よりく、-25-

さて、名無星出宵のサモナーとしての真の実力など、詳細については横に置いてだだ流すとして、今、現状だ。それより早急に、解決すべき問題はなにかということである。

「…で、あんたはその、『ちょっとでも負担が軽くなるように』っていうので、余計な前哨戦を入れようって」

まだまだいやそうな顔のままではあったが、明夜星がくぽは親切にも話をまとめてくれた。

まとめたうえで、話を戻す。つまりだ。

「だったらさ、やっぱり、あんたとでもいいでしょう。ていうかむしろ、あんたとじゃないと、意味がないんじゃないの?」

――ここまで棚上げとし続けているが、やはり棚上げとする問題に、明夜星がくぽの人見知り度がある。どう考えても(おとうとを溺愛する)兄の贔屓目としか思えないのでまともに取り合わないわけであるが、今回の場合、そこを差し引いたところで、その他の諸事情というものがある。

いや、今回の場合で言うなら、人見知り度などよりこの『諸事情』のほうがよほど問題だ。

だというのにどうして今回に限って、名無星カイトは明夜星がくぽへ名無星がくぽを薦めるのか、根拠がまったく明らかとなっていない。

目を眇める明夜星がくぽへ、名無星カイトはまた、曖昧に笑った。

「でも」

言って、明夜星がくぽを覗きこむ。先までの、マスターの取扱説明書を読み上げていたときのそれとは比べものにもならず、湖面の瞳は揺らぎ、揺らぎながらもなにか、底深いものを宿して明夜星がくぽを惹きこんだ。

俺はKAITOであって、【がくぽ】じゃないから

――そんなことは、今さら言われるまでもないことだ。

たとえ名無星カイトがどれほどらしからずらしからぬと言われても、それは内面のことだ。外見はまったき、伝統的なKAITOそのものであって、揺らぐ湖面の瞳もそうだし、髪色も、顔だちも、なにもかもがKAITOであり、KAITOでしかない。

一瞬、束の間、きょとんとした明夜星がくぽに、名無星カイトは曖昧に笑ったまま、ちょこりと首を傾げてみせた。曖昧に笑うくちびるが、緩やかながらも明夜星がくぽが反応するより早く、開く。

「KAITOが困ることは、わかる。どう解決すればいいか、教えることもできる。俺のまねさせても、問題ない。逆もそうだ。だってKAITOだから――俺と同じ。俺も同じ、KAITOだから。でも、おまえは【がくぽ】で……俺は【がくぽ】じゃない。から」

おまえを全部、助けてはやれないと。

ひどく甘い、過保護なことを言う名無星カイトを、曖昧な笑みを、その曖昧さを――

しばらく眺め、明夜星がくぽはふいに、顔を上げた。きっとして睨んだ先は、名無星がくぽだ。

ほんの刹那のことだが、名無星がくぽは敏く気がつき、そして目を逸らした。

気がついたうえで、目を合わせていられなかったのである。たった刹那の間ですら。

その【がくぽ】の攻防に気づいたのか、なにか思ったのかどうか。

「それに」

切り替えた声とともに、名無星カイトはどうしてか悪戯っぽく見える表情となり、マスター:名無星出宵へと顔を向けた(とはいえ床に突っ伏し、べえべえと泣いている相手だ。名無星カイトの位置からはリビングテーブルが邪魔をして、よく見えないのだが)

「『スキルアップ』目的なんだろだったらなおのこと、俺はマスターになるべく多く、【がくぽ】曲をやらせたい

「え?」

「ぉんっ?」

カイトの言葉に、明夜星がくぽが不審を返したのは当然として、中途半端な犬めいた声を上げた人物だ。そう、紛うことなく『人物』だ。出宵だ

そろそろ泣くのも飽きたというか、どうして自分が泣いていたんだったかの理由をうっかり忘れた出宵である。

となると泣くのも面倒になってきたため、復活しようとしたタイミングだった。

それで、だから、つまり、復活しようとしたタイミングで、これである。これだ。これなのだ。

復活しようとしたりしている場合ではなかった。間断を置かず、間髪入れず、即刻復活せねばならなかった。

「んままま待って、かぃっ」

――出宵は相応に、即刻即座で復活した。危機はひとの能力を底上げするのである。

しかしてらしからずらしからぬ機敏さを称えられるのが、名無星家のKAITOであった。

そう、出宵は間に合わなかった。まったくもって無情に。

ニガテなんだ、マスター、【がくぽ】曲」

「……苦手?」

「いやいやいやいや、がっくんゴカイゴカイだから釣り餌じゃないよ、ワームだよわぁむ?!わぁむぃやあああああああっ!!」

なんとなし、ムンクの『叫び』を再現し、出宵は耳を塞いで悲鳴を上げる(悲鳴を上げたが、原因は苦手をばらされたことではなく、別の苦手を自分で呼し、想像力をたくましくしてしまったがためという可能性のほうが高い)

胡乱な目を出宵から膝の上へと戻し、明夜星がくぽはもう一度、つぶやいた。

「苦手なの?」

きゅっと眉をひそめ、いかにもいやそうに訊いたがくぽへ、名無星カイトはためらいもなくあっさり、頷いた。

「ニガテだ。もともとが、KAITOから入ったっていうのもあるんだけど……おんなし男声だからなんとかなるだろと思って、【がくぽ】も買ったらしいんだけどな。やっぱりいろいろ、違ったとかで」

「『なんとかならなかった』」

結論を先取りした明夜星がくぽへ、名無星カイトは小さく、首を竦めた。

「一応、曲は出してるだろぜんぜん、まったくってわけじゃない…」

「一寸、苦労しているだけだ。兄の倍々程度な」

「………」

今回はきょうだいの立場が逆転した。兄がマスターを庇い、おとうとがマスターを腐す(そしてマスター:出宵は耳を塞いでテーブルに突っ伏し、べえべえと――いや、なにかしら小声で、復活の呪文らしきものを高速で唱えている)

そんな名無星家の面々を、明夜星がくぽは厳しい目で見比べた。

その明夜星がくぽの顎をさらりと撫でて注目を戻し、名無星カイトは誘う手を下ろした。すでに空になったマグカップを両手抱えにし、あえかに体を引く。

そうやっても結局、膝の上だ。たかが知れている。

が、開けられた距離が視覚化されたように感じ、明夜星がくぽは花色の瞳を揺らした。錯覚だとわかっているのに、無視できない厳然とした隔壁がそこに下ろされたのが『見える』。

「カイト」

途端、覚束ない声で呼んだ明夜星がくぽへ、名無星カイトが向ける笑みは変わらない。やわらかく、――

けれど隔壁がある。

厳然と。線引きが。『ここまでだ』と。

「今回の企画はスキルアップ目的なんだから…じゃあ、ただロイドを交換するより、こっちのほうがマスターにとってはよほどいい修行で、目的に適ってる。おまえは……おまえは、まあ、苦労するのは否定できないけど。全体を通して考えたときに、おまえにとっても悪い話じゃないはずだから」

「……っ」

きゅっとくちびるを引き結んだ明夜星がくぽの、抵抗や拒絶といったものは感じているはずだが、名無星カイトは構わなかった。

揺らぐ湖面の瞳で揺らぐことなく明夜星がくぽと見合い、言いきる。

「だから俺は、おとうとを支持する」

名無星カイトの浮かべる表情は、あくまでも笑みだ。やわらかい。

やわらかいが、譲らず、折れない。不測の事態にもきっと、この笑みが揺らぐことはない――名無星がくぽ、おとうとであればきっと、『それがKAITOの笑みか』と歯軋りする。

内面の読み難い笑みまま、名無星カイトはこの距離の明夜星がくぽだからかろうじて聞こえたほどの音量で、続けた。

あれから言いだしてくれたのはラッキーだった。あれがいやがったら、俺じゃあ、どうしようもないし…」

「…っ」

笑みは笑みだ。内面が読み難く、ただ、これは譲らず折れない笑みであろうと、意志の強さだけが伝わる。

それでも色を変えた気がしてはっと瞳を見張った明夜星がくぽへ、名無星カイトは軽く、首を振った。横だ。ここに来て、否定だ。なにをといえば、そう。

「けど、最終的にやるのはおまえだからな。どちらであれ、苦労するのはおまえだ――だからあとはおまえがどうしたいか、選んでいい

「っっ」

手札はすべて見せたから、あとは好きにしろと。

投げられて、明夜星がくぽはどうしようもなく動揺した。

あまえんぼうのわがまま王子が明夜星がくぽであり、けれどこのあまえんぼうのわがまま王子は、肝心要のところで我を押し通しきれないところがあった。それは根本的なやさしさや思いやりの強さから来ることもあったが、『責任を負えない』末っ子気質が強く出てのことも多かった。

そして今回、前面に来たのはこの末っ子気質のほうだ。責任を負えない、負いたくないという。

これでせめて名無星カイトが言外に、『こちらを選べ』と強要してくれていたならまだ良かった(過保護な性質にありがちな態度だ。選択肢は挙げてみせるが、すでに決まっている答え以外を『選ばせない』)

情報処理能力に優れ、ひとの機微を察することに長けた【がくぽ】であれば、その『答え』を掬うことは容易い。あとはもう、『責任を負えない』末っ子気質に従うだけだ。たとえいやいやながらであったとしても、あんたが言うから選んだんでしょうと、責任を押し被せられるほうをこそ選択する。

末っ子気質のあまえんぼうのわがまま王子にとっては、自分が責任を負わないことこそがなにより重要だからだ。

けれど名無星カイトが言った『選んでいい』はほんとうに、疑いもなく字義通り、『選んでいい』だった。

少なくとも明夜星がくぽの洞察力は、そう読んだ。

ほんとうにこのひとときたら、いやになるほどKAITOだと、明夜星がくぽは奥歯を軋らせる。

言葉は言葉通りに』。

旧型のスペックの低さから、空気を読むだとか察するだとかいったことが苦手な傾向にあるKAITOだ。行間を、あるいは言外の意味を類推しながらといった形式の会話は、負担が大きいためどうしても厭う。

名無星カイトも、同じなのだ。

どんなにらしからずらしからぬと言われ、機敏さを発揮し、察しの良さを見せつけても、それはあくまでも『聞く』側であるときだ。自らの意思で話すときには、このKAITOの傾向が端々に出る。

今もそうだ。

名無星カイトは自分の提案が却下されることも覚悟のうえで、明夜星がくぽの意思を尊重すると、『選んでいい』と言った。そう、この『選んでいい』には裏の意味などなく、まさに言葉通り、字義通りでしかないのだ。

そのうえで、だ――これでもし、明夜星がくぽが名無星カイトの提案を却下した挙句、困ったことに陥ったとしても、だ。

名無星カイトは『おまえの責任だろう』とか、『だから俺の言う通りにしておけば良かったのに』などと言って突き放すことをせず、きっとさも当然と助け手を伸ばす。

たとえ意に反したことだったところで、協力を惜しむこともない。

誰も未来は読めないからだ

未来が読めないなかで懸命に模索してした選択を貶すようなことを、名無星カイトはしない。

確信と、信頼がある。

名無星カイトに対して確信と信頼があればこそ、逆に明夜星がくぽは我を通しきれず、揺らがずにはおれない。

失敗したくないのだ。

――嗤いたくなる。

『明夜星がくぽは自らの最善を己で選択できる』と信じて預けてくれたひとを、裏切るようなまねをしたくない。

明夜星がくぽを信じてくれる、名無星カイトを。

この、すでに傷だらけであるひとを、これ以上、傷つけるようなまねは絶対にしたくない。

絶対に傷つけたくないけれど、そう思えば思うほど、ただ諾々と提案を呑むだけではだめになる(明夜星がくぽが『明夜星がくぽ』の責任に於いてした選択ではなく、名無星カイトを憐れんだだけの選択でしかないからだ)

これは名無星カイトをさらに深く、手酷く傷つけることになるだろう。

それでも助けてくれるのだ。明夜星がくぽが困ったことになったなら、必ず、きっと。

だからだめだ。

できない。

選べない。

けれど我を押し通し、提案を却下するようなまねも――同じだ。

それでなお、このやわらかにやさしいひとがいずれ助け手を伸ばしてくれるとわかっているから、責めることもなく力を貸してくれると、あまりにはっきりとした確信があるから。

「…っ」

あからさまに強張った明夜星がくぽが『選べない』ことは、傍目にも明らかだったろう。

敏い気質の名無星カイトであり、こうも間近であればなおのことだ。

それでも名無星カイトが明夜星がくぽを急かすことはなかった。あるいは(いつものように)そうそうに諦め、自分が責任を負って選択してやるということも。

そういう、『待つ』ことができるという――自らを厳しく律し、相手のペースに合わせて『待つ』ことを己へ課すことができるというのが、名無星カイトの名無星カイトたる由縁であり、名無星がくぽが兄を厳しいと評する理由の最たるところだった。

対して、明夜星がくぽの兄だ。明夜星カイトだ。

「あ、あの…っ」

凝然と名無星カイトに見入るばかりで答えの出せないおとうとに助け手を伸ばそうと、兄たる明夜星カイトは咄嗟に声を上げた。

が、なにかしら、具体的なことを言うには至らなかった。

傍らに座る恋人、名無星がくぽに止められたからだ。