「あのね、がくぽ………デートしたい。して?」

――と、珍しくもカイトから誘われた。それはそれはもう、かわいらしいことこのうえない、おねだり顔で。

Bloom Field

とはいっても、カイトは完全に無自覚だ。

無自覚だが、そうでなくとも低い背をさらに撓めて下手になり、甘え全開の殊更な上目遣い。

それで、うるうるぽややんと熱っぽく蕩けてがくぽを見つめ、胸の前で両手を組んでの『おねがい』だ。

しかも内容が内容だ。

いっしょに出かけようと言うことはあっても、『デート』という単語を使われたことはない。

なにしろ、お出かけ=デートと称するような、いわゆる恋人時代がなかった二人だ。

関係の微妙な兄弟から、一足飛びに『夫婦』に。

夫婦二人で出かけることをデートと呼ぶ向きもあるが、なんだかんだといって、二人で改めて出かけることもなく――

カイトが行きたいならケーキバイキングにも付き合ってやると言い切る、溺愛傾向のがくぽだ。自身が甘いものが嫌いだろうが、カイトの望みが最優先。

甘やかし、手を掛けてやるために夫となったのだから、なんでも強請れと。

言い諭して、初めてのおねだりがこれだった。

「畜生……うすらぼんやりの言語選択能力を忘れていた………俺としたことが………っ」

――常々、突出した美貌を無為にしていると、なぜそうもちんぴらに成りきれるのかと、涙ながらに訊かれるのが、がくぽだ。

しかし今、壮絶に眉をひそめ、表情を歪めているのは、性格的なものに因らなかった。主に精神的な負荷だ。

カイトが『デートしたい』と愛らしさ全開で強請り、がくぽを連れて来た場所――は、墓地だった。

ごく常識的に、『デート』で選択する場所ではない。

「♪」

しかも、カイトがご機嫌なはなうたをこぼしながら水をかけ、花で飾っている墓石だ。

その下に眠るひとは、カイトの初めの『マスター』――病気によって夭折した、そのひとのもの。

墓石はまだ、新しい。それだけでもなくきれいな状態だったが、カイトは桶に汲んだ水を何度も何度もかけ、清める。

誰かに聞いた作法なのだろうが、意味はわかっていないだろう。子供が遊んでいるにも似ている雰囲気で、所作だ。

「畜生………っっ」

「えーっと♪」

背後で頭痛と眩暈とその他精神的な諸症状と戦う旦那さまに構うことなく、カイトは楽しそうだ。

気が済むまで水をかけると、飾った花の配置を弄り、多少離れて全体を俯瞰する。

「んっ!」

「……」

納得がいったのだろう。満足そうに頷いたカイトは、墓石の前にちょこんと腰を落とした。神妙な顔になると手を合わせ、軽く頭を下げる。

よくある『お参り』の形だが、やはり板につかない。五歳やそこらの子供が、意味もわからないままに周りの大人の形を真似るのに似ている。

それでもお参りはお参りで、祈られるのは真摯な――

「ね、がくぽ、がくぽっ!」

「ぁあ゛?」

形式的なものを済ませると、カイトは跳ねるように立ち上がり、満面の笑みでがくぽを振り返った。いつも通りのガラの悪さだが、微妙に力なく応じるちんぴらの夫――がくぽの腕に、きゅっとしがみつく。

きらきらに輝く笑顔が、無垢な期待に染まってがくぽを見つめた。

「あのねあのね、してしてっ?!していいよえっと、お墓に向かって、『こいつは俺が幸せにしますから、安心してください』宣言?!」

「ぁああ゛?!」

――どこで仕入れてきた知識なのか。

思わずちんぴらモード全開で、堅気ではない問い返しをやったがくぽだが、カイトにとっては日常でお馴染みで、普通のことだ。

まったくめげることなく、高く声を上げ、楽しそうに笑った。がくぽの腕にしがみつく力だけ強くなって、甘えるねこのように肩に額を擦りつかせる。

楽しそうだ。

「…………仕方のない」

つぶやくと、がくぽは空いている手を伸ばし、肩に懐くカイトの頭を撫でた。短い髪を、やさしく梳いてやる。

「がくぽ?」

「手の掛かる嫁が」

「んっ?」

やわらかに腐すくちびるが、無垢に輝く瞳を向けたカイトの、笑みの形のくちびるをついばむ。

いつもに比べればままごとにも等しい、かえって気恥ずかしくなるような、かわいらしいキスだ。

が、場所が場所だ。

墓地に、人気はない。特に墓参りの季節というわけでもなく、平日の昼間だ。訪れるものなど、滅多にはない。

それでも外で、二人の姿を隠すものもない。こんな軽いものであっても、くちびるにキスするなど――

「が、がくぽ………ダイタンっ。んっ?!」

「…………」

ふわりと赤くなりつつ、からかうように笑ったカイトの頭を、がくぽは強引に肩に懐かせた。

短い髪を丁寧に梳いてやり、赤ん坊でもあやすように背中を叩く。

ゆるりと穏やかで、やさしいしぐさだ。

きょとんと肩に懐いていたカイトだが、徐々に表情が歪み、引きつるように小さく咽喉を鳴らした。

がくぽの手はやわらかでやさしいのに、撫でられるカイトの体は反して、硬くなっていく。

「っの、あの、ねっ、がくぽっ!」

「ああ」

ややして上がったカイトの声は、悲鳴にも似ていた。

しがみついていた腕を解き、だけでなくがくぽの胸を押して、どうにかして離れようともがく。

片腕であってもびくともしてくれる相手ではないし、カイトが絡みついていた片腕も解放された。

がくぽは両腕で暴れるカイトを抱きしめ、仄かに呆れたような表情でその肩に懐く。

目に入るのは、新しい墓石だ。意味もわからないまま、カイトがたっぷりと水を掛け、花を飾った。

新しいせいだけでなく、たっぷりと濡れたことで、墓石は陽の光を反射してきらきら輝いている。

「っの、ぁ、がくぽっえと、はなし………離してっあの、あ、あのっ、おれっ、じゃないと、っんっく!」

「貴様は実に手の掛かる、俺にとってはまたと得難き嫁だ」

暴れながら懇願を叫ぶカイトの語尾は、おかしな咽喉声に潰れた。そもそもが、きちんとした文にもなっていない。

さらにきつく抱きしめ、胸に顔を埋めさせたがくぽは、その力強さとは裏腹にやさしく短い髪を梳いた。

胸の中からずびびっと、洟を啜る音が響く。

「………め、だって………ってるのに、……くぽの、………っな、泣かないって………がんばったのにぃい……………っっ」

「うすらぼんやりが」

暴れもがくことを止めて反対に縋りつき、震える声で詰ったカイトにがくぽはいつものように腐す。

腐しながら、震えてしがみつく体を抱く腕は強く頼もしく、短い髪を梳く手は労わりに満ちてやさしい。

慰撫されて堪えきれず、カイトはがくぽの胸に埋まってぼろぼろと涙をこぼした。

抑えられても確かにこぼれる嗚咽を聞きつつ、がくぽは鼻を鳴らす。

「誰が泣いて悪いと言った。無為な努力をする暇があるなら、貴様は常に、全力で俺に甘えていろ」

「だっ………だって、だって…………っ」

嗚咽が激しく、言葉はほとんど言葉にならない。

濡れていく着物の感触はわかっても抱きしめて離さず、がくぽはカイト越しに墓石を眺めていた。

濡れて輝く墓石は、カイトが掛けた思い分だ。

備え付けの花活けに入りきらないほど飾られた花も、『墓参りの定番』に因らず、カイトが一輪いちりんを懸命に選んだ。

下で眠るひと――カイトに想われ、カイトを想って、見送られることより別離を選んだ、カイトの初めの『マスター』。

「も、いっぱい泣いて…………が、がくぽだっているから、おれ、も、へーき…………のにっ」

「それでも、これが大事な相手には違いなかろうが」

慰撫されて、カイトの涙は止まることがない。

墓石を眺めたままカイトをあやし、がくぽはくちびるを歪める。やわらかに、笑みの形に。

「大事な相手だったろうが。俺たちのところに来る前に別れてそれきり、一度として顔を合わせることなく――葬式にも出られぬまま、今日がようやく初めての墓参りだろう。それに泣くなと言うほど、狭量な男のつもりはないぞ、俺は」

「っぇもっ…………っ」

「泣いてやれ」

説いても強情になにかを言い張ろうとするカイトの髪を梳き、がくぽはつぶやく。

「貴様が笑って生きることを望んで願ったとしても、惜しんで愛情のゆえにたまさか流される涙まで、疎むような相手ではあるまい。むしろ、なによりの手向けになろう。こういうときには泣いてやれ」

「………っく」

がくぽに縋るカイトの指に、きゅっと力が込められる。ぐりりと痛いほどに頭が擦りつけられて、がくぽもまた、カイトを抱く腕に力を込めてやった。

「泣いても泣き止めるだろう、今の貴様は。俺がこうして抱いていてやれば、追って彼岸に行くこともなく――俺の腕の中でまた、幸福を思い出して笑えるだろう。だから良い。俺はそれで良い」

やわらかに言い諭されて、カイトはずびびっと洟を啜った。それでも涙は止まらず、咽喉が鳴る。縋りつくがくぽの体には力が入り過ぎて、爪が立った。

噎んで閊える咽喉を押し、カイトは懸命にくちびるを開いた。

「っそぉやって…………そぉやって甘やかして…………あまやかされるの、なれて…………がくぽべったりで、がくぽなしじゃ、いられなくなって………っ」

「はっ!」

言い募るカイトの言葉を皆まで聞くことなく、がくぽは笑った。これまでの殊勝さを消した、いつもの性悪にして凶悪な、堅気でやってはいけない顔で。

「思うつぼだ、うすらぼんやりが」

胸の中で泣く最愛の妻をきつく抱きしめ、がくぽは力強く吐き出した。

「貴様は俺が生涯懸けて愛する、またと得難き唯一無二の嫁だ。この先はなにあろうとも常に必ず、俺が傍らに居る。なにを案じることがある、カイト?」