つづらめうた-03-

「んっ、く……………っっ」

快楽を与えてやろうと言われたが、カイトにはひたすら痛みしか感じられなかった。この痛みが快楽に変わる様子も、想像できない。嘘だとしか思えないほど、痛みしかなかった。

時に狂いに落ちて苛んでも、基本的にはおよめさまに甘く、快楽漬けにしたがるがくぽだ。なにより、どこでどう経験を積んだものか、この手の知識の豊富さといったらない。

だから、いずれ快楽に変わると言うなら、そうかもしれないという信頼はあれ――

「……痛いな」

耳元で、がくぽが小さくこぼす。憐れみに満ちて、痛みを共有するような声だった。カイトに痛みを与えている張本人で、しかもがくぽは見ているだけなのだが。

「憐れな……」

「ぅ……っ」

ぷくんと膨らんでいた片方の乳首を、洗濯ばさみで挟んだ瞬間、カイトの体があからさまに竦んだ。きゅっとくちびるを咬み、瞼をきつく閉じて、堪えている様子がありありだ。痛みのあまりに、抱いた体がぷるぷると震えているが、反射の震えでも痛みが増幅されるらしい。

一度は勃ち上がりかけたカイトの男性器は、萎れて着物の中に隠れてしまった。

それで長く苛むこともなく、がくぽはそっと、カイトの乳首を挟んだ洗濯ばさみを取ってやる。

「ふ、ぁ………っ」

安堵の声を漏らしたカイトの、きつく閉じられていた瞼から、堪え切れない涙がひとしずく、こぼれた。

くちびるを寄せて吸い取ってやり、がくぽは苦く笑いながら、つまんだままの洗濯ばさみを振る。

「痛かったろう?」

「ん、はい……」

問われて、カイトはこくりと頷く。痛かった。それは確かだ。もう一度やると言われたら、さすがにこの腕の中から逃げ出したいかもしれない。

嘆願の色を浮かべ、潤む瞳を向けたカイトに、がくぽは穏やかにくちびるを寄せた。眦に口づけてこぼれかけの涙を啜ってやり、目頭へと舐め辿って、眉間をちゅっと音を立てて吸う。

「ん……っ」

獣の慰撫にも似たしぐさに、未だ凝り固まっていたカイトの体がわずかに解ける。くちびるがうっすらと笑みを刷いたことを認めて、がくぽのくちびるもやわらかに解けた。

「まあ、そうだ。いくら愛撫してやっても、ここは下の口とは違う。いずれやわらかく解けて、凶器を受け止めるというものでもない」

「……っ」

喩えられることに、カイトはふわりと染まった。顔を戻すと立てた膝に埋め、先とは別の意味で体を硬くする。

痛みに竦んで、萎えたばかりだというのに――想像だけでもう、曰くの『下の口』が、『凶器』を求めて疼く。

あまりに淫らがましい反応なので、夫には知られたくない。が、おそらく完全に見透かされている。

きゅううっと丸くなるカイトに、がくぽは声を立てて笑った。わずかに顔の向きを変えて、恨みがましい視線を寄越したおよめさまにも、堪えることはない。

ひらりと振って、洗濯ばさみを葛籠に戻し、変わって小瓶のひとつを取った。

「しかし何事も、やりようというものだ。体が快楽を得られると、なにかしらで学習すれば良い。その端緒を開くに、薬を使うもまた、ありだ」

「がくぽさま………っ」

なしだ。

カイトは頭を抱える心地で、再び膝に沈み込んだ。

どうしてそこまでして、快楽を覚える必要があるのだろう。すでに普段、夫が尽くす手管だけで、カイトはおなかいっぱいだ。いや、過ぎて余るほどだ。

これ以上など、欲していない。

が、どういうわけかがくぽは、まだ足らないたらないと、カイトを快楽漬けにしたがる。

これでカイトが、なにをどう施されても、まともな反応を返していないというならまだしも、――突き抜けて意識を飛ばすことや、理性も正気もなくしてはしたなく、夫を強請る羽目に陥ることも頻繁なのだ。

くり返すが、おなかいっぱいだ。過ぎて余る。これ以上など、完全に許容値を超える。いや、すでに超えている。

「………ん超えてるなら別にもう、これ以上でも、結果はおんなじ………?」

「カイト?」

自分の思考の罠に嵌まったカイトが漏らしたつぶやきは、がくぽには拾いきれなかったようだ。おそらくは、夫のやらかすことについてまた、なにかしら無力にぼやいていると思われただろう。

それはそれで、幸いだった。カイトは確かに奉仕精神に溢れているが、なにも滅私奉公に尽くさなければいけない義理はない。すでに十分というものだ。

なんとか気力を掻き集めたカイトは、遠慮しいしいな視線をがくぽに向ける。

「あの、がくぽさま………その、俺はもう、十分に……」

「先を知らぬものは大概、そう言う」

「知らぬが仏とも言いますよ?!」

珍しくも、カイトの反論は間を置かなかった。それで容赦を覚えてくれるがくぽではないが、カイトの心情は知れる。

カイトがぶつくさと思考の罠に嵌まっている間に、小瓶から薬を掬い、指に乗せていたがくぽは、そのままの格好であやすように笑った。

「痛みの記憶だけで終わっては、祝いも糞もなかろうが。そなたは俺を、甲斐性の欠片もない酷悪な夫にしたいのか?」

「いわ、い………」

言われてようやく、カイトは思い出した。

そういえばこれは、カイトの生まれ日を祝うという名目で、がくぽが用意した品だった。

「いわ………っ」

――なにかが果てしなく違う。ずれているにも程がある。

いかに印胤家というものが特殊な環境にあるのかという証左でもあるが、なおのこと、説明に苦慮する。

言葉を失って黙ったカイトだが、この場合、沈黙は肯定だ。醸し出す空気がどう否定的でも、沈黙は肯定で、受け入れた証だった。

咄嗟には反応できなくなっているカイトに、がくぽは薬を乗せた指を素早く伸ばした。撓んでいた体を起こすと、まずはじんじんと痺れる痛みを残すほうの乳首に指を這わせる。

「ぁっ、いっ、んんっ」

「よしよし………いい子だ。すぐに悦うなるゆえな……」

「や、ぃたっ………っ」

びくんと跳ね、反射で逃げかけた体を抱えて抑え、がくぽは誑かす言葉を吹き込む。腰は落ち着けたカイトだが、ぷるぷると首を横に振って、夫の言葉を弾いた。

挟まれていたときの比ではないが、痛い。触れ方はやわらかく、塗りこまれる薬が沁みるということもないが、残る痛みが増幅される。

しかもどちらかというと、まずい痛み方だ。なにがまずいと言って、この痛み方は快楽に繋がる。

挟まれたまま快楽を得られるようになるとは、未だに思えないカイトだ。が、すぐに外された後の疼きなら、快楽に繋げられる。こちらは、確信だ。そう仕込まれた。

仕込んだのはもちろん、今、労わりに満ちた指使いで、容赦なく得体の知れない薬を塗りこむがくぽ――

「ぃや、がくぽさま………っ」

「ああ、気持ち良いか。そなたは乳首が好きだからな。すぐに覚えられよう」

「ちがぁ………っぁあんっ」

愛はあってもたまに、ごく頻繁に、言葉が通じなくなる。夫婦とはいえ、所詮赤の他人同士。袖すり合うような近場で育ったわけでもなし、これは当然のことだ。

が、悩ましいことはもちろんで、出来れば意思の疎通を図れるようにはなりたい。そのうちに。今は無理だ。

努力義務を痛感しつつ、身悶えながらも逃げきれないカイトは、結局両方の乳首に薬を塗りこまれた。

くすんくすんと洟を啜りながら、カイトはぷっくり勃ち上がっている乳首を見つめた。恥ずかしい以外の、なにものでもない。女性のように肉を蓄え、丸んでいるわけでもない胸に、そこだけ一際赤く、つぷりと膨らんで存在を主張する蕾。

夫に弄られ嬲られ続け、快楽を得ることを覚えた、まさに性器。

「………ぅっ………」

「すぐに効く。そう構えずとも、効くまでは苛んだりせぬ。効けばあからさまにわかるしな。読み違える心配も要らぬぞ」

「ちが………ぁ………っ」

べそべそになりつつ、カイトは立てた膝に顔を埋めた。そこの心配はしていない。いや、するべきだったが、より以上のことに気を取られてしていなかった。しかも気がついたが、その心配も重ねてしなければいけなかったのだ。

なにせ塗られたのは、効果もわからない、得体の知れない薬だ。なにがどうされるのか、どうなってしまうのか、まったく予測がつかない。

「ぅう………っ」

考えることが多くなり過ぎて、カイトの瞳は瞬間、虚ろになった。面倒くさくなったのだ。全部放り出そうかなと、もう為すがままにだだ流されようかなと――

思ったところで、びくりと背中が反った。

「ぁ………?!」

「な言うた通りだろう」

「んっ、がくぽさ……っ!!」

得々として主張されたが、そんな場合ではない。

カイトは抗議を込めて名を呼んだが、続かなかった。薬を塗られた胸が、乳首が、熱い。火傷でもしているかのような熱さで、痛みだ。尋常ではない。

「がくぽさ、ぁ、や、なにを……?!」

訴えようとしたカイトだが、言葉は別の衝撃に取って代わられた。

葛籠に放りこんでいた綾紐を取ったがくぽは、薬の効果に悶え始めたカイトの両手を掴み、後ろに回して縛り上げたのだ。

特殊な縛り方で、関節を抜けば外せるというものではない。もがいて緩められるものでもなく、意外に解き方は簡単なのだが、縛られたほうはそうそう解けないという、非常に厄介な。

人体各所の縛り方に精通するのは、印胤家独特の習慣だ。

それで誰をどう縛るかはともかく、己の命に関わる大事でもあるので、必修だ。今は幼く、あどけない末の子のがちゃぽですら、すでに数種類の縛り方と解き方を修得している。

「そなたのためだ、カイト。悪戯に己を傷つけぬようにな」

「ぃやあ………っ」

カイトのくちびるから、かん高い悲鳴がこぼれる。瞬間、痛ましそうに眉をひそめたがくぽだが、容赦するわけではない。

縛るために一時的に座敷に転がした、薬の効果に惑乱して暴れる体を器用に起こして胸に抱え込み、顎を捉えて強引に口づけた。

「んんん………っんんっ」

「落ち着け。そうまで酷いものではないはずだ。落ち着きさえすれば……」

「がく、ぽ、さま……っ」

くちびるを解いたがくぽに言い聞かせられ、カイトはこぼれそうな涙を湛えた瞳をきっと上げた。他人事と思ってと、経験もないくせになにをとばかり、言葉にし尽せない諸々を込めて睨む。

受けて、がくぽは飄と肩を竦めた。

「わかる。使ったことがあるゆえな。ゆえに大丈夫だと言う」

「っっ?!」

びくりと、カイトの体が固まって止まった。

ぎょっと見開かれた瞳をきちんと見返して、がくぽはやはり、飄としたままちょこりと、首を傾げる。どこか困ったような表情のせいで、いつも以上に意外なかわいらしさが倍増した。

「『薬』にしろ毒にしろ、耐性をつけるは当然の嗜みだ。俺にはほとんどの媚香や毒が効かぬだろうこれもな。おそらく今はもう、効かぬ。初めは散々だったが」

「………」

言葉もなく見入るだけのカイトに、がくぽはさばさばと笑った。

「まあ、おかげで酷い幼少期だったが、今となれば避けて通らずに正解だったと言える。………避けて通らずに良かったとは言わぬが、少なくとも、正解だったとはな?」

言って、がくぽはカイトの顎を撫でた。首へと撫で辿り、ぴくりと跳ねた体に瞳を細める。

「……な落ち着けば、そうそう酷いこともなかろうあまりに経験もなければきつかろうが、そなたは俺が連日、仕込んでやっている身だ。いかに心根が清廉であろうとも、体はこの程度、受け止められるまでに淫猥に染まっている」

「がくぽ、さま……っ」

嬲る意図もない事実だけを述べる声音だが、それだけに逃げようのない現実が突きつけられる。

カイトの頬はぱっと朱を刷き、先とは違った意味できっとがくぽを睨みつけた。がくぽといえば、常と変わらない。反省もなく軽く笑うと、さりげなく手を辿らせ、殊更に赤く染まってぷっくり膨らむ乳首に触れる。

「ひぁあんっ!!」

「………ま、触れれば酷いがな」

大きく跳ねた体を予測していたため、がくぽは逃すこともなく腕に収めて、しらりとつぶやく。

「ぁ、あ………っ」

「己だけの感覚より、数倍は鋭いだろう使い過ぎると廃人になるゆえ、そうそう何度もは使わぬ。が、体を作り変えるには、数回で十全だ。そなたであれば、この一度で十分やもな」

「ゃ、がく、さ………っ」

確かに落ち着いたあとには、どうしても暴れなければいけないほどではなくなった。が、依然、疼きは疼きとしてあって、身を苛んでいる。

そこに与えられた、刺激だ。おそらくは、ほんのわずかに指が掠った程度の、本来なら刺激とも言えないほどの刺激だった。

それでも、酷く後を引いて、全身が痺れるように疼く。理性を失って、がむしゃらに夫を求めたくなるような――確かに手を括られていなければ、己で胸を掻き毟っていただろう。

後を引いて苦しいが、紛れもなく快楽で、癖になる。酷いとわかっていて、刺激が欲しくてほしくて狂いそうなのだ。

「さわ……っ、さわ、って………んん、さわらな、で………っおくすり、いや……っ」

「どちらだ」

理性と欲望の狭間でこぼすカイトの言葉を、がくぽは笑って流す。再びもがく体を器用に抱えたまま、葛籠から洗濯ばさみを取り出した。

惑乱するカイトの眼前で閃かせて、意識を呼ぶ。

「ぁ………っ」

「ふ……っ」

それが与えた痛みを、カイトはまだ覚えている。快楽に繋げられるなど、まったく思えなかった。

嗜虐に満ちて笑うがくぽが掲げるそれから目を離せないまま、カイトはかくかくと体を震わせた。怯えがある。ただし、痛みの記憶への怯えだけではない。

快楽に繋がるだろうと、予測のついてしまう、今の状態への――夫の言う通り、さらに淫猥に体が作り変えられるだろうことへの、怯えだ。

元々貞淑な性質のカイトには、そこまで己が淫らがましくなることは、恐怖と同じだ。夫が望んでのことなのだが、その肝心の夫から、あまりに淫らではしたなく、みっともないと嫌われそうな気がするのだ。

言葉を失くして見入るだけのカイトだが、この場合、沈黙は肯定で、期待だった。いかに否定的な雰囲気を醸し出そうと――そして今のカイトには、完全に否定する雰囲気を醸し出すことは、出来なかった。

刺激が欲しいのだ。

欲しくてほしくて、ほしくて――

「い、や………がくぽ、さま……」

「知らぬものは大概、そう言う」

「や……っ!」

目の離せない凶器が、カイトの胸に無情に寄る。

動けないまま、ひたすら見入るだけだったカイトは、がくぽが最大限に気をつけて乳首を挟みこんだ瞬間、言葉も発せないほどの快楽に襲われて極みに達し、意識を白く弾け飛ばした。