B.Y.L.M.

ACT5-scene6

未だカイトが西方、故国たる哥の国にあり、王太子であった頃だ。

カイトを花と呼び、求めた南王と、直接に会ったことがある。

そのときも南王は年齢不詳であったが、とりあえず青年ではなかった。壮年とも言いきれなかったが、足をかけたかというほどの年齢だろうと計った。

ほどほどの丈夫であり、相応に経験を積んでいるであろうことは窺えた。しかしあくまでも『ほどほど』であり、『相応』という程度で、確かに測れるものはなにもないという。

髪の色は南方人に多い、日に灼かれた影の色であり、長さは肩にかかるかどうかというところ。そして肌色もまた、日に灼かれた濃い色の、褐色だった。

代表的な南方人、南方人の見本的容姿とでも、言えばいいのか――

つまり、がくぽと比したとき、その見た形には、確かに親子だと言えるものが、なにもなかった。

髪の長さなどは置きにするとして、たとえば、肌色だ。

がくぽの肌は、白い。生粋の南方人であるようだが、がくぽは強い陽射しなど当たったことがないとばかりの、透き通るような白い肌の持ち主だ。ここまで白い肌は、雪に洗われ抜かれる北方人にも引けを取らないと言えるほどの。

その他、細かな造作すべてとっても、当時の南王とがくぽとの相似性、類似性は、皆無に等しい。あまり似ていない親子という段階ですらなく、ここまでとなれば他人同士というほうが、むしろ自然な。

であればこそカイトも、娶られ、諸々のことが発覚するまで、南王とがくぽが親子かもしれないなどとは、欠片も疑いを持たなかったのだ。

がくぽを南方人であろうと見当をつけたときにもだ、ならば可能性としてあるかもしれないとは、まるで。

以前、がくぽが言ったように、異形であろうとまでも思わなかったが、南王の子であろうとも、また、思わなかったのだ。

くり返そう、容姿の類似性などなきにも等しいのが、この親子だった。

否、なかったはずなのだ。だというのに――

カイトは戦慄し、総毛だって瞳を見開いた。

夫が二人いる。違う。髪型から体形、容貌に年齢と、青年期の夫とほとんどまったく同じ容姿だが、唐突に増えたひとりのほうは、決してカイトの夫ではない。成り得ない。

それはたとえば角や翼のない、異形ならぬただびとの見た形であるからとか、そういった差異に因らない。

見た目の、些少な差異が問題なのではなく――

「どうしてその姿だ」

慄然とし、カイトはつぶやいた。愕然と、呆然としていた。同時にふつふつと、腹の底から沸き上がってくるものがある。

ふつふつと沸き上がらせながら、大元たる腹の底はひどく冷えて、凍えていく。大きな氷の塊でも突きこまれたかのような感覚だ。ただ凍えていくだけでなく、重く、怠く、痺れて、痛い。

そうやって冷えきりながら、視界が赫く染まっていくほどのふつふつとしたものを、沸き上がらせていくのだ。

がくぽがカイトを娶ってからのち――南王との戦いで掛けられたがくぽの呪いを、カイトが解いて現れた南王は、姿をまるで変えていた。

肩に届くかどうかという短さの髪は、腰を過ぎ越すまでの長髪に。

壮年に足をかけたかという年頃から、二十代の前半と思われる青年の年頃に。

なにより肌の色を褐色から、抜けるような白い色へ――

およそ人智で測れる域を超えればこそ、『魔』の冠を与えられたのが、南王だ。今さら、見た目や年齢を弄って変えてみせたところで、驚くとしても『あり得ない』とまでではない。

だから、哥にあって最前に見た姿の面影を、まるで残していないとしても、いい。

あれが、実子たるがくぽとの相似性を完全に廃した姿であったことも、いい。

人智を超えた相手のこととはいえ、その配慮はわかる。がくぽは南王が密かに入れた間者だ。まさか南王に似た容姿からあらぬ疑いを呼び、仕損じるようなことは避けたいと――

だから、それは容れる。

容れられないのは、今だ。

以前の、仮の姿を捨てたにしても、今、まるでカイトの夫そっくりの容貌につくってきていることだ。

あろうことか、カイトの夫の姿を模造して現れることだ。

たとえ親子とはいえ、いくらどうでもここまでの相似性には、悪意がある。

石造りの小卓を挟み、向かい合って座るカイトとがくぽとの間、椅子はふたり分しかないので、招かれざる三人めたる南王は小卓の脇に立ち、小首を傾げた。

前回と変わらず、ひどく親しげな――どの程度のものか喩えるなら、長年、腹を割った付き合いを続けた、気の置けない朋友相手とでもいうような――空気を醸したまま、答える。

「同じであろ?」

「っ!」

答えと、答えがあったことの両方に戦慄して、カイトは怖気だった。

人智を超えたという意味で『魔』の冠を与えられた南王だが、弊害は多く、また、大きかった。

そのうちの最たるもののひとつが、人智を超えているがゆえに、人智の範囲内にいるものの言葉がほとんど、まるで通じないということだ。

南王といえば常に、自分が言いたいことを言いたいように言うだけの存在だ。こちらの問いには答えない。

否、単純に答えないというより、答え『られ』ないというのが、きっと正しい。

なぜなら人智の範囲内からする問いは、人智の範囲外にいる南王の耳には届かない、届けられないからだ。

届かない問いに答えるとは、ありもしない問いに答えるということだ。ありもしない問いには答えもまた、ありもしない。

いかに南王が人智を超えているとはいえ、であればこそ、答えられないのも当然のことではある。

しかし今、南王は答えた。カイトの問いが、南王の耳に届いたのだ。

これまで幾度、手を替え品を替えして声をかけ、問いを重ねても、いっこうに届かなかったものが――

届いた。

答えた。

理由として考えられるのは、二つだ。

一度――もしくは初めて――首を掻き飛ばされた衝撃かなにかで、さすがの南王にもなにかしらの、変容というものがあった。

その変容の末、ただびとの声が届くようになったというのが、ひとつ。

もうひとつは、絶望的だ。カイトが『花』として成熟した――今世のことわりを外れたものとして完成し、いわば、『人智を超えた』存在の一角と成った。

結果、すでに人智を超えて『魔』の冠を与えられていた南王と同じきざはしに立つこととなり、ようやく声が届いたという。

嫌悪感だけがある。

腹に巨大な氷の塊を突きこまれた挙句、内腑ごと掻き混ぜられているような心地だ。

カイトには自らが南王と同じものになったという感覚は、まるでない。相変わらず、圧倒される。どういう存在感かと思う。忘れようにも忘れられない、忘れたくても忘れようがない。無理だ。

南王のこの存在感は、この存在感こそが、異質の最たるものだ。なにより人智を超えている。

今の南王は、夫と『同じ』容貌だ。言うなら、絶世の美貌を誇っていることになる。

しかしカイトは目の前のこれを、決して夫と間違うことはない。美貌ぶりに見惚れることもない。

目が離せないとしたら恐怖からで、意味不明な動悸が起こるなら、心胆寒からしめられればこそだ。

――そう、違う。

これは夫などではない。

夫の姿を模してはいるが、これは自分の夫ではない。

自分を愛する、自分が――

「幾日ぶりのことか。我が愚鈍なる末の息子を思うに、少しう時期尚早よ。我れはもちろん親として鑑に倣い、踏み止まるべきではあるが、しかしながら花が成熟した以上、もはや手をこまねいてばかりもおれぬ。なにしろそなたは王の花である」

カイトが向ける嫌悪を、南王は意に介さない。醸される空気はあくまでも、非常に親しげなものだ。敵意も悪意も欠片もなく、空疎でもなく、うわべだけでもない、こころからの。

もうひとつ言うなら、カイトの向かいに座るがくぽだ。こちらもこちらで、醸す空気は険悪だ。カイトのそれなど、春風と同じと嗤えるほどに。

しかしそうまで険悪に、敵意を剥きだしにしながら、がくぽは凍りつき、動けずにもいる。

その片手はすでに、自分の腰に伸びていた。カイトは南王と対しつつ、瞬間的に視線を投げただけなのではっきりとは確かめていないが、あの形の手をしているならきっと、がくぽはすでに剣の柄を握っているはずだ。

が、そこまでだ。それ以上は動けない。剣は抜けない。

南王はがくぽに対し、ほとんど無防備に背を向けている。浮かべる表情、醸す空気はごく親しげで、穏やかであり、敵意など欠片も感じられない――

カイトはほとんど、威嚇するねこの様相だった。まさに毛が逆立つような心地だ。

夫はすでに戦いを始めている。けれど、あからさまに前回と違うことがある。動くことがもはやできない――『赦されていない』。

南王に圧されて、押し負けている証だ。

前回、がくぽは南王に剣を向けることができた。立ち回る自由があった。言葉を返すことも。

今回、南王はそれをがくぽに『赦していない』。ひと言とてなく、なんの素振りもなく、実に気軽にただ、『赦さなかった』。

結果、がくぽは動けない。無防備に背を向けられ、相手は剣のひとつを握るでもなく、敵意すら醸さないというのに、すでに瀬戸際まで追いつめられている。

これ以上は、もしも指のひとつでも動かすならきっと、いのちがないと。

それが、南王とがくぽとの実力の差だった。ほとんど絶望的で、希望など欠片もない。いったいほんとうに、一度は首を掻き飛ばしもしたあれは、夢か幻かという。

「なぜ、その姿だ」

先のは、たまさか通じたように見えただけかもしれない。

可能性が捨てきれないまま、だとしても構わないと、カイトは吐きだした。もとより通じないことが前提の相手だ。通じることのほうがおそろしいと、思い知りもした。

ただ憤りに突き動かされて、カイトは吐きだす。こういったことは、非常に珍しかった。珍しいと、憤りのなか、カイトも自らで思う。思いながら、止められない。

答えが返ったはずの同じ問いを、きつい語調でくり返したカイトを、南王はきょとりとした顔で見た。ひどく無邪気に瞳を瞬かせながら眺めて、首だけを軽く、振り返らせる。

束の間、がくぽを――威圧によっていのちの間際にまで追いつめている、末にして、最後のひとり子だ――確かめてから首を戻すと、今度は自分の体をしげしげと眺めた。

最終的に、首を傾げる。

「引き延ばし、曲げ捏ね、よく模したはずよ。相違あるまい?」

同意を求められて、カイトの背筋を戦慄が走った。

やはり、通じている。なにかしらが、通じている。カイトが言ったことを受け、南王は言葉を返しているのだ。

そしてやはり、通じない。カイトの言葉を聞いて返しはするが、前提とする感覚が、常識が、あまりに違う。ために、最終的な疎通ができない。

表層を模しただけでがくぽと――カイトの夫と成り代われるだろうと、南王はそう考えているのだ。少なくとも返された答えからは、そう考えていると、類推された。

なにを言っているのかという話だ。

そんなはずがない。確かにカイトは夫の美貌ぶりに頻繁に見惚れ、挙句の果てに判断を誤るが、それだけが理由で、こうして妻の座を容れたわけではない。

そもそも同性同士の婚姻が常識の埒外という国で生まれ育ったカイトが、たかが美貌だけによろめいて、同性相手の『妻』という立場を受け入れるわけもないのだ。

それを、理解していない。

姿形さえ同じなら、カイトの夫となれるだろうと――一度、奪われたものも容易く奪い返せることだろうと。

目の前に立つ南王は、無邪気な様子だ。カイトの憤りを理解していない。表情は不可思議さを浮かべていて、敵意がないのも変わらずだ。

通じない。この相手には、人間が通じない――

言葉が通じなかったとき身に沁みた絶望を、カイトは改めて擦りこまれている気分だった。

たとえ言葉が通じたところで、この相手と疎通することは並大抵ではない。

ならばいっそ、言葉が通じないままであったほうが、余程にましだった。言葉が通じなければ、意思の疎通が捗らないのも当然だ。まだ諦めがつく。

どうして今になって会話らしきものを成り立たせるようになったものだか、カイトはひたすら南王が恨めしかった。

南王自身は敵意も醸さず、親しげな雰囲気ままではあるが、カイトは憤りを募らせていく。恨みがましさを、憎しみを、かなしさを――

その差異に、ようやく南王は気を向けた。だからとつられて憤ることはないが、瞳を険しくしているカイトに再び、首を傾げる。

座りこんだまま睨むカイトの姿を上から下から眺め、その眉がふいと寄せられた。ひとであれば、懸念の表情だ。

眉をひそめてカイトを眺め、南王は慎重にくちびるを開く――それはそれで珍しい様子とも言えた。南王と慎重さとは、まるで合わない。

けれど言うなら慎重に、確かめるようにそっと、南王はくちびるを開いた。

「花は成熟した。快復し、開花し、――」

そこで言葉を切り、南王は再び、反対側に首を向けた。未だ機を図れず動けないまま、険悪さだけを募らせていく息子を映す。

戦い、一度は首を掻き飛ばされた。掻き飛ばした。

けれど今、彼は一指すら動かすことがままならない。

南王の放つ、敵意もない、ただ存在しているだけという威圧に、すでに負けているのだ。

たかが存在しているというだけの威圧を弾き返すことができず、いのちの危機に晒されている。

それが、南王の最後の子、末の子の実力だった。

最弱――地上にある、ありとあらゆる類似の言葉を並べても不足する、圧倒的で、絶望的な。

ひとたび始めた以上、南王と末の子との再戦は必定だ。互いのうち、どちらかのいのちが果てきるまで、終わらせることはできない。

神期から続く旧き氏族も治め、原初の森も有する南方において、王たるは過酷だ。ひたすら、過酷だ。『たかが南王程度』を殺しきれないようでは、とても務まらない――

そして今の様子であれば、次の戦いで末の子は南王に下る。他の、十とひとりの子と同じさだめだ。末の子もまた、王たる資格を満たせない。

王たり得ない。

王たり得ず下って、南王の腹に収まる。他のきょうだいとともに――

「あーあー、………――」

小さな慨嘆とともに南王は瞳を伏せると、顔をカイトへ戻した。

カイトの目の端、がくぽの顔色が変わったことがわかった。相変わらず険悪ではあるが、おそれの色が浮かんでいる。否、強い。

カイトの腹のなかが凍り、軋んだ。

――まずい。圧し負ける。

言葉に直すなら、そうだ。圧し負ける、がくぽが、カイトの夫が、南王に。圧し負けて、へし折られる。

否、折れる。

自分から先に、折られるより前に、過ぎるおそれに駆られて。

あまりの危機感に吐き戻しそうになるカイトへ、南王は憂う瞳を向けた。

「花が根づく前にと、我れは訪いた」

くちびるが開きこぼれた声は、白い息を伴うような凍えたものだった。

怒りはない。憤りや、激するものは、なにも。

だが、すでに確定した予感ゆえに、南王の声は凍る。凍ってカイトへ、自らこそがまず先に手を伸ばした、求めた花へ、言葉を滴らせる。

「そなたは王の花である。根づく先は慎重に択ばれ分けられ与えられるべく、怠りなき抜かりなき揺るぎなき慮りが求めらる。たまさかにも、脆き、弱き、危うきに根づくこと、罷りならず――」

そこまで厳かに唱え、そしてそこまでは南王の顔色にはまだ、親しみが浮かんでいた。憂いはあれ、懸念も覚えていて、だとしてもやわらかなものを含んでいたのだ。

あまりに異質に過ぎる存在感がすべてを無為なものとしていたが、それでもあるとなしとは、まるで違った。

違ったのだと、消えて初めて、カイトは知った。

次の言葉を、おそらく南王はためらった。ためらって口を噤み、――迷って、決めた。

「だが」

再び口を開くと同時に、南王は手を伸ばした。未だ敵意はない。害意もだ。しかし言うなら、親しみもなかった。

あったのは、冷徹で冷厳ななにかだ。研究の徒然とした、カイトを、自らが求めた花を計る。

それはもしかすると、これまで昼の青年がカイトに向けたものとよく、似ていたかもしれない。カイトという異質の花を観察し、験す際のそれと。

だが、その冷たさや計られることが理由ではなく、カイトの毛は逆立った。

南王は手を伸ばした。カイトの足へと向かって。

身を屈め、伸ばされたそれが足を目指しているのだと、他のどこでもない、自分の足へと伸びてきているのだと、カイトは認識した。

それが、耐えられなかった。

おそらく、たとえば顔や頭、もしくは腕や体幹といったところに手を伸ばされたというなら、きっと耐えただろう。否、耐えたというより、存在感に圧されたまま黙って、触られるに任せるしかなかった。

しかし南王が手を伸ばしたのは、触れようとしたのは、カイトの足だった。

花と化したせいで、動かなくなった部位だ。

ひとの身であったときのように、思うこともなくただ歩くということを、良しとしなくなった。歩くどころか、ほんのわずかに姿勢を変えるのすら、ままならない。

足に、南王の手が伸びる。

――もしかすれば南王は、触るまではする気がなかったかもしれない。たとえば優れた呪術師が触れることなく、手をかざすだけで相手の内を読むように、同じことを試みただけかもしれない。

その可能性は、後日になって思いついたものだ。

このときのカイトにとって、ほんとうに触れられるかどうかは、さして重要ではなかった。可能性だけで十分、十二分に過ぎたのだ。

近づいてくる。南王が――他人の手が、足に。

『足』に!

怖気が背筋を駆けのぼり、激昂に変わり、憤怒に転じる。

近づいてくる、と。

カイトの意識はそこで憎悪に灼き切れ、戦慄くくちびるが開いた。

烈火の叫びが迸る。

「起て、神威がくぽっ!!」