恋斬り甘書き

座敷に入ってきたがくぽは、迎えたカイトへとまず、綴じ本を渡した。

「……………」

「読め」

「……………」

そう来ると思ったのだ。

受け取ったはものの、きゅっと口を引き結んで言葉もないカイトに、がくぽはあっさりと言う。

ごろりと横になると、体を硬くしているカイトの膝に、勝手に頭を乗せた。

「カイト」

「……………どうして、そんな………俺に、猥本なんか朗読させたいんですか………」

本を受け取っただけで疲労困憊し、カイトは項垂れて夫に問う。

問われた夫の方は、いかにも心外そうに瞳を見張ってみせた。

「読みもせぬうちから、猥本と決めつけるな。そなた、夫をなんだと思っておるのだ?」

「………………」

厚顔無恥にも、ほどがある。

さすがに恨みがましく、じっとりと見たカイトだったが、がくぽが厚顔無恥な証に、さっぱり堪えた様子はない。

放り出しまではしないものの、表紙を開くこともできないカイトを、膝に懐いたがくぽは無邪気そうな瞳できゅるるんと見上げた。

「案ずるな。今、巷で話題の恋噺だ。いかにもそなたが好きそうだと思ってな」

「……………」

そこまで言っても、カイトの表情にはありありと不信が浮かんでいた。

印胤家当主の口にする『巷』は頻繁に、一般に暮らす市井のひとびとではなく、闇稼業に精を出す裏社会のひとびとを指している。

裏社会の人間の間で話題になりそうな恋噺といえば、やはりこの間のごとく、猥本。

「カイト」

さすがにこの間があれこれと虐めすぎたせいでの、いつもは従順なおよめさまの反抗期なのだが、がくぽが懲りたり反省の色を見せたりすることはなかった。

ひたすらに夫として、家を支える当主として、折れることもなくじっとおよめさまを見る。

「夫の頼みだぞ聞いてくれぬのか?」

「…………」

言葉は幾分やわらかいが、言外に断ることを赦さない気配がある。

それでも好きだ。

夫が愛おしくて、胸がきゅうんとして仕方ないから、やはりカイトに勝ち目はない。

「もぉ………」

小さくため息をつくと、カイトは腹に力を入れ直し、きりっと背筋を伸ばして表紙を開いた。

……………

……………………

……………………………

本もあと少しで終わるというところで、カイトは大きく喘ぎ、ぐすりと洟を啜った。

その瞳はうるうると潤んで、今にもこぼれそうだ。

「が、がくぽ、さま………っ」

「どうした。あとわずかであろうに」

喘ぎ喘ぎ呼んだおよめさまに、膝に懐く夫はしらりと言う。

カイトはずびずびと洟を啜り、そんな夫をきっとして睨んだ。

「よ、よくも……よくも、悲恋ものなんてっ!!ぅ、ふぇえっ!!が、がくぽさまの、ばかばかばかばかばかぁっ!!びぇえっ!!」

がくぽがカイトに読めと持って来たのは、確かに恋噺だった。

それもこの間のごとく、いざ開いてみたなら、ひたすらに男女の交合場面ばかりだったという代物ではない。

れっきとした読み物で、それも切ないことこのうえない、悲恋ものだった。

初めは、いつ淫猥な言葉を言わされるのかとどきどきしていたカイトだが、次第にのめりこみ、この恋の行く末はいったいどうなるのかと、そちらのほうにどきどきし、そして。

「んっ、も、もぉ読めませんんっこ、これ以上なんて、悲しくって、声なんて出せませんんぅっ!」

「やれやれ」

悲しい恋の行く末にべそべそしているおよめさまに対し、その膝に懐いた夫のほうは、しらっとしたものだった。

「今度こそきちんと、恋噺であったろうが。そなたの好きそうなものと思って、求めてきたものを」

空涙すら流す様子もなく、しらしらと言う。

さすがは、ひとの情理を粉々に踏みにじって悔いも改めもしない印胤家当主――と、いえばいいのか。

カイトのほうは、ずびずびずびずび、洟を啜りながら、膝に懐くがくぽの肩をぺしぺしと叩く。

「かなしいのは、いやですっしあわせなのが、いいんですっ!!こ、これだったら、猥本を読まされたほうが、ずっとずっとましですぅうううっっ!!」

言って、ぅわぁああんと泣いてしまう。

「よしよし………仕様のない」

膝から起き上がったがくぽは、そんなカイトを抱いてやり、ぽんぽんと背中を叩いて宥めあやしてやる。

そうしてやりつつ、素直にきゅうっと縋りついてきたカイトの耳朶に、笑みに歪むくちびるを近づけた。

「猥本のほうが、ずっとまし、な聞いたからな、カイト。忘れぬぞ、その言葉」