幕間-ツドキノタブレ

どこのどのネジが緩んだかすっ飛んだか、さもなければ締め間違えたかは不明だが、がくぽがカイトを口説くと言い出した。

ひと口に『口説く』といっても、意味が雑多にある。たとえばある組織やグループへの参加や所属を求める『勧誘』でも、『口説く』といった表現を使う。

が、もちろんがくぽの言う『口説く』とは、なにかに属せという勧誘ではなく、『親密に付き合いたい』とか、『恋人となってほしい』という――

ロイドだ。

がくぽは男声型で、カイトも男声型。同性、男同士だ。

ロイド同士や男同士で恋愛はないと言うメイコではないが、そこはかとない疑問はある。

つまり、

「あんた、カイトのどこがいいの」

「メイコ………」

おやつの時間だった。おやつ自体はマスターが用意するのが常だが、合わせるお茶程度はロイドたちが好き勝手に淹れる。

ちなみに今日のおやつは、がくぽがミートパイで、メイコがアップルパイ、そしてカイトがアップルパイのバニラアイス添えだ。贔屓も愛情の偏りもない。誰一人として、この配分に文句はない。

そのおやつに合わせ、今日はメイコが、ローズヒップティーを淹れた。ごくわずかに砂糖を加え、ほんのりと甘くしたお茶だったが、元々の香りなどが由来して、甘いものが苦手ながくぽでも無理なく飲める。

だからがくぽが一瞬、眉をひそめたのは、甘さを堪えかねたわけではない。答えあぐねる質問だったからでもない。

訊いているメイコの手つきだ。

片手の人差し指と親指の先をくっつけて『丸』をつくったメイコは、その丸の中に、もう片手の人差し指を抜き差ししながら訊いてきたのだ。

あまりお行儀のいい所作ではない。

「ゆるふわっと、イメージは出来るのよ。たぶん、こんなとこだろうなーって。でもちゃんと、言葉にして聞いたことってないし」

「あー………」

ダイニングテーブルを挟んで対面に座り、ぬきぬきさしさししながら訊く妙齢の女性から、がくぽは束の間、目を逸らした。隣の席に座るカイトへ、視線を流す。

カイトはおやつに夢中で、がくぽとメイコの話など聞こえていない。いや、正確に言って夢中なのは、おやつ全体ではなく、添えものであるアイスのみだが。

KAITOシリーズの常として、カイトもまた、アイスが大好きだった。無尽蔵に食べさせろと要求はしないが、目の前にあると他ごとを忘れる。

今日も今日とて夢中になり過ぎたカイトのスプーンの持ち方は、赤ん坊のようだった。柄をぎゅっと握って、無心にアイスを掻きこむ。

ひとに因りけれ、その光景は少なくとも、がくぽの心をほっこりと癒した。

ついつい状況を忘れて見惚れてしまったがくぽだが、メイコが痺れを切らす前に我に返った。

「あ………」

「はいはい………」

はっとして顔を向けたがくぽを、メイコは呆れを隠しもしない半眼で見返す。

多少の気まずさは覚えたがくぽだが、同時に安堵もしていた。

がくぽが正気に返るのを、メイコは茫洋と待っていたわけではない。目のやり場に困る手つきをいったん解くと、その手にフォークとナイフを握り、自分のおやつを片付けていた。

だからがくぽが目を戻したとき、メイコは呆れた半眼をしつつも、頬はリスのように膨らませて、口いっぱいに突っこんだアップルパイをもごもごと咀嚼していた。手にはフォークとナイフだ。

この組み合わせは物騒だという話もあるが、怒らせていたわけでもない。過剰に怯える理由もなく、単なるカトラリーで、目のやり場に困ることもない。

「あー………その。カイトの、良いところ、だったか?」

「なんかもう、どうでもよくなってきたわ。でも言いなさい」

「………」

呆れた表情まま、メイコは促す。がくぽは目線だけで天井を仰いだ。

要するに、暇つぶしというものだろう。もしくは、社会性動物として設定されているがゆえに生じざるを得ない、コミュニケーション義務。

「ひとつに絞るのも難しいが……」

考えながら、がくぽは自分のおやつであるミートパイにナイフを入れた。適度な大きさに切ったものを、ひと口、含む。

もごもごと咀嚼し、嚥下するまでの間に答えを模索しつつ、がくぽは再び、カイトに目をやった。

メインアップルパイの、たかが添え物であるアイスだ。

すっかり食べ終わったカイトは、アイスがなくなってしまったときの常として、堪え難いまでの寂寥をなんとかして堪えなんと、じじっと皿を見つめて固まっていた。

ややして、きゅっと目を閉じると、ふるりと首を振る。勢いよく振った首とともに未練も振り切ると、カイトは目を開き、握っていたスプーンをフォークに持ち替えた。ナイフで切り分けることはせず、フォークだけで豪快にざっくざっくとアップルパイを切り分け、口に運ぶ。

軽快で、見ていても気持ちのいい食べっぷりだ。

「………最大の点を上げるなら、男らしさだろうな」

「はい?」

ふんわりと微笑みながらつぶやいたがくぽに、メイコは眉をひそめた。訝しく首を傾げ、上から下へ、さっとがくぽを確かめる。

そんなメイコへ顔を戻したがくぽは、相変わらず、ふんわりとした笑みを湛えていた。

「カイトは憧れの男だった――否、過去形ではないな。今でもそうだ。俺にとってカイトは理想の男、憧れだ。男として斯く在りたいという、男子斯く在るべきという、男らしさの手本であり、理想そのものが、カイトだ」

「は………い、ぃい?」

重ねられる言葉に、メイコは胡乱を通り越して目を点にしていた。

がくぽが語っているのはいったい、誰のことなのかという――いったいなにを、騙っているのかと。

これだけカイトカイトと連呼しているのだから、もちろん『カイト』のことだろうが、しかし。

「んっなんか、ホメられてる気配察知!!」

すでにアップルパイも空にしたカイトは、未だ多少、口をもごつかせつつ、ようやく話題に混ざって来た。

きらきらに輝く顔で――口の周りはパイカスだらけで、だが構うこともなくにこにことがくぽを見る。

「ホメてる?!」

「ああ」

念を押されて、がくぽは苦笑しながら布巾を取った。カイトの口周りをやわらかに拭いてやりつつ、頷く。

「こうして本人を前にして、改めて言うとなると、気恥ずかしいものだが………」

「んーっ!」

まるきり赤ん坊か、小さな子供のように扱われながら、カイトはご機嫌な笑顔だ。

ある程度はがくぽに自由を赦してやってから、ふるりと首を振って布巾から逃れる。ぱかんと、大きく口を開けた。

「ひとくち!」

「ああ……」

強請られて、がくぽは苦笑を愉しげなものに変え、布巾を置いた。フォークに持ち替えると、大きめに切り分けたミートパイをカイトの口に運ぶ。

「んむーーーーっ」

いっぱいに頬張ることとなったカイトは、片手で口元を押さえ、目を白黒させながら懸命に咀嚼する。

この変顔――もとい、一所懸命な表情が見たくて、わざわざ大きめの欠片を突っこんだがくぽだ。

ほっこりと癒されながら、カイトに見入る。

「ねえ、ちょっと、がくぽ」

「ん?」

呼ばれるままメイコへと顔をやったがくぽは、わずかに後悔した。ほっこりして、気をだるだるに緩ませ過ぎ、すっかり油断した。

メイコは、片手の親指と人差し指で作った輪の中に、もう片手の人差し指をぬきぬきさしさししながら、真剣にがくぽを見据えている。

「あたし、あんたはてっきり、カイトにツッコみたいんだと思ってたんだけど………」

もしかして、誤解してたの?

――真剣に訊かれたから、いいというものではない。本人がいるから気恥ずかしいという話でもなく、答えにくい質問というものは、ある。

頭痛が兆して思わず眉間を押さえたがくぽだが、気にしてくれるメイコではない。

そして、気にしてくれるカイトでもなかった。

「え………えっがくぽ、俺にツッコみたいの?!てか、ツッコみたかったの?!えっ、ツッコむの?!」

ようやくミートパイを飲みこめたカイトは、メイコの話も中途半端に飲みこんだらしい。素っ頓狂な声で叫び、兆す頭痛と戦うがくぽを驚愕の瞳で見つめた。

下手に答えを引き延ばすと、話がどこに転がるかわからない。

収拾がつかなくなることだけは、確実に予測できる。

なにしろメイコとカイトだ――旧型機の思考の飛躍と着地点の不明さは、新型の機能を遥かに凌ぐ。

収拾をつけたいなら、今のうちだ。

兆す頭痛が治まる様子はないものの、がくぽは非常に日本人的な――つまり、物事を曖昧にする朧な笑みを浮かべ、とりあえず口を開いた。

「否、そうだな――まあ、希望を通してもらえるなら、………第一希望ということだが。突っこみたいな」