きれいなくちびるが歪み、きしきしと軋む歯の音が響いた。

「あンの糞家宰が………っ俺のことをどれだけ見境のない、節操なしだと噂させたい気だ、ど畜生………っっ」

ÉGÉRIE-01

口汚く罵った青年は、並み居る美女も恐れをなして逃げるほどの美貌の持ち主だ。怒りに歪んでいても、美しさが損なわれることはない。むしろさらにいや増して、凄みとともに艶を醸し出す。

軋る歯の隙間から罵倒をこぼしながら、青年――当地方領主であるがくぽは、眼下の宴会場を見下ろした。

「熟女超えて老婆に、人妻、ほぼ子供に、――男。確かこの宴は、俺の妻候補を集めた宴のはずだが、…………ふっ、ふっくくく……………っっ」

声は笑っているが、顔が笑っていない。くちびるが笑みの形を作っているが、引きつる目が怖過ぎる。

がくぽがいるのは宴の会場の壁際、二階分ほどの高さにしつらえられた小部屋――物見部屋だ。

窓の半ばを垂れ幕で覆っていることもあり、がくぽからは会場を訪れた客の様子がよく見渡せるが、客からがくぽの姿は見えない。

椅子と小卓があるだけのこの部屋に、領主さまはまずここで、お嫁さま候補をとくとご覧になって――と、家宰に半ば無理やりに放りこまれ、閉じ込められること半刻あまり。

用意された椅子に座ってひとり会場を眺めるがくぽは、募るばかりの不機嫌さに、誰か現れようものなら剣を抜いて暴れ出しそうだった。

客の多くは、若い女性だ。いわゆる『適齢期』と呼ばれる。

今宵、がくぽ――領主の屋敷で催されているのは、耳当たりよく言えば、お見合いだ。

優秀にして有能と、他国にまで広く名を売る名領主、がくぽの唯一の瑕疵が、未だに結婚していないことだった。

当地方における婚姻可能な最低年齢は十四歳――とはいえ実際、そこまで幼くして結婚するものは、領民にはほとんどいない。

しかし領主、もしくは跡取りといえば、ほとんどが十四歳になると同時に結婚していた。確実に跡継ぎを得て、家の存続を図る必要性からだ。

だというのに、がくぽは二十歳をいくつ過ぎても、一向に結婚すると言わない。

言わなくても強制するのが領主の結婚だが、いかんせん、がくぽは優秀に過ぎた。

強制されても躱し続け、独身を貫いて今日に至り――追いつめられた家宰が催したのが、領地から女性を掻き集めての、大お見合い会だった。

概ね言って、がくぽにとっては恥晒し以外のなんでもない。

「ひとを種馬扱いしおってからに………そもそも俺が老婆を選んだら、どうする気だ。いくらなんでも、跡継ぎの産みようもなかろうが。まさかこの石女がと、責めればどうにかなるとでも思っているのか?」

だとしたら、家宰の頭の悪さは救いようがあるなしの問題ではない。即刻馘首、さもなければ断頭ものだ。

一応、家宰にも言い分はある。

これまで、適齢期の乙女をどう見繕って宛がってもつまみ食いだけで、本格的な春に見向きもしなかったがくぽだ。

家宰は追い詰められている。

もしかしてうちの領主さまは、特殊な趣味なのではないかと――

思考を空転させた結果、適齢期の乙女以外に、老婆や熟女、人妻に修道女、さらに言うなら男もいる混迷ぶり。

領主が結婚を急ぐのは、確実に跡継ぎを得るためだ。独り身では寂しいだろうという、慰めではない。

跡継ぎだ。

人間、追い詰められ過ぎると、肝心の目的を失念する。

いい例だった。

もちろん、一目してすぐに男とわかる男はいない。一応皆、きちんと女性ものの晴れ着に身を包んでいるからだ。

しかし。

「ひとを舐めるのも、大概にしろと言うんだ………」

伊達に有能さと優秀さで名前を売っていない。がくぽには、遠目であっても男女の別がついていた。

ついでに言うと、領民のこともそれなりに把握している。

未婚の乙女に混じって、夫も子供もいる女性が紛れていることも、晴れ着に身を包んでいても本来は物堅い修道女がいることも、すべてお見通しだ。

「………いっそもう、人妻を選んで、夫と子供も巻き込んだ大修羅場を形成……いや、面倒だな。あまり他人の家庭に踏み込みたくない。だとするなら修道女………いや、ここは思い切って、老婆………」

そもそも気の進まない宴だったというのに、閉じ込められて、ひとりきり、置いておかれること半刻あまりだ。

優秀にして有能、かつ言うなら矜持の高いがくぽの思考が、危険な方向へと転がり始める。

補記すると、閉じ込めて放っておくのに、家宰の深い思慮はない。

怖いだけだ。

思った以上に、領主の怒りは激しかった。

当初は、ほんのちょっとの時間ここで、良さそうな乙女を見繕わせたなら、会場に連れ出して~と、計画はしていたのだ。

だが、部屋から溢れだす怒気に圧倒されて、扉に手が伸ばせなかった。

さらに時間が経つにつれ、刻一刻と怒気は増し、部屋にも近寄れない――

死ぬ覚悟を固めるのは、誰でも時間が掛かる。

大げさなのだが、家宰はそこまで追い詰められ、廊下の隅で扉を開く勇気もとい、死ぬ覚悟を固めている最中だった。

時間が経てばたつほど、事態は悪化し、混迷の度合いを増す。

混迷の度合いを増した挙句に、嫁取りのために街中の女性(*註:一部女性以外を含む)を駆り出すようなナナメな宴が開かれ、さらに混迷させた場合――

「………っ」

もっとも家宰が困るであろう案をいくつか転がしていたがくぽだが、ふと息を呑んだ。

宴を眺めながらぶつくさとこぼれていた怨嗟が止まり、ぱっと身を引く。

すぐに椅子の背にぶつかって我に返ったが、しばらく身動きが取れなかった。

「…………………?」

なんだ、と。

自分で自分に問いかける。

なににそれほど驚き、心奪われたのか――

「………心奪われた、だと?」

自分の思考に自分で眉をひそめ、がくぽは胸に手を当てた。激しく波打っている。不快ではないが、快とも言い難い。

「……………っ」

さらにきゅっと眉をひそめると、がくぽは口元を覆い隠して会場へと身を乗り出した。

見渡すが、気に留まるものはない。

そもそもこの場所は、客からの目線が届きづらいのだ。よしんば届いても、垂れ幕が邪魔して中の様子はほとんど見えない。

多少身を乗り出したところで、がくぽが今ここにいて、検分しているなどと気がつく相手はいないはずだ。ましてや大半が、イクサ馴れもしていない、気配を読むことに疎い女性だ。

「………しかし、目が合った」

ぼそりとつぶやいて、がくぽは椅子に凭れた。

先までは怨嗟に溢れていたのだが、今はもう、気重なだけだ。体が怠く、息をするのも億劫だった。

一瞬で疲れた気がする。

「目が………」

「んとね、りょうしゅ、さま?」

「っ」

唐突に掛けられた幼い声に、がくぽははっと目を見開いた。

この小部屋には、がくぽしかいない。唯一外と通じる扉は家宰が鍵を閉め、おそらく衛兵かなにかが立ち番をしている。がくぽの身の安全を考慮してではなく、逃亡阻止が主な目的だが。

とはいえこれまで誰かが潜んでいた気配とてもなく、上がる幼い声はあまりに唐突で、不審過ぎる。

だからといって跳ね起きて剣を抜くことはなく、がくぽは殊更にゆったりと体を起こし、振り返った。

鍵の掛かった扉の前、にっこりと、無邪気に愛らしい笑顔が応えた。

「あのね、おなか、すか………ぇえと、すきま、せんかずっとここに、いらっしゃる、でしょ?」

「………そなたは」

普段、敬語を話しつけないのだろう。驚くほど幼いわけではないが、ひどく舌足らずにしゃべる相手を、がくぽはそっと観察した。

見覚えがない。

領民についての把握は『あらかた』で、すべてではない。もちろん、知らない相手もいる。

いるが――

「あの、あの………ごはん、とっても、おいしい………です。だから、りょうしゅさま、も、食べませんか?」

「……………」

警備の厳しいはずの部屋に、唐突に現れたことがすでに不審だ。

そのうえ手には、ちょこまかと宴の料理が盛られた皿がある。部屋に充満するのは料理長が好む香辛料の香りで、料理が紛い物ではないことを示している。

扉が開いた気配もないまま、現実に料理の盛られた皿を持って立つ存在。

不審はいや増すばかりだが、がくぽはふと表情を和ませると、手を差し伸べた。

「空いていなかったが、香りを嗅いだら空いた。心遣いに感謝しよう。おいで、そなた………いや、そうだ。名は?」

微笑みながら首を傾げると、相手の笑顔がぽやんと蕩けた。微笑む美貌の威力に、やられたのだ。

ひとのそういった反応に馴れているがくぽは構うことなく、伸べた手を振って招く。

招かれるまま、ふらふらと寄って来た相手の腰を掴むと器用な動きで膝に乗せ、がくぽは至近距離から微笑んだ。

「そなたの名はなんだ、愛らしい子?」

殊更に熱を含ませ、甘く蕩かした声で訊いたがくぽに、膝に乗せた相手はもぞもぞと身じろいだ。ほんのりと朱に染まった顔が俯き、ぽつんとつぶやく。

「………カイト」