B.Y.L.M.

ACT6-scene3

つまり西方、哥の国にあって見たとき、これはもう少し、力強く咲いていたような気がするのだ。

どちらかといえば哥でも北方寄りの、年を通じて涼しい地に特に多かったかと記憶しているが、そう。

寒冷な地にあっても鮮やかに、青々と茂っていた。それも、通年でだ。

植生であり、不死でない以上、きっといつかは枯れるのだろうが、記憶にない。

思い出す限り常に青々として、雑草にも似た、軽々しく挫けそうにない感があった花だった。その強さに、花の名の『わたしをわすれないで』などという、なにか弱気な響きが似つかわしくないなと、感慨を持つような。

それとも、強いつよい南方の花と並べるとやはり、地力の弱い西方における『力強さ』など、たかが知れている程度のものへと、堕するものなのか――

とはいえ今、目の前に咲くこれは、単に『力弱い』というのとも、違う気がする。

弱いにしても、その方向性だ。幼子などに感じる非力さといったものではなく、喩えるなら、最期の力を振り絞っているに近いか。花期の終わりという以上に、全体に末期の感がある。

確かにこれで『わたしをわすれないで』と言ったなら、今際の言葉として、真摯に聞かねばならないだろう。

そういう風情だ。

続くがくぽの説明は、カイトの疑念を肯定した。

「そうですね。いえ、……『哥にも』というより、これは本来、西方のものですから。移植はしましたが、どうも暑さに弱いようでしてね。西方だと、さほどの手入れをしなくとも年を重ねて見られるようですが、南方だと一年が限度です。なんとかかんとかで、ようやく最近になって、今くらいの季節まで持たせられるようになったのですが……それにしても、今年は長いほうですね。ずいぶん頑張ってくれました。ですがこれから先、ますます暑くなると、どうあっても枯れるでしょう」

「そう、なのか」

枯れるという言葉に、きゅっと拳を握ったカイトの背を、がくぽは軽く撫でた。あやすしぐさだ。

常にはむっとすることも多いが、今は素直にあやされ、カイトは体から力を抜いた。あえかに姿勢を崩し、がくぽへと縋るように凭れる。

がくぽも拒むことなく、むしろ背を抱く腕に力を入れ、応えてくれた。そのうえで、説明を続ける。

「言っても、完全に終わりというわけではありません。種はきちんと落としますからね。夏季が過ぎて、多少なりと涼しくなれば、落ちた種から再び芽吹きます。珍しくも、父がやたらに気に入って持ち帰った挙句、これまた珍しく、気合いを入れて世話をしたせいですかね西方でのように、花期が終わったあとも茂ったまま通年でということは無理なのですが、夏季が終わりさえすれば、次の季節には必ず芽吹いて、また頑張って種を落としとして、………今日まで続きました」

「……そうか」

どこか感傷的な、やわらかな声音にこころがほぐされ、カイトもまた、穏やかな相槌を返した。

哥にあったころには、詳しくないこともあり、雑草かとまで思っていた花だった。

が、こうして異邦にあって、馴染んでいた故郷のものを眺めると、あからさまに緩むものがある。

西方の出が、南方のこの暑さに弱いのはやはり仕方がないのだなと、なにかしら、同志を得たような気もする。

もちろん弱いがために、この花は負けて枯れてしまうわけだが、きちんと種を落とし、涼しくなったならまた、芽吹くという。

ならば西方とは多少、生態が変わったのだとしても、きちんと南方に『根づいた』と言えるだろう。

生きると決めたのだ。この、まるで気候の違う異郷にあっても。

周囲を南方の、強いつよい花に囲まれて、それでも威勢に呑まれることなく、自らの生き方を貫くと決めた。

その強さは、南方のそれらに劣るものでは決してない。いや勝って、凌ぐと言ってもいい。

お互い、諸事あって故郷から遠くへ来たものだが、愛おしんでくれる相手がいて――

「………………………………………………『父』?」

感傷から急激に我に返り、カイトは訝しく眉をひそめた。

眉をひそめるのみならず、カイトの上げた声も表情と同じく、不審を含んで硬い。

ようやく思考が追いついたと言えばいいのか、しかしずいぶんな間を空けたものではある。この段階での反応は我ながら間が抜けていると、カイトも思った。

とはいえ、流すに流しおけないことでもある。

がくぽといえばあの、どこか感傷的でのんびりとした空気を、未だまとっていた。カイトの不審に、気がつきもしない。それだけ緩んでいるということだ。

そう、のんびりと、感傷的だ。

カイトが気をやった花は、がくぽ曰く、父が気に入って移植し、世話をしていたものだという。

『父』だ。親だ。がくぽの。

がくぽが自らの親たる南王のことを語るときに、こうまで穏やかで、毒のない様子であったことなど、これまでに一度もない。

ぬくもりを失いがちな王族や貴族の親子関係とはいえ、ことに冷えきって、酷寒に陥っているのが南王と、その子らだ。

冷えきらざるを得ない理由はカイトにも納得がいくものだし、だから、毒があるのはいい。その毒の強さが度を越していようと、それもいい。先にも言ったが、仕方がないと割りきれるほどの理由だからだ。

その酷寒にまで陥った親子関係の結果として、そもそもがくぽは親たる南王のことを語るとき、『親』という単語を使わない。『父』や『母』、あるいは単に『親』という、類する一般的な単語の一切から、極力避けているのだ。

それは意識的にというより、ほとんど無意識にまで浸透してのことだとカイトは見ていた。避け方の徹底ぶりが、意識の表層でできる範囲を超えているからだ。

そこまで徹底しているがくぽは、親たる南王を表す呼称のほとんどすべてを『あれ』という指示語で押し通す。

南王本人を前にしてすら、同様だ。基本、呼びかけるようなまねはしない。

それでも一度だけ、呼びかけるそれを聞いたことがあるが、『我が身に流る血の片割れを担うだけのもの』という――

貴族の内には、王太子はおろか、王の御前ですら取りつくろえないほどこじれた仲の家庭も多い。ために、目の前でいがみ合う親子の姿自体は、カイトにも珍しくない。

だとしてもここまでの言いようは、さすがに聞いたことがなかった。

そういう、がくぽがだ。

さらりと、『父』という、ごく一般的な呼称を使った。

否、呼称を使うだけならまだ、いい。

いくら気が緩んでいたとはいえ、花を移植する際の親のやりようを、まるで毒気なく語りきった。語りきったあとに付け加えられる罵詈もない。

「がくぽ、おまえ、『父』って」

「はい?」

「…っっ」

戦慄した挙句、カイトは問う言葉を失った。

どうすればいいのか、まるでわからない。これまでにない危機感だ。

カイトが『父』と、南王のことをにおわせる言葉を使ったというのに、がくぽは気が緩んだ様子ままだった。

これまで、カイトが南王について少しでも訊こうものなら、語ろうものなら、気勢を上げていたのががくぽだ。話題の方向性に因らない。決して奪われてなるものかと、決して渡してなるものかと、――

だから、そういう話ではなかっただろうというのにだ。

しかもこの反応は、血気に逸りがちな年頃である、夜の少年だけの話ではない。

これに関しては昼の青年のほうがむしろ、性質は悪いとカイトは感じていた。感情を隠すことに巧みな青年は、落ち着いた風情だと油断しているところで、唐突に荒れるからだ。

はたと気がついたときには、激昂した青年が翼をはためかせ飛びだす寸前だったことを、カイトはすでに何度か経験させられている。

ただしひとつ補記するならこれは、カイトが説明を求める際の『偏り』にも、原因がある。

気難しい年頃であり、どうしても説明下手な少年には、複雑であったり、矢継ぎ早にいくつもというのは、訊き難い。自然、カイトは昼の青年に質問する癖がついていた。

となれば当然、青年を相手に南王の話題が出ることも増えるし、少年を相手には減ると、そういう――

ともあれだから、南王だ。

がくぽも口にしたが、カイトも口にした。はっきり『南王』と言ったわけではないが、がくぽの親とは南王であれば、そのことに言及した以上、当然――

だというのにだ。

この落ち着きようだ。

どうすればいいのだ。

訊いていいのか、聞かなかったふりをしたほうがいいのか――しかしどうして今日に限ってこんな状態なのか、理由を突き止めないと、いっそ恐怖だ。

大体にして南王の禍はまさに昨日、経験したばかりのはずだ。早々に正気を飛ばしたカイトともあれ、意識があったがくぽの記憶は新しく、生々しいだろう。

呼んでもいないのに来た挙句、がくぽの最愛の相手をどうこうしようとしたのだ。

実際どうしようとしていたものか、正気を飛ばしたカイトには記憶がなく、相手が南王であるために推測もし難い。今ひとつ確認したい気もしないので、そっと放置しているのだが――

対してがくぽには意識があり、記憶があった。たとえ無事に済んだとはいえ、未だ腹の虫が治まりきっているわけもない。

と、思うのに、だ。

陽気は先と変わらず厳しく、熱気は増すことはあれ減じる様子もないのだが、カイトは腹の底から冷えていく心地がした。背筋を寒気が走り、思わず震える。

「その」

「ああ、なるほどええ、つまり……大丈夫ですよきょうだいと同じです。さほど気に病む相手でもありませんから、お聞きになりたければ、別に」

「?!」

常の敏さを発揮し、カイトがなにかしら訊きたいものらしいと察したがくぽは、先回りして許諾をくれた。

が、それでかえって、カイトの混乱は深まることとなった。

さほど気に病む相手ではないと、どの口が言うのか。しかもそう、あっさりと、こだわりも毒もなく。

「……ん?」

ことここに至って、がくぽもカイトの様子がおかしいと気がついたようだった。単に訊きたいことがある以上に、なにかしら動揺し、混乱していると。

「…――?」

のんびりと緩んでいた花色の瞳に鋭い光が戻り、言葉にされないことからカイトの内心を読み取ろうと、窺ってくる。

今回の場合、それは有り難かった。もはや、どう言葉にすればいいのか、カイトにはまるでわからなくなっていたからだ。

それもこれも今日までの、面倒の積み重ねゆえだ。南王について、迂闊に口にしたどの言葉でがくぽが反応するものか、今ひとつ測りがたいという。

面倒と言うなら、がくぽの偏向と傾倒著しい忠誠心にも手を焼くことが多かったわけだが、たまには役にも立つ。

――が、カイトの期待は無惨に裏切られた。

偏向と傾倒だけでなく、もとより敏いこの夫でありながら、今のカイトの内心は読みきれなかったらしいのだ。

「まあ、……そういえば、父のことは、あまり語ったことがありませんでしたか、ね……ほとんど比べる先が問題という話ですが、影が薄いといえば、薄い…ですか、ねそばに居さえすれば、存在感からなにから、薄いどころでなく、喧しい以外のなにものでもないんですが」

きょうだいのことを語ったときと同じだ。がくぽは曖昧な記憶を懸命に掘り起こす風情で、上目となり、途切れ途切れに言葉をこぼした。

それも、カイトが期待したのからすれば、ずいぶんずれていると思われる方向の。

「私がここに呼ばれ、彼と同居したのも、ずいぶん大きくなってからで……そうですね。昼の私にちょうど、翼が生え始めた頃だったかと――ええそう、そうですよそういえばあれは、この屋敷で初めて会ったときのことでした。私の翼がまだ生えさしで貧相だからといって、呼び方はヒナコでいいかとか、寝とぼけたことを言ったんですよ、あの男はよりにもよって『ヒナコ』ですよ、『ヒナコ』?!昼が、今の夜と同じ、むつかしい年頃ということもありましたが、これはさすがにね。ついうっかり、初対面から殴り合いです。負けましたが、とにかくヒナコという呼び方だけはなんとか、撤回させて…」

「待てがくぽっ!!」

勢いこんで過去を述べたてるがくぽに、カイトは背筋を粟立たせた。懐かしさに同意するようにあえかに羽ばたく、今は育ちきって巨大な翼を担える肩をがっしと掴むと、叫ぶ。

「父とは、南王ではないのか?!誰の話をしているんだ、おまえっ?!」

「――え?」

鬼気迫る様相となって問うたカイトに、がくぽは瞳を瞬かせた。

愕然としているとも取れるし、唖然としているとも取れる。どちらにしても同じだ、カイトの問いが咄嗟に理解できていない。

非常に気まずい沈黙、数瞬――

がくぽはカイトを抱いたままながら若干身を引き、無理のない範囲で背を撓めとして、ことさらな下から目線となった。

委縮しているのはがくぽ本体のみならず、翼までもだ。『折り畳む』わけではないから限界があるが、羽根を閉じて両の翼を寄せ、可能な限り小さくなろうなろうと、足掻いている。

「ぁ…っ?!」

「その……ええ、つまり………?」

カイトが、はたと勘づくのと、がくぽがおそるおそるといった風情で口を開くのとは、ほとんど同時だった。

つまり、ひと口に『親』とはいえ、実のところ関係は雑多さまざまだということだ。

直接に血の繋がった生みの親から、血の繋がりのない育ての親に、養子縁組などで起こる名義上の親、またあるいは生涯の師と定めた相手や、恩義ある相手のことを喩えて『親』と呼びならわす――など。

背後に潜む事情はひとの数だけあるとも言え、ただ一般には、ことに説明を加えられなければ、『生みの親』のことを語っていると見なされるものだ。

この話法には、基本的に地域差というものはない。西方でも南方でも、同じように判断される。

そう、『生みの親』のことであれば、特に詳しい背景説明は入れない。いきなり、本題に入る。

それで、がくぽだ。

実際がくぽは、自分の『生みの親』のことを語っていた。ならば余計な註釈を入れないのは、当然だ。

ただしこの場合、罠はもうひとつあった。

がくぽの親――『父』といえば南王のことだと、カイトがすっかり思いこんでいたということだ。

「私の片親が、人間だという話は、………どこかでしたような気が、するんですが」

とても訝しげに、同時にひどく自信なさげに、がくぽはカイトを覗きこむ。

眉間を押さえ、瞼を落としとして、兆す頭痛に耐えていたカイトは気がつかない。気がつかないが、問いに頷くことはした。

「聞いた。片親が最弱種族の人間であるがゆえに、おまえはきょうだいの内でも最弱の扱いであったと」

「扱いというか、実際確かに最弱な…んでも、ありません」

指の隙間からきろりと睨んだカイトに、がくぽは慌てた様子で言葉を呑みこんだ。だけでなく、ぶるぶると勢いよく首も振る。横だ。

発言を取り下げたわけだが、そのしぐさはまさに、最弱に相応しい、気弱なものだった。

が、カイトにとってがくぽは、決して『最弱』などではない。

そもそも、人智を超えたという意味で『魔』の冠を与えられ、災厄と同義で語られる南王と対峙し、その首を掻き飛ばしまでしておきながらだ。

これまで誰も成し得なかった偉業を果たしながら、未だ最弱を標榜するとは、もはや謙虚とは言わない。怠慢だ。怠惰だ。いっそ傲慢だ。ここまで不徳を重ねるなど、騎士失格だ。

――概ね八つ当たりで、カイトはそう、がくぽを断じた。

内心でだ。声には出していない。決して出さない。今のこれは、どこに出しても恥ずかしい類の八つ当たりだと、カイト自身、理解しているからだ。

恥に恥を重ねるようなことは、やらないで済むなら、やらないでいるにこしたことはない。

そう、カイトは現在、ひどく恥じ入っていた。

がくぽの両親のことだ。片親ではない、『両親』だ。

これまで確かに、がくぽの『親』といえば南王のことばかりが語られてきた。もう片親のことといえば、最前に生い立ちを語ったとき、さらりと触れられた程度の記憶しかない。

『もう片親が最弱種族である人間だから、自分もきょうだいの内では最弱』という。

話の流れもあったが、なによりもう片親の、南王の存在感だ。人智を超えたという意味で、『魔』の冠まで与えられるような。

その存在感たるや、たとえ神期から続くような旧き一族が相手であったとしても、圧して余りある。いわんや、ただびとなれば、だ。

結果、『人間でしかない』というもう片親に関して――しかもがくぽはわざわざ、『最弱種族の』という言い方をした。つまり人間は人間としても、ほんとうに取り立てるところもない『一般人』ということだ――、カイトはまるで、注意を払ってこなかった。確かめようとも、思いつかなかったのだ。

がくぽの親といえば、南王だと。

しかしたとえ存在感が霞であれなんであれ、南王ただひとりが、がくぽの親というわけではない。

確かに番った相手があり、南王とその人間と、ふたりの間に生まれたのこそが、がくぽだ。

ならばいったいその人間とは、どういう相手であったかということだ。

カイトは漠然と、どこぞでなにかしら、南王に見初められた人間の『娘』がいたのだなと、そう考えていた。

がくぽという男は、人智を超えたという意味で『魔』の冠を与えられた南王、種族を超えて今世に最強を誇る『男』を、父に――

最弱種族たる人間の、なかでもことに力弱い年若の娘を母に持つという、複雑な血縁に生まれたのだと。

違った。

反対だった。

がくぽを産んだのは、南王だった。

南王こそが、がくぽの『母親』だった。