ARIANE-06

告げた姿が、掻き消える。まるで元から存在しなかったようだ。

カイトを抱いたまま、がくぽはきりりと奥歯を鳴らした。空漠を見つめ、呻くようにつぶやく。

「『どちら』だ」

メイコの言葉は終始曖昧だった。弟を差すもがくぽを差すも、すべて『おまえ』で、特に視線や語感で区別をつけることもない。

最後に告げた『ほとんどおまえ』の『おまえ』が、がくぽのことなのか、カイトのことなのか、判然としなかった。がくぽの頭脳を持ってしても、区別をつけられなかった。

男同士で子を生すなど、いくら魔法としても難しいのだろう。どちらか一方の形代をもとに、新たな生命をつくり出す――その形代が、がくぽかカイトか。

魔法は失われて久しい。文献もほとんど残らず、子供のお伽噺にも片鱗が残るだけで、推測は容易ではない。ここにいるのがただびとのがくぽと、イキモノではないかもしれないカイトであれば、カイトを形代にしたほうが容易であるような気もするが――

「………がくぽさま。あかちゃん………」

「っ」

腕の中から壮絶に恨みがましい声が響いて、がくぽはぎくりと固まった。

うっかり放置した。

がくぽは腕を緩めると、慌ててカイトの顔を覗き込んだ。

泣き濡れて腫れた顔のカイトが、これまで見せたことがないような表情でがくぽを上目に睨んでいる。

その手が、自分の腹を撫でた。先まで無茶をやらかされ、無残に歪んでいた場所を。寝台上に大きな染みはないが、すでにほとんど腹の形が戻っている。

やはり多少なりとも休息を入れてやれば、『消化』できたものらしい。加えて言うなら、いきなり腹が膨らんで、いわゆる妊婦腹にも転じてはいなかった。

与えるとは言ったが、魔女の仕込みもそこまでの急ではないようだ。

素早くカイトの状態を観察したがくぽは、曖昧な笑みを浮かべた。本当であれば明確に誑かす笑みを浮かべたいところだったのだが、うまくいかなかった。

カイトと付き合いだしてこの方、常識外れのことに多く巻きこまれたが、今回のことはその頂点を極めている。いくらがくぽとはいえ、すぐには切り替え難い。

「カイト。その……」

「僕、めーこちゃんが呉れるっていって、どうしても、ほしくって………だってがくぽさま、赤ちゃんひつよう、でしょうだから………どうしても、どうしても………っ」

「カイト!」

睨んでいた瞳が力を失い、涙を溜めて歪む。

すっかり大人となったが、涙腺の弱さは相変わらずだ。それも当然かもしれない。大きくなったのは見た形だけで、数か月前までカイトは『子供』だったのだ。

ひとは見た形だけで、大人と成るのではない。その速度に合わせ、中身も育てて大人と成るのだ。

そういった過程を経ないカイトは、なにかがどこかで歪となり、それが迂闊に色香となって周囲を惑わせ易い。

「カイト、説明が欲しい。俺には、事の始まりがそもそも見えておらん。そなた確か、己でもわかっておったよな己が男で、子を生すことなど出来ぬと。それがなぜ、姉の口車に乗った否、そもそも姉はなんと言って、そなたを試したのだ」

「………」

常とは違い、狂おしさを含んで問い質すがくぽに、カイトは涙を浮かべた瞳を瞬かせた。しばらくそうやってがくぽを見つめ、くすんと洟を啜る。

言葉を整理している間があって、ようやく戦慄くくちびるを開いた。

「できないって、僕も思ってた……ん、です、けど。この間、おうちに帰ったときに……めーこちゃんが、このままがくぽさまの奥さんするなら、赤ちゃん上げるって言って。でもめーこちゃんは、上げるものの半分をいじわるとやさしさで分けないといけないから、どうしようかって、話になって………」

「………」

今ひとつ理解の及びにくい話だったが、がくぽは言葉を差し挟まず、カイトの言葉を聞いた。おそらく魔法が絡んでいる。メイコも先に散々言っていた。半分にしなければいけないと。

失われて久しい力だ。原理は不明だが、法則に従わねば振るえない程度のことは知っている。

その法則が、メイコの場合は『半分』に分割することなのだろう。

聞いてくれることと、聞くがくぽの瞳が浮かべる真摯さに後押しされ、カイトはおずおずと覚束ない説明を続けた。

「そしたらルカちゃんが、赤ちゃんなんだから、『子作り』したらいいのではなくてって。それいっつもやってるよって言ったら、『子作り』っていうのは掛ける時間が全然違うから、あんなの自慰と変わらなくてよって」

「またあの淫売か!!」

堪えきれず、がくぽは吼えた。

たまに明後日にも明後日な特殊過ぎる性癖を見せる五魔女だが、最たる人物は、がくぽに対してカイトへの淫行罪を糾した二女のルカだ。幼い子相手に恥を知れと、至極まっとうそうな説教を垂れていったが、実際なにかあって、いわゆるシモの問題だった場合、彼女が概ね元凶だ。

「あの、がくぽさま……」

「それであの淫女がなんだと?」

「ええと……」

苛々と訊かれ、カイトは口ごもった。

ここで迂闊に言葉を続けると、カイトまでルカを淫売だと認めたような形になる。

もちろんカイトにとっては、違う。他の姉妹と同じく頼りにするし、もう少し『成長』したなら等しく、『妹』として慈しむ相手だ。

もごつかせたカイトだが、がくぽの目の据わり方が尋常ではなく、いつまでも口を閉ざしているわけにもいかなかった。

ある程度で思い切ると、カイトは身を引き気味に、言葉を続けた。

「じゃあ『子作り』ってどうやるのって訊いたら、入れっぱなしで一昼夜って」

「あんの………っ」

珍しいことだが、がくぽは胃がきりきりと痛むのを感じた。

カイトは戸惑いつつも、この時間を早く終わらせることを優先すると決めたらしい。止まることなく、言い切った。

「それってタイヘンだねって言ったらめーこちゃんが、つらいのねつらいのはいじわるだわ、じゃあそれでいきましょうって言って。でも今の体のままだとムリかもだから、誕生日直前の満月までにもう少し大きくなっておきなさいって………大きさが足らなかったら、いくらなんでも赤ちゃん上げないわって言うから、ぼく、慌てちゃって」

「ん、の………っっ」

がくぽはもはやなんだか、泣きたくなってきた。

妻と、妻の実家ですべて話が終わって、肝心の夫の意見を聞こうとするものがひとりもいない。

溺愛している妻からして、そこにがくぽの意思を聞いてみないとという、発想が介在しないのだ。

非常に疲れたがくぽは、虚ろな目でカイト見た。

腹はぺったりとへこんで、異様に赤く膨らんでいるのはむしろ一昼夜吸い、いたぶった乳首のほうだ。かわいそうに、きつく吸われ過ぎたことで、痣が出来てもいる。軽く吸って出来た花痕という程度ではない。乱暴したにも等しい、痛々しいものだ。

眺めながら、がくぽは無意識に顔を寄せ、痣を舐めた。獣と同じような意識だ。舐めて伴侶を癒そうとする、本能的な。

「ん……っ」

ぴりりと走った感覚に、カイトは竦む。きゅっと体を固めたが、がくぽは構わず舌を這わせた。ちろちろとろとろと舐めて、本意ではなく傷つけた伴侶を癒そうと懸命だ。

先には、どう乞われようともカイトを拒むと決めたように――それが結果としては、好転したらしいが。

「ぁ、がくぽ、さ………」

「………赤ん坊な。俺はそれほど、そなたを追い詰めたか」

喘ぎながら頭を抱いたカイトに、がくぽはぼそりとつぶやいた。どこか拗ねたような響きでもあった。

子供は不要と決めて、がくぽは以降、思いを馳せたこともなかった。各国や歴史の事例から、実子がおらずともどうとでもなると熟知していたからでもある。

だからといって、迂闊な家宰や女中が悪戯にカイトを苛むことがないようにと、気を配ることも忘れていなかった。

カイトの様子にも、気を遣って――

けれどこうした結果を見れば、カイトが密かに追い詰められ、追い込まれていた可能性は高い。

先にはメイコに対し、夫と認めろと吼えたがくぽだが、彼女たちが弟の身を案じてなかなか手放せないのも仕方のないことかもしれない。

それだけのことを、がくぽはカイトに架している。

カイトはがくぽを抱いたまま、しばらく口を噤んだ。あまり見ない、夫のつむじを眺める。

こうして抱くと意外にも庇護欲が湧き上がって、腕を離し難くなった。

これまではずっと、甘やかされあやされることだけを考えていたが――

「だってがくぽさま、領主さまだもの」

「そなたのためには、ひとりの男だ」

がくぽの返しは、駄々と同じだった。そうとはいかないと、さすがに子供でもわかる。カイトの言い分のほうが、正しいと。

カイトは困って口をもごつかせ、けれどつむじを見下ろすとなんだか、笑えてきた。

駄々を言っても仕様がない。今はがくぽが、『子供』だ。

「そもそもそなた、どうやって子を生すつもりだ。そうだ、そこの話はしたのかどうやって、いつ、子供を得ると。まさかまた、木の実を………」

「人間って確か、十月十日で生まれるのだったわね?」

「素直に帰らんか、魔女!!」

カイトの腕を振り切って頭を上げ、正面から問い質したがくぽの傍らから、さらに問いが差し挟まれる。

相手を見ずとも声だけでわかる以上に、未だ場所は固く鎖された領主夫婦の閨だ。入室を許可したものもいないのに、勝手に口を挟んでくる輩など、がくぽは五人しか知らない。

その五人のうち、長姉にあたる女性は、がくぽの抗議をきれいに聞き流した。

先と変わらず寝台の傍らに立ち、軽く首を傾げて答えを待つ。

「出歯亀趣味も甚だしいそなたらにはあまりに特殊性癖が多過ぎる魔女という立場に自覚と自負とあとなにか、責任的なものを持て!!」

「うん。えっと、じゅう……つきと、つきなんか、じゅう!」

がなり立てるがくぽに対し、カイトは姉の問いにまずは答える。曖昧だが、答えは答えだ。

姉も姉で、婿の抗議などさっぱりと耳に入れず、さらに首を傾げた。

「おまえ、待てる?」

「うん。あかちゃんのためだし、がくぽさまのためだもの」

「カイト……!」

健気な答えだ。

いちいち答えてやるなという八つ当たりと、がくぽのために身を尽くそうという健気にも過ぎる忠誠心への感動と――

相俟って、がくぽは言葉を失ってカイトを見つめた。

メイコもまた、カイトを見返すとこくりと頷く。

「わかったわ。では、夏に」

「うん楽しみにしてる!!」

確約した姉に、カイトは心底嬉しそうに頷く。

またもや即座に掻き消えたメイコだが、がくぽは頭を抱えたくなった。うっかり、叫ぶ間合いを逃してツッコミ漏れた。

今から夏といえば、十か月などない。早ければ四か月、遅くとも六か月――そして微妙な予感を覚えるに、夏にはがくぽの誕生日があった。

まさかと思うが、否定しきれない危惧と懸念がある。

なにをやらかされるか予想は出来ないでも、なにかをやらかされる危機感だけは予想できるようになった。前進だ、これでも。

どこかへの逃避を考えるがくぽに、カイトはことりと首を傾げる。

「………それで、がくぽさま。あかちゃん」

「生むのはそなたか。俺か」

――冗談のようだが、がくぽの問いは真剣で、かつ深刻だった。

彼女たちは、カイトががくぽの『妻』だと理解しているし、閨の中での立場も熟知している。

そのうえでこの問いを、真顔かつ真っ向真剣に放たなければならないのが、魔女一族というものだった。

カイトは束の間目を瞬かせて考えたのち、さらに首を傾げた。

「僕。………かな。です。たぶん。そんな感じだった気が………」

「認めたくないが、次の里帰りを許可する。訊いて来い」

「ええと、………はい」

がくぽの懸念をはっきりとは理解しないが、それとなく察知したカイトは、躊躇いつつも素直に頷いた。

がりりと頭を掻くと、がくぽはその腕を伸ばす。離れた妻の体を抱くと、肩に顔を埋めた。

「帰って来いよ。そのまま居つくな。里帰り出産なぞ、俺は認めん。産むならここで生め。いくらでも用立ててやる………不足なぞ覚えさせん。決して。決してだ。泊まりも赦さんぞ……日帰りで、俺の腕の中に戻れ」

「………はい」

抱かれて吹き込まれる言葉に、カイトの体から力が抜けていく。

並べ立てられる束縛の言葉は傲慢なようで、がくぽの不安の表明であり、それ以上に生まれるはずもなかった、一度は不要と決めた『子供』を受け入れると、歓迎するという宣言だ。

やわらかく解けて埋まる体に、がくぽは瞼を下ろした。ため息を、ひとつこぼす。

疲れた。

とんでもない、誕生祝いだった。実のところこの後に『本番』が控えているが、そこまでは穏やかに過ごしたい。出来れば、当日も今日よりは穏やかに、和やかに過ごしたい――

カイトといる限り、背後に五魔女という最凶最悪の小姑集団を抱えている限りは不可能だとわかっていたが、がくぽは抱く腕を離すことも緩めることもなく、ただ、くちびるを綻ばせた。

「夏か。愉しみだ」

FIN