B.Y.L.M.

ACT9-scene7

「ぁあ、あっ、ぁ、もぅ、もう、もぅ……っ!」

寝台に仰向けで転がされたカイトは、悲鳴のような嬌声とともに背を仰け反らせた。昼の夫の、完全に大人と化している雄が捻じこまれた洞が併せて痙攣し、収縮して、野太く硬く漲ったものを貪欲にしゃぶり、絞り上げる。

「カイト、さま…っ」

きつく吸いつく感触に、伸し掛かるがくぽが呻く。くっと、眉根を寄せた。そうやると、相変わらずの美貌が――

否、『相変わらず』では、なかった。

今、その美貌の左半面は濃い緑の、勿忘草を意匠化した刺青が刻まれ、彩っている。

茎と葉だけで花はないため、知らないものが見れば蔓か蔦かの意匠と見えることだろうが。

――花は咲かせないのですか。剣には咲いていたでしょう。

鏡で全型を確かめて訊いたがくぽに、カイトは軽く眉を上げ、それからにっこりと笑って返した。

――咲くことも、ある。それだけ派手にしてやってすら、まだ見えぬというものがいるようならば、な?

カイトの言うように、茎と葉の、緑の一色ではあれ、それはなかなかに派手はでしく、無視しようもないほどの面積を占め、がくぽを彩っていた。

刺青はまず、がくぽの顔の、左の目尻あたりから始まる。そこから頬を伝い、うなじを辿り、鎖骨のあたりで二股に分かれる。

分かれたうちの一方は左の胸まで伸びて、まるで心の臓をくるむようにくるりと巻いて終わり、もう一方は左の腕に巻き絡みながら這い進んで、左の手の、薬指の根元をくるりとひと巻きし、終わる。

見た目は刺青だが、実のところ、少し違う。

『王の花』たるカイトが自らの力を与えた、身を添わせた証に浮かぶ紋様であり、力の刻印とでも言うべきものだ。

カイトの花としての、妻としての、強いつよい独占欲の証であり、声高に夫の所有を宣言する印だ。

まさに正しく『花痣』であると、昼の夫などは言うが――

どちらであっても今の場合、大差なかった。

そうでなくとも並外れた美貌を、うつくしい意匠の刺青はさらに華やかに、艶やかに彩る。

快楽の頂きで雄としての限界を迎え、堪えるときの顔が醸す色香となれば、もはや言葉にも表せないほどだ。

仰向けであり、伸し掛かられている身のカイトは逃げようもなく間近に見せつけられ、それだけで頂きへと押し上げられる。

「ぁあ、あ、あー………っ!」

腹のなかで熱が爆ぜる感触があり、カイトはますます強く、呑みこむ雄を締め上げた。全身が震え、痙攣し、与えられるものを余すことなく、味わう。

「ぁ、あ、ぉい、し……っ」

忘我の境地で、カイトはこぼした。意識されない言葉だが、夫には当然、届く。

妻の洞のなかで迎えた絶頂の余韻に蕩けていたがくぽの顔が、さらにどろりと蕩けきった。

しかしすぐ、がくぽはカイトの体から引いた。名残り惜しい様子であり、ひたすら未練がましい態度でもあったが、立て続けにしようとはしなかった。

「ぁ、くぅ……っ」

ぶるりと震えたカイトが、圧迫感を失った腹に安堵の息を漏らす。が、ほとんど初恋である最愛の妻に耽溺する夫が、そうそう簡単に引ききるわけもなかった。

抜くものこそ抜いたが、カイトに再び伸し掛かり、快楽の涙を残す目尻に吸いつく。目尻に、こめかみに、頬に、鼻の頭に――

「ぁ、も、がく……っん、んぅ、ぁ」

諌めようとしたカイトのくちびるも、あえなく塞がれた。ただ塞がれるだけならともかく、舌が捻じこまれ、息も整わない口中を思うさま、味わわれる。

「ん、ん、んーーーっんんっ、ぁ、がくっ、ぽっ!!」

息苦しさにもがきながら、伸し掛かるがくぽの胸を叩き、押しやってとくり返し、何度目かでカイトはようやく自由を取り戻した。

震えながらも腕を突っ張りきり、夫を遠ざけて、カイトはきっと睨みつける。

「ぉ、まえ、は……っま、ぃにち、毎日、まいにちどうして間際になると必ず、そう、――サカる?!」

叱りつけながらも落ち着かず、カイトの目は伸し掛かる夫と、日暮れの色に染まる外とを見比べた。

そう、日暮れ色だ。

そろそろ日の入りの刻限であり、『昼』の時間の終わりだ。

昼の青年が夜の少年へ、身をつくり変えられる時間が迫っている。『間際』だ。

本来、こんなことをしている場合ではない。

はずだ。

が。

水の季節に入って、そろそろひと月となる。雨の降る日は多く、肌寒いこともあった。

日が照れば相応の気温ともなったが、夏季と比べれば雲泥の差だ。西方出身のカイトであっても、穏やかに過ごせる日々が続いて――

確かに、気温は落ち着いた。その後、招かれざる南王が、気まま勝手に訪れたということもない。

日々は淡々と変わり映えもなく、しかしカイトがこころ穏やかに過ごしていたかといえば、そうでもなかった。

昼の夫だ。

どういうわけか、昼の青年は日の入りの直前となると必ずカイトを求め、貪った。しかも、連日だ。まるで日課とでも定めたかのようだった。

毎日必ず、飽き足らず、この刻限となると、求める。

カイトの先の訴えは、夫の仕打ちを誇張したものではない。誇張しようもなく、ただの事実だった。

その前、日中のどこかで済ませていたとしても、何度こなしていたとしても、関係ない。日の入りの直前となると、青年は夜への備えとしてカイトを寝台に移し、そのまま組み伏せて体を開く。

カイトがどれほど抵抗しても、このときだけは聞かなかった。押しきって開き、貪る。

ほかの時間ならカイトの意向を最大限に尊重し、引きもするというのに、この、差し迫って猶予のない、直前の刻限となったときだけ――

カイトは初め、夫が不安のあまりにそうしているのかと思った。

これからも呪いと、あの惨たらしい痛みと付き合い続けなければいけない不安や恐怖が、逆に亢進するという形で表れているのではと。

ならばなにあれ、自分は抵抗するべきではないと、むしろ積極的に夫を受け入れ、慰めなければと――

比較的、健気めに考えもしたのだが。

「直前だ。直前だぞ――毎日まいにちまいにち毎日、直前、に!」

堪えきれずカイトが喚き、くり返して念を押すのは、それだけ追いつめられているということであり、それがまさに問題であるということでもあった。

夏季の、晴天続きで日の入りがわかりやすかったころならともかくだ。水の季節は雨降りで雲に覆われていることが多く、日の入りを精確に読み難い。

今日はたまたま晴れているからまだいいが、そうでないときとなれば、――

もしもしている最中にでも、その瞬間がやってきてしまったなら――もしも、もしも、もしも――……!

つまりはカイトがそういう危惧を抱かざるを得ない、ほとんど恐怖を覚えるほどの『直前』に、がくぽは求め、体を押し開くのだ。毎日。

飽かずめげず懲りず、毎日。

今のところ、その危惧が現実となったことはないが、いい加減、カイトが限界だった。

快楽とは別の涙で瞳を潤ませ喚くカイトに、がくぽは小さく嘆息する。

「なぜと問われましても。最前にも言いませんでしたかいえ、告げたというより、うっかりこぼしただけですが…」

「なに、ぁっ、ふ、んんっ!」

所詮、快楽を極めた行為のあとだ。そうでなくとも、膂力の差もある。カイトが懸命に突っ張っていた腕は簡単に折られ、外され、離した距離はあえなく縮んだ。

まるで悪びれもせず、しらしらと言いつつそうしたがくぽといえば、もちろん、距離を縮めるだけで終わらない。未だ快楽の余韻を残す体を抱き、あっさり続きに戻ってカイトのくちびるを塞いだ。

しかし今度はそう、長いことではない。カイトが再び堪忍袋の緒を切らすよりは先にくちびるを解放し、それでも名残り惜しくこめかみにくちびるを当ててから、体も離した。

端に腰かけるような形となって、寝台に沈めた妻を振り返る。

「昂奮してね、滾ってしまって、どうにも自制が利きません」

「が、く……ぅっ」

容赦なく与えられた快楽の余韻というより、突きつけられる夫の真実にこそ打ちのめされて、カイトは絶句した。

そのカイトへ、がくぽはやはり、悪びれた様子もなく軽く、肩を竦める。

「言っておきますが、あれのときは、そんなことはありませんでしたよひたすら憂鬱でした。体質でしかないとは思えね、どうしたってこう、と。しかしね、『今の』は、違うでしょう。あなたが為したことだ。あなたが私に与えた呪いであり、あなたが私に課した苦痛だ。そう思うと、ね…どうにも、――ねえ?」

「――っ!」

同意を求めるなと、カイトはできれば言い放してやりたかった。しかし言えなかった。

衝撃が積み重なり過ぎて、くちびるのみがはくはくと、無為に空転するのが精いっぱいであり、声が出なかったのだ。

それをいいことに、否、別にいいとしたわけではないだろうが、とにかく口も舌も回りに回る青年は、しらしらしらと続ける。

「これでも忍耐しておりますよほんとうなら、朝、日の出で変わる前にもこうして、あなたを求めたい。まずはあなた自身を味わい、それからじっくり、あなたの与える苦痛に浸りたい。しかしね、日の出前だ――朝が早いにも、ほどがあるでしょう。そんな時間からあなたを叩き起こして求めるというのは、さすがに酷というものです。いかにあなたの寵愛を一身とする夫とはいえ、否、そうであればこそ、慎みを重んじねば。そうでしょう?」

「ぁ、が……っ」

だから同意を求めるなと――そもそも誰がいったい、慎みを重んじているのかと。

言葉も思いつけないまま、ただ無力にくちびるを空転させるのが精いっぱいの状態で、そういえばと、カイトは思い出していた。

確かに日の出前に叩き起こして求めるようなことはないが、ここのところ、日の出後、昼の姿に変わった直後の夫から求められることが、かなり頻繁にあった。

だからとほかの日課を疎かにするでもない夫は、夕刻よりはそうそうに引いて、庭仕事だのといった、いつもの作業に出かけるのだが、だからその理由も――

ほとんど愕然とするカイトへ、がくぽはまださらになにか、ろくでもないであろうことを言いかけ、――

笑った。

なにもまとわない身ひとつで、するりと寝台から降りる。床に跪くと、騎士の略式礼を取った。

はっと我に返ったカイトは、慌てて上半身を起こす。先までは奔放なさまで夫に懐いていたが、終わった以上、腰から下はまたもや重く、まるで自由にならない。

苦労しつつもなんとか寝台の端に寄り、身を乗りだしたカイトへ、がくぽは略式礼のまま顔を上げ、笑みを向けた。

「それでは、カイト様――また、明日の朝」

暇を告げられ、カイトはさらにがくぽへ、昼の夫へと顔を寄せた。左の目尻、刻印の始まりにそっと、くちびるを当てる。

「愛している、私の夫――おやすみ。また明日の朝に」

「ええ、おやすみなさい…」

穏やかに返された、言葉尻がぶれる。

がくぽはカイトから素早く顔を引いた。体が崩れ、床上にうずくまる。

縋るものを求めるように寝台上に伸びた左の手が、ぐしゃりと寝具を掴んだ。その手が、拳がぼこぼこと、不自然に波打つ。

「ぐ、く……っ!」

「…っ」

懸命に押し殺しながらも、軋る歯の隙から堪えも利かず、苦鳴が漏れる。カイトはくちびるを引き結び、そっと手を伸ばした。

寝具を掴む夫の手を、刻んだ茎葉の彩りすらも無惨に乱れるそれを、くるむように添える。

「がっ、ぁがっ!!」

「っ!」

拳のみならず、がくぽの全身が波打ち、捏ねられ、つくり変えられていく。美貌は激し過ぎる苦痛に無惨に歪み、とても見ていられるものではない。

それでもカイトは目を閉じることなく見つめ続け、怯え震えても、添えた手を引かなかった。

夫の望みであるからだ。

変わるときにも、そばにいてほしいと。できれば、手を添えてくれないかと。

握り合うのでは、変容の痛みに耐えなんと無我の力をこめるがくぽが、カイトの手を壊してしまうかもしれない。

だから、すでに握って堪える自分の拳にカイトの手を――ことが終わって、落ち着くまで。

夜も、昼もだ。衝突することの多い夜の少年と昼の青年だが、どちらもともに、求めた。

苦しみもがくさまを見せつけるのでは、カイトはつらかろう。まるで断罪し続けるがごときだ。

けれどこれは『悪いことではない』。

『悪いことではない』のだから、以前のように、カイトから隠れて行うことは、見せないようにと伏せることは、それこそカイトに『悪いことをした』と、突きつけるようなものだ。

『悪いことではない』以上、カイトの前で堂々と、自分は変わりたい。

もっとも愛おしむ妻に名残り惜しく見送ってもらい、いちばんに迎えて欲しい。

――がくぽはカイトの望みを、願いを、容れてくれた。

ならばそれゆえに生じるがくぽの望みを、願いを、カイトが容れない理由はない。

だからここのところカイトは、日の入りはもちろん、日の出の直前にもきちんと起きて、夜の夫を見送り、朝の夫をいちばんに迎えていた。

迎えたあとにはもちろん、どこまでするかはともかく、朝も早くからご機嫌な青年に蕩かされ、もう一度、寝台に潰れることが多いわけだが――

その理由が理由であると知ると、胸中は非常に複雑だ。複雑極まって整理もつかないが、だとしても、この習慣を打ちきろうとは思わない。

確かに夫を最後まで見送ることも、いちばんに迎えることも、妻としてもっとも大切な役割であると思うからだ。

なにより夫を愛すれば、この役割こそ誰にも譲れないとカイトは思う。

この役割を赦して与えてくれた夫には、ひたすら感謝だけがある。

だから――