くり返そう――名無星カイトはすべての問題がきれいに片づいたことで、活気づいていた。それで明るく、なにより取りつく島もないほどきっぱりと、明夜星カイトの申し出を断った

なにが問題であったか、言い換えてみればさらにはっきりするだろう。

懸命のお願いを断るのに、いきいききらぴかとよろこびに満ち溢れていたのである。名無星カイトは。

よりく、-39-

「が、がぁああああんんっ?!」

――明夜星カイトが衝撃を受けるのはもちろんだが、これにはその周辺とて黙ってはおられなかった。

「兄?」

「ちょっと、あんた…」

恋人の傍らに来ていたおとうとが眉をひそめて兄を窺い、背後に張りつく明夜星がくぽも渋面で覗きこんでくる。

三者三様の圧を掛けてきたわけだが、受けるのは名無星カイトである。この程度で折れるやわさを持ち合わせたことなどなかった。

とはいえさすがに妙な活気はすぐさま引っこめたのだが、だからといって折れる様子もいっさいなかった。

とても素直に『がーん』らしい表情を晒して固まっている明夜星カイトへ、小さく首を傾げてみせる。

「だっておまえ、教えたら、家で自分でつくって飲むようになるんだろ自分でつくって、好きなときに好きなように、好きなだけ飲めるようになるってことは、つまり、俺はお払い箱ってことだな。おまえもう、俺にココアつくってくれって、かわいくおねだりしなくなるってことだ。それじゃもったいないし、寂しいだろ。だから却下

「ぇ、う、ぁえうっ?!」

「あぁーーーにぃいーーー………っ」

どん底に突き落とされたかと思ったら、熱烈な言葉ではるか高みに押し上げられた。

案の定で、明夜星カイトは瞬時に全身を赤く染めた。頭の天辺から湯気まで立ちそうな有り様だ。

対して、目の前で恋人を口説かれた男である。名無星がくぽである。KAITOころりでKAITOキラーという、天然チートと対さねばならない凡夫である。

この兄はこの兄はこの兄はと、名無星がくぽは全力で奥歯を軋らせた。

指を折りながら涼やかに数え上げてみせたが、どういうカウントだ。どうしてそういうカウントを取る。おとうとの恋人をおとうとの目の前で、どうしてそう簡単に口説き落としてみせるのか。

もちろん名無星カイトにそういった意図はない。理解している。

兄には意図もなく悪意もないが、だからこそいつでもいつまでも言葉が通じない――

「か、カイトさんをおはらっこなんて、しないしっかゎ、かわいくもしてないっ。しないですっ。のでっ」

念のため補記するが、正しくは『お払い箱』である。ラッコの新種だとか、ゆるキャラといったものの話ではない。

が、ともかくだ。

この場合、頑丈であり強情であるのは明夜星カイトのほうだった。なぜならKAITOである。そういうときの粘りは、新型が到底まねできないほどと言われる(なぜなら新型はどうしても空気を読む。そう、読んだうえで無視する度胸をも要するのだ。対してKAITO含む旧型は空気を読めない。あるいは読ない――踏み越えねばならない壁の高さが、雲泥の差なのである)

それで、非常にらしい典型的KAITOである明夜星カイトは、湯気まで見えそうなほど真っ赤に染まり上がりながらも、懸命に喰らいついていった。

相手が悪かった。名無星カイトである。

名無星カイトは小揺るぎもしない真顔であっさり、喰らいつく牙を抜いた。

強請る=かわいいだ、おまえは。今も結構、すでにかわいい。まあ強請らなくてもかわいいけどな、俺の好みはやっぱり、一所懸命に強請っているときだ」

「ぷきゅっ?!」

真顔で衒いもなくきっぱり言いきった名無星カイトは、断末魔寸前の声を漏らした明夜星カイトへ、ふわりと笑う。天上の神のごとくに穏やかで、友愛と優しさに満ちた――

「それに今、わかったけど…教えなければ『飲みたい』と『つくりたい』と、おねだりネタが二倍になるんだな」

「はぅっ?!」

――贔屓目であった。言っていることが悪魔側である。

さすがにはっとして目を見張った明夜星カイトにも、名無星カイトが笑みを崩すことはなかった。ひたすらやわらかに、こころからうれしそうに笑う。

こころからうれしそうに笑い、きっぱり告げるわけである。

俺にとってすごくおいしいから、とりあえず今日のところは教えない。でも『飲みたい』ほうは聞いてやるから、それで機嫌直せよとっておきにおいしいの、つくってやるから」

「いやそれだめだ兄っ!!」

だめである。謎の中毒者続出である。曰く、調味料はすべて(現行法上)合法のものしか入っていないそうなのだが。

おとうとの悲痛な叫びにも、兄が容赦を覚えてくれることはなかった。ひたすら、明夜星カイトへのみ笑みかける。

「飲みたくないか?」

「のみたいっですっ!」

「兄……っ」

――まあ、そう問われたならこれ以外に答えなどないのである。

これで決着はついたとばかり、名無星カイトはにこやかに手を振った。

「じゃあ、どこでも適当に座って待ってて…ああ。そうか、そういえば途中でおやつを買ったな。ふたりで先に食べてていいから」

「おやつ?」

「あっ………っ」

そんなもの持っていただろうかと、名無星がくぽは咄嗟に恋人を見た。先に頽れたときにも、荷物を取り落としたといった記憶はない。

しかしそれではたと我に返ったらしい明夜星カイトは、多少、慌てた様子でリビングの扉口へと小走りで寄った。そしてまたすぐ戻って来る、その手に紙袋がある。

いったいどうしてそんなものが急に湧いて出てきたかといえば、たねも仕掛けも特にない。兄がまったく眼中にないおとうとのため、やって来てそうそう、扉口にへばりついたときには取り落としていたのである。

つまり、先に頽れ、恋人に支えられたときにはすでに取り落とし済みであったから改めて取り落としもしなかったというだけの。

紙袋を携えて戻って来た明夜星カイトは、微妙に居住まいを正した。両手で行儀よく持った紙袋をすっと、恋人へ差し出す。

そのままこっくんと、真顔で頷いた。

てみやげです」

「あッ…」

反射的に受け取った名無星がくぽが、はっとした顔となる。空いた両手を前でそろえた明夜星カイトは、やはり行儀よく、ぺこんっと頭を下げた。

「おとうとがいつもお世話になっております…こちらどうぞ、みなさんでおめしがりください…」

「いえこちらこそ、いつもいつもお気遣いいただきましてっ………っ」

恋人同士は非常にまじめに、かつとても他人行儀に、ぺこぺこぺこと頭を下げ合った。

きっかけをつくってしまった名無星カイトといえば、いったいなんの茶番だと思いつつも口には出さず(口に出したが最後、茶番中の恋人の間に巻きこまれるからだ)、珍しくもひたすら静かにうっそりと背後霊に徹していた明夜星がくぽを振り仰いだ。

「おまえもおやつ…」

そういうとこだって、僕は前も言ったけどね、あんた」

「あ゛ー…」

あわよくば背後霊を祓うことができるかもしれないと思った名無星カイトであったが、やはり甘かった。振り仰いだ先の明夜星がくぽはあからさまに渋面だった。不機嫌だ。それでかりかりと言うのだ。

なにがどう、腹に据えかねたのかはまだわからないが、わかることもある。お説教コースだ。まさかあまえんぼうのわがまま王子からお説教!

――である。

なにせあまえんぼうのわがまま王子だ。説教を食らうにしても、なにに対するなんのというところがまったく不明だが、であるがために、しばらく付き合ってやらないとならないだろう。

付き合ったところで理解できる可能性は低いが、だとしてもだ。今の段階では無視していい意味不明なのか、無視してはいけない意味不明なのか、その判断すらつかないのだから。

「……わからないって、答えた」

そうだね。それでまだわかんないんだ、あんたは」

薄氷の上を進むように慎重に答えた名無星カイトへ、明夜星がくぽは突き放すように返した(ところでいったいいつの、なんの話からの飛び火であるかというと、たぶんだいたい第22話近辺からである)

茶番中であっても不穏さを聞き取り、ちらりと視線をやった名無星がくぽはそのままぎょっと、目を見張った。なぜか?

決して合うことはないと思っていた明夜星がくぽと、目が合ったからである。それも流れでたまたまではなく、わかりやすく意図的に『合わせられた』――

「がくぽ?」

突然固まってしまった恋人に、明夜星カイトがきょとんと瞳を瞬かせる。花色の瞳が驚きとともに見つめる先を追い、けれど今回もまた、追いつくことはできなかった。

恋人が先に戻って来たからではない

いや、ある意味、戻ってはきた。しかしその、戻り方だ。結構めに衝撃的であり、目線を追いかけるどころではなくなった――

さて一方、意図して目を合わせたほうである明夜星がくぽは当然、固まることはなかった。名無星がくぽの意識が釣れたことを素早く確かめると、一瞬で名無星カイトへ戻る。

それで、敏い相手がなにか勘づくより先に、雰囲気を緩めた。それもあまりにあからさまに、敏い相手であればこそ、いかにもなにかを企んでいると疑わずにはおれないふうに。

「まあいいよ。仕方ないね。あんた、KAITOだし」

「…」

一聴、赦されたように聞こえても、『あまりにあからさま』であった雰囲気の緩め方がある。これからなにかしますよと、大声で叫んだも同じ――

だとしても明夜星カイトであれば気がつかずに流しただろうが、相手にしていたのは名無星カイトだった。

これも相手の思惑のうちであろうと当たりまでつけてなお無視することができず、『思惑通り』警戒を強める。

名無星カイト、せめてものあがきというもので、『なにか』は不明だがなにかしら勘づいてはいるぞと、相手にも伝えるため、隠すこともせず眉をひそめてもみせた(もちろんこれで怯むような相手ではないと、これも重々承知のうえだ)

あんたはKAITOだから』というのは、明夜星がくぽの口癖に近い。

らしからずらしからぬと誰にも言われてきた名無星カイトが、明夜星がくぽにとっては非常にKAITOらしいKAITOに見えるようだった。それで、『だから』仕方がないと容れるときによく使う。

諦めというより、相手はそういうものだから容れると、自分に決めたときに使う言い方だ。

だから名無星カイトも普段なら、妙なむず痒さとともに流すのだが――

案の定で、緩めた雰囲気は束の間であり、明夜星がくぽはそこで真顔に戻った。

「でもね、ほかのひととヤるのはやめてくれる誰でも彼でもとヤるのは」

「っ!」

思いもしなかったことを真っ向から告げられ、名無星カイトはまず固まった。

次の瞬間、咄嗟に見たのはおとうとだ。

同時に、ちょっとかわいそうな声が上がった。明夜星カイトだ。なにがどう、どの程度かわいそうであったかといえば、こんな具合だ。

「ぷひゅっ?!」

――明夜星がくぽの発言を聞き取り、それで我に返った名無星がくぽが次の瞬間にしたことといえば、明夜星がくぽがすべてを言いきるより先に、目の前の恋人の耳を塞ぐことだった。

一応、懸命の努力で力加減はしたものの、相応に勢いがあった。なにより唐突だ(それであっても受け取った紙袋は咄嗟に持ち手に腕を通して肘にまで流し、取り落とすことはなかった。貰い物を贈り主の前で取り落とすなど言語道断という、【がくぽ】らしい判断での行動である。が、そのせいもあって勢いが殺しきれなかったという面は否定しきれない)

そう、唐突だった。どうしてこんなことをされたのか、明夜星カイトにはわからない――

わからないでくれた。

間に合ったからだ。

おとうとが言ったことのほとんどを、明夜星カイトは聞き取れなかった。あるいは、衝撃で流れた。

とにもかくにもなんでもかでも、『かわいいおとうと』が『憧れのカイトさん』に言ったことのほとんどを入れず、防ぐことができたということだ。

この直前、明夜星カイトは恋人の目線がどこで固まっているのかを追うことに注力していて、聴覚は少しばかり疎かだった。新型ロイドであればどちらも過不足なく同時に行使しているものだが、旧型はよほど意識していない限り、なにかに注力するとなにかが疎かになる傾向にある。

それも功を奏した。

束の間はほっとした名無星がくぽだが、しかし話題が話題だ。恋人には聞かせたくない。

というより、兄にもだ。兄にこそだ。

確かに自分が蒔いた種ではあるが、まさか明夜星がくぽがまともに正面から当たっていくとは思わなかった。

幾重にも不徳だ。やらかした以外のなにものでもない。挽回の余地がまるで見出せない――

揺らぎながら凍りつく花色の瞳を覗きこみ、明夜星カイトは不自由ながら小さく首を傾げた。

やはりほとんど動けないし、視線も自由がない。

けれど恋人がなにか、追いこまれていることはわかる。それもかつてなくろくでもなく、危機的にだ。

気になることは確かだが、今できる最善といえばおそらく、こうする恋人を拒まないことだ。気が済むまで、付き合ってやること――

こういったところ、KAITOというのは潔かった。見極めたら『そう』するのである。

だから明夜星カイトは束の間覗きこんでいた瞳を緩めると、そっと慎重に手を上げ、耳に当てられた恋人の手に重ねた。ぽんぽんと軽く、あやし叩く。

抵抗しない、好きにしていいよと伝えるしぐさだ。

凍りついた花色がわずかに揺らぎ、むしろ懸命に明夜星カイトを見た。最愛たる恋人を見て、なにかを呑みこみ、自らを奮い立たせてまた顔を巡らせる。

兄と、明夜星がくぽのほうへ。

その兄、名無星カイトだが、咄嗟におとうとへ顔をやったものの、ほとんど同時に上がった明夜星カイトのちょっとかわいそうな声に、いいように気を削がれた。そう、あれだ。

「ぷひゅっ?!」

――これだ。かわいい→違う、かわいそうな声だった。

とはいえそこまで大きかったわけでもないが、張り詰めたものが切れるのに十分な大きさと質を兼ね備えた音ではあった。

なにをすればこんな声を上げるのかと、そちらのほうこそ気になって確かめてみれば、おとうとが恋人の両耳を塞いでいた。

おそらくそれが唐突かつ勢いのいいものであったから、明夜星カイトはあんな声を上げたのだ。

それで、おとうとがどうしてそんなことをしたのかだ。いや、逐一説明してもらう必要もない。

明夜星がくぽ――恋人が溺愛するおとうとが、恋人の憧れのひとたる名無星カイトへ振った、少々過激な話題を耳に入れさせないためだ。

名無星カイトのおとうとは、無邪気な恋人にいろいろ夢見がちなのである

とはいえ付き合い始めた当初ならともかく、すでに数か月が経って相応に関係も進展したというのに、それでもおとうとは無邪気な恋人の、その無邪気さに夢見がちなままなわけである。

情報処理能力の高さを謳われる機種だというのに未だ夢見がちであるとか、もはや名無星カイトにはおとうとが機能不全を起こしているとしか思えない。あれだ、一般によく言われる『恋は盲目』というやつだ。

そう、恋は盲目だ――ならば仕方がないなと、名無星カイトは投げた。

恋が盲目であるなら、きっといろいろ見えるようになったとき、恋は終わりだ。

おとうとが夢見がちである間は恋が順調ということであり、おとうとは幸せだということだ。

もうそれでいい。おとうとがしあわせであるなら、名無星カイトにそれ以上、望むものもないのだから。

いや、あった

強くつよく強く、自分のためにこそ望むものを思い出し、名無星カイトは咄嗟に逸らした顔を戻した。腰に手を当てた立派な態度で立つ(この場合の『立派』というのは、尊敬できるだとかいう意味ではなく、単にとても偉そうだということである)明夜星がくぽと臆することなく見合う。

口を開いた。

が、名無星カイトがなにか返すより先に、とても立派な態度の明夜星がくぽが威風堂々、宣った。

「知らないひとのにおいとか癖とかがついてたら、僕が甘えにくくなるでしょうあんた、僕のことちゃんと甘やかす気、ある?!

いわば自分が撒いた(敷いた)針の筵にあった名無星がくぽだが、堪えきれずに口をあんぐりと開けた――

それで、ああこういうときほんとうに口というのは空きっぱなしとなるのだなあと、つい感心してしまったのは完全に逃避だ。

で、こういうときというのはどういうときかという話だ。

こういうときである。