B.Y.L.M.

ACT6-scene13

「『彼のもの望むならば砂地にも花が咲き、緑萌え盛らん。彼のもの往きし跡に村ができ、街が生まれ、集って国と成る。彼のもの、自らは花と称し、ひとは王と呼す。彼のものは花、彼のものは王、彼のもの花を従う<王の花>なる』……」

『王の花』は、遥か昔――すでに滅びて跡形もない国の、わずかに現存する史書、その建国記の初めに記述があるのだという。

うろ覚えだと言いながら、がくぽは由来であるというその一節を、きれいに暗誦してみせた。

もしかすると南王の呼びかけを聞いてから、なにかしらの危惧を覚え、改めて読み直していたのかもしれない。

なんだかんだと腐しはしても、南王とはそういう存在であるからだ。だからなおのこと、腐さずにはおれないというのも、ある。

「――まあ、当時の文法ですか。経年として、千とは言いませんが、ゆうに七、八百は昔の史書ですから。ために、現在の用法で正とされる『花の王』ではなく、『王の花』の語順かと……そうでなくとも、どうにも癖の多い文体でしてね。読むに苦労するのですよ。そうですね、今に直すなら、『王たる花』となりますか?」

なんでもないように解説を入れたうえで、がくぽは軽く、肩を竦めた。

「ものが建国記で、それも記述が初めのほうです。国は異なれ、建国記というものの大概がその性格上、まずは時の王権の正当性を主張し、強調するために、神の加護や奇跡の御業といったものを捏造……あるいは誇張して、記述するものでしょう?」

その一種だと思っていたのだと、がくぽは語った。なにかしら『花』が関わっていた可能性は高いが、実在したそのものを素直に記したわけではなく、捏造したか、箔付けに誇張したかだろうと。

相変わらず膝の上にはあれ、凭れかかることは止めているカイトはそんながくぽを眺め、愁眉だった。嫌な予感が否定しきれず、説明が加えられるだに表情は曇っていく。

「それは、私も読むことが可能か?」

試しにと訊いたカイトに、がくぽは深く考える様子もなく頷いた。

「ええ、カイト様でしたら――というよりあれでしたら、私よりカイト様のほうが、馴染みがあるやも」

深く考える様子もなく、つまり、カイトの意図に思い至ることもなく、がくぽはあっさりと言った。

「もとは、西方のものですから。哥の国と、あの近辺の……二ツ代か、三ツ代か前ですか。細かな差異はあれ、言語自体の流れは汲んでいるのでしょう神代詞はさわり程度というお話でしたが、確か、哥にあられるときには、五、六百余年昔の書も、手慰みで読んでおられた。実のところ南方の古語は、神代詞の派生が強くて……私もそれでつい、神代詞の流れで読むので、いったん分断されて発展したあのあたりの古語は、実は今ひとつ不得手で」

「そうだな……」

「カイト様?」

とうとう、堪えきれずに額を押さえたカイトを、がくぽは不思議そうに見た。

案の定だった。

おそらくその史書なら、きっとカイトも読んだことがある。ただし初めのほうの記述など、ほとんど覚えていないが。

がくぽが暗誦してみせた、初めのほうだという一節を聞いたときに、予感がしたのだ。もしかしてこれは、西方のものかもしれないと。ならば自分が過去に読んだ、あるいは修めたことのあるものかもしれないと。

なぜなら砂漠を――砂地を面積のほとんどとして抱えるのは、西方だけだからだ。

西方に於いて、なにもなく緑が豊かであるのは、北方との境となる山地か、あるいは東方と隔てる世界の中央、草原地帯付近か――

砂地の内にたまさかある緑地に集い、生きるのが西方諸国だ。

西方における各国の大小、もしくは強弱、貧富とはだから、単なる国土のことを差さない。抱える緑地面積と、水資源の総体をして、判断されるのだ。

そういう西方諸国であれば、建国記の初めのほとんどが、まずこの砂地にどうやって国を建てたかというところに費やされる。どう緑地を生み、増やして、ひとが集えるほどにしたかという。

しかしまさか、『花』についての記述があったなど、まるで記憶にない。

南王の求めがあってからあれほど騒動し、書記官や学者といったものが、片っ端から書物を紐解いていったというのに――

カイトもまた、読んでいただろう書物と思われるのにだ。

いみじくも、理由はがくぽが言っていたものと同じだ。

建国記の初めはどうしても、時の王権の正当性を訴え、高めるため、現実から乖離した奇跡や、あるいは神話そのものを捏造しやすい。

たとえば今世に続くとされる、後代神期の挿話がそうだ。

前代神期の挿話の荒唐無稽さに比べ、後代のそれは、現実に毛を生やした程度のものが多い。

また、前代神期の挿話に地域差がほとんどなく、共通のものが多いのに対し、後代神期となると地域色が濃くなり、共通の挿話を探すほうが難しくなる。

これらの理由がつまり、隆盛をくり返す国家の、つどつどに正当性を主張して編まれる建国記だ。その冒頭に必ず挟まれる、王が王たるに、信任を誰から得たのかという。

ただびとなれば、信任は王から得れば正当性の主張は成る。

ならば、ひとの最上位たる王に信任を与えられるは、誰か。

神だ。

――結果、当時あったものを改変し、あるいは新たに捏造されとするのが神話であり、今世に続く後代神期の挿話の多様性と矛盾、そして生臭さだ。

だからカイトもきっと、前半は読み飛ばした。前半でもさらに、ことに初めのほうとなれば、後半を読む際の一助程度の気持ちだ。

流れを押さえることは押さえたが、重要な記述ではないと、記憶もしなかった。

なにを学んでいたのかとは思うが、それで構わない世界にいたという話でもある。むしろ前半などをまじめに斟酌しているようでは、通用しない世界に。

必要が変わったなら、気がついたところから改めていけばいいだけの話だ。

割りきって、カイトはすぐ顔を上げた。

「あとで読む。貸してくれ」

「……お望みとあらば」

がくぽは相変わらず、不思議そうにカイトを見ている。衝撃を受けたことはわかったが、なにに受けたか、その内実までは見通せないようだ。

まさか一度読んだことがあるだろうと、その内容を覚えていないのかということに、発想は及ばない。敏い男ではあるが、おそらくそこにこだわる性質ではないのだろう。

自分は覚えていたくせにと、微妙な恨みがましさが八つ当たりで浮かぶが、カイトはこれもすぐ、思いきった。

これまでの夫を見るに、どうも南方人だからという範囲に収まらず、花を好む。自分の身に絡むということはあれ、庭の様態を見ても、カイトに対する端々の態度からしても、もとより好意があればこそと感じる部分は多い。

好きなものであれば詳しくもなろうし、偽書偽典を疑っても、記述があったことを記憶の端に留めおくことはするだろう。

カイトは表情を和らげ、未だ首を傾げるような夫を見返した。

「それでおまえの見解を聞きたい。過去の可否正否はいい。まず、それと『花』とは、どう違う?」

「……そうですね」

問いに、がくぽはひと瞬きした。視線が、ちらりと西の空を見る。周囲の景色も、そろそろ色づいてきた。夜を庭で過ごさないためには、屋敷内に戻る機会も検討を始めなければならないだろう。

だとしても構わず、カイトは夫を見つめていた。

がくぽもまた、長くは待たせない。

「そこが、もっとも違いますが」

カイトを見つめ、言う。

今度、瞳を瞬かせたのはカイトのほうだ。どこを指して言われたものかと、戸惑いながら、無理のない範囲で自分の姿を確かめた。

がくぽといえば、そんなカイトを見て笑う。

「ですから、――たとえば私は、最前よりずっと、あなたは『花』として異質であると、言い続けてきた。間違いなく『花』であるが、意思の疎通にも不便を生じないし、感情の表出にしても、そうです。あなたはひとの身であったときと、ほとんど変わらない」

覚えているかと窺われ、カイトは慎重に頷いた。

忘れようもない――棘にも似た形で、常にカイトの意識にそれはある。

ならば自分はなんであるのかと。

これで、このままで、ほんとうに良いのかと。

迷いと惑いを読み取って、がくぽは笑う。やさしく、やわらかな笑みだが、続く言葉に容赦はない。

「『花』は違う。くり返しますが、『花』とは一般に、ひとの見た形をしただけの植生です。その生まれにこそ特異な点はあれ、しかし植生です。『花』として咲き開いてのち、そうなのかと首を傾げられることはない。なにより自分で首を傾げることなど、決して、ない。様態がもはや、植生でしかないからです。ひとがおいそれと擬態できる範囲も超えて、あれらは植生だ」

きっぱりと、言いきる。引かれる線があり、絶対的な断絶がそこに敷かれている。

カイトはわずかに委縮し、がくぽから身を引いた。どうせ狭い椅子の上の話であり、夫の膝から降りるわけでもない。挙句、カイトの足は動かないのだ。たかが知れている。

よくよく理解しているだろうが、カイトを抱くがくぽの手には力が入った。腰をぐいと押され、引いた分を戻される感がある。逃がすまいとする動きだ。そしてこれは反射であって、がくぽの意図は後追いだ。

逃げるわけではないと知らせることで落ち着かせようと、カイトはがくぽへ手を滑らせた。

胸のあたりの生地を軽く、つまむ。意図したものとは別だが、なにかをせがむようでもあるし、甘えるようなしぐさでもあった。

感触にカイトの動きを確かめたがくぽが、どこか呆れたような色を浮かべた。腰を戻した手の力は緩んだから、当初の目的は果たしたことにはなるが、この反応は微妙だ。気になる。

なにかまずかったろうかと首を傾げるカイトに、がくぽのくちびるからは小さなため息がこぼれた。

「どうしたって、あなたという方は、まじめな話をしているときに――それも、あなたからせがんでおきながら、です。そうも愛らしく振る舞って、私の理性を試すのです確かめられたところで、もとよりありませんよああ、ええ、あなたに関してということですが」

「なんの話だ?!」

非常にろくでもないことを、堂々と主張されたような気がする。

理解が及ばないまま、ひくりと引きつって返したカイトに、がくぽは肩を竦めただけで終えた。

相変わらず、表情には呆れた色がある。

美貌も過ぎ越した相手にこれをやられると、受ける衝撃が重い。

言葉を失ったカイトをいいことに、がくぽはあっさりと話題を戻した。

「その、『花』として異質である点の多くですが、――『王の花』として考えれば、合点がいきます。あくまでも、史書の記述を真なりとした場合ということですが……そも、捏造か誇張ではないかと私が首を傾げたのが結局、『王の花』の振る舞いの、人間離れしないことです。ひとにとって都合が良過ぎる。会話はできるし、感情も通じる。それで、気心知れたひとの頼みを聞き、砂地を緑化していく――というのは、どうにも…」

これまでにがくぽが語った『花』を思い起こして比べれば、カイトにも言いたいことはわかる。

確かにがくぽの話にこれまで出てきた『花』と、史書に記述されているという『王の花』の様態は、あまりにかけ離れている。まるで別物だ。

逆に、カイトとの類似点は多い。

ふと、がくぽの笑みが苦みを刷いた。視線がカイトからずれ、地に伸びる影を見る。

「業腹なことです。であればこそ今さらあれも、『花』に手を伸ばす気になったのでしょう。単なる『花』なら、生した子を喰いきるほうに利があるが、『王の花』なれば手元に置いておくに価値があると。莫迦にしてくれたものです」

「……」

これに関して、カイトは注意深く沈黙を守った。言葉もだが、表情も含めた態度のすべてもだ。

がくぽは『莫迦にして』と南王を詰っているが、これはおそらくきょうだいをも含めた、南王の子のことを言っているのではない。

カイトのことだ。カイトのことを『莫迦にした』と、がくぽは南王に憤りを抱いている。

詳細がわからないから、カイトには南王がほんとうに舐めてかかってきたのかもわからない。

否、舐める舐めない以前の問題という気がする。そもそも南王だ。人智を超えたという意味で『魔』の冠を与えられた。

対してカイトはただびとであり、今となれば――表現が難しいが、つまり、力弱い『花』だ。

少なくとも南王がカイトを手折るのは、ひどく簡単なことだろう。それこそ、赤子の手をひねるようなものだ。

反対にカイトが南王を『手折る』のは、困難以前に不可能だ。手折る以前に、ほんのわずかなかすり傷をつけるのさえ、難儀するだろう。

一度はその首を掻き飛ばしたがくぽと違い、カイトでは比較のしようもないというものだ。舐められたところで、文句のつけようもない。

だが、それとこれとはまた別に、もとよりがくぽは『花』に対する思い入れが強いという感がある。

南方における『花』の扱いを説明するに、信仰の対象であると言うことがあるが、どちらかといえばこちら寄りの考えなのではないかと。

諸々思い余ってカイトを妻と為し、夫婦となりはしたが、本来的にはがくぽもまた、『花』を生き神として崇める側の立場なのだろう。日常の端々、言動の節々に、そういった姿勢が透けて見える。

であればこそなおのこと、元は主として仕えていたカイトに対し、いつまでたっても騎士としての姿勢が抜けない。ますますもって前途が暗いし、困難で、面倒なのだ。