夢繚乱噺-03-

「…………っっっ」

「カイトっ、しっかりせいっ!」

衝撃に目を回してふらりと傾いだカイトに、がくぽは慌てて煙管を煙草盆へと投げる。

ぺちぺちと軽く頬を叩くと、カイトは気持ち悪そうに表情を歪めてどうにかこうにか体を起こし、ミクへと顔を向け直した。

「吉原にいたって…………本気で?!」

「うん、花魁・巡音。伝説級の人気者☆」

「…………っっっ」

「カイトっ」

カイトは再び目を回しかけて、がくぽに支えられた。

震える手が伸びて体を支えるがくぽの手に重なり、縋るように握る。

うるるん、と潤んだ瞳で見上げられて、がくぽは困惑に眉をひそめた。

花魁となるからには器量も度量も申し分ない娘なのだろうが、吉原に辿り着く経緯が問題だ。仕事がないので雇ってください、と門を叩いて入る場所ではない。

そこに行きつくまでには、必ず後ろ暗い道を通る。

「家出した先で、人買いにでも騙されたか」

もっともありそうな懸念を口にしたがくぽに、カイトはさっと目を逸らし、畳を見つめた。

「騙されたとしたら人買いのほうだと、ボクは断言するけど」

ミクがあっさり言い、畳に目を落としたカイトは、ぐすっと洟を啜った。

「俺も断言できる………」

暗い声音で言い切られ、がくぽは目を眇める。放り出した煙管を取ると咥え、煙を吸い込んだ。

「……………斯様な妹なら、吉原に居るごとき、そう心配せぬでも」

「だって、がくぽさま………っ」

瞳を潤ませてがくぽに取り縋り、カイトはぐすぐすと洟を啜る。

「る、ルカちゃんが、吉原で……よ、吉原で………っっ」

「あー………泣くな、泣くな………」

確かに、どういう妹だろうと「吉原」にいると聞かされた衝撃は大きいだろう。事情があって家出したらしいが、やさぐれるにしても方向性が悪過ぎる。

貞操観念にうるさい時世だ。軽い気持ちで足を踏み入れていい商売ではない。

どう足掻いても、もはやまっとうに戻れる道がない。――そもそもがねずみ小僧一族の出で、まっとうから遠く離れたところにいたとしても。

よしよしと頭を撫でてやったがくぽに、カイトは一粒、涙をこぼした。

「いっぱいのひと騙して陥れて貶めて、ご迷惑をお掛けしてるなんて考えたら………っっ」

「………………」

それはそれで、吉原に必要な逸材だろう。いわば適材適所。

そう思ったが、がくぽはとりあえず沈黙を守った。

兄の言葉に、ミクも深く頷く。

「まあ、すでに伝説つくっちゃってたしね…………」

どんな伝説か、聞きたいような聞きたくないような。

珍しくがくぽが迷っている間に、ミクは肩を竦めた。

「とりあえずボクとしては、見っけちゃった以上は捨て置けない」

軽く言ってから、ふいに真顔になる。

「ルカちゃんはまだ、正式には足抜けしてない。つまり、『ねずみ小僧一族くりねずみ一家のルカちゃん』のまんまなんだよ。一族のものがお外で勝手にお商売したり、他人様に迷惑掛けてるのを黙っては見てられないし――里から許可も得ずに勝手に出て行った以上、罰も受けて貰わないと」

「………ミク」

くすん、と洟を啜り、カイトは気難しい顔のミクを見た。なにか言いかけて、口を噤む。

その体が、自分を抱える夫へと、そっと凭れかかった。

甘えるしぐさに、がくぽは瞳を細める。抱く腕に力が篭もり、カイトはほんわりと瞳を和ませた。

そうやって時も場合も構わずいちゃつく夫婦に、ミクは打って変わって明るい顔を向けた。

「っていうわけだからさ。ルカちゃんのこと説得して里に連れ帰るまで、ちょっと逗留させて欲しいんだよね。ほら、使えるものは兄婿の実家でも使えって言うじゃん」

「幾重にも聞いたことがないわ」

「ぁ、ぅくっ、がくぽさ、まっ」

吐き出すがくぽの手が、カイトの肌を引っ掻く。痛みではなく震えたカイトの首筋に、がくぽはくちびるを落とした。

そのまま、煙管を持った手を軽く振る。

「まあ良い。部屋ならいくらでも空いている。そなたはカイトの妹ゆえな。ひとつ貸すくらいしてやろう」

「ぁ、ふぁっ」

きり、と首を咬まれて走った疼きに、カイトは慌てて口を押える。

がくぽは一度離れると、煙管を煙草盆へと放った。

「とりあえずは、グミのところへ行け。屋敷の管理はあれの仕事だ。適当な部屋を見繕ってくれよう」

「グミちゃんってさー」

ミクは首を傾げ、宙を睨む。

「金髪の子それとも、短いほう?」

「短いほうだ。…………既知か」

がくぽの低い問いに、ミクはへらりと笑った。

「既知っていうかー。
ボクもさ、お部屋の管理なんて、この家の女主人が切り盛りしてると思ったんだよね。女主人ったら、がっくんのおよめさまであるおにぃちゃんだろうけど、どうせお取込み中だろうからさ。先にそっちのほうに行ったんだよ。そしたら、金髪の女の子に押し倒されてる、髪の短い子がいて」

「えって、ミク?!ぐ、グミさま?!」

ミクの言う髪の短いのがグミなら、金髪の子というのはおそらく、リリィだ。どちらも、がくぽの妹だ。

波乱含みな言葉に目を白黒させるカイトに構わず、ミクはにんまりとくちびるを裂いてがくぽを見た。

「ボクの姿見た途端に、金髪の子跳ね飛ばして、一瞬で長刀突きつけてきたよ、あの子。あの反射神経は、さっすががっくんの妹だね」

褒めているのだろうが、場合が場合だ。

がくぽは瞳を細めて、ミクを見た。

「それでグミはなんと?」

「えうん」

悪びれもせず、ミクは肩を竦めた。

「ボクが、お宿貸してって言ったら、そういうことはこの家の主たる、あにさまに話を通してからにして貰おうか、って言われてさ。だからボク、わざわざここまで来たんだけど」

無邪気にも無邪気な声音だ。

がくぽはくちびるを曲げると、カイトの耳に齧りついた。

「ゃっ、いたっ!」

カイトは悲鳴を上げるが、その声には、痛いだけではない色が滲んでいる。

カイトは甘える瞳で、悪戯して回るがくぽを見上げた。頬に手をやって、赦しを乞うように、そっと口づける。

かわいいしぐさを受け入れて、がくぽはミクへと、おざなりに手を振った。

「ならば、グミの部屋を教えるまでもないな。もう一度行け。俺の許可が下りたと言えば、すでに用意した部屋に案内してくれよう」

「言葉ひとつで信じるもん?」

一応ボク、不審者なんだけど、と目を丸くするミクに、がくぽはくちびるを歪めた。莫迦にしきった様子で、鼻を鳴らす。

「俺の言葉を騙れる莫迦がいるならな」

「自信満々だなー」

呆れたように言うミクに、がくぽはさらに手を振る。

「もう用はなかろう。詳細を語りたいなら昼を使え。俺はまだ、カイトとし足らぬ」

「がくぽさま………っ」

がくぽの素直過ぎる言葉に、カイトは羞恥に顔を歪めて俯く。

さっきからずっと、がくぽの手が未練げに肌を弄っているうえ、背後に当たる熱があるので、そんな気はしていたが。

呆れるほどしつこく長いのが、がくぽのやり方だ。

確かに、まだ足るほど「遊んで」いない。

恥ずかしがるカイトの顎を持ち上げて自分を見つめさせておいて、がくぽは忌々しそうにミクを見やった。

「どうも、そなたがいると気が散るようだからな。退け」

「………がくぽさまっ、んっ」

見られながらで興奮する特殊性癖はないのだから、ごくまっとうな反応のはずだ。

それなのにそんなふうに言うがくぽに、カイトは責める声を上げる。しかしくちびるはすぐにがくぽに塞がれて、掛物の下の体が熱を呼び戻すように探られる。

「ん………ふぁ」

カイトは蕩けた声を上げ、しかし困ったようにちらりと妹を見やった。

ミクは肩を竦める。

まあ、夜半に来た自分がこういう扱いになるだろうことは、予想済みだ。だからこそ、本来の「女主人」である兄のほうではなく、「影の女主人」であるがくぽの妹のほうに、先に会いに行ったのだし。

「まあね。ボクとしても居候させてもらう身分だから、今回はあんまりワガママ言わないよ。どうぞごゆっくり、二戦目を愉しんで」

「ぅっ」

「ん?」

立ち上がってひらりと手を振ったミクの言葉に、カイトの呻き声が応える。

いたたまれなさそうなその響きに、ミクは反した身を再び翻らせて、蜘蛛に絡め取られた獲物にも等しい兄を見やった。

「おにぃちゃん?」

「………ぇへ?」

訝しげに呼ぶと、カイトは夜闇にもかわいらしく笑って首を傾げた。ミクの膝が、反射で落ちる。

「くっ、相変わらず破壊力抜群のらぶりーきゅーつっ」

くりねずみ一家に伝わる隠語でなにやら吐き出し、ミクは懸命に立ち上がる。

そのミクに、がくぽの呆れたような声が被さった。

「三戦目だ」

「は?」

「三戦目」

「…」

ミクは少しだけ遠い目になって、夜空の彼方を見つめた。

夜半だ。

だからまあ、そういうことももちろん、あろう。

肩を落として、ミクは照れる兄と照れる素振りもない兄婿に手を振った。

「うんほんと、仲睦まじくて、ボクあんしんしたー。邪魔者は消えるから、三回だろうと四回だろうと、どうぞご存分に」

悲哀を伴ってつぶやき、ミクは閨から出た。後ろ手に障子を閉め、暗い夜空を見上げる。

「ぁ、まだだめ、がくぽさま…っ」

「やさしうして欲しいなら、だめだのいやだだの言うな」

「もぉ、がくぽさま……っ」

早速聞こえてきた甘い声に、ミクはかりかりと首の後ろを掻く。

兄の声が甘いのはいいが、応じるがくぽの声がまた、蕁麻疹ものの甘さだ。言っていることは横柄なのだが、あまりにも甘く蕩けた声で、カイトへの溺愛ぶりが窺える。

「好きと悦いだけさえずっておれ。さすれば、快楽に身も心も蕩かしてやろうから」

「ん………も、がくぽさま………っすき。だいすき…………だいすき、ですから………ねっぁんっ」

「いいなあ」

ミクはつぶやくと、そっと障子から離れた。

見かけのしぐさこそ荒っぽいのだが、さっぱり音がしないという不思議な歩き方で、廊下を歩き出す。

「ボクだって、さ…………」

背中を追いかけてくる甘い声を聞きながら、ミクは肩を落とす。

兄も姉も好きなひとと、熱々のいちゃいちゃだ。うらめしいを一字変えて、うらやましい。

――もちろん、恨めしい、を一字変えても、羨ましい、にはならないように、ミクが抱える問題は、そう簡単には解決しそうにない。