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氷鉄家の古びたダイニングテーブルに、家から持って来たタッパーを置く。

蓋を開いて中身を見せると、カイトの傍らに立ったがくぽはしばらく沈黙してから、懊悩する声を吐き出した。

「………貴様、確か、『ロールキャベツ』を持って来たと言わなかったか………?」

「……………言ったよ」

答えるカイトの瞳が、泳ぐ。

持って来たのは、『ロールキャベツ』だ。今は家に不在の、さがりのリクエストによって。

つい最近、カイトのマスター一家と家族ぐるみで付き合っている隣家、氷鉄家に、長男のさがりが帰って来た。

理由は簡単で、父親の海外赴任が決まり、両親が揃って家を空けることになったため、留守居を頼まれたのだ。

ただ空き家にしておくのは不用心だし勿体ないから、と両親に請われて、ここ数年、まったく音沙汰のなかった長男は、ようやく実家へと帰って来た。

仕事上のパートナーである、ボーカロイドを伴って。

実のところ、カイトはさがりのことを知らない。

カイトが買われたときにはすでに、さがりは家を出ていたのだ。

先に買われていたメイコは、ほんの少しばかり面識があるらしいが――盆暮れ正月にも帰ってくることはないし、同業であるカイトのマスターと仕事が被って、会うということもない。

だから、まったく初めまして状態なのだが、もちろん、昔からの付き合いであるカイトのマスターと、マスターの妹である未那にとっては、幼馴染み。ごく親しい存在だ。

逆に言えばさがりにとっても、ちょっと独特なところのある宇朽葉家のきょうだいは、よくよく馴染んだ存在ということ。

そのさがりが、俺にとっても妹だから、とカイトに言い切った未那に、「久しぶりに、未那ちゃんのつくったごはんが食べたいんだけど」と、リクエストして――

「………」

「………っ」

きれいであるがゆえに迫力のある瞳にじっとりと見られて、カイトは抗しきれずに目を逸らす。

「ほうこれが『ロールキャベツ』というものか……。なにやら面妖な色形じゃのう?」

「グミ」

がくぽの腰に張り付いていた少女、グミが首を伸ばしてタッパーの中を覗きこみ、無邪気な声を上げた。

さがりが仕事としてプロデュースしているのは、がくぽひとりだという話だった。

しかし氷鉄家に来てみればロイドはもうひとりいて、がくぽの『妹』で、グミだと紹介された。

この少女がまた、独特だ。

明るく愛らしい、現代少女そのものの所作なのだが、口調が妙に時代がかかっている。

髪型も服装もまったく現代風なのに、口調だけが。

さらに言うと、人見知りなのかなんなのか、兄であるがくぽの腰に張りついたまま、離れない。

さがりはひとりで挨拶に来たために、彼のロイドに会うのは今日が初めてだ。

その初めましてのがくぽは、実に尊大で俺様で、礼儀もなにもあったものではない性格だった。

引っ越しの日に宇朽葉家へ挨拶に来たさがりの、「悪気も故意も他意もあるけど、人当たりの悪い、付き合い辛いやつだから、よろしくね☆」という紹介が、ふざけてのものでも、謙遜でもなかったことがわかった。

しかしそうやって、邪魔くさく腰に張り付いている妹にはなにも言わないし、むしろやさしい。

そしてグミのほうも、兄のことを信頼して、とても懐いている。

無邪気そのもののグミを見下ろし、がくぽは苦々しい声を吐き出した。

「グミ、これは『ロールキャベツ』ではない。失敗作かなにかだ。覚えるな」

「そうなのか。あにさまは物知りじゃのう!」

きらきらと顔を輝かせるグミの頭をやわらかに撫でるがくぽに、カイトはきりっとした表情になると、一歩迫った。

「失敗作じゃないよ!!食べたらわかるけど、絶品だから!!未那ちゃんの料理は、その、色とか形とかがものすごく異様で奇異で独特だけど、味はいいんだよ!!これ食べたら、もう、高級レストランのロールキャベツだって、おいしいと思わなくなるから!!」

「……」

懸命に言い募るカイトを、がくぽは花色の瞳を見張って見つめる。

タッパーの中にあるものを、形容しろと言われると難しい。

少なくとも、ロールキャベツではない。

――ロールキャベツではないが、さがりはロールキャベツをリクエストし、未那はロールキャベツだと言って、カイトに渡したのだ。

だから、どう見えようとも、これはロールキャベツだ。

マスターの妹である未那は、カイトにとっても妹のような存在だ。無邪気に慕ってくれる彼女は素直にかわいいから、悪く言われるのも、思われるのも我慢出来ない。

どう考えても、非難の方に正当性があったとしても、だ。

「………では、貴様はこれが、ロールキャベツに見えると?」

「………っ」

胡乱げな表情で訊かれて、カイトはわずかに怯む。

見える、とは言えない――見えるとしたら、視覚が狂っているか、思考が狂っているかのどちらかだからだ。

一瞬だけ怯んでから、しかしカイトは胸を張り直した。

「見えなくても、ロールキャベツなの!!りょ、料理は見た目じゃないよ味で勝負!!」

「これを口に入れる勇があると?」

「っ」

即座に切り返されて、カイトはびくりと竦んで口を噤む。

今でこそ耐性ができて、初めて見た料理であっても、どうにかその日のうちに口に運べるようになった。

しかし未那の料理を最初にひと口食べるまでには、随分な葛藤と躊躇と闘う必要があった――今でもその躊躇はなくなっていないし、そもそも口に運ぶ気になるのは、ひとえに『妹かわいさ』だ。

かわいい妹のつくったものだから、食べて死んでも構わない――という覚悟で、口に入れるのだ。

もちろん、死んだことも、体を壊したこともない。むしろこれ以上なく、味は最高だ。

とはいえそういったファクターがない相手に、これを口に運べと迫るのは、いくらなんでも酷だ。しかもがくぽはまだ、未那と面識がない。余計無理だ。

リクエストしたさがりのほうは、わかっているはずだが――

「で、でも、ほんとにおいしいんだってばあ、ほらっ!!」

さがりが来るまで、氷鉄家へはよく遊びに来ていたカイトだ。勝手知ったる他人の家で、戸棚から箸を取り出すと、タッパーの中身を一口分、持ち上げた。

汁気を切って、がくぽへと差し出す。

「あーんしてぜっっっったいに、後悔させないから……………っっ!!」

「………」

がくぽは口元へ差し出された物体と、懸命な顔のカイトを見比べる。

きれいな鼻筋に皺が寄った。

そのがくぽへ、腰に張りついたグミがわずかに伸び上がる。

「あにさま、グミは食べてみたい。カイトくん、グミに……」

「待て、グミ」

わくわくと瞳を輝かせる好奇心旺盛な妹の頭を、がくぽは片手で押さえた。

渋面で、窺う瞳になったグミを見下ろす。

「おまえに怪しいものは食わせられん。俺がまず毒見をする。それからにしろ」

「あにさま!」

「がくぽ……!!」

がしがしと頭を撫でられて、グミはうれしそうに笑う。

カイトもぱっと顔を輝かせて、感謝の瞳でがくぽを見つめた。

そのカイトを鼻に皺を寄せて見つめ、がくぽはこくりと唾液を飲みこんだ。

「食わせろ」

「うん!」

開けられた口に、カイトは素早く箸を差しこむ。

口に入れられる瞬間に身を引きかけたがくぽだが、どうにか逃げずに受け入れ、壮絶な顔で咀嚼した。

「あにさま、あにさま?」

「がくぽ、ね、ね?」

きらきらの瞳二対に見上げられ、がくぽはごくりと口の中のものを飲みこむ。

射殺しそうな視線で、テーブルの上のタッパーを見つめた。

「ロールキャベツだ、間違いなく…………それも、極上。それでどうしてこの見た目だ?!!」

「あは…………」

未那の料理を食べると誰もが抱く感想に落ち着いたがくぽに、カイトは眉尻を下げて笑う。そこのところはちょっと、庇いきれない。

兄の感想に、グミがさらに期待に輝いて、身を乗り出す。

「カイトくん、カイトくんグミも『あーん』なのじゃ!!」

「あ、うん。あーん、ね」

「あーん!」

愛らしく口を開けて強請るグミに、カイトはタッパーの中身を箸に掬い上げ、運ぶ。

さすがに口に入る瞬間はわずかに身を強張らせたグミだが、もぐもぐと咀嚼する顔は、すぐに輝きを取り戻した。

「おいしい!!おいしいのじゃ、あにさま!!グミは斯様においしいもの、食うたことがない!!」

「そうか。だがグミ、いいか。これはロールキャベツではないからな………見た目は。見た目は除外して、味だけ覚えろ」

「あいなのじゃ!!」

「ぁは…………」

きょうだいのやり取りに、さらに力なく笑うカイトだ。

未那を庇いたい気持ちはあるが、この様子を見ているとどうやら、グミは起動したてで、知識が浅いロイドのようだ。

兄として、かわいい妹に歪んだ知識を与えたくない気持ちはよくわかるから、反論できない。

ただ、そのグミの好奇心が、おそらくがくぽにタッパーの中身への評価を変えさせたはずで、まだ会っていない未那への、ゆえのない悪意も防いでくれたはずだ。

つまり、グミは恩人。

カイトはほんわりと笑うと、箸を置き、グミの頭へと手を伸ばした。ふわふわにセットされた頭を、未那にするように、やさしく撫でる。

「ありがと、グミちゃん」

「…」

「……」

グミが驚いたようにカイトを見つめ、がくぽも固まる。

カイトは構わず、ふわふわと笑ってグミを撫でた。

「ぁ………あ………」

「グミ」

グミがくちびるを戦慄かせる。がくぽの腰にしがみつく手に力が篭もって、着物にぐっと皺が寄った。

ややしてグミは真っ赤になると、がくぽの背中へと顔を埋めた。

「ふ、ふゃやややぁ………!!!」

「グミ………」

崩れそうになる体を、がくぽが支える。背中にしがみつくのを招いて胸に抱え、宥めるように後頭部を叩いた。

「大丈夫か」

静かに訊く兄に、グミはぎゅっとしがみつく。

「ふわふわするのじゃ………!!きらきらぴかぴかで、ちかちかじゃ………!!グミは斯様にきれいなもの、見たことがない………!!」

「ふむ」

妹の感想に、がくぽは考えこむ顔になる。

カイトは苦笑に変わって、仲の良いきょうだいを見た。

カイトの笑顔は、特に年端も行かない『子供』に威力抜群だ。ある程度になると「腑抜けている」とかなんとか腐すものも出てくるのだが、無邪気なら無邪気なだけ、虜にする。

本人にはあまり自覚がないし、意識して虜にしようとしているわけでもないから、どの評価も微妙に困る。

おそらくがくぽになると、「腑抜けている」という評価のほうだろうが――

「グミ、おまえ…もうひとり、きょうだいが増えることをどう思う」

「ん?」

「あにさま?」

唐突ながくぽの言葉に、カイトは首を傾げ、胸に埋まっていたグミも訝しい顔を上げる。

きょとんと見上げるグミの頭を撫で、がくぽは眉をひそめた。

「例えばの話、俺が嫁を貰うだろう。そうすると、それはおまえにとって『義姉』になる。つまり、きょうだいだ。そういう意味で、新しく、きょうだいが出来ることを、どう思う」

「んん?」

話題が唐突過ぎて、カイトにはがくぽがなんの話をしているのか、さっぱりわからない。

一方、怯えた顔になったグミは崩れ落ちそうに震えながら、兄にしがみつく手に力をこめた。

「…………どこの女人じゃぐ、グミのことを、嫌っていないかお人柄は……」

「つまり、これのことだ」

「ん?」

「…」

がくぽにあっさりと指差されて、カイトは瞳を瞬かせた。

グミは涙に潤む瞳を、カイトに向ける。そんな目を向けられても、カイトはさっぱり話についていけていない。

「えちょっと………なにこの指」

「どうだ?」

「………っ」

こぼれんばかりの涙を浮かべて光を失っていたグミの瞳が、再び輝きを取り戻す。

頬を紅潮させて、渋面の兄を見上げた。

「ほ、ほんとかほんとに……」

「俺はおまえにだけは、嘘を言わん。今までを振り返るに、これは嫁として合格だからな。あとはおまえ次第なのだが………」

「えっと、ちょっと……?!」

なにか不穏な雲行きを感じ、カイトはわずかに慌てる。

グミは華やかな笑みを浮かべると、ぎゅっと兄に抱きついた。

「大好きじゃ、あにさま!!グミも、グミも新しいあねさまが欲しい是非にもカイトくんをあねさまにしてくれ!!」

「ぅっわあ、やっぱりなんか変な話題になってる!!」

グミの言葉に、はっきりと雲行きを告げられ、カイトは悲鳴を上げた。

がくぽは構うことなく、抱きつくグミの頭を撫でる。

「ならばな、グミ。少ぅし、席を外せ。兄は一寸ばかり本腰を入れて、嫁を口説く」

「ちょっと、がくぽ?!」

「うむ、あにさま!!グミはお部屋でいいこに待つのじゃ!!」

「いや、グミちゃん!!」

氷鉄家ロイドきょうだいのマイペースさ加減は、宇朽葉家マスターきょうだいに負けず劣らずだった。

マイペースな相手に免疫はあっても、振り回されるしか対処法を身に着けていないカイトは、ひたすらに悲鳴を上げるだけだ。

グミはかわいらしく手を振ると、うきうきと弾む足取りでダイニングから出ていく。

思いきり逃げ腰になっているカイトに、目を据わらせたがくぽが向き直った。