ARIANE-05

端然として、赤毛の女性は告げた。

「三年限界説というものがあるの」

静かな声であり、瞳の色も沈んでいるが、苛烈なまでの力がある。並の人間であれば、前に立たれただけで腰を抜かすだろう。

見た目は美しく、穏やかにそこにあるが、漂う気配が違う。

これまでに現れたすべての姉妹たちと比べても、彼女は別格だった。

封じ森管守、魔女一族――当代は五人姉妹のため、五魔女と通称される彼女たちの一番目、長姉メイコ。

彼女は淡々と、語った。

「どれほど愛し合った男女であれ、必ず破局の危機に見舞われるのが、三年目」

言ってから、ことりと首を傾げる。なにかを吟味する間があり、本人は納得したらしい。こくりと頷いてから、言葉が足された。

「男男であれ同じだと結論しておくわ、きっと。原理的に」

「どうでもいい感じに補足説明だな!」

静かながら力強く我が道を行くメイコに、がくぽは疲れ切ってつぶやいた。

お姉さまにおかれては、ここをどこだと思われるか――閨だ。領主夫婦の。

そしてその領主夫婦は今、ちょっとした残念にも過ぎる修羅場をくり広げたところで、他人に見せられるような姿ではない。

そう、していたのはいわゆる閨ごと、夫婦の愛の営みとも言えることだが、実態を鑑みるに、ちょっとした修羅場と言って過言ではなかった。

昨夜から今の今まで、陽が中天も過ぎて空を朱く染める頃まで番い、いい加減妻の負担を思いやった夫が、苛む凶器であるものを腹の中から抜き出し――

理由は知らず、だがどうあっても抜かれたくなかったカイトが泣き叫ぶ。

かと思われた、その寸前。

固く鎖された領主夫婦の閨に忽然と現れた彼女は、前触れもなく突然に、とても自由に語り出した。

実のところ、がくぽはこの事態に馴れていた。

カイトの係累たる、魔女一族すべてが常に、こんな調子だからだ。

俗世に失われて久しい魔法をよくする彼女たちにとって、特に結界も張られていない場所など、鍵の掛かっていない部屋と同じかそれ以下だ。どれほどの手練れ兵を配しても、意味はない。

実に気軽にほいほいと、領主の屋敷のどこでもそこでも入って出てを自由気ままにくり返してくれる。

閨に踏み込まれることも、初めてではない。

彼女たちは、いわば森の中で拾っただけのカイトに対し並々ならぬ愛情を注いでいて、その身を案じては度々訪れる。もとい抜き打ち査察とばかり、好きなときに好きなように強襲を掛けてきては適当な理由で婿いびりをし尽くして、帰るからだ。

好きなときに好きなように、だ。閨の最中であろうがなんであろうが、彼女たちにそこのところの配慮は存在しない。

「めーこちゃ……」

腹から抜かれたものの、未だがくぽにきつく抱きしめられて不自由な身のカイトは、首だけわずかに傾け、『姉』に視線を投げた。

ずいぶん成長したカイトだが、あとわずかで彼女には及んでいないようだ。おそらく、二女と並んだかそれくらいだろう。元から兄が欲しいとカイトを拾って帰った三女はゆうに超えたはずだが、成長してから彼女にはまだ、会っていない。

「めこ………」

カイトは力なく、ちからなく、未だ姉である彼女の名をくり返す。瞳が潤み、ころりと涙をこぼした。

がくぽは肌に触れたその熱で、メイコは目にした光景で、それを知る。

がくぽは決してカイトに目をやることなく、ただ抱く腕にだけ力をこめた。メイコはことりと傾げたままだった首をさらに傾げ、腰を撓めてカイトに顔を寄せた。

「泣いているわね、おまえ。あたしはおまえをいじめたかしら。いじわるかしら」

「………」

がくぽはわずかに身を引いたが、所詮は疲れ切って寝台に座る身だ。カイトも抱いている。大した距離も開けられなかった。

問われたカイトといえば、しばらく瞬きし、嗚咽を呑みこむ間を挟んでから、首を上げた。ふるりと、横に振る。

揺れる髪に肌をくすぐられ、湧き上がる感覚にがくぽはくっとくちびるを噛んだ。

「いじめられては、ない、よ……いたわっても、くれてないけど。いじわるだったけど、半分だけ。あとの半分は、やさしいでしょ?」

「………」

それはあまりに『素直な』答えではないかと危惧したがくぽは、ちらりと五魔女の長姉を見た。

彼女たちは総じてカイトに甘く、鷹揚だが、実のところがくぽはあまり、長姉のことは知らない。もっとも内に篭もり、もっとも露出しないのが、彼女だからだ。

未だ幼い末の双子や、三女、もしくはまだ、二女あたりだとカイトを訪れたりと、かなり外に出るが――

見ているだけで、なぜか震えが起こる。

纏う色は赤を基調に、しかし少しも温かみを感じない。

叫んでなにもかも投げ出し、逃げたくなる。

これは危険だ。

そばにいてはいけない。

腹が底から冷え切り、全身が怯えに冒される。

半分どころではない――世界のすべてがすべて、悪意に塗り替えられるような。

がくぽは抱くカイトの感触と存在にぎりぎりのところで正気に踏み止まり、メイコの答えを待った。

きりきりきりと、螺子を巻かれた人形のように体を起こした彼女は、きちんと立ったところでこくりと頷く。意外にも、幼いしぐさだった。幼いと、思った。あどけない、少女にも似た。

彼女は口を開き、決まり文句を謳うかのように述べた。

「そうよ。あたしはおまえをいじめないけれど、いたわりもしない――そしていじわるなのは、半分だけ。あとの半分は、やさしいの」

「うん」

カイトが言ったことを、ほとんどそのままくり返す。

頷き返したカイトに、メイコはすっと指を伸ばした。白く細く、がくぽはなぜか、針のようだと思った。

メイコは伸ばした指でカイトの腹を差し、くるりと回す。

「あたしはおまえに、いじわるをした。でもそれは、半分だけ。残り半分の、やさしさを上げよう」

「でも、めーこちゃ……ぼく、約束」

がくぽの腕を振り切り、がばりと身を起こして言ったカイトに、メイコは端然としたまま告げた。

「あたしは半分だわ。だからおまえも半分だけ守ればいいのよ、そんなもの」

ぱきぱきと、乾いた木を折るような言い方だった。呆れたふうでもなく、からかうでもなく、だからと諌めるふうでもなく。

だが身も蓋もない。本来、『約束』とはそういうものではないはずだ。しかも半分だけ守るとは、なにをどこでどう切り分けて――

「ちょっと待て」

つい迫力に呑まれていたがくぽだが、我に返った。

素直に呑まれている場合ではない。ような気がする。

身を乗り出すカイトを胸の中に引き戻し、がくぽは胡乱にメイコを見上げた。

「なんだ、約束とは。ひとの妻と、なにを勝手に約した。なにを制した、俺のカイトに!!」

「が、がくぽさまっ………っ!」

久方ぶりに見るような剣幕でメイコへと咬みつくがくぽに、腕の中でカイトが慌ててもがく。だがそれは、逆にがくぽの力を強めただけだった。身も軋むほど、骨も折れよとばかり、がくぽはカイトをきつくきつく抱きこめ、胸にしまう。

「がくぽ、さま………」

息も奪われるほどの力で抱え込まれ、カイトはもがくことを止めた。ただそっと、身を寄せてがくぽに添う。おそらくは、今回のことで酷く傷つけたと思しい、最愛の夫に。

咬みつかれたメイコといえば、端然としたままだった。ことりと首を傾げ、虚ろなほど静かな目でがくぽを見つめる。

なにかを吟味するかのごとき間を置いて、メイコは首を戻した。口を開いて述べる。

「三年限界説というものがあるの」

――言葉はことの最初に戻った。がくぽはきりりと眉をひそめ、メイコを睨み据える。

「どれほど愛し合った男女であれ、必ず破局の危機に見舞われるのが、三年目」

そこまで言ったメイコは、ことりと首を傾げる。なにかを吟味する間があり、本人は納得したらしい。こくりと頷いてから、言葉が足された。

「男男であれ同じだと結論しておくわ、きっと。原理的に」

「そこはまったく同じことを、先に聞いたな驚くほどまったくそっくり同じことを!!」

がくぽの頭脳は本来非常に優秀であり、こういったときに微妙に不利だった。

先に進めと促す弟婿に、メイコは淡々とした瞳を向ける。白い指が再び、すっとカイトの腹を差した。

「あたしは聞いた。おまえは三年以上、男を愛するつもりかと。これは答えた。身命懸けて永世愛し抜くつもりだと。不可能なことなので、あたしはいじわるをすることにした。半分」

「なに?」

訊き返しながら、がくぽは記憶回路を高速で漁り、現実に起こった事象と照らし合わせた。

カイトが唐突に成長を始めたのが、数か月前。正確に言えば、三か月前だ。

その頃、カイトは定例である里帰りをした。封じ森の、五魔女の家に顔を出し――

その、しばらく後だ。

がくぽが違和感に気がつき、確定したのは、衣装の大きさが合わず、奥方様に着せるものがなくなると家宰たちが大慌てで報告を上げて。

「………どうして関連して考えなかった、俺は」

どちらかというと愕然として、がくぽはつぶやいた。

里帰りをしたカイトが、姉妹に良からぬ知恵を吹き込まれ、明後日なことを始めるのはもはや、定番行事のようなものだ。その場限りで終わることもあるし、数日後を引くことや、後々まで引きずることもある。

雑多さまざまだが、カイトがなにかを始めて、その直前に帰っていたなら、必ず姉妹が絡んでいる。

娶られて二年の間、膝だっこに固執して頑として成長を拒んでいたカイトが急に成長を始めたなら、それは間違いなく、姉妹たちの誰かに良からぬことを吹き込まれたから――

簡単に思いつけそうなことだというのに、紐づけられなかった。

愕然としたあまり腕から力が抜けたがくぽに、カイトが身を起こす。

「あ、あの、がくぽ、さま………ぼく、あの、どうしても、その、ほしくって………めーこちゃんが、がんばっていじわるガマンしたら、あげるって………だから、その、あの」

「半分でいいのよ」

上手く説明できずどもるカイトに、メイコが被せる。

カイトの説明も説明になっていないが、メイコはもっと説明になっていない。

思わず尖った瞳を上げたがくぽに、メイコはさらりと告げた。

「約束通り、赤ちゃんを上げる。おまえとおまえの」

「………あ?」

「めーこちゃぁん………っ!」

がくぽの思考は完全に停止したが、カイトはあからさまにほっとした、感激の声を上げた。先に流したのは約束を果たせず終わった無念の涙だろうが、今瞳を濡らすものは違う。真逆だ。

しかし――

しかしだ。

メイコの差す『おまえとおまえ』というのは、もちろん感激の涙を浮かべる弟のカイトと、そしてまさかとは思うが、傍らに座す弟婿であるがくぽのことか。

この言葉のややこしさからも、明らかだ。

がくぽは男で、カイトも男だ。カイトは『妻』だが決して子を生すことなく、がくぽはカイトを娶ると決めたときに子は不要と決めた。

思い切ったわけでも、諦めたわけでもない。決めたのだ。

領主として、どうあっても跡継ぎが必要とわかっていて、それこそが実のところ最大の仕事とわかっていて、決めた。これはやらぬと。

それを――

「半分で良かったのだわ。そして半分は受け取った。あたしのいじわるに、おまえは堪えた。ちょっと半分を超えるところで危うかったけれど、よくよく考えるに対価からして等価だわ。だからあたしはおまえに――おまえたちに残り半分のやさしさを上げる。それがあたしの可能な等価交換」

がくぽの様子もカイトの反応も気にせず、あくまでも淡々淡々と己の都合のみを告げて、メイコはことりと首を傾げた。吟味の間を挟み、納得がいったらしい。こくりと、頷く。意外にも幼く、いとけなくあどけないしぐさで。

「それがあたしから、おまえへの三歳の誕生日祝い」

「ありがとうっ、めーこちゃんっ!!ぷきゃっ!!」

感激に姉へ飛びつこうとしたカイトだが、寸でのところで引き留められた。後ろから抱きこんで己の胸に戻したがくぽは、きょとんと目をまん丸くしているカイトに顔をしかめる。

「………汚れていよう」

「あ」

なにでどう、『汚れている』かは明らかだ。現実を思い出したカイトの頬に朱が散り、慌ててがくぽにしがみつく。

布団を被ろうにも床に蹴落としているし、敷布はいい加減、どろどろでぐちゃぐちゃだ。それでも被らないよりましな気がするが、即座に抱え込んだがくぽはカイトを離そうとしない。

「がくぽさま……赤ちゃん」

それでもカイトは顔だけ上げて、告げた。満面の笑みだ。

カイトにとってこの事態は、なんら不思議も疑問もないらしい――そうだ。そもそもカイトはずっと言っていた。『欲しい』と、この体なら『出来る』と。

なにかをなにかしら、意思の疎通も図れぬまま思い違いが生じていると気がついていたが、ようやく見えて来た。

カイトが欲しがっていたのは、赤ん坊、『子供』だ。カイトとがくぽの血を引き、或いは力を継ぐ。

くり返された『この体なら出来る』というのも、『この体なら多少無茶な閨ごとも可能だ』という意味ではなく、幼い身よりも安全に子供を『産める』という、俗世一般的な言い回し。

しかしカイトもことの初めには確か、自分の体では赤ちゃんを産めないと、きちんと自覚していたはずだ。だから領主さまと結婚はしないと、浮気されたらいやだとべそを掻いた。

がくぽはカイトに笑みを返すことなく、厳しい表情まま、メイコを見た。

「どういうことだ。俺もカイトも男だ。誰がなにを産む」

問いに、メイコは端然と告げた。

「男というものは、跡継ぎを欲しながらいざ出来ると疎む」

「問題が違おうが!!」

叫んだが、胸にしまったカイトがきゅっと爪を立てるのを感じ、がくぽはそれ以上の言葉を呑みこんだ。

姉妹たちの邪悪さをさっぱり理解せず、その言葉に簡単に感化されるのが、カイトだ。素直であるのも善し悪し――とはいえ、今は問題が問題だ。

「カイト」

「大丈夫よ」

宥めようとしたがくぽに、メイコが言葉を被せる。空気を読まず、あくまでも己が速度で己が思うままだ。

きっとした目を向けたがくぽに、メイコはこくりと頷いた。

「あたしが上げるのはやさしさだけれど、半分なの。半分いじわるに堪えたから、残り半分のやさしさを上げるけれど、やさしさを上げたら今度はまた、半分、いじわるしないといけないの。だから跡継ぎが出来たところで、大団円とはいかないわ。それは新たな厄災であり、新たな福音であり、厄災と福音のくり返しの塊で終わることはないの」

「そなたに絡まれずとも、人生なぞそんなものだそれが今さらどうだというのだいいからそなたらは、いい加減に俺の妻としてカイトを認めろカイトは俺の妻であり、俺のものだと!!」

吼えるがくぽにも揺らぐことなく、メイコは端然と立つ。

そろそろいい加減、夕映えだ。影となるメイコの姿は邪悪に膨らみ、それこそ福音を含まない厄災そのものに見える。

がくぽはカイトを抱く腕に力を込めた。

家宰も女中も、屋敷のものは概ね諦念とともに、カイトをがくぽの妻として認めた。カイトが五魔女という、特殊な係累に属するからでもあるし、それが女の妻を得て子を生すより、有利に働くこともあったからだ。

カイト本人の資質がいいこともまた、その傾向に拍車を掛けた。

屋敷のものは打算とは別で、カイトを『領主の妻』として愛おしみ慈しみ、尊んだのだ。

むしろまったく、カイトが嫁することを認めなかったのは、五魔女のほうだ。

名称通り、本来的に女性のみで構成される一族に、カイトという男に固執する意味などないはずだが、とにかく彼女たちはなにかあれば奪われたものを取り戻すべく、手ぐすね引いている節があった。

それがどういった種類の執着かは知れず、知る気もないが。

「カイトは俺のものだ。終生、生涯!」

「ゆえにあたしは子供を与えるのだわ。厄災と福音を永世くり返す、おまえたちの子を。それによって不可能の望みを可能へと転じ、定めを反して永世の愛を約する」

言って、メイコのくちびるが歪む。それは微笑みだった。これまでの邪悪さがきれいに抜け落ちた、聖女のような、慈母のごとき、天女にも似た。

その笑みで、彼女は告げた。突き放して、冷たく。

「まあ言っても、ほとんど『おまえ』なのだけれど」