B.Y.L.M.

ACT5-scene12

「……っ」

なにかが胸に閊えて、カイトはきゅっと、くちびるを噛んだ。

『なにか』だ。明確にはしない。『できない』のではない。『しない』のだ。

明確にはしない、なにか――

これだけきつく抱きしめているのだ。あえかであれ、身を硬くしたカイトには気がついただろう。

しかし説明で手一杯となっている夜の少年は、そうしたカイトの内面を測ることまでは及ばない。これが昼の青年であれば、誤魔化すにとてつもなく苦労したことだろう。

思えば、カイトはますますもって、夜の少年の不器用さが愛おしい。

ただしこれは、年長者が年若のものへの庇護欲を刺激されるという意味合いのものだが。

――そういった註釈が、誰と言わずまず一番に、『自分に』必要だ。

その意味をも見ないふりをし、カイトは瞼も落とした。

こうすると、抱いてくれる夫の鼓動と、カイトのためにと懸命になって吐きだされる説明の声と、すべての世界が夫の奏でる音だけになる。

「ひとの見た形ままとはいえ、『花』にとっても根が重要な、……繊細な意味を持つ部位であることに、変わりはありません。それは地中には埋めないし、時として――ごくごく稀れにですが、本来通りの『足』として機能しもしますが、根に変わりはない。花のいのちと、切っても切り離せない」

続いた説明に、カイトは瞼を開いた。抱えこまれて不自由な身のまま、視線だけ軽く、足へとやる。投げだされているも同然の形だ。今は動かない。動かそうと思うとひたすらに重く、怠く、つらい。

けれどこの足は条件を満たせば、きっとまた動くことだろうと、カイトは推論を立てていた。

がくぽも、そういう言い方だった。夜も昼もだ。

ほいほいと根を抜いて歩く植生などいないでしょうとは説いたが、だからひとの見た形の『花』もまた、まるで歩けないのだと、そうは言わなかった。

『余程に気が向かなければ、歩かない』。

気まぐれにしか、歩かなくなると――

それで、昼間だ。今日だ。確かに動いた。

カイトの足があれほど自由に、物思うこともなく軽々と動いたのは、久しぶりのことだった。

つまり、なにのためにああも活発に動いたかだ。どういった状況で、どうして、どう動いたのか――

「それで…」

そもそもがあまりなめらかなしゃべり口ではなかった少年だが、そこであからさまな戸惑いに閊え、口ごもった。抱く腕からもわずかに力が抜け、カイトは眉をひそめる。

囲いが完全に解かれたわけではない。完全な自由が戻ったわけではなく、相変わらず動くには不自由だ。

それでも顔が上げられるから上げて、カイトは夫の瞳と見合った。

カイトを見つめる、花色の瞳は揺らいでいる。

もとより、室内の照明のことがある。量が多いために昼間と同等の明るさを保っているとはいえ、ろうそくの明かりだ。術によって模したものではあるが、言われなければ気がつかない。間近に見ればろうそくの明かりと同じ動きをし、炎は常にゆらゆらと揺らぐ。

揺らぐ明かりを映すのだ。がくぽの瞳も揺らいでいたところで、なんの不思議もない。

花色は揺らぎながら、カイトを見つめる。揺らぎながらも逸らすことなく、夜であっても翳りを宿すことなく、むしろ光を湛えて――

「……がくぽ?」

見入りながらつぶやくように呼んだカイトに、がくぽはくちびるをもごつかせた。言葉に迷っている――否、はにかんでいるのだろうか。

崩れそうになる表情を懸命に、しかつめらしく保とうと苦闘している。そうも見える。

「……?」

いったいなんだとカイトが眉をひそめたところで、少年はようやく、続きの言葉をこぼした。

「それで、――つまり、その……どういった道理で、そう選択されたものかは、不明です。が、あなたは俺を――大地ではなく『俺』のことを、自分の根を下ろすべき、預けるべき『大地』と、定められたようだ。それをして、『根づいた』と、言ったのですが……」

「…………………」

言われてカイトはまた、自分の足を見た。寝台の上だ。投げだしているも同然の。

がくぽの足も体も同じ寝台上にあるが、抱き合って密着しているという以上のことはない。

カイトの足――『根』が、がくぽの体に埋まっているといったようなことは。

確かにひとの見た形の『花』であれば、足を『大地』に埋める必要はないと、先にも言われた。

ただ触れているだけで、傍らに添ってあるだけでいいのだと。

距離が近いほど望ましく、離れるほどに好ましくない――

がくぽもまた、カイトの足に視線をやった。細められた瞳に、後悔が過る。もちろん、自分の足に意識をやっていたカイトが見ることはなかった。

見ることはなかったが、抱く腕に戻った力で少年の悔恨の気持ちを察し、カイトは片手を上げた。自分を抱く夫の腕に添わせる。なだめる動きだ。

なだめられて、少年は口を開く。

「先にも、言いました。植生というものは、根を常に大地へ預けているもの、大地から根を抜かれたなら、死に瀕するもの。ためにあなたは、『大地』と定めた俺に触れていないと、俺が触れないと、やたら不安な気分に陥った」

「……」

言葉としては応えず、カイトはただ、なだめるために手を添えていた夫の腕を、くっと掴んだ。意識はない。反射の動きだ。記憶に怯えた。

そう、記憶にすら怯えるほど、不安は強かった。

死に瀕するほどと言われた飢餓感は未だ理解しないが、夫から離されたときの不安なら、よく覚えている。しかもその不安感は日に日に増して行き、日に日に気が狂うような――

今度はがくぽがなだめるように、カイトの背を撫でた。昼の青年とは、やはり違う。おそるおそるといった感があって、どうしても不器用だ。

不器用だが、沁み入る。

「――なによりあなたの不安を煽ったのは、俺のほうに自覚がなかったということでしょう。あなたが根づいてくださったという……いのちを預けてくださっているのだという、自覚が」

「自覚、か?」

それだけでああまでなるものだろうかという疑問含みのカイトの言葉に、がくぽは大きく頷いた。

「自覚がなければ、どう気を逸らして離れるものか、わからないでしょう。知らなければ、覚悟もなく、気安く離れるものです。知っていればきっと、立ち止まって考えずにはおれないはずなのに……。なんでもそうですが、自覚のあるなしは常に、ひとの行動を大きく変える。時にそれが、最後の決断を両極に分けすらする。いのちを預けたというのに、その自覚を持ってもらえないとなれば――」

肝心のときの判断で、最悪をこそ取る可能性もある。

これはカイトも納得できることだった。

反論すべきところはないと考えたし、それにここまで来るとようやく、カイトにも夫の謝罪が理解できてきた。いったいなにを悔いて、なにを改めようと決意して、自ら謝ってくれたものかが。

とはいえ、すべてが了解できたというわけでもない。未だ、無視し難い疑問も残る。

つまり、カイトが『根づいた』先をがくぽであると、判断した根拠だ。

なにしろカイトの足はがくぽに埋まったわけでもないのだから、一見してわからない。であればこそ、がくぽとても判断が遅れたのだろう。

しかし今は確信をもって、カイトが自らに根づいたと言う。

「……あの距離を、『とおい』と……いかにも普通ではない不安を、訴えた。だから、私がおまえに根づいたと判断したのか?」

そうでなくとも説明の苦手な少年だ。問いを重ねることには、カイトにも多少の罪悪感があった。

だからと容赦して翌朝に持ち越し、口のよく回る説明上手な青年へと変わるのを待つわけにもいかないという、事情もだ。

なぜなら今、カイトが説明を求めているのは、ただ『カイトが知りたい』からではない。

夜の少年が必死の想いでしてくれた謝罪を容れるかどうか、判断材料に欠けるからと、求めているのだ。

がくぽは夜と昼とで、別人になるわけではない。

見た形がいくら変わろうとも夫は地続きで、記憶も継続している。あくまでも同一人物だ。

肉体の年齢に精神年齢まで引かれ、判断基準や対応、言動が揺らぐことはあれ、基本的にはまったく『同じ』だ。

だとしても、夜の少年が謝ってくれたものを、昼の青年に『赦す』と告げるのは、違う。

それはカイトの内で、確固たるものとしてあった。

だから憐れは抱いても、カイトは夫を確かに赦したい一心で、問う。

案の定で、少年はわずかに言葉に詰まった。が、長くはなかったし、今度は手が出た。といっても、苛立った挙句にカイトを叩いたといったような話ではない。

言葉を迷う間があり、ふと、体を抱いていた手が片方、浮いた。

そして、素早く伸びた手は、まるで無防備に投げだされていたカイトの足に軽く、触れた。今度は先よりも下のほう、足首に近いほうへ。

淫らがましいところはないが、くすぐるにも似た、撫でるしぐさではあった。

「んっ、ぁ、ゃあっ!」

不意打ちだったというのもある。そういった意味では完全に油断しきっていたカイトは、堪えも利かず身を震わせ、かん高い声を迸らせていた。

迸らせて、直後に全身が熱くなる。せっかく鎮まったところだったというのに、汗が噴きだした。のみならず、ひと息で募り極まった羞恥から、泣きそうにまでなる。

恥の上塗りであろうとも、瞳が潤むことを堪えられない。

「が、がくぽ……っ」

「昼間です」

急になにをするのかと、涙目を上げて詰ったカイトに、がくぽは多少焦って、単語を吐きだした。

相手の思うつぼだとわかっていても、記憶が新しいのだ。あまりに新しい。

すぐさま想起されたことに、一度は緩みかけたカイトの手に力が戻って、がくぽに縋りついた。詰る色を含んでいた瞳も大きく揺らぎ、そこに悔恨を浮かべるがくぽが映る。

「その、――ほんとうは、俺は、わかっていて、よかった。もっと早くに………あなたが、俺に、根づいてくださったのだと。けれど……だから、それが、俺が…卑屈になって、目を曇らせ、あなたから逸らしていたせいで、判断が遅れたという………そういう、ことなのですが」

説明が苦手というだけではなく、大いに傷つき、動揺しているだろうカイトを慮り、なによりも自分の犯した誤りの根幹たるところであるということで、今度、がくぽの言葉は閊えた。

それでも、誠意を尽くすと決めた少年騎士が、この期に及んで言葉を止めることはない。

「先にも、言いました。『根』とは、非常に繊細な場所です。それはひとの見た形をした花も同じですが、つまり、『花』は――普段、なにごとも風のように流し、感情を荒らげないものですが、ひとつだけ…たとえ、もっとも気を赦した世話役相手であっても、簡単には赦せず、不快をあらわにすることが、ひとつだけ……あって」

「ぁ…」

話の流れから思い至って、カイトは小さく声を上げた。構わず続いたがくぽの答えもやはり、そうだった。

「それが――『根』に、触れられることです」

「……っ」

わかっていた答えを確認しただけでも止められず気が抜けて、カイトはへたりと崩れ、夫の胸に戻った。

がくぽもまた、そういうカイトを受け止め、きつく抱き直してやって、言葉を続けた。

「どれほど親しい相手たろうとも、花は根たる足に触れられることを、ひどく厭います。ですから、もしもこちらの意向で移動させるとなれば、駕籠を使うにしてもなんにしても、慎重にも慎重を要する。否、移動のみならず、日常も同様です。世話役も、おいそれとは触れないよう、気を配って日常を取り回す。ですが……」

そこで言葉を切り、がくぽはごくりと咽喉を鳴らした。生唾を呑んだわけではない。呑んだのは緊張だ。続く話の内容だ。

幼い夫の胸に懐くカイトの耳朶は、一度は引いた赤みをまた、じわじわと戻していた。カイトもまた、流れから察していた。

そうだ。

「あなたは、俺が触れることを、ひとたりとて、――ただの、ひとたりとて、拒まれなかったし……なにより、悦いと感じてくださる」

「…っ」

「大事なことです!」

羞恥からだ。縋る胸を反射で押して逃げを打ったカイトに、がくぽはようやく力強く、きっぱりと言いきった。

言いきるのみならず、逃げを打つカイトをきつくきつく、力強い確信に満ちて抱き直す。

「言ったでしょう。本来であれば、誰であれ、触れて赦せるものではないと。たとえ『夫』といえども、例外ではありません。それも、花開く途中であるならまだしも、完全に咲き開いたあととなって――触れて、悦いと感じてくださる。感じ入って、ほんの些細な接触で、甘く啼きまでする。俺以外が触れてもそうならともかく、俺だけだ。触れて赦されるのが、俺だけだ。『花』が――あなたが、俺に根づいてくださった、これがなによりの証左だ。俺にいのちを預けてくださった、これ以上などない、なによりの……」

珍しくも口早に、しかし力強く、少年は言いきった。

その力強さもまた、なにかを思いこんだ挙句思いつめて追いつめられたがためのものではなく、確かな自信に依って立つものだった。

カイトは未だ応えきれていないが、夫にとってカイトは、ほとんど初恋の相手なのだった。

その言動の多くから、若くしても苦難の多い生涯であったろうことが窺える夫が、報われることを諦めていた夫が、ほとんど初めて恋に落ち、諦めていたすべてに歯向かいまでして、がむしゃらに求めた。

騙し討ちのような手すらも含めながら、生涯を賭して手に入れた、最愛の妻が――

「だ、だか…ら………だから、だ、………っ、ご、め……ごめ、ん、なさ、いっ!」