RE:Birthday Song

小さな夜をゆくための貨寓話集

なんということはない日だ。あえて言うなら天気は晴れで、がくぽの世界は明るかった。

その明るいがくぽの世界、もとい、おやつのみかんを食べようとしていた、ダイニングだ。

「がくぽ、こちらが今日からいっしょに暮らす、カイトくん」

マスターに連れられてやって来た『カイト』――KAITO、自らと同じ芸能特化型ロイドだ――を見やり、がくぽは椅子に座ったまま、首を傾げた。不可解を宿して瞬きながら、皮を剥き終えたばかりのみかんをひと房、口に放りこむ。

酸味、それからほのかな、あえかな、甘み――爽やかな香りと、口を潤す果汁に、果肉より甘みを感じるような気がする内皮。

補記するなら、がくぽはみかんの内皮も食べるが、外皮を剥いたあとに残る白い筋も取らずに食べる派だ。理由はいくつかあるが、少なくとも面倒がってのことではない。

ともあれ、がくぽが示した反応の意味を、マスターが読み違えることはなかった。

さすが『マスター』、さすがともに暮らす相手だ。がくぽのこの反応をある程度、予測していたものらしい。

それでも頭痛が兆すことは堪えきれなかったようだ。マスターは額へ手をやって押さえつつ、諦念を吐きだした。

「一週間前、『だからよろしくね』って、話しておいた件だけど」

言われて、がくぽは上目となった。みかんのもうひと房を口に放りこみ、咀嚼し――記憶を漁る間が、ほんの数瞬。

「ああ、まあ…」

そういったことを聞いたような、おぼろな記憶はあった。が、詳細といえば、まるで思い出せない。

とはいえ、『説明は受けている』のだ。中身がいっさい思い出せずとも、がくぽにとってはそれでいい。

「――細かいことはさて置き、な。立ち話も難だろう、まずはとにかく、座ったらどうだ」

『聞かされた』という事象は思い出したが、なにを聞かされたものか、『細かいこと』までは思い出せませんでした、と。

悪びれもせずに伝えつつ、がくぽはみかんの筋やワックスがついた手を、手巾で軽く拭った。

そうやってきれいにした手を、なんの気もないような風情で伸ばし、戸惑い立ち尽くすカイトの手首を掴んだ。

がくぽの動きは素早く、力加減も絶妙だった。手首を引かれたカイトは抵抗の余地もなく、まるで踊るように軽い足取りで傍らに寄り、回転し、がくぽの膝へ落ちるように収まる。

「………………………………………………………………?」

なにが起こったか、まるで理解できていない顔で、カイトはひたすら呆然とがくぽの膝に座る。

その配置に、さらに勝手な微修正を掛けたうえで、がくぽは納得して頷いた。

「ふむ。収まりがいい。かつてなくフィット感がある」

「ちょっと……ちょっと、なに言ってるかわからない、がくぽ」

兆した頭痛が本格的となったらしい。呆然と固まるだけのカイトに代わって糾したマスターは、額を押さえる手に先よりも力が入っていた。

しかしもちろん、がくぽが構うことはない。

「重さも然程ではない…な軽いとは言わんが、……うむ。そなた、もう少しう、体の力を抜け。そう、がちがちに固まらず、俺を頼んで身を預けろ。さすれば重さの問題も解消で、オールクリアだ」

「……っっ?!」

カイトは今、ここで、初めて『がくぽ』と会ったのだ。なにをどこまでどう、反応していいものかがわからない。

念のために言うなら、がくぽとて同様だ。今、ここで、初めてカイトと会った。くり返そう、『カイト』とは、初対面なのだ。

が、これだ。ためらいもなく、いっさいの疑問もなく、これだ――

カイトは頼んで身を預けるどころでなく、さらに体を固く、全霊をもって強張った。そのカイトの頬へ手を添え、がくぽは蕩けるような笑みを向ける。

「そなたにとて、悪い話ではないはずだ。自ら言うのも難だが、事実、俺の座り心地は極上だぞ。そなたにとってまたと得難き椅子となること、間違いないと請け合おう」

「………っ」

なにかしら非常に熱心に売りこまれ、しかし、だがしかし、だ。

救いもとい、通訳を求めて見つめられても、マスターにはカイトを見返すことができなかった。頭痛を堪えて額を押さえたまま、ひたすら深々と頭を下げる。

「ああうん、ほんとごめんね……ごめんなさい、カイト。これがうちのがくぽくんです。皮肉とか嫌味とか様式美とかじゃなくて、なに言ってるのか、ほんとわからない。マスターでも理解できません。がくぽ、いつから君、椅子になったのっていうか、よろしくねとは言ったけど、君をカイトの椅子に設定までした覚えはないっていうか、うん――とりあえずね、カイトいやならいやって、はっきり拒絶してそうすればさすがに止まるから。そのはずだから。一応。たぶん………なんとなくそんな感じっていう程度かもしれないけど――」