盗まれた物を取り返しに参ります。
俺から盗んだ以上、なにを盗み返されようと泣き言を言うな☆
怪盗始音

数理学状の恋俎上の鯉

愛らしいという言葉の意味を知った。

その真の意味を悟らせた張本人が、横たわるがくぽの枕元に、なぜかちょこなんと座っていた。夜会服にシルクハットと、完全装備で。

はっきり言うと、侵入者だ。

身分から言うと不審者と言ってはいけないのだが、がくぽは招いた覚えもなく、家に入れた覚えもない。

使用人も寝静まる深夜の屋敷に勝手に入って来て、勝手にがくぽの枕元に忍んできている。

つまり警戒しなければいけない相手なわけだが、がくぽはベッドの中で横たわったまま呆然と見惚れるばかりで、身動きひとつ取れなかった。

愛らしい。

その言葉だけが、ぐるぐると頭の中を巡る。

侵入者で不審者の分際でにこにこと無邪気に笑っているその顔も、上質な絹でつくられた黒羽の夜会服に包まれた華奢な体も、すべてがすべて、愛らしいの一言に尽きる。

凝然と見つめるがくぽに、「彼」は笑みの形のくちびるを開いた。

「盗みに来たよ、がくぽ☆」

「っ!」

意味不明な宣言とともに、くちびるに下りてきた、やわらかなキス。

遠くから漏れ聞いた声も愛らしいと思ったが、こうして間近でささやかれれば、その愛らしさはすでに殺人級だ。

ではなく。

「っ」

「っわわっ!」

がくぽは身を跳ね起こすと、騎士である自分よりずっと華奢な体へ手を伸ばし、座っているのを引き倒した。

自分の体の下に強引に敷くと、器用な手さばきで破ることなくシャツを開き、肌を剥きだす。

暗闇にすら輝いて見える、ぬめるような白い肌に咽喉を鳴らす間も惜しく、顔を沈めた。

「え、わっ、ちょ、いきなり?!ぁん、うれしーけど、ちょっと『待て』!!」

「っっ」

甘い声で啼いてから発された「彼」の命令に、なぜか体が固まった。

肌にくちびるをつけたまま身動き取れなくなったがくぽの頬に手を添えて持ち上げ、「彼」は笑った。

「も、だめでしょ。いきなりなんて。それとも、ベッドに忍んで来たら、誰でも押し倒す癖でもあるの?」

「…………あなただからだ、カイト子爵」

がくぽはようやく応え、体の下に敷いた相手をまじまじと見つめた。

愛らしい。

愛らしい、の言葉の意味を、がくぽに痛烈に染みこませた彼は、最近爵位を戴いたばかりの新興貴族、カイト子爵だ。

女王より賜った一族名は、ヴォーク・ア・ロイド。

カイト・ヴォーク・ア・ロイド子爵が、公称となる。

女王と同じものだが、この公称は国に氾濫している、もっとも多く愛されるものだ。

石を投げれば必ず当たると言われるほど氾濫している公称なので、下手に「ロイド子爵」と言うと、個人が特定できない。

それゆえに、どれほど身分が高かろうが低かろうが、一族名ではなく、個名で呼ばれるのが、この国の普通だ。

このカイト子爵だが、前身がなにをしていた、どういう身分のものかが、さっぱり不明だった。

ある日気がつくと、爵位を得て貴族の仲間入りを果たしていた。

どこの馬の骨とも知れない彼は、女王の「情人」であるというのが、多くの者の見方だった。

強烈なカリスマと明晰な頭脳を用いて国に君臨する女王の、そのもっとも気に入りの情人が、彼。

湖面のような青い瞳と、深い空のような青い髪の持ち主である――ひたすらに愛らしい、子爵だ。

がくぽは彼を、女王主催の夜会で見かけた。

騎士であるがくぽはその夜会の警護に当たっていたのだが、カイト子爵は低い身分ながら四大公家を押さえて、女王にもっとも近い座にあることを赦されていた。

臆する様子もなくそこで笑う彼をひと目見て、がくぽは完全に心奪われたのだ。

きらびやかな明かりの下、穏やかに微笑んでいる彼は、居並ぶ誰よりも輝いて見えた。

見惚れるあまりに警護を疎かにして、後日特別訓練を受ける羽目になったとか、すべてどうでもいい。

自分がこれまで愛らしいという言葉を、いかに無理解に使っていたか、それこそ痛いほど身に沁みた。

その相手が、深夜にがくぽの枕元に忍んできた。

「当たりだけど、ちょっと外れ☆」

がくぽの呻きに、子爵は無邪気に笑った。添えたままの手でがくぽの頬を撫で、ぱちりとウインクを飛ばす。

「今の俺は、怪盗始音。がくぽを盗みに参上しました☆」

「………」

がくぽは眉をひそめた。

声まで愛らしい。遠くに漏れ聞いただけでもわかっていたことだが、そうではなく。

怪盗始音といえば、現在巷で大評判の犯罪者だ。

どんな場所のどんなものであろうとも、盗むと予告したからには必ず盗む。そしてなにより肝心なことに、決して捕まらない。

女王陛下の号令一下、日々厳しい訓練に明け暮らす王都警備隊がまったく、しっぽの毛すら掴めず、驕り知らぬ研磨ぶりで他国に名を轟かせる近衛隊も、勇壮にして勇猛なることで鳴らす騎士団すらも、欺いて。

瑕疵ひとつない、と讃えられる女王統治下の、唯一の汚点が、怪盗始音。希代の盗人だ。

その、女王の顔に泥を塗りたくっている怪盗が――肝心の女王の、もっともお気に入りの情人である、彼、だと?

「………あなたは」

「カイトって呼んで」

問いかけようとしたがくぽに、子爵は甘ったるくささやいた。

「ね、カイトって呼んで、がくぽ。俺、がくぽにカイトって呼ばれたい」

「……」

熱っぽい声に、がくぽの下半身が素直に反応した。ついでに、問いたかったことすべても、あさってなほうへと消し飛んだ。

「………カイト」

「ぁん」

低くひくく呼ぶと、子爵――カイトは、陶然と啼いた。

「やっぱり、いい声………っ。って、わきゃっ」

愛らしいの体現にそんな反応をされて理性を保っておけるほど、がくぽは人間が出来ていなかった。騎士団においては常々、精神が弱いと腐されている。

しばらくは固まっていた体も気がつけば、いつもどおりに動く。

となればやることはひとつ。

「ぁ、んんっ、ゃ、がくぽぉ………っ」

「カイト…」

肌蹴た胸に顔を落とし、やわらかな肌に咬みついた。べろりと舐めると、仄かに甘い。

興奮に立ち上る体臭も頭が眩むほどに甘く、がくぽは夢中になって胸に吸いついた。

「ぁん、ぁ、がくぽ………っゃ、おっぱいそんなに吸っちゃだめぇ………」

「これだけ甘くしておいて、なにを言う」

「ゃ、んん、あまくないもん…………っ」

甘く啼くカイトにさらに煽られて、がくぽは肌を辿り、未だに開いていないズボンへと手をやった。服地の上から撫でる。

熱くなっているのは確かに男の証で、それでもがくぽが萎えることはなかった。むしろ夢中になって、その熱さを撫でる。

「ぁ、そんな………っゃん、だめ、がくぽ………っ」

「だめなことはないだろう」

言いながら、ボタンに手を掛けた。

「って、ちょ、ま、ほんっとにだめだめ』、がくぽ!!」

「っっ!!」

突然慌てだしたカイトに命じられて、がくぽの体は再び固まった。

カイトは器用に身を捩り、その体の下から這い出る。固まるがくぽの体を押してベッドに転がし、腰に跨った。

「もぉ、すっごいうれしーけど、俺の話をちゃんと聞いて。あのね、今晩俺は、夜這いに来たんじゃないの。がくぽのこと、盗みに来たの。盗みに来たんだから、おとなしく盗まれて」

「………」

嘆願される内容が意味不明だ。

確かに現在、彼は一応「怪盗始音」だと名乗り、最初からずっと、盗みに来た盗みに来たと言っている。

とはいえ。

「………ダイニングのテーブルに刺してあったカードは、あなたが?」

「そ☆」

騎士団での活動を終えて屋敷に帰ると、ダイニングのテーブルには小さなカードが突き刺さっていた。

――盗まれた物を取り返しに参ります。俺から盗んだ以上、なにを盗み返されようと泣き言を言うな☆

カードの文面が、そもそも意味不明だった。

盗まれたから盗み返す、と宣言されたが、そもそもがくぽは怪盗始音と一面識もない。会ったことがない以上、なにを盗むことも出来ない。

だいたいにして、仮にも騎士団に所属する身だ。盗みなど働かない。そこまでは堕ちていない。

だというのに、盗まれたと主張する、意味不明な八つ当たり。

「………俺がなにを盗んだと」

眉をひそめて訊いたがくぽに、カイトは肌蹴たままの自分の胸に手を当てた。

「俺のハート」

意味不明はどう明らかにされても意味不明だった。

瞳を見張るがくぽに、カイトはうっとりと微笑んで屈みこんだ。

「この間の夜会でがくぽのこと見かけてから、俺のハートが見当たらないの。がくぽが盗んでいったのは、明白なんだからね。ちゃんと返して、ついでにがくぽは俺に盗まれて、俺のものになれ☆」

堂々展開される主張は、自分勝手も極まりない。

凝然と見つめるがくぽを悪びれる様子もなく見返すカイトは、どこまでも愛らしい。

屈んで間近に迫った顔が、がくぽのくちびるに軽く触れた。

「ね、俺に盗まれて。そしたら俺のこと、いくらでも触らせて上げる。ううん、触るだけじゃなくて………」

カイトの笑みが、ほんわりと羞恥に歪んだ。

「…………したいだけ、させて上げる…………」

「っっ」

「だから、『待て』!!」

「っ」

跳ね起きようとした体が、またも固まる。

顔を歪めるがくぽに、カイトは困ったように微笑んだ。

「もぉ、焦らないの。全部ぜんぶ、なんでもさせて上げるのは、がくぽが俺に盗まれてくれたらだからね。今はだめ」

「……………あなたは、女王の情人だろう」

どうにか呻くと、カイトはがっくりとがくぽの胸に沈んだ。

「めーちゃんとは、そんなんじゃないし!!」

女王をあまりに気軽に呼び、カイトは恨めしげな視線をがくぽに投げた。

「ていうかがくぽ、俺のことそう思ってるんだったら、こんなことしていーと思うの?」

こんなことして、と言いながら身を起こし、肌蹴られた胸を撫でる。

手の動きを追って唾液を飲みこみ、がくぽは頷いた。

「据え膳は食う」

「やだもう、なにこの男前!!」

叫んでから、カイトはがくぽへと身を乗り出した。

「ねがくぽだって、こういう反応するってことは、俺のこと、結構好きでしょう?!盗まれて、俺のものになってよ。いいでしょ?!」

いいでしょと言われれば。

「……………応」

と、答えたいところだが。

ぱっと表情を輝かせたカイトに、がくぽは渋面を向けた。

「その前にいいか。あなたも男なら、男の生理というものを理解しろ」

「おとこのせーり?」

カイトはきょとんとした表情を晒す。愛らしいの極みで首を傾げ、本気でわからないようだ。

がくぽはまだ微妙に重い手を繰ってカイトの腰を掴むと、自分の下半身へと運んだ。寝着の下ですっかり硬くなっているものを、擦りつける。

「ふゃっ」

びくりと持ち上がった尻を追いかけることなく、がくぽは苦々しくカイトを見つめた。

「このままでは身動き取れない」

「………おとこのせーり…………あいしーなう……………」

ぶつぶつと意味不明な言葉をつぶやいて少し考えてから、カイトはべろりと舌を出した。

「じゃ、口でして上げる。ちゃんと盗まれてくれたら最後までしていーけど、今日は口だけ。ね?」

「………」

ごくりと唾を飲みこみ、がくぽは閃かされた舌を見つめた。

欲に輝く瞳に無邪気に笑うと、カイトは体をずらす。

がくぽの体から下りて足の間に座り、下半身へと顔を寄せた。そっと服を開いて、勃ち上がるものを掴みだす。

「んぁ………」

「っ」

わずかに躊躇いながらも、カイトはがくぽのものに口を付けた。おそるおそると舐めて、扱く。

「………カイト」

「ちょと待て…………したことないから上手くないけど、ちゃんとイかせて上げるから………」

「………っ」

当たり前といえば当たり前だが、初めてと言われて、がくぽの胸は俄然逸った。

下手糞でもなんでもいい。

そのくちびるが、まだ汚れていないということに比べれば。

「ん………んちゅ…………ふくぅ………」

ぺちゃぺちゃと水音を立てて、カイトは逞しく育っていくがくぽのものを舐める。すでに口に収まるサイズは超えたので、先端を軽く含む程度だ。

言う通りに、下手な愛撫だった。

それでも、陶然として懸命に舐めしゃぶるカイトを見ているだけで、がくぽはすぐにも興奮の頂点に達した。

「カイト…………出る……っ」

「んん……っ」

含んでいた先端から飛び出てきたものに、カイトは口の中だけでなく、顔全体を汚された。

「んん……っ」

「構わない、布団に吐き出せ」

「ん……っ」

口の中に飛びこんだものの味に壮絶に顔を歪めるカイトに、素早く身を起こしたがくぽは手を伸ばした。初めてで口の中はきついだろう。

懸命に押さえこむ口に手をやってこじ開けようとすると、それより早くに、咽喉がこくりと動いた。

「カイト」

「ぷぁ……っ」

カイトは壮絶に顔をしかめたまま、それでも笑みらしき表情を浮かべてみせる。

「ヘンな味」

「だから……」

枕元のサイドボードから水差しを取って渡そうとしたがくぽに、カイトは首を振る。

「がくぽのだもん。馴れる」

「……」

微妙な表情で眺めるがくぽへ手を伸ばし、カイトはやわらかに頬を撫でた。

「ね、盗まれて、これからも俺に舐めさせてそしたらもっと上手くなって、もっとがくぽのこと気持ちよくして上げる。俺ががくぽの、こぼさないで全部飲めるようになるまで、いっぱい舐めさせて?」

「っっ」

眩暈がして、がくぽは水差しを取り落すとベッドに沈みこんだ。

駄目だ。

言っていることが意味不明過ぎるのに、どうしても逆らえなくなる。

「がくぽ…………んんっ」

伸びた体に伸し掛かって来たカイトを引き寄せ、まだ残滓の香るくちびるに喰らいついた。

独特の味と、その中に確かにある、喩えようのない甘み。

「盗んで行け。おまえのものになってやる」

くちびるを解いてささやいたがくぽに、カイトはこれ以上なく愛らしく微笑んだ。