B.Y.L.M.

ACT6-scene10

それよりも、もっといいものを差し上げますからと――

動揺著しくもがくぽはなんとか言葉を尽くし、カイトをなだめすかして角から引き離した。

実際的に、口を離させただけではない。迂闊に頭を抱えられれば、くり返しにしかならないと踏んだのだろう。

がくぽはカイトを、膝上から小卓のほうへと移した。転がして、足を広げ、体を割り挟む。

とはいえ、『小』卓だ。ふたり分の茶器を置くともう、いっぱいとなってしまうような。

年齢を疑うような言動が散見されるようになったカイトとはいえ、体のほうは立派に成人した男性ままだ。筋骨隆々の、あるいは肥満体型のというほどの突出した大柄さはないものの、これほど小さく狭いところに、問題なく全身を預けられるものではない。

首から上は落ちているし、腰から下も同様だ。かろうじて背が乗ったという程度で、不安定極まりない。

ただし今の場合、それでさして問題になるというものでもなかった。

やろうとしていることの都合上、腰から下は相変わらずがくぽが支えるし、それに、意味を『根』と変えた、カイトの現金な足だ。ほんのわずかに姿勢を変えるのすら不自由する、易々とは動かなくなった――

小卓に転がされ、夫が間に体を入れるや、カイトの足は意思に因らず、ゆらりと持ち上がった。ゆらゆら揺れ、まるで蔓か蔦かが寄生先の幹に這い伝うかのような動きで、夫の体に擦りつき、絡む。

普段のように力なく、だらりと垂れていれば、姿勢の不安定さは増しただろう。最終的には夫が抱えるとしても、しかしカイトの側にも力があって、踏ん張りが利くかどうかというのは、咄嗟の際などに影響してくる。

こうしてカイトの側からも夫の体に絡みつき、しがみつくなら、姿勢の安定度はかなりのものだ。夫の支えと併せて、盤石であると――

思うことで、カイトは自らの足の、本能的であるがゆえに誤魔化しの利かない動きを、自らに誤魔化した。

往生際は悪い。

悪いが、誤魔化さなければとてもいられないことというのは、往々、存在する。

とにかく小卓に背を預けて間断を置かず、がくぽはカイトの腹へ約束の、『もっといいもの』を与えてくれた。それを『もっといいもの』だと認めるのも、カイトとしてはどうかと思うところだが。

「んん、ぁ、ぁああぅ…っ」

ぎちぎちと、狭くきつく締まる場所に捻じこまれ、カイトは熱を持った吐息とともに、瞳を細めた。まるで甘えるねこのように夫へと懐いていた足にもくっと力が入り、捻じこまれるものとともに夫の腰をも締め上げる。

二月という時間以上に、何度もなんどもくり返した行為だ。いい加減、緩んで締まりがなくなってもいいのではないかとカイトは思うが、花の特性であるのか、そういう器官であるということなのか――

ことの初めにはどうしてもきつく、捻じこまれる感が拭えない。

馴れがあるとしたら体ではなく、気の持ちようだ。今、無理やりに押し広げて腹の内に入ってきたものは、『とってもとってもおいしいごちそう』であるという『学習』と、入りきってしばらくすれば馴染んで、このうえない感覚を与えてくれるのだという、やはり認めるに難のある期待と。

「ん、くぅう、は、ぁ」

「カイトさま」

奥の奥へと突きこむ雄に、カイトは耐えきれず、ぶるりと背を震わせる。反射の動きで、仰け反った。

預けているとはいえ、背が乗るのは小卓だ。がくぽも身を倒し、抱えるようにして支えてくれてはいるが、一瞬、揺らぐことは揺らいだ。

きっと夫が支えてくれるという信頼とは別に、咄嗟に伸びる手がある。

さらなる安定と安全とを求め、カイトはがくぽの背に手を掛けた。

くつろげはしたものの、がくぽは上着を羽織ったままだから、指先を当てただけでは滑る。止まろうとする指が、く、と立ち、爪が――

「っっ!!」

「――カイト、さま?」

はっと瞳を見開き、震えたカイトのそれは今までの、快楽に因るものとはあからさまに違った。だけでなく、縋ろうとした指も浮き、離れる。

きつさを堪えながら慎重に身を進めていたがくぽも違和感に止まり、訝しげにカイトを見た。

合った目は、怯えを宿して揺らぐそれだ。

「……」

「……」

微妙な沈黙とともに、互いに見合うこと、しばらく――

そう、『見合う』だ。

昨日もそうだったが、場所が場所だからなのか。がくぽはいつものようにカイトを後ろ向きにせず、前から挑んできた。

もとよりがくぽにカイトの様子は筒抜けだったが、より以上に表情や、こまかなところを窺うことができる。

昨日は言っても、諸々の結果、カイトの正気が薄かった。カイトは『カイト』というよりは、『花』として享楽に耽り、夫を愉しんで、悦んだ。

が、今日は違う。

今日のカイトは、極めた羞恥に判断を誤った程度で、そうまで正気が薄いというわけではない。

理性があり、正気があり、それでこうして、がくぽと対している――

ざわりと、がくぽの背に負う翼が、羽を立てた。

――ような気が、カイトにはした。理由はわからない。

ただ夫が急速に引いていくような気配を、濃厚に感じた。それも理由がわからない。

理由がわからなくとも、『引かれる』ということに対して、カイトは咄嗟に反応した。

腰に絡む足にいっそうの力が入ると同時に、一度は浮いた指が、夫を引き留めるために戻る。背にかかり、く、と力を入れ、――

すぐと体を引き剥がそうにも、腰に絡む足がある。こういうときばかりは成年男性たるを発揮し、なかなかの力でもって、夫を締め上げるそれだ。

がくぽは伸し掛かった格好まま視線だけ逃し、苦渋の表情でくちびるを開いた。

「――カイト様、今ひとたび、………もうひとたび、訊きましょう。私に、……正面から抱かれることは、お厭ですか正面から、………私の姿を見ながら、抱かれることは」

「?!」

力を入れるたびに引きつり、カイトの指はどうしても逃げる。表情は隠しきれずに怯えを浮かべ、はっとしたように正面の夫を確かめる。

それを――おそらくなにか、誤解されたのだろうとは、カイトも察した。察したが、どう誤解されたのかというところが、わからなかった。

そもそも罪悪を抱えるカイトの指は逃げるが、『根』へと意味を変えた現金な足は夫に絡んだままで、捻じこまれた雄の存在感も生々しい。

生々しいとはいえ、表の姿同様、しょげ返っている感はあるのだが、しかしあるものはある。冷静にして平静な思考の妨げとなること、著しい。

否、だからそうだ、『しょげ返っている』だ。

夜の少年とは違い、概ねにおいて自信と余裕とに溢れた態度を取る昼の青年が、この状態になってまさか、ひどく怯え、おそれるような風情を醸している。

――おそれ?

なにかが引っかかったものの、うまく記憶が繋がらない。カイトは答えを見出せないまま、懸命にがくぽの様子を確かめた。

「ぁ……く、ぽ?」

「夜はいいでしょう、けれど、昼です。今です。『私』の姿をまともに見ながらというのは、――おつらいのでは?」

重ねて問われ、カイトはさらなる混乱を抱えた。

つらいかと訊かれれば、否定はしきれない。しかしどうつらいかと訊かれると、返答に窮するところだ。

それは、答えが明確とならないからではない。答えは厭になるほど、はっきりしている。

この並外れた美貌が快楽に染まって歪み、凄絶なまでの色香を滴らせるのは心臓に悪いという。

自分がまるで、うぶな少女ででもあるかのような動悸を抑えきれず、おかしな具合に正気が飛びそうで――

といった内実など、カイトとしてはやはり、伝え難い。ましてやあの、例の、爆発するような大笑癖を持つ昼の青年には、まったく言いたい気がしない。

この状況で――つまり夫の雄を腹の内に受け入れているという、それも含めてということだが――、ああまで笑われてみろ。

意味を『根』に変えたことで完全に夫寄りとなった足だとて、さすがにこの場から逃げるため、駆けるだろう。

しかし幸いにと言うか、おそらくがくぽの問いは、そういったことを指していない。

指していないだろうが、そうなるとカイトには、なにをして『つらい』と慮られているものか、さっぱり理解が及ばなかった。

そもそもは夫こそがまず、誤解している。ことの初め、カイトを思いやらなければと夫が思いつく、発端だ。きっと誤解しているはずだと、カイトは思う。

なぜならいかに夫が敏かろうとも、この理由をすぐと思いつけるわけがないからだ。

背に縋ろうとしたカイトがはたと正気に返り、指を浮かせ、あまつさえ怯えた。

なにに怯えたのかということだ。

これは、カイトには明白だった。

夫の背に、指を縋らせること――縋る指が、背に爪を立て、抉りこませる。

ただ運ぶために抱き上げられ、背に縋るなら、カイトもそうそう深く思い煩うことはない。

けれど今こうして、がくぽに『妻』として抱かれるとき、求められて、貪らされるようなとき――

蘇る感触がある。

忘れられず、一瞬で腹を凍えさせられる記憶が、指先に、爪に、鮮明に残っている。

あれはあれで仕方がなかったのだと、思う。良策でもなく最善でもなかったが、しかしほかの方策が取れる状況でもなかった。

結果として、うまくいきもした。

カイトだとてそれらすべてはわかっていて、けれど指先に残った記憶が鮮明で、消えない。

自らがなにをしたのか、突きつけられたあの瞬間が強くつよくつよく蘇って、こころが凍える。

傷を、抉った。

夫が南王との初めの戦いで背に負った、呪いだ。傷と言うも惨たらしい、ひどいものだった。

あの傷を、カイトは抉ったのだ。自らの意思でもって指を立て、爪を喰いこませた。

夫をいたぶろうとしたわけではないし、嬲りたかったわけでもない。難はあっても言うなら、救いたかった。報いたかったのだ。

望みは叶え、果たし――それでも未だ、消えない。消せない。カイトは自らを赦せない。

これまでは、良かったのだ。がくぽは、妻とはしても男であるカイトの体を思いやって、後ろ向きにしていた。忘我となったカイトが迂闊にも背に縋り、爪を立てるような体勢にならなかったのだ。

けれど昨日から、少なくとも昼の青年は、正面から対してくる。

場所も悪い。不安定で、どうしても縋るよすがを多く、求めたくなる。それで忘我となり、あるいは咄嗟に、カイトの手はがくぽの背に伸びる――

夜ならともかく、昼だ。背には傷どころか、隆々たる翼がある。

もはや問題などないのだと、ここまであからさまに見せつけられていてすら、カイトは咄嗟に怯える。怯えずにはおれないのだ。

こともここまでこじれると、どうすればいいものか、カイトにはまるでわからない。

わからないからカイトはただ記憶に震え、首を振った。横に、それはがくぽの誤解に対する否定だが、瞳には怯えが、涙がある。

「カイト様、無理は…」

案の定で真意など伝わらず、がくぽはさらに瞳を伏せた。支えていた手が、絡みつく足を割り開き、体を抜く動きへと変わる。

引いていく。

夫が、がくぽが、夫が、離れる。カイトから、遠く、とおく、『とおく』――!

「つ、めがっ!!」

「…え?」

夫の体だけでなく、こころまで引いていく感覚に、カイトは惑乱して叫んだ。

昨日までの不安定さが急激に戻り、息が詰まる。否、解消されたという安堵のなかにいただけ、昨日までよりよほどにつらく、堪えた。

浮かせたカイトの指もあえなく戻り、けれど背にまでは回らず、自らの目で見て確かめられる範囲の、夫の二の腕に縋りつく。

「つめ、が、傷――おまえの、背、を」

「……んん?」

惑乱がひどく、切れぎれの単語を吐きだすことが精いっぱいのカイトだが、それでもがくぽは自らの誤解に思い至ってくれたらしい。

訝しみ、真意を測ろうとする目がカイトに戻った。未だ戸惑いながらも、カイトから離れるしぐさはなくなる。

がくぽは留まってくれたが、カイトがそれで落ち着くことはなかった。縋る指にはむしろ、先以上に力が入り、爪が立つ。

「おまえ、の、傷……背を、つめが、――のこって」

言いながら、カイトは自分がひどく情けなかった。

こんなことをいつまでも気に病むなど、覚悟が足らない証だ。

覚悟もなくやるから、後を引くようなことになる。

「傷…きず、ですか背……私の昨日のこと――では、ない。ええ……?」

脈絡も不明なまま吐きだされる単語を拾い、返してその反応をまた拾いとくり返し、がくぽは懸命にカイトの真意を探り、追う。

追って、積み上げ、類推し――

その顔がやがて、訝しさから驚愕に取って変わり、がくぽはむしろ愕然と叫んだ。

「えあの、まさか…まさかというものですが、あのことを悔いていたりするのですか私に痛みを与えたと傷をつけたとええ、まさかその後にあなたが成してくださったことをお忘れか?!おかげで私はあれの呪いから解放されたというのに、なんだってそんな些少なことを!」

愕然と、悲鳴じみて叫ぶ。そこに非難の色はない。

カイトが『そんなもの』を悔いているということにはあるかもしれないが、カイトが為したこと自体への非難は、いっさいない。

カイトとて、わかっている。がくぽの言い分こそ、もっともなのだ。

がくぽが負ったのは、ただの傷ではなかった。南王が与えた呪いだ。人智を超えたという意味で『魔』の冠を与えられた、災厄と同義で語られる南王が施した――

ただびとにはとても、解くすべなどなかった。諾々と容れ、死を、あるいは狂う日を待つしかなかった。

がくぽには、わかっていた。

であればこそ、がくぽはカイトに傷を隠し続けたのだ。騎士としての意地や少年の矜持もあったろうが、手の施しようがないのだという絶望を、カイトへ与えないためにこそ。

それをカイトは暴き、だけでなく、解いた。

手の施しようがないなど、とんでもない――見込み違いもいいところだった。それも、いい意味でだ。これほどうれしい『見込み違い』など、そうあるものではない。

カイトがいればこそ、がくぽは永らえた。

あそこでカイトが傷を暴けばこそ、がくぽは狂う前に、救いを得ることができたのだ。

そのことはきっと、カイトよりもがくぽに理解が深い。なぜならカイトにとって呪術は遠い話だが、がくぽにとってはあまりに身近であるからだ。

カイトが不明なまま、手の施しようがないのではとうすらぼんやり思うより、もっと確かにがくぽには理解できていた。それこそ、『それでも尽くせる手は尽くそう』という希望を抱く隙もないほどに。

なおのこと、がくぽにとってはカイトの『罪』が些少となる。否、そもそも存在しないものとすら。

どころか、自らこそがつみびとだ。カイトの力を侮り、思いやりを装って挙句、無為と事態をこじらせたと。

それもわかっている。

カイトには、よくわかっている――

わかったうえで、けれど消えないのだ。蘇り、苛まれる。

そして赦せない。自らの為しようが、まるで赦せない。

「え………ぇええ………つまりほんとうに、あなたはあれを気にしていらっしゃるその、私の姿を見ながらというのが、私と正面から対するというのが、ええ、気が進まないとか、厭だとか、そういったことではなく……」

「っから、なんだっ?!なにを、ってるか、わからな、ぃっ!!」

未だ割りきることができないことに、自分でも忸怩たるものを抱いていることだ。

がくぽが念を押すのが、不甲斐ないカイトをからかったり、いたぶる意図でないとは、わかっている。

理解に苦しむことだからで、ほんとうにそれで了解していいのか、あまりに不安であるから、念を押さずにはおれないのだと。

悪意も他意もなく、あるのは思いやりだが、今はつらい。

『その程度のこと』でしかないものを、こうまで引きずるなど、カイトはますますもって自分が不甲斐なく、情けない。

反って、自棄を極めてきた。

カイトはぐすぐすと洟を啜りながら、困惑を隠しきれずにいるがくぽを、きっとして睨みつける。

「まぇ、が、なんだと……っ、ゎかるよ、に、言えっぜんっぜ、わから、なっ!!」

「いえあのカイト様?!わからないって、さっき私、追加で爪とか牙とかもはい、ほんとなんでもないですええ、これこそ些少というものですね、そうですね?!」

「…っ」

ぐすぐすぐすと、カイトは洟を啜った。もう少しで、涙までこぼれるところだ。堪える瞳は逆々で、険しさを増しているが。

ひたすら恨みがましい目で見つめるカイトから、がくぽは顔を逸らした。横にではない。天へと向けてだ。理解を放りだした顔で、天を仰いだ。

ほんの束の間のことだ。

がくぽはすぐに顔を戻し、顔のみならず、体もカイトへと倒した。首元に鼻が埋まり、すんと、嗅がれる音がする。

「んっ…っ」

くすぐられる首の感触と、なにより腹の内で『しょげ返って』いたものの、復活の兆しと――

相俟って、カイトはぶるりと震えて身を竦めた。同時にがくぽを呑みこむ奥所もきゅうっと締まり、ますますもって夫の存在を感じる。

きっと夫を誘い、煽る『花』の香も強くなっただろう。ある意味で悪循環であり、ある意味でもってこれ以上ない――

「ぁ……あ、あ」

「まあ、そうですね」

震え仰け反り、縋る腕に爪を立てたカイトに、がくぽは笑う。一度は曇ったものが、晴れやかに――

今度こそ、嘘偽りもなく、すべてが晴れたとばかりに、明るく。

「あれの呪いを解いたことを考えれば、私にとってはやはり、些少ですらまだ、余るほどのことですが……それでもあなたが、まさか私のことで気に病まれるというなら、些少と捨て置くわけにもいきますまいよ。というわけで」

――というわけで、だ。

首元から上げたがくぽの顔は悪戯っぽい光を宿して、まるで少年のようだった。

今は昼で、夫は青年だ。

けれど緊張に凝り固まりながら懸命に背伸びする少年より、のびやかに生きる大人のほうが、よほどに子供じみる。

そして往々、大人であるがために子供より、よほどに性質が悪い。