よりく、-44-

「まあね、だいたいあんたに関することなんだから、あんたからあんたの言葉で伝えるのがいちばん、無難ったら無難だよね」

――というのが『過保護ども』の一角、兄さん大好きっこの結論であり、それには『過保護ども』のもう一角のほうも納得せざるを得なかった。

兄が伝えたいことを伝えればいいのだし、伝えたくないことは伝えなければいい。そして伝えたくないことを伝えなかったなら、所詮『外野』に過ぎない自分たちはそれに従うだけである。

そうするだけの分別は名無星がくぽにもさすがにあるし――

これは明夜星がくぽを相手にしたのとは、まるで意味が違う話だ。

明夜星がくぽは名無星カイトとの付き合いが『深み』に嵌まりそうな予感があったから、たとえ余計なお節介でしかなくとも、ならば刺しておかねばならない釘、あるいは越えてもらわなければならない壁があった。

が、明夜星カイトにはない。

たとえこれでふたりが親しい友人となったところで、名無星がくぽの『恋人』である限り、明夜星カイトに名無星カイトの行状はそうまで影響を及ぼさない(はずだ)からだ。

というわけで多少の心配はあれ、その問題は名無星カイトに丸投げすることで決着をつけた『過保護ども』、言い替えて『生意気なおとうとども』である(その態度は実におとうとらしいと、マスターたちは後日言い合った)

で、そういった感じで問題のひとつを片づけたわけであるが、ここにはもうふたつほど、解決に急を要する問題があった。

そのうちのひとつは本日のおやつ、4種各2本ずつあるスティックチーズケーキの分配方法である。

明夜星がくぽのお薦めはいちご味であるが、お薦めではなく決しておいしいとも言わないが病みつきであるのがブルーチーズ入りだという。

ほかにプレーンとブルーベリー風味とあるわけだが、そもそも名無星家の面々はまだこのブランドを食べたことがなかったので、どれを食べたい食べたくないという判断がつきかねた。

となると、とりあえずまんべんなく食べたうえで好みのものを見つけてほしいというのが明夜星家のロイドきょうだいの主張だが、それはそれとして、もとは明夜星がくぽの好物である。

その明夜星がくぽは自分のお薦めを自分が食べたいのはもちろんだが(だって好きだから=お薦めなのだ)、名無星カイトにもぜひ食べてみてほしかったし、別に決してお薦めではなくおいしいとも言わないが病みつきなブルーチーズに関しては、なんというか、どうしても名無星がくぽに食べさせたいようであった(そしてわりと当然めで、名無星がくぽはあまり食べてみたくなかった。彼はブルーチーズをさして好むわけでもなかったし、初めてのものはとりあえずプレーンを食べ、それからいろいろ考えたい口だからだ)

ちなみに明夜星カイトといえば、とにもかくにもおいしく食べるみんなの顔が見たいという(あわよくばこれを下台にカイトさんの好物を聞きだすか、さもなければこれをお気に入りにしてくれればいいとは思っているが、まあ、かわいらしい願いであると言える)

ココアができたのでいざおやつだという段になってわずかに議論が起こり、あれこれ出た意見をまとめ、最終的には名無星カイトが一計を案じた。

といっても、大したことではない。

4種各1本ずつを開封し、すべてひと口サイズ、4等分に切っただけのことである。

これでひと口ずつとはいえ、みんながまんべんなくすべての味を食べられるし、たとえば食べ慣れている明夜星きょうだいであれば、明夜星カイトのいちご味と明夜星がくぽのプレーンを交換するだとかいったこともできる。

それでおやつの分配問題も解決し、残りの問題はひとつ――

そう、ずっとくり返してしつこく述べているので、すでにうすうす察しておられるかとも思うが、椅子である。座る場所だ。

カウンタには据え付けの椅子が脚ある。いや、しかない

これは名無星家の普段の家族構成で考えれば、自然なことだった。マスター:出宵にカイトとがくぽという、人家族であるのだから。

しかして今である。

名無星家のロイドきょうだいに明夜星家のロイドきょうだい、言い換えるならKAITOが人に【がくぽ】が人、――まあ、なにをどう言い換えようとも結論は変わらない。同じだ。

いるのは人、椅子は脚、ひとく、脚足らない

そして真ん中の椅子には明夜星カイトが、その隣、部屋側端の椅子には名無星がくぽがすでに腰かけている。

あと空いている椅子といえば、窓側端の椅子、脚である。対して残る人員は、明夜星がくぽに名無星カイトの人――

とはいえこの椅子取りゲーム問題は、ほかの問題に比べれば容易く片づいた。争奪戦めいたものが起こることもなく、だからといって無為な譲り合い合戦が幕を開けることもなく。

なぜか。

明夜星がくぽである

――そう、時間の無駄も甚だしいという話だ。なぜかもなにもない。もったいをつけて問題扱いするほうがどうかしているという話なんである。

どうかしているというのにわざわざ取り上げたのには相応に理由もあるわけだがとにかく、第7話及び第20話でもそうだったが、今日も今日とて彼は特に誰かへ図ることもなく、独断で名無星カイトを膝に上げた

結果、椅子が脚空いた。

「………なあ、そっちに俺が移る、くっ」

空いた椅子二脚を未練がましく眺めて開いた名無星カイトの口に、明夜星がくぽは切り分けられたチーズケーキを無造作に突っこんだ。明夜星がくぽお薦め、いちご味である。

いちご味といっても、あの特徴的で鼻につく人工的なフレーバには頼っていない。いちご本来の甘酸っぱさが存分に活かされており、濃厚なチーズがむしろさっぱりと軽い食感で入っていく。

ちなみにその前に口に突っこまれたのはプレーンで、咀嚼と嚥下を終えたからと口を開いたならこのざまである。

そうやってなんだか黙々と給餌していた明夜星がくぽだが、名無星カイトが再び口のなかのものをこくりと飲みこんだところで、ようやく口を開いた。

「でさあ、改めて訊きたいんだけど、僕はさ、カイト…」

黙々とした給餌のあとに相応しい、ぼそりとした言いだしだった。感情の読み難い声だ。然もありなんと思う名無星カイトだが、言うなら他人事だ。しかしだ。

「あんたあれさ、兄さんのココア…なんか珍しく、味変えてたけど」

「そうだな。味覚が変わってたからな」

「『変わってた』?」

先に註釈を加えておくと、個々人の味覚に合わせた悪魔的な配合で謎の中毒者を続出させる名無星カイトの手づくりココアであるが、実のところ一度配合を決めたら、そののちはほとんど変更しない

多少、甘みを強めるなり弱めるなりの調整くらいはするが(たとえば甘いおやつに合わせ、【がくぽ】分を苦み強めもとい、甘さ控えめにしたような)、基本の配合あっての、あくまでも微調整の範囲だ。

今回の明夜星カイト相手にしたように、以前に使った調味料をまったく別の調味料に変えるようなことはしないのが常だ。

しかしなぜか大幅に変えた、その理由である。

変化した明夜星カイトの味覚に合わせたためだという。

眉を跳ね上げた明夜星がくぽは、同時に声のトーンも軽く、上がっていた。不信だ。彼は日常をともに暮らす兄の味覚が、そう大きく変化したとは感じていなかったからだ。

名無星カイトはそんな相手を軽く振り返り、わずかに首を傾げてみせた。

「あいつここ最近、自分でつくって試して、いろいろ飲んでたんだろ『あの味がつくれない』とは言ってたけど、でもたぶんそのときに、はっきりぴんとは来ないまでも気に入った味……傾向っていうのかとにかくそういうのができたんだと思う。根っからの甘いもの好きっぽいし…話聞いててそんな感じがしたから味見させたら、やっぱり変わってたから」

「…」

明夜星がくぽは眉間にしわを刻み、記憶を漁った。

本日のお味見タイムだ。つい先のこと、第43話だ。そう、つい先のことであるのだが、そう言われてもという話だった。

明夜星がくぽにしろ名無星がくぽにしろ、あるいはほかのKAITOにしても【がくぽ】にしても、あれから『こう』は読み取れないのである。

そして『こう』読み取れてしまうからこそ、名無星カイトは謎の中毒者を続出させるともいう。

「まあ、それいいけど」

そういう理由であれば考えたところで仕様がないと、明夜星がくぽはそうそうに投げた。そもそも本題はそこではない。

では、明夜星がくぽの本題とはなにか?

「最後の、あれさ、あんたさ、コンデンスミルクだよねふっつーにふっつーの市販品だよねそのほかのもさ、ココアとか…全部、合法だよね?」

――不信感たっぷりに念を押された名無星カイトである。さて、どう答えたか?

現行法上はな?」

第20話でもそうだったが、声も態度もきまじめであるが、不真面目であるとしか思えない、いつもの返しである。

『いつもの』であって目新しいことなどなにもなかったのだが、みるみるうちに明夜星がくぽの表情は歪んだ。なにしろ今回は、いわば『大事な兄さん』の身が懸かっていた。それも結構めに切実に。

「つまりなにか、時代とかによっては違法扱いされるものが入ってるってことっ?!」

「あー…」

頭を抱えて叫んだ明夜星がくぽに、名無星カイトはまた、空いた椅子二脚を見た。

空いた椅子二脚を見やり、その目をリビングダイニングと廊下とを隔てる扉へ流す。その扉の先、自分の部屋の向かいにある、おとうとの部屋――

ここで少し話を戻すが、だから発端はといえば、椅子問題であった。

それを明夜星がくぽが強引に解決してのけた。本人ひとりだけがまったくその強引さに気がつかず、問題ともせず、さも当然と。

つまり、いろいろな問題が片づき、そういえば椅子があと一脚しかないのに座っていないのがあと二人いるということに明夜星カイトと名無星がくぽ、恋人たちがふと思い至った瞬間には、明夜星がくぽがためらうこともなくそれに腰かけていたわけだ。

そして刹那の間すら置かず、よって議論の起こる余地もなく、次の瞬間には名無星カイトが膝に上げられていた――

明夜星カイトがそのあまりの早業に思考がまったく追いつかずきょとんとしたのは当然だが、機敏さに優れる名無星がくぽですら、思考の間隙を突かれたといった表情を晒した。

しかしそれも一瞬だ。彼らは第7話、いや、第20話からしばらくの間、この光景を見続けたものだった。椅子こそ違ったが、ほとんどまったく同じ体勢の二人をだ。

だからまったく新しい映像というわけでもなかったし、――

動揺した明夜星カイトは、咄嗟にココアに口をつけた。

動揺しながらも、動揺を鎮める先として、明夜星カイトがココアを頼ったのは当然の判断であった。できたてほこほこの、あたたかくて甘いココアほど、どんなこころもやわらかに包んで癒してくれるものはないのだから。

しかしてここでポイントとなってくるのは、明夜星カイトが頼ったココアはただのココアではなく、名無星カイト製謎の中毒者を続出させるココアだったということだ。

「ん゛っ……っ?!」

――ひと口飲んだところで、明夜星カイトはぴたりと動きを止めた。

揺らぐ湖面の瞳が揺らぎを止め、愕然と見開かれる。

「カイト?」

「ん?」

まず異変に気がついたのは名無星がくぽで、これは恋人甲斐があるという話だが、次に気がついたのは、そのおとうとの声で目をやった名無星カイトだった。明夜星がくぽはその名無星カイトを具合よく膝上に収めることに注力していたため、少し反応が遅れた。

とにもかくにも、気がついたときにはだ。

カップに口をつけたまま、明夜星カイトはぎょろりと名無星カイトを見た。ぎょろりとした目はうるぷる震えており、肌という肌がこれ以上ないというほどの朱に染まっていった。

きらぴかうるぷるしながらぎょろりと名無星カイトを見た明夜星カイトは、カップから口を離さないまま、ひと言、叫んだ。

「おはぁりっ!」

――訳す。『おかわり』である。

とはいえおかわりもなにも、未だひと口しか飲んでいないというのにだ、なにを焦ってという話だが、次の瞬間、明夜星カイトは滝のごとき勢いでココアを飲み干した。

ほんとうに滝のごとき勢いだった。ごっごっごっごという、のどを鳴らして飲み干していく音が、この場にいる誰にも聞こえたのだから。

ここまでの飲みっぷりは、古い映画などの銭湯ネタでしか見たことがない(少なくとも名無星カイトは)。風呂上がり、腰に手を当て、瓶入りの牛乳を誰も彼もが一気に飲み干すという、あの不思議な決まりだ。

で、飲み干す前に『おかわり』を注文しておいたお客様である。酒のみが居酒屋でよくやる手である。ほかには初めから三杯程度余計に頼んでおくというのがあるが(これは店舗により対応が異なるので、ボトルを確保することのほうが一般的である)、とにかくだ。

おかわりにはありつけなかった。

明夜星がくぽが抱えこんだばかりの相手を放すことを良しとせず、名無星カイトがおかわりをつくりに行けなかったからではない(それも少しはある)

酔ったのだ、どうも、明夜星カイトは――ココアで

飲み干して、じっくり余韻に浸り、かつ、もう失われてしまったという寂寥の念に耐えていた明夜星カイトだが、その時間はあまり長くなかった。すぐ、もじもじし始めた

もじもじしながら、おとうとの膝に上げられた名無星カイトをちらりと見て、それから反対隣に座る名無星がくぽ、憧れのカイトさんのおとうとにして、自分の恋人へ目を向けた。いや、目を向けたといっても正面から対峙したわけではない。もじもじしながら、ちらちらと盗み見るのである。

で、そこまでもれなく真っ赤に染まった手がおずおず伸びて、なんとなく予感に固まる恋人の、太腿あたりの服地をちょんまりつまんだ。ちょんまりつまんで、ちょんちょん、引いた。

ココアの名残りに濡れるくちびるが、戦慄きながら開く。

「ぁ、あの、あ……の、………ぁくぽ。ちゅ、したぃ………です

消え入りそうな声で吐かれた要望だったが、全員の耳にもれなくきっちり届いた。

全員の――恋人の耳には当然、その反対隣に座る恋人の兄、それに溺愛するおとうと、すべての耳にもれなくきっちりである。

名無星がくぽは最愛の恋人から振られた突然にして最大級の危機的状況に固まり、咄嗟に動けなかった。

対して、目の前の恋人同士よりよほどに密着している、関係性はまったく不明だがなんとなく人目を憚ってほしい、そのきょうだいたちである。

珍しくも頭痛を覚えたように、明夜星がくぽは渋面で額を押さえた。

「ちょっと、もう……やってくれたね、あんたってひとは……っ」