B.Y.L.M.

ACT7-scene10

カイトの胡乱を受け止めたがくぽは首を竦めたが、譲らなかった。

「私の妬心の強さなど、先刻ご承知でしょう。なんにでも妬きますよ言いますが、ときにあなたと通じる花にも、妬きますとも」

きっぱり言いきって胸を張る青年に、その背で威風堂々開いて援護する翼の有りように、カイトは頭痛を覚え、眉間を押さえた。ため息とともに、吐きだす。

「少しは悪びれなさい」

「お断りします」

「っ!」

「っ」

即答が返り、カイトは鋭い目をがくぽに投げた。が、合う前にさっと、目が逸らされる。

騎士たる身で逃げを打つにためらいがないとは、どういうことか。

カイトはさらに厳しく見据えていたが、やがてふっと、その瞳はやわらいだ。

生き生きと、語るものだ。騎士団時代のことだが。

南王の企みがあって、偽りとともに押しこまれた場所だ。重ねて、謝れないという性質のためしばしば、苦境にも陥ったようだが――

居心地が良かったのだと、わかる。

カイトの騎士団にあって暮らすことは、日々を過ごすことは、がくぽにとって愉しかったのだと。

企みであり、偽りであり、いずれすぐ、失われるものではあった。

是非は置く。

がくぽの為したこと、負った役割の是非は置き、カイトの想いを素直に言葉にするなら――

ただ、うれしい。

年頃だけが理由でもなく扱いの難しい夫を、カイトの騎士団は仲間として受け入れ、教え諭し、愛おしんでくれたのだ。

今はもう遠い。

それでもなお、彼らは誇りだ。昔も、今も、これからもきっと、ずっと――

こころの内で感謝を捧げるカイトの雰囲気のやわらぎを、さすがに気配に敏い騎士は読み取る。

おそるおそるといった風情で顔を戻したがくぽへ、カイトは手に持ったままだった空の椀皿を差しだした。

「たくさんあるのだろう頼む」

「ええ――はい、今、すぐに」

与えられた赦しに、がくぽはあからさまに安堵し、歓んだ。言葉どおりすぐさま、追加を用意する。

ふわふわと湯気が立ってもすぐ飲めるよう、温度だけはよく調整したものを、再びカイトに渡し――

「………これはなんだ」

「椅子です」

一応、特定の感情をこめることなく、平らかに均した声で訊いたカイトへ、がくぽはまるで悪びれずに答えた。

カイトの目が眇められ、椅子と自称して憚らない夫を見る。

新たなひと皿を用意したがくぽは、今度は傍らに立ったままではいなかった。

長椅子の傍らの、書物が山と積み上げられた小卓に椀皿を置くと、まずはカイトを抱き上げる。空白となった長椅子にすばやく腰かけると、抱き上げたカイトを自分の膝に置いた。

そうやってから、小卓に置いていた新たな椀皿をカイトに渡すという。

実によく馴れた流れというものだった。あまりに自然と動かれ、動かされて、カイトははじめ、違和感を持てなかった。

膝に上げられた状態でごく素直に椀皿を受け取り、口を寄せる。

はたと気がついたのが、ひと口含んだところでだった。

立ったままでいろとは言わないが、いったいどうしてカイトを膝に上げ、座る必要があるのか。

巨大な翼を背に負う昼の夫は、背もたれのある椅子が苦手だ。大体いつでも、翼と背もたれとが折り合わずにいる。

ために、普段は長椅子の傍らに置いた、背もたれのないほうの椅子に腰かける。

今は、だから長椅子だ。案の定で翼と背もたれとが折り合わず、まっすぐ座れずにいる。微妙に体の向きをずらし、斜めに腰かける形だ。

そうまでして、挙句、どうしてカイトを膝に抱えて座る必要があるのか。幾重にも、理解不能だ。

そもそもカイトはひと息入れようと、飲み物を手にしたところでもある。

不審を隠しもしない妻の目つきに、がくぽはわざとらしく、情けない顔となってみせた。

「つれないことをおっしゃらないでください……休憩中でしょうならば、放り置かれて寂しい思いをしていたあなたの夫を、少しは構ってやってもらえませんか」

なにを言っているのかと、カイトはさらに胡乱な目つきとなって、がくぽを見る。がくぽは一度、軽く天を仰いだ。

切り替えが早いのも、昼の青年の特徴だ。

憐れみを訴えても通じないと見ると、すぐさま、策を変えてきた。情けなく乞うものから、陶然と微笑み、うやむやに篭絡するそれへだ。

流れがある。つい、まともに見てしまったカイトは、これが策謀だとわかっているにも関わらず、びくりと震えた。動悸が激しく、妖しくなり、耳朶がかっと、熱を持つ。

警戒と、諸々相俟って固まった体を、がくぽは構わず抱きこんだ。ことさらに熱を浮かべた切れ長の瞳で至近距離からカイトを覗きこみ、紅を塗らずとも艶めいて彩るくちびるを、とろりと開く。

「ほんの数日前までは、日中、あなたは乞わずとも、常に私の腕のなかにいてくださった。暑さにうだりながらも、私のことは離さずいてくださったのに……雨が降り始めてからの、ここ数日といったら、どうですいっそ肌寒くすらなったはずなのに、あなたときたら私を遠ざけて、書に読み耽るばかり。妨げとなって厭われるようなことがあればと危ぶめば、大人にもしておりましたが………せめてひと休みの間くらい、夫の腕に戻ってくださっても、罰は当たりますまい?」

「ぅ、く……っ」

――繰り言だ。要するに。

しかし切なく掻き口説く調子でやられ、カイトはうまい反論も思いつけずただ、呻いた。頬が熱い。全身が火照る。

確かに暑いなか、がくぽにしがみついていたのはほんとうだ。

ただあれは、理由が違う。そういう意味で言えば、雨が降りだしてから『落ち着いた』のは、がくぽのほうだろう。

否、もしかして――鍋に集中することで、余計な考えを振り払えたのだろうか。

最前、騎士団長も言っていたことがある。むしゃくしゃしたなら鍋を仕込み、ひたすら延々と、灰汁を取ることのみに集中するのだと。そうしているうちに、鍋の灰汁とともに己のこころの灰汁も掬われ、軽くなる。

そして気が晴れたころには、よく澄んで、透明に輝きうつくしく、極上の旨みを持った逸品もできあがっているという寸法だ。

悩みを払ったあとに飲むそれはまた、格別の味だと――

カイトを不安定に陥らせることに、がくぽが諾々としていられるわけもない。自分のこころ向きに問題があるのではと疑えば、払うための手立ては打つだろう。

謝る言葉を吐きこぼせないだけで、身を改めることは厭わない夫だ。

悪びれずとも、誠実さはある。省みて、改める謙虚さも。――それが反って、ことをややこしくしている面は否めないが。

とにもかくにも、この美貌だ。間近の正面からまともに対していては、できる判断もできなくなる。

異形の、魔性の美貌とはよく言ったもので、離せなくなるのは目だけでなく、思考もだ。吸い上げられて、すべて言うなりでいいと思ってしまう。たとえ謀られていることが、わかりきっていたとしてもだ。

まずはなんとか目を離す方法をと、足掻きつつも甲斐なく見入ったまま、カイトは戦慄くくちびるを懸命に開いた。

「よ、夜には、必ず……っ」

「まあ、そうなんですがね」

あっさり言って軽く身を引き、がくぽはカイトを抱えこむ手にあえかな力を入れた。煽るようではなく、確かめるように、体を撫でる。

「っん、っ……っ」

――それでも小さく呻いて震えた体に、がくぽは瞳を細めた。笑う。

「夜はまだ、『小さい』でしょう夜がこうやってあなたを抱えこもうとすれば、未だしがみつくようではないですか。あれはあれで乙ですが、しかしあなたが私の腕のなかに、こうしてすっぽり嵌まっている感触も恋しい。あなたのすべてが、私の手のなかに確かにあるのだという」

熱烈な言葉を吐かれたが、カイトはわずかに呆れた。それでようやく、迫る美貌の威容から片足ほど、抜け出る。

「『小さい』って、………おまえ、夜になったら自分で地団駄を踏むんだろうに」

つい、こぼす。なだめる側の自分の身にもなってくれという話だ。

片足ほど抜けて言うことも言えれば、ずいぶん解放される。

カイトはどうにか美貌から顔を逸らし、危うく抱えたままだった椀皿に目をやった。

相変わらず、温度にこだわりがある夫だ。呪術で留め置かれたそれは未だふわふわとした湯気を、堪らない香気とともに立てていた。

多少、冷めたところで味が落ちるとも思われないが、こころ遣いはありがたい。

カイトはさらに気を落ち着けるため、会話の最中という不調法にも目を瞑って、くっとひと口、含んだ。

言われたがくぽといえば、軽く瞳を見張る。束の間だ。すぐ、微妙に情けない表情となった。

「よくご理解いただけているようで………結局、夜のみならず昼もまた、私はあなたに敵いませんね」

「だから、――なにを、言っている」

カイトは危うくむせそうになりながら、返した。思わず、呆れた顔を向ける。がくぽの手がすかさず伸び、カイトの顎を捉えた。

力もなく、軽く添えられた程度だが逃げられず、カイトは再びがくぽと見つめ合うことになる。

妙なる美貌だ。今は、ここ最近、構ってくれる時間の少なかった妻をなんとか篭絡せんと切羽詰まった挙句、いつも以上に気合いが入っている。

普段で十分以上なのだ。そう言っているのに、いっこうに覚えない。

それとも覚えたからこそ、ここぞとばかりに入れてくるのか。

ただ、カイトにはもはや、抵抗の余地もなかった。笑うがくぽの目が細められ、顔が近づく。伸びた舌がてろりと口の端を舐め、そこからくちびるを辿る。

「んっ、っ………っ」

走る痺れに、カイトはぶるりと震えた。手にまだ、椀皿を抱えている。なみなみと注がれた中身は口をつけたばかりで、そう減っていない。このままでは、せっかくのものを台無しにしてしまう。

「がく、…」

「大丈夫ですよ」

容赦を乞うカイトに、がくぽはそう、嘯いた。顎から離れた手が、カイトが抱える椀皿を取る。

「ぁ」

なんてことをと、カイトの非難は衝撃が強過ぎて、言葉にならなかった。

椀皿を取ったがくぽはためらいもなく自分の口につけると、中身をひと息に飲み干してしまったのだ。

事前に、十日も持つほどつくったと聞いていなければ、カイトはまるで幼子のような癇癪を起こしていたかもしれない。

それでも咄嗟に、恨みがましさは拭いきれない。カイトはほんとうにほんとうに、気に入っていたのだ。

もちろんカイトだとて、こんなことで拗ねるのは年甲斐もないと思うし、自重が足らないとも思う。

どうにも青年相手には幼な返りして、甘ったれの気質が強く出ることも自覚している。ますますもって、自重に務めなければと。

だとしてもだ。

夫のほうだとて、必死になるにもほどがあるというものではないか。

カイトのような事情を――花として生きるに、のっぴきならぬという――抱えているわけでもないくせに、たかが数日放り置いたところで、なんの支障が出るわけでもあるまいに。

「まあまあ…」

「なにが…」

恨みがましさと、自重をこころがけなければという、相反する思いに揺らいで微妙な目を向けるカイトへ、がくぽは誤魔化す笑みを浮かべた。なんの気もないふりでさっと目を逸らすと、くちびるを開く。

「♪」

ひと声うたうと、椀は自分勝手に浮き、ふよふよと小卓の上に行った。

ほんのわずかなれ、卓上に隙間もあるのだが、乗ったのは積んだ書物の上だ。こまかな操作ができないという可能性もあるが、カイトは思った。

まるで、書物を封印されたようだと。

妬心が強いと自ら言う夫が、妻のこころを奪った書物を封印した。

寂しい思いが埋まるまでは、次の書には手をつけさせないと。

穿ち過ぎかもとは思うが、大きく外れている気もしない。

だからいったい、どこまで必死なのだ。たかが数日、それも『放り置いた』と言っても、まるで接触がなかったわけではない。

だというのに、この夫はいったいどこまで、どれほどに――

「ふ、ふ…っ」

考えたらなんだかおかしくなって、カイトは吹きだした。あまり思ったことがなかったのだが、今はやたら、昼の青年がかわいらしく見える。

仕方がない。仕方のない男だ。仕方のない夫だ。そんなことは、先刻承知だ。

笑って、カイトはがくぽの首に手を回した。