せつらが毛嫌いされる理由は、いろいろある。

しかしいろいろはあっても、大体が一言でまとめられる。

カレー粉抜きカレーミルクバター風味-03-

「るぅうううううううちゃぁあああああああああ~~~~~んんっっ

「ごひぁっ?!!」

遠くから近づいてくる叫び声に、へきるは石柱と化した。

そんな場合ではない。逃げなければ、とは思っても、体が固まって動かない。

人間、ショックも過ぎると危険に即応出来なくなるのだ。

「るぅちゃんるぅちゃんるぅちゃんっっ!!俺おれおれ、感ッ激ッッだよぉっっ!!そんな昔のこと、るーちゃんが覚えててくれたなんてぇええ!!」

「ひぎぁあああああ!」

弾んではいても、間違いなく男の声で抱きついてきたのは、ツインテ美少女――に、擬態することを得意とする、へきるの幼馴染み、秋嶋せつらだ。

美少女キャラクタも麗々しい紙袋を、根性とか執念とかで提げたままのへきるに、せつらは感激の頬ずりをくり出す。

「っていうか、離れろこの変質者ぁあっ!!おまえどっから来た?!なんでふっつーに会話繋がんの?!!」

「やだなー、るーちゃん」

どうにか呪縛が解けたへきるに突き飛ばされても、せつらは衒いもせず悪びれもしない。

愛らしいこと抜群のウインクを飛ばした。

愛の力☆に、決まってるじゃん♪」

――せつらが毛嫌いされる理由は、いろいろある。

しかしそのどれもこれも、この一言にまとめられた。

やり過ぎなのだ。

その能力は時として、軽く人間を超える。

「相変わらずの電波ぶりぢゃ」

攻防戦をくり広げるマスターたちを見やり、がくぽは軽く天を仰いだ。

「……………二十秒というところかの」

「なにがですか?」

事態についていけずにきょとんとしているカイトに、がくぽは曖昧に微笑んだ。

「渋谷からここまでに、掛かった時間ぢゃ」

「しぶや…………から?」

カイトは上目遣いになり、最近覚えた首都圏の路線図と、大体の所要時間を突き合わせた。

「??」

どこのどの路線を使い、どの道をどうひた走ったとしても、二十秒では渋谷と繋がらない。

「え渋谷………??」

かわいく首を捻って、せつらが来た方向とへきるとを見比べるカイトに、がくぽは肩を竦めた。

突き飛ばされても跳ね飛ばされても避けられても、まったくめげることのないせつらを指差す。

「あの変質者はな、カイト。ただの変質者ではないのぢゃ。マスターが一言でも己のことを褒めたり、好意的な発言をしたりすると、世界のどこにいようとも、秒単位ですっ飛んでくるという特技を持っているのぢゃ」

それはもはや、特技の域を超えている。

戦慄の事実を明かすがくぽに、カイトは困惑の眼差しを向けた。

「えっと、あの変質者って………………………………あのひと、誰ですか?」

「………………………そこからか」

困惑の意味が違った。

がくぽは微笑みを絶やすことなく、せつらへと優美に手を差し向ける。

「あれなるは、我らがマスターの幼馴染みにして押しかけ出張デリヘルを務める、秋嶋せつらぢゃ。テル蔵とレンのマスターでもある」

「ああ!」

ようやく合点がいったように、カイトは頷いた。

服が違うからわかんなかった!!」

「がぁあああああっくんっっ、ヘイパスっっ!!」

叫びに叫びが重なり、がくぽの顔にティッシュの箱が投げつけられた。

「ひゃやややゃっっ」

カイトが小さく悲鳴を上げる。血のりが洋服へと垂れ落ちる寸前で、がくぽはティッシュを鼻に当てた。

「愛い…………っ」

くぐもった声で、がくぽはしみじみとつぶやく。

「んあれ、がっくん………に、カイコちゃん?」

そこでせつらはようやく、がくぽとカイトの存在に気がついたらしい。きょとんとかわいらしく首を傾げた。

少なくとも、せつらの見た目は美少女だ。今日も今日とてフリルとレースたっぷりの愛らしいワンピース姿で、長い髪は頭の上でふたつに分けて結んでいる。

ツインテールにしたその髪にはきちんとカールが利いていて、誰もが憧れるふわふわ系お嬢さまに仕上がっている。

しぐさも抜かりなく、かわいらしい。声さえ出さなければ、せつらは二次元オタクですら蕩かす『美少女』だった。

ちなみに初めて会ったとき、杉崎家伝統として女装っこだったカイトのことを、せつらは『カイコ』と呼んでいる。

ちなみのちなみで、杉崎家伝統には、もちろんへきるも入る。

これでいて、小さい頃はド級コスプレイヤーである母親のお人形さんとして、好き勝手されていた。

その好き勝手された挙句の副産物が、せつらとの因縁だ。

「えーっと…………そっか。今日、るーちゃんとお出かけだったんだ?」

「違う」

「違うの」

「違います」

三段で否定された。

せつらはきょとんとする。

「別々に出掛けて、ここで偶然、ばったり会ったんだ」

へきるはため息とともに説明した。

ばったり会ったと思ったら、無茶ぶりだ。前振りも脈絡すらもなかった。

美少女キャラクタの紙袋を両手に提げたへきるは、じりじりとせつらとの距離を開けつつ、首の後ろを叩いているがくぽを見る。

「そもそもがっくん、急ぎの用事があるとか言ってなかった?」

「うむ」

鼻血が止まったらしいがくぽへ、カイトがウェットティッシュを渡す。

こびりついた血のりを拭ったがくぽは、へきると自分とを見比べるせつらへと頷いた。

「こうして無事にせつらも呼び出せたことぢゃしの。ほれ、せつら」

「は呼び出し?」

「え俺?」

きょときょとん、とするマスターたちに構わず、がくぽは地面に置いていた紙袋を無造作に差し出した。

「母御殿からの預かり物ぢゃ」

「え、預かり物って…」

訝しげなせつらに、紙袋を差し出したまま、がくぽは軽く告げた。

「奴隷用の首輪と鎖。あとは、衣装のカタログ一式ぢゃ」

「ああ!」

せつらは納得して頷いたが、傍らのへきるが音を立てて引いた。

運動神経の鈍さは折り紙つきのはずなのに、一瞬でがくぽとカイトの後ろに回り込んでいる。

自分のロイドを盾にするとはマスターの風上にも置けないが、この場合、せつらはロイドに対しては酷い真似をしない。危険なのは、常にへきるだけなのだ。

「どどどどどドレイ用ってててててっっ」

上擦った声で訊くへきるに、紙袋を受け取ったせつらは明るく笑った。

「やだな、るーちゃん。るーちゃん用じゃないよ。レンちゃん用だよ」

「そうかレンか……って、レン?!ぉおおおお、おまわりさ、むぐぐぐぐっ」

躊躇いもなく警察を呼ぼうと声を張り上げたへきるを、がくぽが素早く抱えこんで黙らせた。

「勘違いするな、マスター。せつらはマスター一筋ぢゃ。鏡音のを奴隷にするのは、テル蔵ぢゃ」

「ほうは、へんへぃあ……………ぉおおおおおおまはりひゃ、ぐぐぐぐぐっ」

先日の顛末を知らないへきるは、ショタっ子レンの身に起ころうとしている悲劇に失神寸前だ。

顛末を知っていれば、むしろ被害者はテル蔵ことキヨテルのほうだと同情しただろう。

がくぽに押さえこまれてもがくへきるを、カイトは無垢な瞳で覗きこんだ。

「あのね、マスター。レンくんはキヨテルさんのにくどれーになるって決めたんです。キヨテルさんだけのおにゃのこになるんですって」

「ごはぁっっ!!」

「きたなっっ!!」

カイトの口から出た衝撃の言葉に、へきるの口から汁込みで魂が飛び出した。

慌てて手を離したがくぽへ、カイトはウェットティッシュを渡す。

「なななな、なにがどうなってそそそそそそんな話はなはなしははははな」

「えっとそれは…」

「長いので割愛ぢゃ!」

崩れ落ちそうなマスターへ冷たく言い捨て、がくぽは袋の中身を確認しているせつらへ顔を向けた。

「せつら、代金はいつものように…」

「おkおk、スイスの指定口座っしょ?」

「そうぢゃ」

せつらの言葉に、がくぽも頷く。

へきるの母親は、この『お約束』の会話を成立させたいがためだけに、実際にスイスに口座を作った。

オタクもそこまで行けばあっぱれ、と言えばいいのか。

「にしてもがっくん、なんでこんなとこうろついてんの俺ん家に直接持ってったほうが、絶対近いのに」

少年用で、しかも一応は『おもちゃ』なので、首輪も鎖も、本物ほどには重くない。しかしある程度の重量があることは確かだ。

もしもお使いついでに遊びに出たのだとしても、せつらの家が反対方向ということはない。ついでに寄って、荷物を置いてきたとしても、大した労力ではない。どころか、断然楽だ。

軽く放たれたせつらの疑問に、がくぽは眉をひそめた。

「ぬしが家におらぬからぢゃ。のう、カイト?」

水を向けられて、カイトも頷いた。

「えっと、はい。先にせつらさんの家に行きました。そしたら、急にシフトが入って、お仕事に出掛けたって」

がくぽたちのマスター、へきるは永遠に学生を極める気だが、永遠の十七歳を標榜する同い年のせつらのほうは、高校卒業と同時に就職している。

詳しいことは不明だが、アパレルブランドのショップ販売員で、それもカリスマ店員の名をほしいままにしているらしい。

変質者として毛嫌いされているせつらだが、客観的に見て、社会的評価はこちらのほうが高い。

そのせつらは、今日に関しては定休日で、家にいるはずだった。

ところが行ってみれば、フェアの最中のために今週は定休日がなく、とはいえ一応は休みのはずだったが、急に人手が必要となって駆り出されたという。

カイトの言葉を受けて、がくぽは重々しく頷いて胸を反らす。

「我はせつらの働く店に行ったことがないからの。場所がわからぬのぢゃ。鏡音のに地図を貰うたが、読めぬので――」

「えっと、ちょっと待ってがっくん」

堂々主張するがくぽに、へきるが紙袋を提げたままの手を挙げる。

「がっくん、新型ロイドだよな地図読めないって、そんなわけないよな?」