B.Y.L.M.

ACT9-scene1

被害は四阿だけに止まらなかった。つくり差しの庭もだ。これから丈が伸び、花芽をつけるはずであった青々とした草が、無惨に踏みにじられ、散らされる。

当然のこと――

そう言って済ませたくはないが、当然のことではあった。

そもそも立ち回ることを考えてつくられた場所ではない。わずかに獣道ほどの幅の小路をいくつか通すだけで、あとはほとんど隙間もなく、花樹が埋め尽くしている庭だ。

そこで、南王が戦っているのだ。南王と、末の息子とがいのちを懸け、激しく切り結ぶ。

がくぽのほうに庭のことにまで気を配っている余裕がないのはもちろん、南王とても片手間に遊んでいるわけではなかった。

末の息子は一度、南王の首を掻き飛ばしている。

僥倖であったとしても、成したことは成したことだ。成し遂げる力を持っており、王の花を得て、ますます強くなった。

ましてや――

「あーあー………」

――南王の、二度目となる最期の言葉は、そういう慨嘆だった。諦めたような、呆れたような。

つぶやくように慨嘆しながら、胴から切り離され、首が掻き飛ばされる。

昼となる、少し前だった。

久方ぶりに覗いた日は未だ中天というに及ばず、これからまだまだと漲らせているところだった。

掻き飛ばしたがくぽは、血飛沫を浴びて真っ赤に染まりながら、肩で息をしていた。膝が、崩れる。

「…っ」

剣を立てて杖とし、地に膝を突く、すんでのところで堪えると、がくぽはゆるりと踵を返した。剣を重く引きずりながら、ずるずると進む。

進む先は、屋敷にほど近いところに植えた樹のそばだ。その根元――賭け代であり、がくぽがもっとも愛おしむ妻が、待つ場所。

全身を朱に染め、背を丸めて足を引きずりと、どう見ても重傷を負っているとわかる格好で向かってくるがくぽを、カイトはくちびるを噛み、激情を懸命に堪えて待った。

ほんとうは駆けだして行って、抱き留めてやりたい。

どこにどう怪我をしたものかすぐにでも検めて、治せるものは治してしまいたい。

普段、ろくに動かない足が、もぞついている。カイトが巌のように決意を固めていなければ、きっと願うまま、望むままに駆けだして行ったことだろう。

気が狂うほど――ほんとうには、さほどに長い時間というわけでもなかった。

それでも気が狂うかと思うほどの時間待って、カイトが堪えきれず、叫びながら立ち上がる、寸前。

あと一歩のところまで来たがくぽは、どさりと地に崩れ落ちた。否、膝を突き、カイトへ向かって礼を取った。

騎士の礼だ。

「……っ」

ひゅーっと。

ひゅー、ひゅー、と、掠れた息が、開いたくちびるからこぼれる。

カイトは泣きそうな心地で、血濡れで赤く光るくちびるを見つめていた。

もうあれほど泣いて、泣いてないてないて、涙など出尽くして枯れたと思ったのに、目は簡単に潤む。

そんな程度のものなのだ、と。

「か……ぃと、さま」

ようやくなんとか呼んで、がくぽは咳きこんだ。激しく咳きこみ、ごぼりと血塊を吐きだす。

下がった頭を上げられず、血涎を拭いもできずに伝わせながら、がくぽは笑った。笑ったと、カイトにはわかった。

そのまま、声がこぼれる。

「か、むぃ、がく、ぽ………ゃ、くめ、を、はた――し、ただ、ぃ、………帰投、いたし、まし、……っ」

「がくぽっ!」

――カイトが堪えられたのはここまでで、二度目の激しい咳こみに襲われる少年へ、倒れるように飛びついた。

目の前にいるからいいと、もう手が届くだろうと、あっという間に重みを取り戻した足に歯軋りするほど悔しい思いを募らせながら、懸命に身を寄せる。

相手が少年で良かったと、思った。

カイトが飛びつくや、がくぽは力を失い、素直にその身を任せてきたからだ。これが青年の身だったら、カイトは諸共、無様に潰れて、抱き留めることなどとても無理だったろう。

だから今、がくぽが少年であることは、いいことだった。

「がくぽ……がくぽ!」

呼びかけながら、カイトは素早く、がくぽの全身に視線を巡らせる。

どこもかしこも、血で染まって赤い。およそ赤くないところがない。

最後のさいご、南王の首から吹きだした血を避けられもせず、まともに浴びてしまったことも大きいだろう。

だがもちろん、それだけであるわけがない――それだけで、南王の首を掻き飛ばし、勝利を掴むなど、できはしない。

革製の軽装であっても鎧を、せめて鎖帷子だけでも着けていてくれれば、まだましであったろう。

状況が状況であったとはいえ、勧めてやれなかった自分が、カイトは情けなくて仕様がなかった。

「…っ」

くちびるを噛み、カイトは募る後悔を押し潰す。

そんなものに浸る暇があるなら、『今』、やれることをやるべきだ。

カイトの腕に力なく体を預けていても、少なくとも『今』、この時点では、夫にはいのちがある。かそけく、今にも消えそうでも、いのちは散らされていない。

繋がっている。

ならば繋げる。さらに先、先の先、先のさきのさきのさきへ――

何度も言った。嫁して途端、愛して途端に、寡婦となる気は、カイトにはない。

「……神威がくぽ、よくやった。美事な勝利だった。おまえは私の、なによりの誇りだ」

聞こえているかどうか判然とはしなかったが、カイトはまず、きちんとがくぽをねぎらってやった。

ひゅうひゅうと、隙間風のような息を漏らすくちびるが、言葉に応じて震える。笑みだ。かそけくとも確かに、誇らかに。

カイトは身を伏せると、そのくちびるにためらいもなく口づけた。

ひと息――

「ぐっ、ごっ、……っほ、げほぇっ、えっげっっ!!」

激しく咳きこみ、がくぽはカイトの膝から転げ落ちた。地面に転がり、四つん這いの姿勢を取る。その間も続く激しい咳で、口から血塊が吐きだされた。

おそらく肺か胃か、そこらへんに溜まっていたものだ。

カイトは力を吹きこみ、切り傷も打撲も問わず、表皮から内腑までのすべての傷を癒してやった。が、カイトの力は傷を塞いだだけであって、こういった余計なものを消滅させることはできない。

がくぽが自力で吐きだすしか、やりようはないのだ。

「っ、………はー………」

ややして小さく息をつき、がくぽは落ち着いた。ゆるゆると体を起こし、地にぺたりと尻をつける。

「………はー」

今度のは、ため息だった。

いろいろ、いろいろだ。ひと言では表し難いものをすべてこめ、がくぽはため息を吐きこぼした。

さらにわずかな間を置き、がくぽは顔を上向けた。くちびるが震え、うたが――うたに聞こえる韻律の言葉がこぼれる。

「♪」

「っ!」

瞬間、カイトもろともに、水を含んだ風が巻き上げていく。

終わったときにはふたりともに、血赤も泥汚れも、すべてがきれいに飛ばされていた。

束の間、目を閉じたもののすぐに開き、血染めではない、きれいな夫の体を、カイトは注意深く眺めた。

「――ほかに、怪我は傷は痛みは」

「問題ありません。すべて、癒していただきました」

「…」

畳みかけたカイトに、がくぽは決めていたかのような口ぶりで返す。それでカイトは胡乱な目となって、ますますがくぽを上から下から、舐めるように見た。

青年であったら、こんなことはしなかった。

やるのは少年だからだ。たとえ昼であったとしても、気難しい年頃の少年であれば。

この年頃の少年は矜持が高く、おかしなところで意地を張る。ことにこういうときの自己申告が、まるで信用ならない。

そうと考えると、今、少年であることはよろしくない。青年であってほしかった。

「………っふ」

案じるあまりではあれ、疑り深い目で見つめるカイトに、がくぽはくちびるを綻ばせた。もはや血染めではないから、表情が判然としないということもない。微笑みは微笑みとして、きちんと明らかだった。

ただしそれは一瞬で、すぐにがくぽは表情を改めた。表情だけではない。態度もだ。

カイトと正対すると、がくぽは一度は崩した姿勢を直し、片膝をつく騎士の礼を取った。

「…がくぽ?」

帰投の挨拶はもう、受けたはずだ。

いったいなにかと訝しむカイトへ、がくぽは顔を上げた。くちびるが開き――ためらって閉じ、顔がまた、地面を向く。

「――………ごめん、なさ、い、……かぃと、さま」

ぽつりと、こぼされた言葉は、謝罪だった。

謝罪だ、謝ったのだ――夫が、自ら考え、取るべき態度として、選んで。

けれどいったい、なににか?

なにに謝るというのか、謝らなければいけないことがあるというのか。

「が、くぽ、?」

まるで思い当たらず、ただぎょっとした顔を見せるだけのカイトに、がくぽは顔を上げた。まっすぐと、見つめる。

「あなた、に――ひどいこと…を、させま、した。酷い、仕打ちを………俺は、騙していたのでは、ない。ですが………気がついて、は、…いた。自分で、幕引きを、――でも、できなかった。怖じた。結果、あなたの、手を……」

「………っ」

訥々と話すがくぽがなんのことを言っているのか、もちろんカイトにはよくわかった。

そうだ、ひどいことだった。これ以上なく、酷い仕打ちだ。カイトに『がくぽ』を葬らせたのだ――

正確に言って、カイトがやったのは南王の呪いを解いたことだが、結果、昼の青年は喪われた。

カイトが殺したも同然だ。カイトの力で、カイトの手でもって、夫の――

みるみる強張り、色を失っていくカイトの顔を見ていられず、がくぽはうつむいた。瞳を伏せ、拳を握る。

「だから、――ぁやまって、すむことで、は……なぃ、ですが。ごめ…」

「どうしておまえが謝る!!」

せっかく夫が振り絞った勇気を無為に、カイトは激昂して叫んだ。

叫びながら、身を倒す。節度ある距離を保とうとして一歩下がっていた少年に、取り縋るように抱きついた。

「どうしておまえが謝る?!謝ることなど、なにもない――おまえがなにを、悪いことをした?!おまえが悪いわけがない……おまえは悪くない!!謝るな、謝ることをこそ、私はおまえに赦さない!!」

「カイトさま」

カイトは喚きながらがくぽの首に腕を回し、きつく、きつくきつく、しがみつく。

幼い体だ。

実際は、そうまで幼いわけではない。

なにより、二度も南王の首を掻き飛ばした、英雄級の腕を誇る騎士でもある。人智を超えたという意味で、『魔』の冠を与えられた南王の首をだ、二度もだ。

そう、幼くはない。

それでもカイトは、幼いと思う。

青年と比べて――昼であるというのに、青年の時間であるはずだというのに、夫の体が小さく、華奢で、幼いと。

今だとて、勢いをもってしがみつくカイトを微妙に支えきれず、がくぽの姿勢は崩れている。そろそろ倒れそうだ。

傷を癒したとはいえ、未だ疲れも残っているのだろう。夫だというのに、妻たるカイトがうっかり押し倒せてしまいそうだ。

青年なら、そんなことはなかった。

――おやおや、どうしました、カイト様甘えたのお時間ですか愛らしいことですね。いいですよ、ええ、私でしたら構いませんとも。いつでも歓迎です。どうぞご存分に……

笑って茶化しながら、がむしゃらに組みつくカイトの体でも軽く、抱え直しただろう。まるで幼子扱いして。

もう、いない。青年は、いない。

喪われた――喪った。

カイトが、カイトの手で、自らの夫を。

「カイトさま、それでも…っ」

まだ続けようとするがくぽのくちびるに、カイトは無理やりにくちびるを押しつけた。押しつけ、離して、もう枯れて尽きたと思った涙が、まるでそんな気配もなく滂沱と、瞳から溢れる。

「カイトさま」

少年の、呼ぶ声は静かだ。狼狽える様子がない。カイトの激情が、わかっていたからだろう。

――否、わかってなどいない。

カイトはそう、こころの内で言いきる。

わかっていない。わからない。カイトが泣くほんとうの理由は、『今』、この、涙の理由は――

「そ、の、カイト、さま……かぃと、さまは、昼のこと、を」

「愛している」

間近に見つめ、告げたカイトに、がくぽはなにか言いかけていた口を噤んだ。凝然と、カイトを見る。

花色が揺れて、――翳った。

「――はい」

少年が完全に明後日な誤解をしたことをすぐさま読み取って、カイトは滂沱と涙を流しつつ、首を振った。横だ。それは否定だ。

「おまえだ、がくぽ。私が告げているのは、『おまえに』だ、愛おしき、私の夫」

「…っ!」

丁寧に言い直してやったカイトに、がくぽは花色の瞳を見張った。一度は翳りを含んだそれが、驚きとともに光を戻し、――

「愛している、がくぽ――私の夫。愛している」

「………は、い」

こくんと、がくぽは頷いた。ずいぶん幼いしぐさだった。あどけなく、いたいけな。

衝撃のあまり、うまく取り繕えなくなっているのだろう。子供らしさが前面に出ている。

与えられる日がくるのだろうかと、絶望しながら捨てきれず待ち望んだ言葉であろうに、なにより欲しいと希った想いであろうに、歓びらしい歓びも浮かべず、ただただ頷くだけの。

カイトは溢れる涙を止められもしないまま、笑った。滂沱と涙を流しながら、笑った。笑いかけた――夫へ。

愛おしさの募ることはあっても、欠けることのない夫へ。

自分が欠けさせてしまった、もっとも愛おしい夫へ。

「愛している、――<私の夫たち>」

「は…、………え?」

続いたカイトの言葉に、がくぽがはっと、焦点を戻した。

強くまっすぐな少年の瞳を見つめ、覗きこんで、カイトは笑う。

正視し難い目だ。後ろめたさが募れば募るほど、『大人』には正視し難い。

カイトは伸ばした手を、夫の頬に当てた。両の頬を挟みこむように、逃げられないように。

さりげなく押さえて、カイトは笑った。泣きながら、涙を止めるすべも知らず。

「すまない。謝るのは私だ。謝らなければならないのは、謝るべきなのは、私だ。けれど赦せとは、言わない。言えない、こんなこと……こんなこと。少し待てばいいだけのことであるのに、ほんとうに取り返しようもなく失われるものを、私は知っているのに――わかっているのに。私は我が儘だ。堪えも利かない。愚かを極める」

「かぃ、っ」

なにかを予感したのだろう。なにとはっきりわからないまでも、カイトがなにかをやろうとしていると。

はっとして、少年は退こうとする。反射の動きだ。カイトは幼い頬を挟む手に力をこめ、もはや猶予もなく、ずいと顔を寄せた。

「すまない。――私は何度だっておまえに謝るけれど、おまえは私を赦さなくていい」

「っ!」

告げながら寄ったくちびるが、がくぽのくちびるに触れる、寸前。

「愛している、私の夫――<【おまえたち】こそが、私のただひとりの、夫だ>」

「かぃ…っ!」

がくぽはなにか言おうとした。それはそうだ、言いたいことがあるだろう。言いたいことが、訊きたいことが、きっと絶対的にある。

わかっていてカイトは言わせず、訊かせず、聞くことも言うこともなく、少年のくちびるにくちびるを押しつけた。

瞼をきつく、きつく閉じる。

ひと息――