B.Y.L.M.

ACT3-scene9

「がくぽ」

ひどく落ち着かない気分に襲われ、カイトは懸命にがくぽを見た。

「おまえは、――おまえや南王が、消耗した力を補うに『花』を要するというのは、わかった。では、『花』はおまえたちに力を与えて、その後に花は、なにから失った力を得るなにをして花は、……力を、戻す?」

喘ぐように訊くカイトを、がくぽはきょとりとした、不可思議そうな瞳で見ていた。一瞬、束の間だ。

すぐにまた、あのにっこりとした笑みが戻り、くちびるが開く。

「そうですね……たとえば私などの力を戻すには、先にも申しました通り、花に力を与えてもらうのが手っ取り早い。もしくは南王の冠被りたるあれのように、子を喰らうのも同じです。ええ、『手っ取り早い』のです。これが方法のただひとつではないし、すべてでもない」

謳うように言って、がくぽは未だ落ち着かず、膝の上でそわつくカイトの腰を軽く叩いた。落ち着かない幼子をあやすしぐさだ。

むっとして――

むっとは、した。しかし同時に――

縋るようにがくぽの首へ回していたカイトの腕に、力が入った。もちろんがくぽにも筒抜けだろう。

しかしそこに言及することはなく、がくぽはにこにことした、好青年ぶりの際立つ笑みまま、続けた。

「たとえば剣の稽古をしたとします。当然、肉体は疲労し、あるいは消耗、枯渇する。それを補うために食事をし、もしくは水分を摂る。あとは、そうですね。適宜に休養、睡眠――」

一度、カイトの腰から手を離し、がくぽは指を折って数え上げた。類例を探すような上目での空白を挟み、そう喩えの必要な話でもないと思いきったらしい。

頷くと、カイトへ視線を戻した。

「これら、肉の体を維持する目的の生活によっても、この『力』を補うことは可能です。ただし日常の生活はあくまでも、肉の体の維持と回復が優先です。『力』の回復は、たまさか余った分が回る程度で、言ってみれば、これに頼るのは効率が悪い」

「ああ…」

カイトの問いに対し、がくぽの答えは『自分』に戻ってしまっているようで、ずいぶん遠く感じる。

焦れる思いは募れど、だからと急かすことは堪え、カイトはがくぽの答えが落ち着く場所を推し量りながら待った。

そしてがくぽもさほどに、カイトを焦らすことはなかった。

「花もまた、同様です。大地より滋養を得るが常態ですが、同じく力もまた、滋養とともに補うことが可能です。誰かに、あるいはなにかに与えて力が大きく目減りしたなら、花は大地にて、ゆるりと休ませるが正しい」

これは野辺に、庭に揺れる花も、ひとの見た形を取る『花』も変わりなく同一の仕様であると補足し、がくぽは瞳に宿す光をわずかに厳しくした。

釣られるように緊張し、身を強張らせたカイトへ、慎重な様子でくちびるを開く。

「――ただし、『同様』だと申し上げた。花にとってもこのやり方は、さほどに効率がいいとは言えません。肉の体向きのやり方が、効率が悪いのと同様にね。ことに先般のあなたのように、ひどく消耗し、衰弱しているような場合には、これでは不足も甚だしい。補いきるより先に、いのちが尽きます」

「ぅ……」

確信を持って言いきるがくぽから、カイトはわずかに身を引いた。

自覚がない。

やはりそうだったのかと、納得できる感がない。

確かに精神的にも参っていたし、自棄も起こした。だとしても、いのちまで危ういほどの状態であったかといえば、甚だしく疑問が残る。

相変わらずのカイトの反応だが、がくぽは構わず、一度は離した手をカイトの腰に回した。くっと力を入れ、引かれた分を戻すしぐさをする。

抵抗すべきかどうか、微妙な逡巡にカイトの気が逸れた。

その間に、がくぽの表情はまた、にこやかなものに戻っていた。つまり、非常に胡散臭い――

「そも、花は尽くされて初めて、力を与えるもの――尽くす側が先に己が力を吸わせ、与えたものを蓄え、必要としたときに倍々にして返してくれるのが、『花』というものの基本です。ゆえに、花から力を得てことを成した暁にはまた、己が力を与え吸わせ、目減りした分を埋めて返すのが礼儀とされます。が、同時にこれがもっとも手っ取り早く、確実なやりようでもある。いわば花と世話役とは、循環の関係にあると言えますかね」

「それは、………」

口を開きかけて、カイトはすぐさま閉じた。

がくぽによって、幽閉されていた塔から連れだされ、南方に来てからの生活だ。

――この体は、男相手にひどく淫奔だ。

打ちのめされるように感じながら、それが淫奔であるなによりの証左のように、求めることを止められなかった。

もしもそれが、『花』というものの正当であるとするなら――だ。

予感に喘ぐような心地のカイトの、その覚えた動揺は理解しているだろう。

わかっているだろうが止めることなく、がくぽはむしろ念を押すように続けた。

「先にも申しましたが――あなたはまず、私の妻であり、そして花です。いいですか、先に『妻』です。ついでに花です。まあ、二の次のついでではありますが、私がそれを利用したことは確かです。男のあなたを妻とするに、好都合だと」

「………っ」

きゅっとくちびるを引き結び、こみ上げるものを堪えたカイトは、間近にするがくぽにはよく見えただろう。

だとしても、この男が悪びれることはなかった。にっこり笑ったまま、しらりと告げる。

「世話役から花へ、力を譲渡する方法は大別して二通りです。そのうち、もっとも大勢でごく一般的であるのが、祝詞を唱えることによってのものですかね。花を媒介に、ほかの花の力も諸共に、祝詞にのせて与える――あなたの起き抜けに、毎朝、やっているでしょう?」

「ぁ……」

言われて、カイトの脳裏に蘇る光景があった。いくつも、いくつも、何度もなんども、何度も――

寝台の傍らに立った少年が、うたいながら、両手いっぱいに抱えた花をカイトに降らせる。

うたは響けど、静かな時間だった。静かで落ち着いて、どこか哀しい。

横たわる自分に降りかかるそれを見ているのが、ただがくぽのうたう声を聴いているのが、カイトは好きだった――

「――言っても私があなたにやるのは多少の、腹ごなし程度のものですが。しかしあれをきちんと、本格的にやれば、十全にあなたの腹を満たし、力を回復させることが可能だ」

「が、く……っ!」

続いた言葉にはっと瞳を見開いたカイトだが、がくぽが臆することはない。花色の瞳は多少、揺らいだが、それだけだ。

いっそ威迫するかのように、がくぽはカイトをしっかり見据え、正対した。

「南方において『花』とは、もとより信仰の対象たる面があります。あなたのようにはっきりとした意を示すこともなく、まさに花らしく、佇んでいるということもあるでしょう。前代の遺産、『蘇り』ということもありますし、神格化しやすいのですよ。通常の『花』とは、ことに神聖視され、おいそれと触れることも良しとされない。その『お世話』とはまさに、神に仕えるがごとく、恭しいものです」

すらすらと一般論を述べたてたがくぽは、カイトが反論の余裕を取り戻すより先に言い放った。

「くり返しますが、私はまず、あなたを『妻』として求めた。『妻』です。ならば方法の次段――体を繋げ、私の精を媒介に、力を直に注ぎこむやり方を取れば、私はあなたに触れられるし、そもそれは通常、『夫婦の営み』と呼ばれるもの、そのものですからねあなたにとっては単なる『食事』に過ぎなくとも、あなたに焦がれる私にとっては、望むべくもない」

「…っっ」

いくつかの衝撃が積み重なって降りかかった心地に、カイトは言葉も失い、がくぽを見つめていた。

がくぽ、この、赦されることが生涯的になかったという、ゆえに悪びれたり、謝罪するという観念から程遠いところにいる夫は、カイトの戦慄にも構わない。立て板に水と、続ける。

「幸いにしてあなたは、私に触れられるを拒まないでくださった。ならばあとは、私の味を――私の精を、力を腹の内に受け、『満たされる』感覚を教えてやればいい。ひともそうでしょう餓えているときに口にしたものは、なんでも旨いように感じる。そしてあなたは瀕死の一歩手前、半歩手前というほど、飢餓によって衰弱していました。ならばよほどに私の『味』は、沁みることでしょう」

「ぁ……、ぁ………っ」

意図もせず、意識もせず、カイトの体がかたかたと震えた。

膝に抱いているのだ。カイトの隠しようもない動揺は伝わっているだろうに、がくぽが口を噤むことはなかった。

わずかに首を竦め、上目でカイトを窺うようになり、多少の悪びれたふうは見せた。

けれど口ごもることはなく、言葉を飾ろうと、不誠実にも事実を捻じ曲げて、優しげな言いように歪曲することも――

「決してそれを図ったわけではありません。そのために、時を引き延ばしたわけでは――自らの、勇のなかったことはあとあとも、断じて赦しはしませんが………しかし同性同士の概念が薄い哥の国出身のあなたを、男でしかない私の『妻』とするには、ええ。まったくもって、説得する手間の省けることでした」

「がくぽ……っ」

カイトはようやくといった風情で呻いた。

あまりに極悪だ。

これまでの、南王に立ち向かってくれたことや諸々、すべての感謝と恩とが覆されて余りある。

いくらなんでも、ほどがある。

くっと表情を歪め、喘ぐようにして言葉を探すカイトを、がくぽはちらりと見た。腰に置かれていた手が、もぞりと動く。

「…っ!!」

たかがそれだけの、そればかりのことで、別の戦慄がカイトの体に走った。

――この体は………

視界が揺れる。ぶれる。思考が霞む。

あまりにもひどい言いようをされて、聞かされて、衝撃も覚めやらぬというのに、堪えが利かない。

「っ、ぁ………っ」

情けなくとも、カイトは瞳が潤むことを堪えきれなかった。告白の衝撃に震えていた体が、別の衝動で震えだす。

なんとかやり過ごそうと懸命に堪えるが、体は震える。衝撃にではない、抑えこむ強い衝動にだ。

がくぽの花色の瞳は色を深めて、憐れに苦闘するカイトを眺めた。こみ上げるものをなんとか堪えようとしてか、咽喉がこくりと、呑み下しに動く。

「すごい香りですよ、カイト様………欲しいものがおありになるなら、素直に強請ってどうぞ。あなたの夫はあなたの願うことなら、なんでも叶えましょうから」

「がく……っ」

厚顔にもほどがある。

カイトはきっとして顔を上げ、間近にある美貌を睨みつけた。

そう、間近だ。

こうとなっても、カイトはがくぽの膝の上で、首に腕を回したままであり、距離はまるで離れていない。

離れない。

離れられない。

それどころかむしろ、もっともっと――

欲しいものはないかと、再三訊かれた。

食べたいものは、欲しいものはなにかと。

そのたびに、過るものがあった。

ただしそれは、これまでのカイトの常識からすれば、『食べる』ものではなかった。強請れと言われて、素直に強請るようなものでも。

なにより娶られてからというもの、夜も日も空けずに与えられ、貪っていたものだ。よくもまあ、夫も衰えないものだという驚きも不審もあれ、いちばんは、与えられても与えられても飽かず求める、自分だった。

哥の国において、同性同士というのは概念の外のことだった。

諸々あって概念の外のことの当事者となったが、途端に馴染んだ体だ。裏切りとしか思えない以上に、いったい何事なのかと。

この体は、男相手にはここまで淫奔であったのかと――

「ぅ、……っあ……っ」

「あまり堪えるものではありませんよ、カイト様……香りが強くなっておられる。もとより私は花に頼る身で、実のところあまり耐性が高くない。これ以上となると、さすがに理性が消えます。最終的にはあなたのためとなろうとも、獣のように犯すまねはしたくない」

呻きながら、回る視界に募る欲求と戦うカイトに、がくぽもまた、なにかを堪える声でひそやかに告げる。

カイトは懸命に息を継ぎ、思考を繋いで、がくぽを見た。

頭の両脇に巻き角を持ち、背には闇すら明るい射干黒の大きな翼を背負う、異形の夫だ。異形だが、禍々しく見えることはない。まとう色は暗色でも、輝くように神々しく見えることが多い。

その夫が今は、声だけでなく表情も、なにかを懸命に堪えて歪めている。初めてそこに、いわば『異形らしい』翳が見て取れた。

「が、くぽ」

なんとか名を呼ぶと、がくぽは笑った。歪めた表情は戻らないまま、それでも笑う。

「あなたは私のことを、余程にがっついた餓鬼か、猿も逃げだすような性欲のかたまり、絶倫とでも思っていることでしょうが……言ったでしょう。私は花に依る。花が飢え、力を欲して求めれば、私の気分、具合如何によらず、私の体は花に、あなたに尽くすべく反応する」

「そ、れは……」

カイトは愕然と、がくぽを見た。

この屋敷に連れてこられてから昨日まで、カイトはほとんどすべての時間を寝台で過ごした。

ただ過ごしたわけではない。新婚の夫がいて、夫もまた、ほとんどすべての時間をカイトの体を開き、自らの雄で貫くことで過ごしていた。

いくら盛りの年頃であっても、過ぎ越している。

そうは思った。不審でもあった。傾倒の過ぎる騎士であったとしても、こうまでは体が持たないはずと。

予測された答えは、あまりにあまりだ。

先に、悪びれもせず告げられたカイトの――『花』の事実もある。

ことの初め、『初夜』はおそらく、ほんとうにがくぽは『がっついた餓鬼』であって、自らの意思でもってのみ、カイトの体に反応したのだ。

そして自らの意思と欲求のみによって勃起した雄でカイトを貫き、『妻』とし――おそらく同時に、『花』として『貪らせた』。

知らず飢餓を抱えていたカイトに自分の味を教え、力を与えた。

文字通り、『腹を膨らませた』わけだ。

痛みがあったのは、初回の程度だった。体はすぐに馴染んだ。むしろ欲して疼くことも多かった。貪られるのがうれしくて、貪り、溺れた。

ことが落ち着いて改めて、なにか食べたいものはと訊かれ、まず浮かんだのはそれだ。

夫の――

あれほど散々に溺れこみ、貪ったというのに、浮かんだのがそれだ。妻としてしつけられた奥所を夫の雄でもって貫き、吐きだす精で腹を満たしてほしいと。

まず浮かんだのがそれで、それ以外にはなにも浮かばなかった。

どうしてこうも飽き足らず反応するのかと夫を詰りながら、肝心のカイトが選択肢を持たなかった。

――この体は、男相手にあまりに淫奔だ。

違った。否、そうなのかもしれない。真意は別のところにあり、花にとってこれを『淫奔』とは評しないとしても――

がくぽは散々、カイトが餓えていると言った。

餓えているのだから、不足も甚だしいのだから、食べたいだろうと。

そしてひとの見た形を取る花たるカイトが、『食べる』ものだ。夫に謀られたのだとしても、一度ならず受け入れた。受け入れ続けてきた。

――餓えているときに口にしたものは、なんでも旨いように感じる。

――ならばよほどに、私の『味』は沁みることでしょう。

沁みたのだろう。覚えて、気に入ったのだ。

こうなってもまるで離れられず、しがみついたままでいるほどに。

しがみつくのみならず、疼く腹を持て余すほどには。

「がく……っ、おまえ、は、っ」

「食虫植物というのを、知っておられますか植生ながら、死んで地に還ったものではなく、生きたままの虫をおびき寄せ、喰らうという。あれらは時に応じ、最適なにおいを放つことによって、自ら動けぬ身に獲物たる虫をおびき寄せ、喰らうのですが、――」

顔は歪めても声は笑わせて、がくぽは説く。

「あなたも同じです。腹が空くと、私を煽るべく香る。そして私は花に依る。逆らえません。喰われるとわかっていても、虫が花へと寄らずにはおれないようにね。もはや尽きたと思っても、この香りを嗅げば私も反応する。幾度であろうと、盛り立つ。あなたの飢えが満たされるまで」

「……っ」

予測された答えでも、はっきり言葉にされると衝撃だ。

思えばがくぽは、カイトの香りを頻繁に嗅ぎ、確かめるしぐさをくり返していた。カイトがはたと、衰えない夫の反応に気がつくのも、香りを嗅がれてからのことが多かった。

カイトに自覚は薄くとも、飢餓は飢餓としてある。

そして力持つ夫が――飢えを満たせる相手が、ここにいる。

求め煽る香りが絶えなければこそ、がくぽはカイトが飢餓であり、空腹で堪らないはずだとくり返したのだ。食べたいものが、欲しいものがあるはずだろうと。

もしかすれば、限界を超えて煽られ、勃起させられ続ける身にはすでに苦痛が宿っている可能性も高く、だとしても『恋女房』であれば――

「妻とするに好都合だからと、この方法を取りましたが………まあ、言っても詮無いことです。他ごとともあれ、この選択に関して、私に後悔はない。どのみち今後にしても、この方法以外を取るつもりはありません。ええ、ひとつのみです。選択肢など存在しない。ですから、カイト様。カイト様も、お早くご覚悟を決められるがよろしい。私の『妻』として――『花』たる御身で私という男の『妻』として生きられる、ご覚悟を」