閃いた笑みの晴れやかさと強さに、がくぽは瞳を細めた。

カイトは正気だ。

昨夜含んだのだとてたかが二口の酒だし、それが朝まで残っているわけもない。

わけもないから、間違いなく正気で、そして――

おにそしぁ・あめしすて-19-

「後悔もなく、満足、か」

ぽつんとつぶやいたがくぽに、カイトはぴくりと体を揺らした。

障子越しの日明かりの中、浮かぶ白い体には、いくつもいくつも情痕が残っている。乱れたがくぽが思うままにつけた、吸いついた肌。

吸いつくたびに、体をうねらせ、腰を跳ね上げ、もっとと強請るように手を回した。

――してくれないと、いじけますから。

子供そのままの言葉で、強請られたがくぽ自身。

「――これでもう、カイトに思い残すことは、御座いません」

「……?」

邂逅に浸っていたがくぽに、カイトは言葉を続けた。

しかしその不穏さに、がくぽは慌ててカイトを見る。

布団に指をついて俯いたカイトの、表情はわからない。ただ、体が強張って、緊張を示していることだけはわかった。

「カイト?」

「誰のところへ遣られようと、未練なくお仕え出来ます」

「………っ」

なんの話をされているのか、わからなかった。

息を呑んで固まるがくぽに構わず、カイトは顔を上げて微笑む。

「我が儘を、たくさん容れて頂きました。けれど、カイトももう、大人です。いつまでも我が儘ばかり、容れていただこうとは思いません。どうぞがくぽさまのお役に立つよう、この身をお使いください」

「………」

いやな雲行きだと、がくぽは止まった思考の片隅で考えた。

知るはずもない。

カイトの世界は鎖されて、屋敷の中の噂話すらも聞こえないように、入念に、注意深く隔離して、育ててきたのだ。

それが歪みに繋がるとしても、がくぽだけの籠の鳥として――

答えないがくぽからふっと視線を逸らし、カイトは布団についた自分の指を見た。

「――此度のイクサ、原因は身だと聞きました。身の、勝手な噂が諸国に広まった末、その収拾をつけるために、お屋形さまがお発ちになられたと」

「メイコか」

喘ぐように訊いたがくぽに、カイトはわずかにくちびるを空転させてから、頷いた。

「はい」

「………」

壮絶に怒りと、裏切られた心地に陥って、がくぽはかえって笑いそうになった。

信頼篤い、めのと。

若くしてめのととして子供を預かり、偽りの『姫』の世話役として敵地にまで供をし、今日までずっと、カイトの面倒を見てきた。

彼女の頑迷なまでの忠誠心と、強固な意志力があればこそ、いずれ破綻が目に見えているこの籠が、今日まで持ち堪えたのだ。

彼女なくして、この籠世界は成立しない。

成立しようもなかった世界を成立させてしまったのが、彼女だと言える。

だというのに、今、ここに来て――

「これまでもきっと、身のことで、お屋形さまには幾多のご迷惑をお掛けしたことでしょう………けれど、先にも申しましたとおり、身はもう大人に御座います。お屋形さまにお守りいただくだけの、幼子には御座いません。どうぞお屋形さまのお役に立つよう、身をお使いください」

ここ最近、そんなしっかりとしたしゃべり口を聞いたことがなかった。

甘えたいのに甘えたいのを堪えていると、はっきりわかるような、幼い口調。

あのイクサの中、自分の度肝を抜くような敏さを見せた子供は、夢か幻かと、――これが、歪みゆえかと。

思って、苛まれて、安堵した。

それが――

いくつもいくつも重なっておかしくて、がくぽのくちびるは笑みを刷いた。

籠の中。

小さく、鎖された、歪つな世界。

囲いこんで、自分にいいように育て、なにもかも思い通りに。

運んだと思った――すべてが、それこそが、夢幻。

瞳を伏せたカイトは、がくぽの表情がわからない。

ただ、小さく吐息をこぼした。

「――これ以上、お屋形さまのご負担にばかりなるのはもう、嫌です」

耳に届くか届かないか、あえかなつぶやき。

おそらくはそれが、もっとも大事な、もっとも重要な、カイトの示す真。

誠にして、信。

がくぽは長く垂れる髪を巻きこんで、笑いに歪む自分の顔を撫でた。

そうだ。

子供は、いつまでも子供のままでなど、いない。

どう育てようとも――そう、育てている時点で、いずれ、大人になることが決定している。

子供は育てば、大人になるのだから。

いくら歪みを与え、真実を曲げ、世界を撓ませても。

――命乞いをさせてください、お武士さま。

清明な声が、澱みのない瞳でがくぽを見据え、発した言葉。

仮にも棟梁息子でありながら、いくら幼いとはいえ、命乞いをするのか。

憤りに駆られた、若い己の心情。

そこに怯えがあったと、今ならわかる。

がくぽは、いくら死にたくないと思っても、命乞いを口に出すことなど出来ない。

命乞いをし、叶えられたあとの世界を思えば、屈辱を、恥辱に塗れた生を思えば、いくら生きたい、死にたくないと思っても、助けてくれと縋ることなど出来ない。

強く立つことには慣れていても、虐げられ、蔑まれることには、縁がない。

幼子の、無邪気さと、無知さ――けれどがくぽはそんな幼い時分にすら、下に生きることへの恐ろしさで、口に出せなかった。

それを、いともあっさり発した子供。

見えるものがない、その場凌ぎでなく、きちんとわかったうえで。

――乞うても、叶わぬと思っておりました。ご恩情に、感謝いたします。

抱き上げた、がくぽの首に回した手。

震えていた。

礼を言う声が、掠れて潰れていた。

それでもがくぽの願いを容れて、怯える心のために、微笑んで辛い選択を取った――

子供は、そのまま。

望むべくもなく、美しく、やさしく、強い大人に育った。

「――俺の、思う儘か」

つぶやきに、カイトは俯いたまま、頷いた。

「はい。お屋形さまの思うが儘に」

布団についた指が、わずかに震えているとわかる。

声が硬いのは、怯えを押し殺しているからだろう。

本来は、甘く穏やかであたたかな、心地の良い声だ。

剣も知らず、血も知らず、その手はやわらかくやさしく、がくぽに触れて、時にしがみついて、幼いしぐさで甘やかせと強請る。

強請りながら、甘えてくれというがくぽの内なる声を拾い上げ、心から懐いてくれる。

「――まるで、俺のことが好きなようだ」

つぶやくと、カイトはきっとして顔を上げた。

いつも和やかに笑っている瞳が、強い光を宿してがくぽを見据える。

「よう、では御座いません。身は――カイトは、お屋形さまのことが、誰よりも、なによりも、自身よりすら、好きで御座います。この身命惜しくないのは、なにをされても赦すのは、お屋形さまのことを心よりお慕い申し上げればこそ」

「お屋形と呼ぶな」

きつく吐き出される言葉を、がくぽは軽く遮った。

その顔が、穏やかに解けて笑みを浮かべているのに、カイトはようやく気がつく。

「………」

戸惑うように、乗り出していた身を引いたカイトに、がくぽははっきりと笑いかけた。

「いつも言うておろうお屋形と呼ぶなと。俺のことは、名で呼べと」

「………」

戸惑うままにくちびるをもごつかせるカイトを、がくぽは甘い熱を浮かべた瞳で見つめた。

「どうした。呼べ」

「……………がくぽ、さま」

「ああ」

戸惑いながらだが、その声にはいつもの甘さとやわらかさが含まれている。

抱きくるめられて、撫でられるねこのような気分になって、がくぽは瞳を細めた。

「……あの、がくぽさま」

「俺の役に立ちたいのだったな」

「………」

問いを放つと、カイトはきゅっとくちびるを引き結んだ。

がくぽが上機嫌であることはわかるはずだが、その理由も意味もわからないだろう。そうとなれば、怯える心は消しきれない。

急かすでもなく、笑いながら答えを待つがくぽに、カイトはややして、こくりと頷いた。

「はい。がくぽさまのお為に、カイトをご自由になさってください」

「……」

その意味の正確さを知らないから、やはりまた、子供かもしれないとの思いが掠める。

掠めるけれど、もう逡巡も躊躇いも消して、がくぽは腰を浮かせた。

相対してきちんと座るカイトへと手を伸ばし、さっき痛みに顔を歪めた腰を抱きこんで、自分の胸の中へと引き寄せた。

「………がくぽ、さま?」

先が見えないせいであえかな抵抗を示したカイトを、がくぽはそのまま、布団に転がした。

落ち着かずに周囲を見回すカイトに莞爾と笑うと、漲る自分の体を押しつける。

「先から、そなたを思うと体が滾って、どうしようもない。役に立ちたいというなら、その身で存分に、我の滾りを受け止めろ」

「……がく、ぽ、さま?!」

意味が追えずに声を高くするカイトのくちびるに、がくぽは咬みつくように口づけを落とした。