アルパカと七月晦日のお茶会-日譚-

「というわけで、おとうとのがちゃぽです」

「りうとよ!」

リビングチェアに座るがくぽの膝にだっこされた幼児、芸能特化型ロイド/VOCALOID:がちゃぽ、もしくはリュウトを紹介され、カイトは真顔でグミを見返した。

「グミちゃん、がくぽのこと甘やかし過ぎ」

「いえ、強請ったのはグミですが、購入したのはマスター…」

「グミちゃん。がくぽのこと、甘やかし過ぎ」

「二回ッ………」

まったく緩む気配のない真顔で念押しされ、グミはふっと、ナナメ下へ視線を落とした。

兄と『兄仲間』であるという他家のロイド、カイト――KAITOは、芸能特化型ロイド/VOCALOIDのなかでも鷹揚さで知られる機種だ。鷹揚というか、おっとりぽややんというか、とにかく緩い。

そのだるだるにもっとも緩い機種から、まったく緩むことなく釘を刺された。

つまり、兄の誕生日プレゼントとして、膝に抱えるに最適サイズと年齢感を併せ持つきょうだいを強請り、叶えたことをだ。

「こういう甘やかし方するから…がくぽが学習しないで、誕生日プレゼントはグミちゃん膝だっこしたいとか、ろくでもないこと言いだすんでしょう。そのうちグミちゃん、気がついたらがくぽの膝の上とかなるからね?」

「しかも筒抜け…」

さらにますます遠い目となって、グミはナナメ下を見つめた。言っても上方であれば際限のない視界だが、下方の視界は限界が近い。ましてや民家の内ともなれば、どんなに遠い目となってもすぐ床に当たり、跳ね返ってくる。

いや、わかってはいた。

グミの兄とこのカイトとは、とても仲がいい。本人たちは『兄仲間』というが、どうにも一線を越えているのではないかと、グミにしろあちらの家のいもうとたちにしろ、睨んでいる。

睨んでいるものの、特に確証も得られず今日まで来ているわけだが、そう、問題はその『今日』である。

ある意味『他人』でしかないカイトがどうしてグミたちの家に来て、そしてきょうだい揃えてきびきびと説教しているかだ。

本日佳日、がくぽの誕生日――の、翌日である。

より正確に言えば『がくぽ』というシリーズ誕生日の翌日となるのだが、だから『シリーズ誕生日』だ。当日の本人たちは案外、あれこれとイベント参加を抱えて忙しいもので、夜も遅くなってようやく家族で祝うというのが通例になっている。

で、その夜、家族からがくぽへ贈られた祝いだ。

前述の通りなのだが、あえて今一度くり返せば、芸能特化型ロイド/VOCALOID:がちゃぽ、もしくはリュウトである。

お膝だっこされたい盛りの、永遠の五歳児――

誰よりなにより先に、兄はこのカイトに報告したらしい。

それで、度肝を抜かれたというカイトだ。とはいえ報告された昨日はさすがに夜も遅かったうえ、今日の午前中は仕事が詰まってもいた。

そういうわけで翌日の本日、お昼も過ぎてからやって来て以下、至る今。

「ペットだってどうかって話だけど、まさかロイド誕生日プレゼントにって、それも膝にだっこしたいからって、クレイジーにもほどがあるっ」

という次第で、カイトの言うことは逐一正鵠を射てはいたが、説教する相手だ。グミだ。

「いや、カイト。言うことはもっともかもしれぬが、グミを責めるのは…」

膝におとうとを抱えたままながら、さすがにがくぽが割って入った。

ところで現在、がくぽがおとうとを膝から下ろさないのは、なにかの意地を張っているからではない。

膝の上でおひるねタイムに突入されたため、おいそれとは動かせなくなったという。

昼食後なのだ。挨拶はなんとかがんばった幼子だが、がんばれたのはそこまでだった。がんばったなと兄に褒められ、安心し、そこで見事なまでにすこんと一瞬で、おひるねに突入した。ロイドとはいえ幼児、侮るべからずである。

がくぽにしろグミにしろ、カイトが来る前、午前中には、幼子の面倒を過不足なく見るためのナニープログラムをインストールした。が、だからといってすぐに扱いが上達するわけでもない。

そういうわけで、がくぽは未だ動きに迷いがあるという話なのだが、ともかくだ。

「次はがくぽの番だしむしろそっちが本番だから、安心して待ってろ」

「ぉお………」

――思った以上にどすの利いた声で返され、がくぽは軽く、天を仰いだ。見たのは天、つまり上方だ。しかしてよく考えるに、いや、考えるまでもなく、民家の内にあっては上方も視界の限界が近い。すぐに天井だ。もう少し視線をずらせば窓があり、そこから空が臨めないこともないのだが。

そんながくぽに、カイトがくるりと向き直る。腰に手を当て仁王立ちし、見据えた。

「だいたいにして、考えが甘いにもほどがあるんだよ。五歳児だからだっこし放題んなわけあるか。ちっちゃい子ならなおのこと、おにぃちゃんにだっこされるより、おねぃちゃんにだっこされるほうが好きに決まってる。ふわふわ度が違うんだから!」

「ふわふっ……っ」

念のためくり返すが、カイトはもはや『次の本番』であるがくぽに向かっていた。

しかしどうしてか、衝撃を受けたのはグミのほうだった。それこそ見本のような『がびーーーん』顔を晒すと、反射のように自分の体をつまむ。

自分の体の、だから、ふわふわ――

「待ってグミちゃん、なにが流れ弾したか知らないけど、それでつまむのがピンポイントで脇腹ってどういうこと?!まがりなりにもロイドでなんで脇腹つまむの俺がいもうとたちに吊るされるでしょ?!」

がくぽへと向かっていたはずなのだが、カイトは機敏にグミの動きを察知し、だけでなく心の底から震撼して叫んだ。

グミはほとんどつまむものもない脇腹をそれでもふにふにとつまみつつ、そんなカイトを押し殺した表情で見返す。

「しかしながら」

「ちがう。ほんとちがうから。てか、さっきのでも結構ぎりめな表現なのに、それでグミちゃんがそこつまんだとか、完全に吊るされるから俺。ほんとしゃれにならない。絶望しかないよ?」

そこまで懇々切々と訴えたカイトだが、一度口を噤むと、どこか困ったような笑みとなった。

背を撓め、ことさら下から目線となってグミを覗きこむ。

「てかさ、ロイドなのに、そこまっさきにつまむとか、ほんと、どうしたのなんか困ってるそれはおにぃちゃんには、聞かせられないことですかそれともなにか、お手伝いできることあるかな…どうだろ、グミちゃん」

やわらかな声と口調がまさにKAITOの真価を発揮し、春の陽だまりのようにグミを包んだ。そもそもカイトは兄の『兄仲間』であってグミの『兄』ではないという事実もとろりと蕩かされ、溶け流れて消される。

グミは頑固につまんでいた脇腹からようやく指を離し、恥ずかしげに目元を染め、俯いた。

「そんな、大したことでは………ただ、昨日は、つい………その、おとうとができて、はしゃいで………兄者の誕生日だったので、ごちそうで………」

「うん」

「あ、兄者も、マスターも、がちゃぽだけでなく、グミにも甘いのですっ。け、けーきも、兄者のためのケーキなのに、グミが食べるの、ちっとも止めてくれなくてっ……それで、それで……っ」

――ほぼ結論は読めたが、カイトが先に口にすることはなかった。ただ、やわらかな表情で覗きこみ、待つ。

そのカイトに、グミはしばらくくちびるを空転させてから、思いきってという様子で吐きだした。

「食べ過ぎたのですっ。それで、体重が、増えててっ」

まさに読んだ通りの結論ではあったが、カイトがそれで身を引くことはなかった。やわらかな笑みを浮かべたまま、こっくりと頷く。

「そっか。食べ過ぎちゃったかあ。オナカ壊したりとかは、しなかったうん、じゃあ、おいしく食べられたんだね。それは、ごちそうさんにも良かったよね。ありがとう、おいしかったですって、しとこうね……でも、体重増えちゃったのは、ショックだったうん、じゃあ、どうしよっか、グミちゃん」

「はいっ……っ」

幼子相手のような促し方だが、相手がカイトだ。いつものちゃきちゃきぶりはどこにいったとばかりの、まさにKAITOの真価を発揮したおっとりぽややんぶりで、むしろそういう促し方のほうがしっくりくる。

対するグミも違和感もなく素直に頷き、少しだけ考えてからきっとしてカイトを見返した。

「グミは、ボカロですのでっ。うたって踊って、消化したいと思いますっそれが、パワーをくれたごちそうさんへの、なによりの恩返しであるとも思いますのでっ、ふぁわっ?!」

グミが結論を告げた途端、にっこりと、それこそ春爛漫とばかりに笑んだカイトが腰を伸ばし、きゅうっと抱きしめてきた。

とはいえ、ハグだ。すぐに離れる。

それでも耳まで真っ赤に染まり上がった少女の、短くもふわふわな感触の髪を、カイトはやさしく撫でた。

「うん。グミちゃん、ハナマル満点っ。相手役が必要なら、言ってね。俺、付き合うから」

「ほぇ、ふあ、わ、ぁわあ……っ」

しぐさもだが、だから目の前にある笑顔だ。春爛漫と華やぎ、眩しいのに、やさしく和らぐ――

さて、ところで、意味もない声を上げるだけとなってしまったグミだ。その、『実兄』だ。

「カイト……」

「ぅっわっ?!」

いつの間にやらリビングチェアから立ち上がり、ごく間近に来ていたがくぽは非常に不本意そうだった。その不本意の原因といえば言い尽くせないほどあるがつまり。

「なにゆえ俺が膝に乗せるのはだめで、そなたが抱きつくのはありなのだ……」

「はあっ?!」

どろどろしい怨念に満ちて吐きだしたがくぽに、カイトは目を剥いた。

相変わらずぐっすり気持ちよくおひるね中のおとうとをいもうとへ預けたがくぽは、空いた手でカイトの腰を掴み、引き寄せる。

幼いおとうとはおねんね中であるが、いもうとはくっきり眼だ。未だ真っ赤に染まり上がってはいるが、目は開いており、なによりごく間近にいる。

「ちょっとっ…」

慌ててがくぽの手を引き剥がしにかかったカイトだが、がくぽは逆に力を強めてきた。挙句、怨讐度も上がる。

「グミに抱きつくのはいいが、俺はだめなのか…まさかカイト、そなたまでふわふわのほうがいいと」

「いや、そういう話じゃ」

「ではこういう話か。良いかカイト、この神威がくぽを見くびってくれるなよたとえおとうとを膝に抱いたところで、そなた諸共に抱えるくらい、俺には難でもないぞ」

「いやだから、ほんとナニいってんのかわか」

「理解ッッ」

「ぅわぁっ?!」

今度は逆方向から声が上がり、カイトは再度悲鳴を上げた。反射で顔を向け、青くなる。

対照的に、声を上げたほうだ。グミだ。相変わらず真っ赤に染まり上がっていたが、先までと理由が違った。

――いや、先にしろ今にしろいわば興奮によるものなので同じといえば同じなのだが、興奮の方向性というか、なにかそういう、なにかだ。違うのだ、なにか、先と。

とにかく興奮して真っ赤に染まり上がったグミは、ふんすふんすと兄へ詰め寄った。

「水臭いではありませんか、兄者ッグミと兄者の仲でありながら、カイトくんとそんなことになっていたのを隠しておいでになったとはっいったいいつ、いつからですッ?!」

「ぎゃぁあああっ、グミちゃんグミっ、手っ、手ぇえっナニやってんのナニやってんのこの子はぁあああっ!!」

興奮したグミは、片手の親指と人差し指でつくった輪のなかに、もう片手の人差し指を貫き通すというジェスチュア付きで兄に迫っていた。

そう、迫るのは兄だが、その兄はカイトをしっかりと抱えこんでいる。カイトもまた諸共に迫られているわけで、それで、ジェスチュアだ――

カイトは涙目で叫び、むしろがくぽにひっしとしがみついた。どうやら惑乱のあまり、逃げ場所の選定にバグが生じたようだ。

そういえば彼女はぐっすり熟睡中のおとうとを抱えたままだったはずだが、もちろんカイトが上げた悲鳴は、グミが両手を用いたジェスチュアに熱中するあまり、おとうとを取り落としかけたとか、そういったことに由来しない。ナニープログラムとの相性はいいようで、グミは兄よりよほど器用におとうとを抱えていた。

ちなみにこの騒ぎでも、がちゃぽは微動だにしない。ぐっすりだ。

ひとであればよほど肝の据わった子か、さもなければ具合が悪いかだが、ロイドだ。たとえおひるねであろうと、一度休眠モードに入ったなら規定時間を満たすまで、よほどのことがない限り起きないというだけの話だが、そこでグミだ。

すやすやのおとうとを器用に抱えたまま、両手を用いてのジェスチュア、抜き差しをくり返す――

「それはやっちゃらめぇえええええっっ!!」

「うむ、そうだぞ、グミ…」

ぴえんだとかぱおんだとかいう生易しいものではなく、びぇええんと泣きつくカイトを非常に満足げに抱いて、彼女の兄は重々しく頷いた。

「まだそこまではイっておらぬ」

「ぎゃぁあああっ!」

「なにしろ想いを通じ合わせたのが、三日前のことゆえな。場所も場所であったし、口づけまでがせいぜいで」

「ツツヌケにつまびらかにばらばらばらすなこのおばかぁぁあああっ!!」

これ以上赤くなると黒くなるしかないというほど赤く染まり上がったカイトが、どこどこどことがくぽの胸を叩く。

『どこどこ』だ。『ぽかぽか』ではない。相応に痛いはずだが、がくぽは誇り高く威風堂々として、小ゆるぎもしなかった。

そしてグミだ。兄から筒抜けにつまびらかに内情を明かしてもらえた、腹心のいもうとだ。

「さらに理解ッ!」

――なにかへの理解をとても深め、ようやくあのジェスチュアを止めた。

止めた手を拳にしてぐっぐっぐと握り、ふんすふんすふんすと、先よりさらに興奮して兄へ迫る。

「だから兄者は今日、カイトくんを呼んだのですねっとうとう一線を越えるべく…」

「うっそまぢでっ?!」

グミの指摘に被せるように、カイトが悲鳴を上げた。どこどこ叩いていたがくぽの胸座を掴み、今度はがすがすがすと揺さぶる。

「ちょ、じょーだんでしょっ?!グミちゃんも幼児もいるっていうのに、まさか昼間っからヤるとか」

カイトの顔色は赤くなったり青くなったりと、目まぐるしい。

そもそもスペックの低い機種だ。そろそろ処理限界を超えて倒れそうだが、対するきょうだいはひどくマイペースであり、つまり、容赦がなかった。

「信用がないことはうすうす察しておるが、さすがにそこまで見くびらないでもらいたいぞ、カイト。昼間であることは否定せんが、この神威がくぽ、まさか見せびらかしながらヤる趣味はない」

「ええそうです、心配ご無用ですよ、カイトくんっグミはこれからお披露目を口実におとうとともどもカイトくん家に出かけて、ミクちやリンちと祝杯を挙げてますからねッ肴はもちろん、昼間っから初夜な兄ふたりの…くっふふふふぅうっ!!どうぞしっぽりぬっぽりゆっくりお過ごしくださいーーー!」

「ぃいいやぁああああああああっっ!!」

――カイトの全力の叫びは、小躍りしながらさっそく席を外す気の利いたいもうとの背に当たって、跳ね返り、落ちた。

カイトが全力をかけてもびくともせずに抱えこんだままだった男が、それでもさすがに少し困惑したように、項垂れた相手を覗きこんだ。

「――いやか」

その『いや』には、いくつもの意味があった。

どの意味を拾われても容れる覚悟と、どうか都合のいい意味を拾ってもらえまいかという怯懦と――

抱えられてようやく立っているカイトは、そんな男を恨みがましく睨み上げた。

「もう今日、家にかえれない……っぜっっったい、しぬほど、からかわれるもっ………っ」

ぴすぴすぴすと洟を啜りながら訴えるなりたての情人に、がくぽはぱちりと瞳を瞬かせた。

言われたことの意味がわからなかったわけではない。わかったが、わかったうえで、それはそれとしてだ。

がくぽはやはり少し困惑した風情で、ちょこりと首を傾げた。

「しかしな、カイト…どのみち今日は、帰れんぞもちろん、出血沙汰が論外であることは相違ないが、でなくともな逆にな……そうすぐ、ほいほいと立って歩ける程度で済ます気は、毛頭ない」

「…………………は?」

困惑した風情はあってもきっぱり言いきった相手を、カイトはぽかんと見上げた。

「え、ぃや、がくぽ…ナニいってるか、わかんな」

「そうだな」

おどおどと返す相手へ、がくぽは重々しく頷いた。重々しく頷き、腕にぶら下げていた相手を横抱きに抱え直す。

「ちょっとっ!」

慌てて首に腕を回したカイトを見上げ、がくぽは陶然と笑んだ。

「こういったことは、口では説明がむつかしいな。実践してやるゆえ、体で理解しろ」

「おやぢギャグ?!ねえちょっ、がくぽ、それギャグ?!ギャグだよねギャグでしょ?!ギャグって言えこらおばかぁああっ!!」

ぴゃあぴゃあと喚くカイトを、がくぽは悠然と抱え、運んだ。

なにしろどう喚こうと、なにを喚こうと、カイトの手は横抱きにするがくぽの首にきちんと回り、しがみついて離れないのだから――