カエルイスとりゲーム

小さな夜をゆくための貨寓話集

「そういえば」

リビングに入って来たマスターは、ほんのわずかにくちびるを空転させた。束の間に過った思考をしかと蘇らせるべく、しばらく中空を眺める。

ややしてリビングの先客たるがくぽとカイト、ソファに座るロイド二人と目を合わせると、ようやく言葉の続きを発した。

「そろそろそのソファ、捨てようかと思って」

「ふむなるほどマスター」

即座に応じたのは、がくぽだった。むしろマスターの語尾にすら被せる勢いで、口を開いた。

「皆まで言う必要はない、俺は理解したぞ。なぜならまあ、言いつけはすぐに忘れるし覚えていないしそれ以前の問題でそもそも聞く耳を貸していることが稀れだがつまり、俺はそなたのロイドゆえな。『マスター』に関して相応の理解力は有している。大概、昨今流行の片づけやら収納やらの記事を読んで感化され、その第一歩を踏み出そうというところであろう?」

「ええと、いや、がくぽ…」

「どうにもとかくあれらはソファこそ無用の長物の最たるものだという扱いをしたがる。否、俺とて大いなる異論や反論を思いつくものではない。ある程度の同意はする。なにしろ日本の住まいというものの全体がこういった大物家具を常駐させることを想定した間取りと言い難い。過去にはうさぎ小屋なぞと揶揄もされたが、もとより日本の風土の根底にはミニマリストの土台、土壌とでもいうべきものがすでにあって」

「がく……がくぽ、ちょ」

「起きて半畳寝て一畳なぞと古来言ったものだが、概ねそういった広さを生活空間として想定し、必需の家財道具を見極め厳選する眼力、余計なものは持たぬことはもちろん、ひとつのものを幾通りにも使い回し使い倒す気概、まさに昨今のミニマリストブームというものは、いっそ旧来の日本人の精神性に立ち返ったとでも言うべき」

「がっ………っ」

――マスターが口を差し挟もうにも、がくぽの勢いは立て板に水どころではない。断崖絶壁の滝だ。大瀑布だ。この勢いに割って入れる山伏根性など、マスターにあった試しはない。

それでも隙を探し、しばらくは足掻いたマスターだったが、やはり諦めた。

人間、無理なものは無理だ。そう諦めることが、開ける活路の第一歩となることは、案外に多い。

そういうわけで、こういうがくぽを保有する、非常に柔軟性に富むマスターは、早々に割りきった。肩を落とし、釣られたような勢いで、頭を下げる。

ソファに鎮座するがくぽの膝上、怒涛の長台詞に処理がいっさい追いつかない顔をしている、カイトへ。

「カイト、お願いします」

「っ!」

未だ長口舌の止まないがくぽを不思議そうに見ていたカイトは、唐突なご指名に驚いて顔を上げた。

呼んだ先を見ればマスターがいて、カイトへ頭を下げている。

いるのは『マスター』で、『お願い』はカイトへ――

「しかしてマスターよ、このソファを捨てたなら今後俺はどこでどうしてカイト専属の椅子たる役、ぷむっ」

カイトがやったことは、簡単だ。片手を上げると、がくぽの口を塞いだ。

とはいえ、勢い余って叩くだとか、力づくに塞いだわけではない。当たりはやわらかで、『塞ぐ』というよりは、『覆う』というような――

それでもがくぽは覿面に黙った。素直に口を噤み、視線だけでカイトを見る。相変わらずまったく理解が追いついていない顔で、むしろ自分が口を塞いだ相手たるがくぽのことを、――その程度で黙った相手を、ひどく不思議そうに見つめるカイトを。

とにもかくにも、ようやく隙ができたのだ。マスターは小さく息をつき、口を開いた。

「がくぽ、ごめん――言葉の選択を誤った。『買い替えよう』って言えば、こうならなかったのに」

「……っ」

潔く謝ったマスターへ、大人しく口を塞がれたままでいるがくぽは鋭い視線を向けた。

その視線をきちんと受け止めたうえで、マスターは首を振る。横だ。それは否定だが、今の謝罪を否定したのではない。そうではなく――

「言っておくけれど、君がカイトを好きなことは認める。大好きだってことはいくらでも認めるけれど、君がカイト専属の『椅子』だって言うのは、認めていないので」

頭痛を堪えているような、若干きつめの口調で言いきり、しかしマスターはすぐ、語調をやわらげた。

「とはいえ君がしょっちゅう、カイトを抱えてはそのソファに座って、長い時間を過ごしているのは、紛れもない事実――だけど、言ってもそのソファ、いい加減、古いでしょう表装がぼろけているのはもちろん、スプリングも甘くなってて、さほどにいい座り心地とは言えない………ええと、大事なことだから、もう一度言うよ二度と言わず、何度だって言うけれど、君がカイト専属の『椅子』だって言うのは、認めない。認めないけど、君がカイトをだっこして、気の済むまで何時間でも気持ちよく座っていられるような、新しいやつを買おうかって」

「カ○モクか」

「ぅっく!」

途中で割り入られるのを恐れたのだろう。語調はやわらかながらも、多少、口早に自らの真意を説いたマスターへ、口を覆われたままのがくぽが返したのは先とは比べものにもならない、端的なひと言だった。

端的だが、その分よほどに強く、重い問い――希望――要望――指定に、マスターは拳で鳩尾を抉られたかのような態を晒した。

「?」

――くり返すが、今度のがくぽの発言はほとんど単語、ブランド名のみだった。

が、カイトにとって馴染みのあるものではなかったらしい。ようやく聞き取れたものの、やはり理解が及ばないようだ。

律儀にがくぽの口を塞いだまま、マスターと交互に見比べ、首を傾げる。

無邪気な様子のカイトと、空恐ろしいほど生真面目に見据えてくるがくぽと――

マスターが返すのは、笑みだ。小さく、力なく、――

けれど怒りや悲嘆といったものはなく、慈愛に満ちた。

言い換えれば、諦念だが。

とにかくマスターは笑みとともに、隙間もなく抱き合って座る自らのロイドへ、丁寧に頭を下げた。

「善処しましょう…」