おにそしぁ・あめしすて-22-

着ているものこそきれいに整えられているものの、カイトは『姫』らしさの欠片もなく、ぐったりと座敷に伸びていた。

体が怠い。重い。

一向に回復する兆しがない。

頭のところにふこがいて、野良とも思えないふわふわの毛並みを額に押しつけてくれている。わずかにひんやりとしたその感触が、ひどく心地いい。

「………無茶苦茶だもん………っ」

ふこに顔を押しつけて気怠く毛並みを弄びつつ、恨み言をこぼす声も、未だに掠れ気味だ。

実のところ、こうして小声が吐き出せるようになったのも、昨日ようやくだ。

カイトが解放されたのは、ほんの四日前のこと。

その四日前を遡ると、初めて抱かれてから四日ほど、がくぽに軟禁されていた――いや、常から軟禁されている状態だが、そうではなく。

目覚めている時間はすべて、がくぽによって体を開かれていた。

食事もそこそこに、常にがくぽによって組み伏せられ、喘がせられ、男を受け入れさせられ続けた。

形を覚えさせると言ったが、洒落でもなんでもなかったようだ。今となってすら、そこが男を――がくぽを求めて疼き、落ち着かない。

疼いているが、体は限界だ。

解放されてから腰が痛くて起き上がれないままに、疲労も重なって寝込むこと、三日。

その三日の間、がくぽは姿を見せなかった。

四日間、カイトにつきっきりだったのだ。そうでなくともイクサで二カ月不在にしたところで、領内の仕事が溜まっている。

よくもまあ、そこから四日を費やして家臣が乗りこんで来なかったものだと、むしろ感心してしまう。

が。

「うー………っ」

「………」

自分に対してだけは抵抗しない友人の気の好さに甘えて、カイトは心地よく癒されるばかりのふこの毛並みに、顔を擦りつけた。

『手つきもの』という範疇を遥かに超えて、もはやカイトに『商品価値』はない。だろうということくらい、さすがの世間知らずでもわかる。

そうまでされれば、がくぽがカイトを売るつもりなど毛頭ないということも、身に沁みて理解する。

しかしそれでは、問題はなにも解決しない。

これからも噂の美姫を求める相手はいるだろうし、そのすべてに喧嘩を売っていては、いかに戦国といえども領内の反発は必至だ。

その理由がそもそも、天下泰平、天下統一ではなく、ただひとりの『女』を守りたいというだけなのだから。

いかにがくぽが優れた武勲を示す武将であり、治世に優れた名領主であろうとも、この世に生きるなら、ひとを従え戦うなら、そこには大義名分が必要だ。

『女のため』は、大義名分にならない。

ならないが、どんな名目を掲げても、結局はそこに終始する――

それでは、だめだ。

このままでは、カイトが足を引っ張り続ける状態が、なにひとつとして変わらない。

幼い頃からここまで、ずっと迷惑を掛け通しで、過分なほどに遇されてきたというのに。

そのことになにも感じない、鈍感さでもない。

むしろ敏すぎるほどに、敏く――

「っわっ?!」

突然、それまで大人しく枕をしていてくれたふこが立ち上がり、軽い足取りで座敷から出て行ってしまう。

行方を追って、カイトは瞳を眇めた。

「カイトさま、いつまでごろごろなさっておいでです。そもそもメイコは、姫たるもの、どのように体調の悪い時であっても、そのようにだらしなく座敷に転がるようなことはするなと、カイトさまにお教えしたつもりですが」

「だって、いったいもん!」

通りがかったメイコに開いた濡れ縁から声を掛けられて、カイトは転がったまま叫んだ。

「からだじゅう、いったいもん腰もがくがくだし、腕も背中もびりびりばりばりだし!」

「へえそうですか」

稚気をそのままに主張する主に、めのとは気もなく頷いた。

共感して慰めることもなく、濡れ縁に立ったまま、転がって起きないカイトを見下ろす。

「で、カイトさま………もう二度と、お屋形さまに抱かれたくはなくなりましたか。このような思いをするなら、金輪際、お屋形さまのお相手を務めるなぞ、ご免だと」

「それはそれ!!」

冷たい声での問いに、カイトは即座に叫び返した。

荒れた咽喉が痛んだが、構わない。

わずかに身を起こして、感情の窺えない顔で見下ろしてくるめのとを睨み上げた。

「いやだなんてこと、ない。がくぽさまが求めてくださるなら、カイトの体くらい、幾度でも差し上げる。お好きになさっていい」

「へえそうですか」

メイコはまたもや気のない返事で流して、男を知ってもさっぱり稚気が抜けなかった主を見つめた。

「けれどおそらく、これからもあまり変わり映えはいたしませんよ。お屋形さまは武将、お盛んなのが通例です。この間が異例だったのではなく、あれが常態です」

「それでも!」

一寸も臆することなく、カイトは叫び返した。

「それでも、がくぽさまが求めてくださること以上に、望みなどない。こんな体でも、がくぽさまが好いと言ってくださるなら、カイトは身を尽くすことに躊躇いも恐れもない。――がくぽさま以外の方なら、臆しもしようけれど、がくぽさまだもの。がくぽさまだもの!」

滅多にないきつい瞳で言い切ったカイトに、メイコはすっと背筋を伸ばした。

「ならば、しゃんとなさいませ!」

「っ」

叱る声に、カイトは反射でぴくりと竦んだ。

覚悟はいいが、稚気の抜けないそんな主に、メイコはきびきびと言葉を落とす。

「申し上げましたでしょう。お盛んなのが、武将というもの。あれだけしても、三日と開けずに求めるのが、常です。だというのに、カイトさまがそのように伸びていては、手を出しあぐねますでしょうが。そうとなれば必定、他のものを相手に求めねばならなくなります」

「っっ」

ほとんど反射としか思えない動きで、カイトは跳ね上がった。

一瞬で、きちんと座敷に正座した『姫』に、メイコは重々しく了承を頷く。

反射で起き上がって正座までしたカイトだが、未だに痛む体には響いた。思わずうずくまりかけるが、懸命に堪える。

遊びの相手で構わないとしても、無理を強いられない相手と思われれば、それだけ足が遠のく。

遠のいて、その先に待つのは――

「さて、では、お立ちください、カイトさま。お見せしたいものが御座います」

「……」

正直、これでさらに移動するのは、面倒以外のなにものでもなかった。

なにものでもないが、これ以上はぐずぐず言えない。

言えばまた、脅される。

いや、脅しだが、そこにはカイトがこれから気をつけるべき心得が、きちんと含まれている。

愛玩される『姫』から、『情人』の立場に抜けようとしているのだ。

それはおそらく、これまでより気をつけるべきことが多い、厳しい立場だ。

「……っんっ」

立ち上がるときに小さな呻き声が漏れたが、カイトは軽く眉をひそめただけで堪え、メイコの傍に行った。

平素と変わらない表情をしてみせるカイトを見つめ、厳しかっためのとの表情がわずかに緩む。

それに勇を得て、カイトはいつものように苦情や我が儘を吐くことなく、大人しくメイコについて行った。

連れて行かれたのは、離れの座敷のひとつ。

普段、あまり使われることのない、予備の座敷とでもいう場所だ。

「………」

入って、カイトは瞳を見開いた。

なにも言えないままに、メイコについて座敷の中を進む。

めのととしてだけでなく、カイトのただひとりの側仕えとして、離れの生活のすべてを整えるメイコは、この普段使いではない座敷も、いつでもきちんと掃除して、清潔に保っている。

その、きれいに整えられた、座敷。

真ん中に、置かれた――

「………っ」

言葉もなく、瞳を見開いて見つめるだけのカイトを、メイコはそっと窺う。

きっと、理解出来ていない――いや、してはいけないと、思っている。

愛されて、しあわせな子供だった。

けれど同時に、先を望んで明るく見通せる生き方でもなかった。

限られて、区切られ、抑圧された――

これからも、その生活は変わり映えもなく。

大きな変化など、望めない。

この選択を取ったなら。

「母のものだ」

「っっ」

後ろから声がして、カイトはびくりと竦んで振り返った。

いつ来たものか、ごく間近にがくぽが立っていて、カイトではなく、その前に掛けられて、カイトも見ていたもの――表裏も真っ白な着物、白無垢を見つめていた。

「そなたの母のものは、あのとき――おそらく、焼けてしまったゆえな。残っていたとしても、その後、探すこともせなんだ」

「………」

静かに言葉をこぼすがくぽを、カイトはじっと見つめていた。

その瞳には、おそらく、今が映っていない――出会った日、自分が首級を跳ねた男と、その死を見届けて咽喉を突いて死んだ女を、思い返している。

己が奪った、カイトの父母を。

「気が利かぬことだと思うたが、こうまで年を重ねれば、もはや探しようもない。どうしようかと思うたら、我の母のものがあると気がついてな」

見つめるカイトに構わず、がくぽの瞳は白無垢を眺める。

そのくちびるがふっと緩んで、ようやく、カイトを見下ろした。

「………我の母のものだ。厭だと言うなら、そなたのために新しく作らせもしようが、それでは今少し時間が延びる。堪えて、着てくれぬか?」

「………がくぽ、さま」

カイトは、震えて閊える咽喉から、なんとか声を絞り出した。

そうでなくても、傷んで掠れていた。

今はそれだけでなく、大きすぎる期待と裏切りの予感に怯えて、うまく出て来ない。

「がくぽさま」

名前だけをどうにかつぶやくカイトに、がくぽは微笑みかけた。胸の前で握りしめて激情を堪える、細く骨ばった手を取る。

「そなたを正室として、迎える。我のただひとり、永遠の妻として」

「………」

言葉にもならないまま、見開かれたカイトの瞳から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれた。

嗚咽が漏れることもなく、大声を上げるでもなく、雫だけがこぼれて、頬を濡らす。

がくぽはそんなカイトの瞳を見つめ、静かに訊いた。

「そなたに選択肢などない。だが、訊こう――我の妻として、我と生きる決意はしてくれるか?」

「………っっ」

ひっく、と大きくしゃくり上げ、カイトはくちびるを空転させた。

それでは、なにひとつとして問題の解決にならない。受けるべきではないと思いながらも、なにも考えのないままに振る舞う相手でもないと、信頼もある。

だからきっと、そう言ってくれるのならば、カイトひとりを傍に置いて――

どのような問題あろうとも、共に手を携え、生涯乗り切って行く覚悟を決めてくれた――その覚悟を、カイトにもしてくれないかと、訊いてくれたのだ。

戦慄きながらなんとか返事をしようとして、結局言葉にならない。

ひっくひっくと何度もしゃくり上げてから諦め、カイトはがくぽの胸に飛び込んだ。

「………やれやれ、いつまで経っても幼い」

笑いながらつぶやき、がくぽは縋りついて泣くカイトを抱きしめる。胸の中にしっかりと抱きこんで、短い髪を梳いてやり、崩れそうな体を支えた。

「っっ、っっ」

「………ああ」

嗚咽に紛れながら、カイトがこぼした断片。

拾い上げて、がくぽはますます微笑み、抱く腕に力を込めた。

広げられた白無垢を眺めてから、傍らに立つめのとへと視線を流す。

「――図ったろう」

きっかけとなった夜のことを差して言うと、がくぽの前では表情も感情も見せないめのとは、だからなんだとばかりに冷たく見返してきただけだった。

もとより、返事も期待していない。

それでことがうまく運ばず、怒りに任せたがくぽに仕置かれようと、きっと構わないのだろう。

彼女が望むのは、ひたすらに、己の『姫』の生。

己の『姫』の、しあわせに満ちた、生涯。

泣きじゃくるカイトを抱きしめたまま、がくぽは軽く首を傾げた。

「――それで、そなたのしあわせは、何処にある?」

何気ない問い。

答えも期待しない。

けれど、凍りついて溶けることのないと思われた彼女の顔は、ゆるゆると解け、莞爾とした笑みを浮かべた。

「………」

瞳を見開いて固まるがくぽに構うことなく、メイコは誇らしげな笑みを浮かべたまま、愛しい男の胸に縋って泣く主を見つめていた。

終幕