がりがりと頭を掻いたへきるは、わざとらしく窓の外を眺めた。

「あーえっと、カイトUFO、もう行っちゃったなー!」

「そうなんですか?!残念です!」

「うんうん、そうだな、残念だなあ!!」

口調が完全に子供向けだ。

ピンクハウスブルーマガジン-07-

へらへら笑うへきるの太ももを、せつらは入念にネイルアートを施した爪でつねり上げた。

「いぎっ!!」

「だから誤魔化されないって言ってるだろ。どういうことだよ、るーちゃん?」

くちびるを尖らせて詰るせつらは、しゃべりさえしなければ美少女だ。しゃべった瞬間に、男の夢を粉微塵に打ち砕く。

「………………どうしてみんな、誰も彼も男に走るんだ……………なんで男だよ…………ホモのなにがいいんだ…………」

せつらに迫られて、へきるは弱々しくつぶやく。頻繁にカイトによろめいておいて、言っていい台詞ではない。

キヨテルがぴんと背を伸ばし、きりっとへきるを見た。

「杉崎、セクシャルマイノリティを無闇と差別するのは時代錯誤だ。そうでなくとも日本は、そちらに関しては寛容な国だ。そういう思想は、要らぬ軋轢を生むだけで無益だぞ」

教師の口調でびしばしと言ったキヨテルを、へきるは反抗する生徒の目で見返した。

いやだ」

「『いやだ』?!」

駄々っ子の返事に、キヨテルは瞳を見張る。

そのキヨテルに、へきるは今にも泣きそうな顔で、膝に懐くせつらを指差した。

「ホモを肯定したら、せつらを肯定することになるんだぞ?!俺はせつらを否定するためなら、差別主義にもなる!」

「ぁあんっ、愛が深いぃ~」

「そこはうっとりするところじゃないです、マスター!」

頬を染めて呼吸を荒くしたせつらに、キヨテルは眉間を押さえる。

「むしろあっぱれな心意気ぢゃの、マスター」

カイトの耳を塞いでいたがくぽが、こっくりと頷く。

「小心者のぬしとは思えぬ。それでマスター、この間買うていたBLマンガぢゃがな」

BLはファンタジーだよ。ホモじゃねえ」

「この歪みきった、変態オタクが!」

きっぱりと罵って、がくぽはカイトの耳から手を離した。

「ほやや?」

きょとんとして見回すカイトの肩を抱き、がくぽはへきるに向かってにっこりと、力いっぱいに微笑んだ。

「それでマスター先ほどの力強い言葉を、カイトにも聞かせてやってくれぬか」

「ちからづよいことばふゃや、なんですか、マスター?」

「っっ」

いっそもうあどけないくらいの表情で見つめるカイトに、へきるは顔を歪めると思いきり仰け反った。

「マスター?」

お言葉ください、と無心に強請られ、へきるはごくりと唾液を飲みこんだ。

「………………………………………レン、は、ない、…………わー…………………………」

「ふえ?」

弱々しくつぶやいて、へきるはがっくりと机に突っ伏した。

「がっくんのオニ………………っっ」

がくぽのことが大好きなカイトに、マスターである自分が、ホモなど差別する、と言い切ることは出来ない。マスターに嫌われたと思って、きっと大泣きするだろう。

泣こうが喚こうが知ったことか、と突き放せる相手ではない。出来れば泣かせたくないのだ。

「このチキンが」

がくぽは容赦なくせせら笑う。とてもではないが、マスターに対する態度ではない。

キヨテルはわずかににじって、がくぽとの距離を開けた。

「やっぱり………」

つぶやいたのは、せつらだ。

不機嫌そのものの顔で、机に突っ伏してさめざめ泣くへきると、きょとんとしているカイトを見比べる。

「カイコちゃん、ライバルじゃない?」

「ぢゃからそれは、成らぬ仲ぢゃと言うておる」

せせら笑いを残したまま、がくぽはさらにカイトの肩を抱き寄せる。

「よしんばマスターがその気でも、カイトに応える気がない。先にも言うたとおり、これは我に身も心も捧げておるのぢゃ」

「それってつまり」

眉をひそめるせつらに、がくぽは胸を張った。

「我とカイトは人目も憚らぬ、アツアツのコイビト同士ぢゃと言うておる」

人目は憚ろうよ!!」

「そうだ、人目は憚れ!!」

がばっと身を起こしたへきるが叫び、被害の記憶も生々しいキヨテルも抗議する。

しかし堪えるがくぽではない。

にんまりと性悪に笑って、照れてレンの頭に顔を埋めたカイトの頭を撫でた。

「無理ぢゃ。堪えようにも、あまりにかわゆすぎる」

「ふゃややっ」

照れたカイトが、意味不明の悲鳴を上げる。

こめかみにキスをして、がくぽは瞳を見張っているせつらを睥睨した。

「というわけで、いくらマスターが悶えようとも、どうにもならぬ。失恋決定ぢゃ」

「待てがっくん恋もしてねえのに失恋なんて」

抗議するへきるをさらりと無視して、がくぽはいかにも無害そうな笑みを浮かべた。

「チャンスぢゃぞ、せつら。マスターが失恋で弱っている今、つけこまずにどうする」

「ちょうなっとく!!」

「ぃぎゃぁああああああ!!!」

言っていることが害悪まみれだ。

瞳を輝かせて頷くせつらに、へきるは失神寸前の顔を晒す。

「………………マスターの恋路が上手くいけばいいとは、思うが………」

思いきり仰け反って、まさに身も心も引きまくりのキヨテルがつぶやいた。

「『あの』マスターに捧げられてしまうかと思うと…………いくらなんでも神威、容赦がなさ過ぎる………!」

自分のロイドにすら引かれるせつらの行状らしい。

しかし一言断っておくと、せつらの行動が異常になるのはへきるが絡んだときだけだ。ロイドに対しては、結構やさしいマスターなのだ。

「まあ、それはそれとして、今はテル蔵ぢゃの」

「止めろ神威、おまえが話を振るな!」

「待ってがっくん今つけこむのに忙しい!!」

「ぎゃぁあああああ!!!」

「………」

「………」

キヨテルは懸命に顔を背けてマスターの悪行から逃避し、がくぽは軽く天を仰いだ。

「あの、がくぽさん………」

今いちマスターふたりの距離感が掴めないカイトは、おどおどとしてがくぽを見る。

がくぽはにっこりとやさしく笑い、カイトの肩を軽く叩いた。

「立ちゃれ、カイト。鏡音の、ぬしもぢゃ。マスターはマスター同士、ロイドには聞かせにくい話もあろうからの。我らは我らで、話が済むまで他の部屋で大人にしていよう?」

「そう………なん、ですか?」

さすがに今回は、カイトもうかうかとは丸めこまれなかった。なにしろ、目の前の攻防戦は熾烈だ。

がくぽは思いきり誑かす顔になり、そんなカイトの顎を撫でた。

「そういえば、カイトにはまだ、きちんと説明しておらなんだか」

「え?」

不思議そうに見つめるカイトに、がくぽは嫣然と微笑む。

「このふたりは八つのときからの因縁の仲ぢゃが、さまざまな関係を結びつ解れつしての」

「はい」

「今の関係は、マスター専用の無料押しかけデリヘルと、その利用客ぢゃ」

「え………」

こぼれそうなほどに瞳を見張るカイトに、がくぽは自信満々に微笑んでいる。

「ちがぅううううううっっっ!!!」

「がっくんちょぉないす!!さあるーちゃんるーちゃんるーちゃん、俺のご奉仕受けて!!」

「ひぎぁああああっっ!!!」

轟く悲鳴にカイトは身を竦ませ、涙目でがくぽを見た。

がくぽの浮かべる笑みは、あくまで優雅で泰然としている。嘘をついている疾しさは欠片もない。

「『デリヘル』の意味はわかろうな、カイトマスターは照れておるのぢゃ。せつらは変質者ゆえ、まったく構わぬぢゃろうが、普通そういうものは、他人に見せながらするものではないからの」

「あ………っ」

カイトは、はたと思い至った顔になった。

耳からうなじから、全身を真っ赤に染めると、膝の上のレンを促して立ち上がる。

「ごめんなさいっ、マスター俺ほんと、ニブくって!」

「ぁあああああっ、カイトちがうちがうカイトぉおお!!」

「えとえとあの、せつらさんもごゆっくり!!」

「おk、カイコちゃん!!」

「カイトぉおおおお!!」

悲痛な叫び声を上げるマスターにぺこんとお辞儀して、カイトはレンの手を引いて部屋を出た。

そのあとに悠然とついて行きながら、がくぽは唖然としているキヨテルの腕を掴んで立たせ、共に部屋から連れ出す。

「がっくんんんんーーーーーーっっ!!!」

あからさまな救援信号もさらりと無視し、がくぽはきっちりと扉を閉めた。

「…………鬼か、おまえ」

扉を閉めてすら漏れ聞こえる絶叫にも平然としているがくぽに、キヨテルは心底、恐ろしそうにつぶやく。

「さても、そう言われてもの。我はぬしのマスターの行状を、すべて知るわけではないからの」

キ○ガイの所業だ」

吐き捨てたキヨテルに、がくぽはわざとらしく瞳を見張った。

「それでも付き合うておるのか?」

「…」

それはさっき、キヨテル自身が言ったことだ。

扉へとわずかに視線を流し、轟く怒号と罵声、かん高い笑い声の不協和音に顔をしかめ、キヨテルは頷いた。

「いやよいやよも好きのうちか……」

してはいけない方向で納得したらしい。

がくぽは肩を竦めた。

「納得したなら来やれ。カイト、我らの部屋へ行くぞ。下に行ったでは上の音が筒抜けで、落ち着かぬゆえな」

「はい、がくぽさん」

相変わらずぺったりとレンに張りつかれているカイトは素直に頷く。レンを促して、てこてこと歩き出した。

出会ってから一言も口を開かないレンだが、気にすることもなく、なにくれとなく話しかける。そのさまは確かに、巷で言われるとおりに『みんなのおにぃちゃん』だ。

ゴスロリだが。ミニスカだが。

仲の良さそうなふたりを、複雑な顔で見送るのはキヨテルだ。

嫉妬心は当初ほどではないが――カイトを見ていると、まともに反応する自分があまりに莫迦みたいだからだ――それでも、心がざわめく。

キヨテルはごく常識的な思考傾向なので、今の自分の状態が自分で不可解だった。

レンがショタかどうかは置いておくとしても、子供であることは確かで、そしていたいけなのも確かだ。

そう、いたいけだと思う。守ってやらなければと――

思う端から、自分に裏切られる。体も心も、まるで思うようにならない。

「テル蔵」

「だからテル蔵じゃないと……」

物思いに沈みかけたところで呼ばれて、キヨテルは渋面で返す。

まるで反省した様子もないがくぽは、にっこり笑って廊下の先を指差した。

「ぬしも来やれ。特別ぢゃ。茶を所望するなら、淹れてもやる」

「――ひとりにさせてくれ」

震え上がって、キヨテルは一歩下がった。

己のマスターに対してすら、『ああ』なのだ。

これで『マスター』というなけなしのストッパーもいないところで相対したら、なにをどうされるかわからない。

拒絶の姿勢のキヨテルに、がくぽはますます笑みを深くした。

「では、『アレ』で遊ぶが、良いのぢゃな?」

「おまえの部屋でいいんだな」

ばね人形のように背筋を伸ばすと、キヨテルはさっさと廊下を進んでいった。

その背を見送り、がくぽは性悪にくちびるを裂く。

「ほんにオモシロイやつぢゃ」

つぶやくと、自分もまた、歩き出す。

マスターの悲鳴も、暴れる音も聞こえなくなった。

おそらく縛り上げられたうえで、さるぐつわを噛まされている。

そこまできっちりと見通したうえで、がくぽが助けに戻ることはなかった。