カイトはなにかしらが抜け落ちた表情で、微動だにせずに沈黙を守っている。

伸し掛かったまま、がくぽはそんなカイトをじっと見つめていた。

じっと、じーっと、じーーーーーーーーーーー

The War of the Sweety Poo-後半戦-

「……………………いたいたひたい」

「貴様は」

ややしてぽつりと吐き出された言葉に、がくぽは眉間に皺を刻んだ。頭痛を堪える顔になると、カイトの口から羽織を抜き出す。

「もう一度」

「…………………………いちゃいちゃしたいです」

「どうして敬語だ」

「いちゃいちゃ………」

「……………」

だんだん恨みがましさを増して来たカイトの声と表情に、がくぽは無闇なツッコミを飲みこんだ。

カイトが言いたいことは、ひとつらしい。

いちゃいちゃしたい。がくぽと――だれよりもなによりも愛する、旦那さまと。

「………それはつまり、外に出かけた夫が帰って来たなら、玄関まで飛んで迎えに行ってお帰りなさいのキスをするとか、風呂にはいっしょに入って体を洗い合うとか、同じ布団でぴったり抱き合って寝たいとか、そういうことか?」

「………」

非常に具体的かつ身に覚えのある例を挙げていったがくぽに、カイトは珍しくもじっとりした目を向けた。

目は口ほどにものを言いとは言うが、わかりやすいことこのうえない。

溺愛する新妻からの、じっとり恨みがましい視線を受け止めたがくぽといえば、ふんと傲岸に鼻を鳴らした。

その反応に、カイトの瞳がきゅっと鋭さを増す。

「だって俺はっ……きょ、きょーだいで、したら、ヘンだけど………夫婦だったら、がくぽといちゃいちゃしても、ヘンじゃないし……もっともっといっぱいいーーっっぱい、いちゃいちゃできると思ったから………っがくぽと、心置きなくいちゃいちゃ甘々したかったから、およめさんにしてって、言ったのにっ!」

表情が険しいだけでなく、こちらも珍しく、訴えるカイトの声はヒステリックだった。相当にご不満が溜まっていた、なによりの証だ。

がくぽといえば、喚かれた最初こそ目を丸くしたものの、後半に行くほどに冷静さを取り戻していった。とはいえ、『がくぽ』だ。どうしても残念な感じに、つけこむ隙を探しているちんぴらに見える。

残念といえば、カイトもだった。

そういうがくぽと『いちゃいちゃしまくりたい』という理由で結婚を迫っただけあって、そこはかとなく漂っている危険な雰囲気にも、まったく反応しない。

むしろ、余裕を刷く旦那さまが憎いとばかり、胸座を掴んで顔を寄せた。

「なのにがくぽは、俺のこと手が掛かる手が掛かるって、そればっかり言ってっ……ぜんっぜん前の、『兄弟』のときと変わんないし……ううんっ俺ががくぽのそばに行くと、なんか困ったみたいな……不思議そうな顔するようになってっ………っがくぽこそ、なに考えてるのっ?!俺のこと、どうしておよめさんにしたの?!っていうか、俺はおよめさんでがくぽは旦那さまで、俺たち夫婦なんだって、ちゃんとわかってる?!」

「うすらぼんやりが」

胸座を掴まれても、わずかに眉をひそめただけで手を振り払うこともなく、がくぽは悪態を吐き出す。

常に揺らぐ瞳に、潤いをプラスして至近距離から睨みつけてくるカイトに、がくぽは懲りることなく鼻を鳴らした。

「まあ、うすらぼんやりは俺もだが。貴様が、夫である俺の話をまっっっったく耳に入れん嫁だということを、しばしば忘れるからな。まっっっっっったくっっ!」

「えー………」

強調されて、カイトはあっさりと勢いを失った。再びころんとベッドに戻りつつ、微妙に視線を移ろわせる。

「そ………こまで、ぜんぜん、聞いてないって、ことは………たぶん、ない。…………し。たぶん」

「ならば聞け」

たぶんを重ね掛けしたカイトに、がくぽはすかさず切り込んだ。ずいっと顔を寄せると、相変わらず微妙に目を泳がせているカイトをじっと見る。

視線が合わなくても気にせずに、口を開いた。

「俺が貴様を嫁にしたのはな、手を掛けてやるためだ、カイト。誰よりもなによりも優先して、これ以上ないほどに手を掛け、愛で甘やかしまくってやるために、貴様を嫁にしたんだ。手が掛かるのは、むしろ言祝ぎだ。俺に迷惑が掛からないようにしようなど、浮気以上に赦さん」

「えー………………」

この場合、カイトとしては『まったくそうは聞こえなかった』という、ご不満の表明のつもりだ。しかしがくぽは、自分が言った別の言葉に気を取られていた。

「いや、浮気も同等に赦さんが。同等というか、より以上にというか、………」

「どっちにしろ、浮気なんかしないしー…………」

「ほう!!」

見当はずれな心配だと呆れたカイトに、がくぽはわざとらしく目を丸くした。すぐに鋭さを取り戻した瞳は、ぎろりとカイトを睨み下ろす。

「ではもう、おいそれと人形など抱かんな?!」

「えー………………………」

詰られたカイトは呆れ返り、わずかに残っていた力まで失って、ベッドに沈みこんだ。

がくぽが言う『人形』は、リリィがカイトの無聊を慰めるために作ったものだ。その名も『おにぃちゃん人形』。

がくぽ――汎用的な意味での『がくぽ』ではなく、『カイトのがくぽ』を形代にした、カイトの宝物だ。

ロイドですらない、まったくの無機物である人形なのだが、がくぽはこれ相手に悋気を起こす。

カイトの宝物だとわかっているので、がくぽの人形の扱いはむしろ丁寧だ。しかしカイトが抱いていたりすると普通にヤキモチを妬き、『浮気だ』と怒る。

が、くり返すが人形だ。布製で、二頭身にデフォルメキャラクタ化された。

「って、話が逸れた!」

どう答えたものかと多少悩んだカイトだが、すぐにかっと瞳を見開いた。きっと、伸し掛かるがくぽを睨む。

「じゃなくて、がくぽ………普通ね、手が掛かるって」

当然の感覚を諭そうとしたカイトだったが、所詮相手はがくぽだった。折れる素振りもなく、カイトに伸し掛かったまま堂々と胸を張る。

「そもそも事の最初からずっと、俺は言い続けているだろうが。貴様に心置きなく手を掛けてやりたいから、嫁にすると。俺に手を掛けさせろと。それを貴様というやつは、すべて右から左、いや、そもそも耳に入れる前に弾き飛ばしおって!」

「っだとしても、あんなに手が掛かる掛かるって言われたら………」

「褒め言葉に変換する癖をつけろ!」

「なんで無茶ぶり?!」

とうとう開き直られた。

震撼してこれ以上なく瞳を見開いたカイトだが、ややしてふっと瞼が落ちた。表情を彩るのは諦めで、そしてなによりも安堵だった。

その表情、しぐさのすべてに見入って目が離せないまま、がくぽは表情をやわらげた。カイトが見ていたなら逆に、『え、なに、こわっ』とでも言いそうなほどに、やさしく穏やかな顔だ。

ちなみにマスターが見ていたなら、うちの子の可能性に男泣きしただろう――ちゃんと堅気らしい顔もできる子なんです、やればできる子なんですと。

しかしマスターはおらず、そしてカイトもまた、目を閉じたままだった。

がくぽは力の抜けた体を押さえつけていた手を離すと、安らぐカイトの頬をそっと撫でた。

「んっ……」

「………いちゃいちゃべたべたとして、良かったのか。そうか………したかったのか。俺はまだ、なにか無理強いをしているのかと………まこと、うすらぼんやりは俺だ。本当に真実、得難きものはきちんと、この手に得ていたというのに……」

がくぽのつぶやきは、己の耳に入るかどうかも怪しいほどに小さく、あえかだった。いや、自分が口に出していたと、がくぽ自身、自覚していなかった。

ただ、こみ上げる安堵と幸福感のまま――

がくぽの手はひたすらにやさしくカイトの頬を撫で、滑り落ちて顎から首へと、くすぐるように辿っていく。

ぶるりと震えて、カイトは瞼を開いた。やさしい顔で覗き込む男を見上げると、その首へと両手を掛ける。素直に引き寄せられてくれた相手のくちびるに、ちゅっと音を立ててくちびるをぶつけた。

こつんと額を合わせると、近過ぎて見えないがくぽの瞳を、カイトはそれでも懸命に覗き込む。

「………リコン、しない俺がいっぱい手が掛かって、ワガママいっぱい、甘えても。がくぽの話、ぜんっぜん聞かないで、また、こういうことくり返しても?」

「少しは聞け」

やや呆れたように腐してから、がくぽはわずかに顔を傾けた。不安を吐きこぼす新妻のくちびるに、誓うような慰撫するようなキスを落とす。

「俺に手を掛けさせて、我が儘放題に甘えろ。重く伸し掛かれ、カイト」

「んっ………」

キスの合間につぶやかれる言葉に、くすぐったさを堪えて歪んでいたカイトのくちびるが解けた。さらに深いキスを強請るように、がくぽの首に掛けた手に力が込められる。

カイトが浮かべた笑みは、ふんわりと綻ぶ花のように美しく、初々しく、幸せに満ちていた。常に揺らぐ瞳にはがくぽへの愛情が満々と湛えられ、溢れんばかりとなって、さらにゆらゆらと瞳を揺らがせた。

「あの、あのね、がくぽ………いっつも俺に伸し掛かって、押し倒すの、がくぽだと思う……きじょーいって、あんまりやらないよね、がくぽけっこー、重いよ?」

「ぁあ゛?」

やわらかな空気一転、堅気としてはどうかという問い返しをしたがくぽへ、カイトは陶然と蕩ける色を浮かべてくちびるを寄せた。

「あのね、俺ね……もうこうやって、がくぽの重みがなかったら、いられないんだから………これ以上、手が掛かってワガママばっかりで甘えたなお嫁さんになっちゃって、それでリコンされたら、んっ」

くちびるに掠りながら吐かれていた言葉は、押しつけられたがくぽのくちびるに呑みこまれた。先までの触れるだけのものとは違い、カイトのくちびるも舌も貪るように吸われ、漁られる。

「ふぁ………」

ややしてくちびるが離れると、カイトは力を失ってベッドに沈んだ。

がくぽは濡れたくちびるをちろりと舐めながら、蕩けて無防備に体を差し出すカイトを眺める。

「離婚なぞせんと、言っていようが。たまには俺の話を聞け」

言いながら、がくぽは沈むカイトを追って身を屈めた。くちびるが笑みを浮かべて歪む。どうしてそうなるのかわからないほど、凶悪な笑みだった。

見つめるカイトの背筋が、ぶるりと震えたのは――

程よく熟れて食べ頃となった新妻に気づき、がくぽは凶悪に歪むくちびるをちろりと舐めた。募る興奮を宥めながら、話は聞かずとも決して抵抗しない体に沈みこむ。

「貴様に俺が重くとも、俺にはまだまだ貴様は軽い。先が思いやられるが、新婚だしな。せいぜい気長にやってやる。まったくもって貴様は手の掛かる、またと得難き嫁だ、カイト」

「んっ、また、………っ」

カイトの抗議は、重く伸し掛かる男が与える愛撫に呑みこまれ、嬌声に変わって消えた。