おにそしぁ・あめしすて-05-

「………死ぬ覚悟は、出来ているのだな」

問いを放ったがくぽに、メイコは強引に主の体を抱きこんだ。そのままがくぽへと背を向け、己の体で主の盾となる。

全身で庇われながらもどうにか顔を覗かせたカイトは、がくぽへと微笑んだ。

「はい」

甘い声だと思った。

その手はやわらかくなめらかで、まだ戯れくらいにしか、剣を握ったこともないだろう。

がくぽはこのくらいの年にはもう、弓も引けば剣も振り、馬も駆けさせた。すべてすべては、棟梁たる父親の言いつけだ。

きっと始音家の棟梁夫婦は、この小さな息子を甘やかして、厳しいことも辛いことも、なにもかもから隔離して育てていたに違いない。

そう思いながら、同時に、違うとわかってもいた。

ただ甘やかされただけで、こうまでしっかりとした話し方など、するようにならない。

厳しいことも辛いことも知らず、隔離されて育って、こうまで先を見据えた話をしない。

「…………ならば」

がくぽは下げた剣を握る手に、力を込めた。かちりと、鐔を反す。

父親に逆らったことなど、ない。

いつでも言われるがまま、遊びもせずに剣の稽古に弓引き、馬乗り、兵法に地理――武芸に勉学に励み、武勲を上げ、齢は十五になろうとしている。

逆らうなと、頭を押さえつけられていたわけではない。

がくぽにただ、逆らう理由がなかっただけだ。

「めのと」

葛藤を捨て、逡巡から抜け出したがくぽの声は、幼いながらに鬼神の名を受けた武士に相応しく、鞭打つ厳しさと逆らい難い力があった。

びくりと震えて、それでも懸命に主を胸に抱えこむ少女を、がくぽはひたと見据えた。

「――メイコと申したか。姫の着物は何処にある」

「?!」

がくぽの問いが理解出来ず、メイコはびくりと体を揺らした。瞳を見開いて振り返った彼女に、がくぽは座敷の外の様子を窺いながら、口早に続ける。

「『姫』の着物だ。めのとなら、屋敷の雑多にも精通していよう。『それ』くらいの齢の『姫』の着物だ。かんざしもあれば、なお良い。何処にある?!」

「………っ」

「………メイコ………神威様?」

叩き据えるように訊かれて、メイコはがくがくと震え、さらにきつくカイトを抱きしめた。

抱きこまれているために、カイトにはがくぽの表情が見えない。

気の強いめのとが震えていることだけは伝わって、不思議そうな声を上げた。

外の様子を窺っていたがくぽは、視線をメイコに戻す。

揺らぐ瞳で見上げる少女を、きっぱりと見返した。

「俺には、棟梁息子の命は拾えぬ。首級を挙げぬわけにはいかぬのだ。…………時間がない、急げ!」

「っ」

「め、いこ?!」

唐突にメイコはカイトを放り出し、座敷の外へと走り出て行った。

放り出されたカイトはきょとんとしたものの、見捨てられたと慌て騒ぐこともない。

しばらく呆然と転がっていたが、ややして自分できちんと起き直すと、がくぽの前に正座した。背筋を伸ばして、めのとの行方を目で追うがくぽを見上げる。

「神威様、どうぞ………」

「覚悟は出来ているのだったな」

皆まで聞かずに念を押したがくぽの、これまでにない気迫に、カイトはわずかに口ごもった。

けれど曲げることもなく、頷く。

「はい。どうぞ、身の首級をお取りください」

瞳があまりにまっすぐで澱みもなく、きれいに澄んでいるから――

がくぽには自分の決断が躊躇われて、それこそ武家にあるまじきとしか思えず、けれどすでに下した。

「ならば」

がくぽが鋭く息を吸ったところで、ばたばたと騒がしい足音を立てて、メイコが戻って来た。

「メイコ?!」

どうして、と瞳を見開くカイトに構わず、メイコはその膝元に滑り込むように座る。

荒い息をくり返しながら、がくぽを睨み上げた。

「……っ」

「急げ」

「え……っぁ、め、いこ?!神威様っ?!」

事態に追いつけないまま、カイトの着物はメイコの手によって乱暴に脱がされた。急に裸を晒されて、カイトは耳まで赤く染まる。

動揺のあまりにあたふたと小さな手足をばたつかせるが、普段から世話をしているめのとの手は慣れきっていて、器用だった。

急いで掻き集めてきた、幼い『姫』用の着物を、手早くカイトに着せつけていく。

「ぁ、メイコ?!どうして………っ」

「あたら若き命を散らすなと、拾えるものは拾えと、カイトさまが仰せになりました」

「でも……っ」

「メイコは、カイトさまの御下命に従っているだけです!」

「……っ」

揺らぐことのなかった瞳が、戸惑いを映してがくぽを見上げる。

がくぽはこくりと息を呑み、湧き上がる不安と躊躇いも、ともに呑みこんだ。

腰を屈め、膝をついて、初めてカイトと目線を合わせる。

そのあどけなく澄んだ瞳をしっかりと見据えて、告げた。

「そなたは『姫』だ、カイト………棟梁息子は、逃げた後だった。姫だけが、逃げ遅れ、我に捕まった」

「ひ、め………っ」

つぶやいて、カイトは息を呑んだ。

死ぬことと、男でありながら女に擬装し、命を拾えというのでは、あまりに覚悟の向きが違う。いくら穏やかな気質とはいえ、カイトも武家の子供で、幼くとも相応の教育を受けていたと思しい。

女に擬装して永らえろというより、死ぬことを決めるほうが、ずっと楽なはずだ。

「いいな、カイト。『姫』と為れ」

「………」

外の物音に耳を澄ませながら、がくぽは低くひくく抑えた声で、懸命に言い聞かせる。

火の気も近い。

兵の気配も濃厚になった。

時間がない。

「そなたは『姫』だ、カイト」

「………」

こくんと、カイトが唾液を飲みこむ。

咽喉の動きを見てがくぽは唐突に、その細い首にむしゃぶりつきたい気分に襲われた。

稚児にするにしても、あまりに幼い。

そんな相手にサカる自分はどうかしているが、今はイクサの最中だ。

慣れてはきたが、イクサの間はどうしても、血が昂ぶりやすい。簡単に沸騰して、なんでもいいから捌け口を求める。

募る乱暴な欲情を抑える術も学んだし、思うが儘に振る舞う性格でもない。

白い首を見つめながら湧き上がった欲動を抑えこみ、がくぽはカイトを見据えた。

カイトの幼いくちびるが戦慄き、澄んだ瞳が歪みを隠しきれないがくぽを映して見返す。

「身は……」

戦慄くくちびるからこぼれる言葉は、先の勢いも滑舌も失い、見た目相応の幼さだった。

哀れさと、同時に焦りが募る。

瞳を険しくするがくぽに、カイトは吐息のような声をこぼした。

「…………身は、姫、です………」

「……っ」

「……………カイトさま……」

ようやく絞り出された言葉に、がくぽは瞬間的に瞳を伏せ、メイコはくちびるを噛んで俯いた。

青褪めたカイトは、けれどうっすらと笑ってみせる。

「………乞うても、叶わぬと思っておりました。余りあるご恩情に、感謝申し上げます、神威様」

「………」

震えながら吐き出される感謝の言葉に、がくぽは剣を握る手に力を込めた。

出来ることなら、くちびるを塞いでしまいたかった。

恩情などではない――生き恥を晒せと、屈辱の中で生きろと、強いたのだ。

「………神威様」

「行くぞ」

「っ」

震える声に呼ばれて、がくぽは思い切った。

きれいに飾り付けられ、髪の短さを抜かせば『姫』にしか見えなくなったカイトを、片腕に抱え上げる。

片手に持った剣が、不思議なほどに軽かった。

「私もともに参ります、カイトさま」

「……メイコ」

「メイコは常に、カイトさまのお傍に」

「………」

カイトだけを見つめて、カイトだけに言葉を投げるメイコを、がくぽはちらりと見た。

カイトは戸惑う瞳で、抱き上げられて間近にあるがくぽを見つめる。

問う意味はわかって、がくぽはカイトからもメイコからも顔を逸らした。

「好きにせい」

告げると、振り返ることなく、座敷から飛び出した。