り知らぬ、神期から続く旧き一族も存在する国にあっては、後代のなかでもさらに後期の出である『人間』は、確かに最弱の一族に類されるだろう。

がくぽは見てきたのだ。

自分よりもっと強い、もっとも強いと謳われる一族の出であるきょうだいたちが、でありながらなすすべもなく、自分の親に喰いきられ、喪われていくさまを。

はるかに強いきょうだいたちが敵わなかったものを、どうして最弱なる末の身で、敵う道理があるだろう――

力の差も微々たるものなれば、なにがしかの努力で補える範囲と見えれば、それは憎悪に変わる。なぜ自分がと恨み、ねたみ、反骨の気概も湧き出る。

だが、力の差があまりに圧倒的で歴然とし、戯画的にまで引き離されると、憎むことも恨むこともできなくなるものだ。

なぜならだから、戯画的だからだ。

それは正気で対せる範囲ではない。正気のまま受け止めては、壊れる。

壊れず生きるには、もはや笑うしかない。

笑って諦め、受け入れるしか――

「……っ」

杯を掴む手にくっと力を入れ、カイトは叫びたい言葉を呑みこんだ。

それを今、感情ままに叫んだところで、なにも解決しはしない。目の前の青年もまた、カイトを頑是ない幼子のようになだめるだけだろう。これがたとえば夜の、少年であってすら――

だから呑みこんで吐きだすことはなく、カイトは一度、瞼を落とした。

上げて、穏やかに笑う夫を見つめる。

言っても、がくぽはすでに反旗を翻した。

はっきりと対したうえで、少なくとも一度は南王の首を掻き飛ばしたのだ。

代償は負ったし、甲斐もなく南王は復活を遂げもした。が、がくぽは南王の復活にさほどの感興を見せなかった。至極当然と流し、まるで絶望しなかった。

知っていたのだ。

南王が、たかが一度、首を掻き飛ばした程度では『死なない』と。

昨日に南王も言っていた。

あと十とひとたび、と。

あと何度、がくぽが耐え得るものかと――

「『喰らう』というのは……肉ではないのか」

「まあ時として、肉も含みます。旨い種族もおりますしね」

「………………………………………っ!!」

さらりと返された答えに、カイトは壮絶なまでに据わらせた目を向けた。

誰がいったいこんなときに、こんな話題で茶化せとこの夫を教育したものだか、責任者を探して走り回りたい気が突き上げて仕様がない。

さすがにがくぽも、カイトのこれまでになく厳しい眼差しにたじろいだようだった。動揺ままに翼がばさりと波打ち、腰が浮く。騎士にもあるまじき行いで、逃げに入っている。

南王とも対した勇猛の騎士が、足腰も満足に立たないようなカイトのなにをそう、おそれることがあるのか。

否しかし、これはカイトに忠義を傾け、偏向する騎士でもあった。そしておそらくだが、ようやくにして戯画的なと諦めていた南王と対した、その理由も――

カイトは仕方なく、意識してふうと吐く息に怒気も乗せ、流した。未だ多少のひずみは否めないものの、表情を緩めてがくぽを見る。

「それで」

「いえ、実際、おそらく私などの肉は放り置かれるでしょうが、きょうだいの内には確かに美味……」

「神ぽ」

動揺のあまりだろう。せっかく打ちきってやった話題を、まださらに言い訳として続けようとしたがくぽを、カイトは一語いちご、ゆっくり区切りながら呼んでやった。懸命に緩めた表情も強張り、瞳が眇められていく。

「ああ、はぃ……」

小さく尻すぼみに応じて、がくぽは一度、天を仰ぐように顔を上向けた。くるりと瞳を回し、顔を戻す。動揺を鎮める仕上げだろう、手に持っていた杯を口に運び、中身をひと息に飲み干した。

「ふぅ」

人心地がついたとばかり、がくぽは小さく息を吐き、杯を軽く放る。

器用なのはこういったところもで、放った杯はがくぽが用意して立てていた人差し指の先に乗った。手慰みか、そのままうまく均衡を取って、指の上で杯を回しだす。

礼儀がなっていないという話もあるが、やりようが軽業師のそれだ。

騎士でもあるが呪術も使え、さらには薬師としても身を立てられそうなところに、軽業師。

自分の夫は万職を極める気なのかと、それこそもはや戯画的に思えてきたカイトは兆す頭痛を堪え、眉間に指をやって軽く揉んだ。

そうやって逸れた目が夫へ戻ったのは、聞こえたそれだ。

「♪」

うたにも聞こえる韻律の言葉は、ほんのひと言分ほどだった。カイトがはっとして顔を上げたときにはもう終わっており、そしてがくぽの指の上で回り踊っていた杯がふわりと宙に浮き、しなやかな弧を描いて茶器を置いた小卓に戻る。

カイトの感想はこうだ。

指の上で回していたのはやはり軽業のそれであって、術ではないなと。

そうでなくとも負うものも抱えるものも多く、暴かねばならないことは数知れずというのに、こんな小技にまで及んでいられるか――と。

言い換えて、自棄だ。

だががくぽのほうといえば、なにも意味なくカイトに軽業を、軽業からの一連を披露したわけではなかったらしい。

「つまり、これですが」

「ん?」

急に指示語を出され、カイトは眇めかけていた瞳を瞬かせた。差される現象を求め、発言もとであるがくぽへ視線を戻す。

カイトが自棄を起こしかけていたことになど気がついていないらしいがくぽは、先に杯を乗せて回していた指を、今度は空のまま、くるりと回してみせた。

「ようやく話が繋がりますが――『花』です」

「は?」

カイトはまた、瞳を瞬かせた。

なぜ先の話と今の指示語から、ここ――『花』に話が繋がるのか、さっぱり見えない。

ことに隠す理由もないため、素直に不可解を浮かべるカイトに、がくぽは小卓の上に戻った、否、『戻した』杯を差す。

「この『力』です」

言って、再びくちびるを開く。うたに聞こえる韻律の言葉が短く、一語ほどこぼれ、杯がかたかたと揺れた。まるで呼ばれて返事をするかのようだ。

誘われるまま小卓を、杯を見て、視線を戻したカイトへ、がくぽは微笑んだ。立てていた指を折り、拳に変える。

「私も使いますが、南王たる冠被るあれももちろん、保有しています。否、私のこの力は、あれのほうから継いだものです。もう片輪の親、人間の親の側には、こういった力はいっさい、ありませんでしたから。もちろん継いだとはいえ、強大さといえば、比べものにもなりませんが――」

言いながら拳に力が入ったのがわかった。緩んでいた皮が張り、筋が浮かぶ。すぐにそれは緩み、がくぽは確かめるように握って開いてとし、最終的にはなにかを思いきるように振って、カイトへ視線を戻した。

「ただし、同じこともあります。無尽蔵ではない。私もですが、あれもまた、補給を必要とする。いかに人智を超えたと言われども、こればかりは超えなかった。超えられなかった。力は使えば減る。減った力は、なにかしらで補わなければならない」

話の流れから推測できる結論があり、カイトは眉をひそめた。

案の定で、がくぽはためらいもなく答えのひとつを口にした。

「あれが子を喰らったのは、――喰らうのは、それが理由です。正確に言えば、喰らっているのは『力』であり、力の源たる魂、『いのち』ともいうべきもの………減った力を補うなによりの方法として、あれは自らが生した子を、自ら喰らう」

「……っ」

堪えようもなく突き上げる嫌悪感があり、拒絶と拒否の強い反応から、カイトの表情は壮絶に歪み、毛がふわりと立った。隠すこともないそれは当然、がくぽにも一目瞭然のことだ。

王族や貴族にとって身内、実の親子が、食うか食われるかという、殺伐とした関係に陥りやすいことは確かだ。

が、この場合の『食うか食われるか』というのは、あくまで比喩の表現だ。実際ほんとうに『喰らう』のでは、まるで意味が違う。

ましてや生した子すべて――十人以上もいるそれをのべつまくなし、自身の力の増大のためのみで喰らいきるというのは、いくらなんでも尋常ではない。いかに南王が、人智を超えたという意味で『魔』の冠を与えられていようともだ。

過ぎ越している。

ただし本来的に、がくぽは被害者の側だ。カイトとしても、責めたいのはがくぽではない。

しかしカイトのすぐそばにいて、その怒りを目の当たりにするのはどうしてもがくぽであり、針の筵に置かれるのもまた、がくぽなのだった。

そしてこの被害者は、加害者のことを良くは思っていないが、だからと憎んでもいない。喰われる身ならば好むこともできないが、一定の理解を持ち、あえて言うなら共感もある。

なぜならがくぽもまた、同じ力を持ち、用いるからだ。

カイトの怒りに中てられて身を竦めはしたものの、がくぽが同調して自分の親の業を責めるようなことはなかった。むしろどうしてか、憤りに震えるカイトをなだめるように口を開く。

「あれとても、初めから子喰らいを目的に生していたわけではありません。けれどあるとき、たまさか、流れというかで、死に際した子を喰らった。もともとは、なんだっけな……あれは無闇と言い回しが難解で面倒なので、私は言ったことを滅多に記憶しておかないんです。あれのために記憶庫を使うのも、無駄が過ぎるというものでしょう――ええまあ、とにかく、なんだか喰らったと。そして喰らった結果、自らの力が大きく増したことを知った。それは他のなにから得るよりもずっと強力で、目減りも少ない。非常に、腹持ちが良かったと」

「っっ」

なだめる風情ではあったが、まるで心温まらない話だった。

カイトの瞳はますます壮絶な色を宿し、責められるべき謂われもないがくぽを睨み据える。

さらに委縮する風情でがくぽは首を竦め、片手を掲げた。騎士としてあるまじきというもので、降参の証だ。騎士たるもの、そうそう易々と手を掲げ、降参するものではないというのに。

ただしそうやって降参を振ってみせてもやはり、夫は夫だった。降参は形ばかりというやつだ。

「あれがそう言ったのです。私が喩えて表現したわけではありません。なにゆえ己が子を喰らうかと昔に訊いたなら、『腹持ちが良い』というようなことを答えたのです。苦情はあれに。しかしながら二度とは、あなたと直接言葉を交わす栄誉になど触れさせませんが」

「は………」

言うことが言うことだ。

別の意味で呆れを覚え、カイトは尖らせた瞳に含む色を変えた。

南王がカイトと話すことを赦さないと言うが、反ってそれはカイトにも、南王に問いかけ、答えを得ることを禁じている。

迂遠に理解すれば、そういうことだ。そう禁じられても、南王に問うて、まともに声が届くかどうかという問題がまず、あるはずなのだが。

カイトがもとは南王の『獲物』であったということも、大きいのだろう。自分や自分のきょうだいが喰われることについてはおよそ淡々と流したがくぽだが、カイトと南王が接点を持つかもしれないことには、爛々と反応した。

カイトからすれば、漲るべきところはそこではない。実子たる自らを軽んじられることをこそ、厭えと思う。

が、ことこの件に関して夫は青年であれ少年であれ、思考に大差がない。自分への疑問のなさもだ。

まったくいい意味ではないものの、微妙にやわらいだカイトの空気を察したか、がくぽの肩からもわずかに力が抜ける。抜けた力まま、がくぽはさらりとこぼした。

「であればこそ、あれが今さら花に頼らんとしたのが、理解に苦しむところだったのですが……」

「………がくぽ?」

「はい、ぃ………っっ?!」

静かに名を呼んだカイトをなんの気なしに見て、がくぽの翼はひと息のうちにぶわりと膨らんだ。やはり翼には鳥の特性が大きく出るらしい。怯えと、警戒のしぐさだ。しかも束の間ではあれ、腰を浮かせ、完全な逃げの姿勢まで取った。

いわばがくぽは、人智を超えたという意味で『魔』の冠を与えられた南王と対し、その首を一度は掻き飛ばしまでした勇者、英雄だ。

なにをそう怯えるかと、カイトは若干の呆れとともにがくぽを見ていた。面には王太子時代に培った外交用の、非常に穏やかな笑みを湛えてだ。

「か………カイト、さま」

ひどくたどたどしく呼ばれ、カイトはことりと小首を傾げてみせた。

これで三度目だ。

問う。

「がくぽ。――『花』とは、なんだ?」