シンクタンクの甘い罠

画用紙にぐりぐりと走らせていたクレヨンを置き、イトは隣に座るカイを見た。

「おれできたよ、カイ」

「ん、僕も、あとちょっと………」

言いながら、カイのほうは未だに画用紙にクレヨンを走らせている。

描かれているものは――…………………………………不明だ。名状しがたい。

幼児の絵が難解であるのとは別の次元で、どちらかというと、前衛芸術家の作品が評し難いのに似ている。

描き終わったイトの絵もなんとも表現しがたいが、カイのほうがよりさらに、言葉に詰まる。

落書きではない。

落書きではないが、――

「んっ、描けたっ」

「んっ」

カイが明るい声を上げて、クレヨンを置く。

二人は自分たちが描いた絵を見せ合うと、満足そうに頷いた。

昼間のリビングで、二人仲良く並んで床に座ったカイとイトは今日、ローテーブルに向かってのお絵描きに勤しんでいた。

がくぽに言わせると『幼稚園児』であるカイとイトだ。とはいえその真価を遺憾なく発揮して、クレヨンでのお絵描き遊びに熱中していたわけではない。

これでいて二人は、『マスター』のお手伝い中だった。

まったく同型のロイド、KAITOシリーズを二体揃えるという、多少変わり者のマスター:その名も海斗-かいと-は、絵本作家だった。

もっともヒットしているのは、『こねこのカイとイト』シリーズ――自分のロイド二人、カイとイトをモデルに、双子のこねこの日常を描いたシリーズだ。

が、そればかりを描いているわけではない。

単発の仕事も多く請け負うし、若い身空で三人分の食い扶持を稼ぐために、かなりの量の仕事をこなしている。

そのうちのひとつのお手伝いで、二人は画用紙にクレヨンを走らせていたのだ。

初めて頼まれるわけではない。

海斗は、カイとイトの芸術センスを、よくよく理解している。

理解したうえで依頼を――するから、ミトトシとがくぽの常識派主従が、揃って頭を抱えたり首を捻ったりするのだ。

「やっぱかわいーね、いっちゃんの」

「カイのはちょっと、かっこいーね。もっとかわいくしたら、いかったのに」

「んー。そう思ったんだけど、なんか、かっこいー気分だった」

「しょーがないか。カイってオトコマエだし」

「いっちゃんは、かわいーもんね」

――カイとイトは同型機、まったく同じシリーズだ。個性に多少の差はあれ、見た目はまったく同じ。

そして描かれた絵は常人には如何とも、名状し難い。

かわいいかっこいいと言っているが、なにをしてそう評しているのか、さっぱりわからない。

しかして今日、そんな二人にツッコミは入らなかった。

いつもならカイとイトがなにをしていようとも、『保護者』として傍にいるがくぽだが、今は席を外している。

二人の芸術センスの理解できなさ加減に、頭痛薬と鎮静剤を探しに行った――わけではない。がくぽはがくぽで、彼のマスターの仕事の手伝い中で、書斎にお篭もりしているのだ。

海斗もまた、ミトトシから与えられた自分専用の仕事部屋に篭もって、お絵描き――概ね仕事だ、彼の場合。『絶対』ではないのが、微妙にネックだが――に勤しんでいる。

普段は海斗といっしょにお絵描きするカイとイトだが、今日は、出来上がるまでないしょにしてと、お願いされた。

時として海斗は、製作過程から見たいと言うときと、完成品をいきなり見たいと言うときとがある。

今回は、完成品をいきなり見せて、だった。

だからカイとイトは、海斗のお絵描き→仕事部屋からリビングに場所を移し、二人きりで描いていたのだが――

「…………」

「…………」

出来上がった絵を見つめ、カイとイトは沈黙した。

うぬうぬと首を傾げ、あるいはきょんきょんとリビングを見回す。

「ん」

「んっ」

ややしてなにかしら頷くと、真面目な顔を突き合わせた。

「カイ、あのさ」

「ぅん、いっちゃん……」

こつんと額同士をぶつけたカイとイトは、体も向き合わせると、きゅっと両手を繋いだ。

カイの瞳が細められ、頬がほんのりと染まる。

イトの瞳も細くなり、そんなカイを熱っぽく見つめた。

「ね、……」

「ぅん……」

それまで漂わせていた稚気が消え、妖しい雰囲気が漂いだす。喩えるならば、レズビアンの少女たちが醸し出す、独特な空気感――カイもイトも男だ。成人男性。

しかし表現するなら、そんな百合めいた空気をリビングに充満させ、二人は見つめ合った。

うっすらと開いたカイとイトのくちびるが、そっと近づく――

「っえぇええいっ、一寸目を離すと、己らはっっ!!」

二人のくちびるが触れ合う寸前。

リビングの扉が勢いよく開き、がなり立てながら飛びこんで来たのはがくぽだった。確か書斎で、マスターとともにお仕事中だったはずだ。

触れ合うことはないままに離れたカイのくちびるが綻び、イトのくちびるは豪快に、にんまりとした笑みに裂けた。

「がくぽ!」

「っしゃ、神威がくぽっ!」

ずかずかとリビングに入ってくるがくぽを、二人して腰を浮かせ、うれしそうに迎える。

「己らな、同じ顔で同じ機種で、そういう関係でもないのにくちびるを重ねるなと、幾度言えば――」

寄って来る途中からすでに説教を始めているがくぽだが、カイもイトも構わない。

テーブルを挟んで仁王立ちする体に、二人で取り縋って自分たちの間に招き入れると、共に座らせた。

そのうえで両脇からがくぽの腕に絡みつき、ねこのしぐさままで、うれしそうに擦りつく。

「おい、話を……」

「ぁは、がくぽ、来た!」

「しょーかん成功だしおれたち、ゆーしゅー!」

「違うよぉ、いっちゃんてんさいなんだよぉ!」

「天才?」

「天才!」

「「てんさいっ!!」」

腕にしがみつかれたまま、きゃっはとやられて、がくぽはくちびるを引き結んだ。

とても大変、いやんな予感めいたものが、しないこともない。

「なんだと?」

引きつりつつ訊いたがくぽに、カイが笑みの形のくちびるを寄せる。がくぽが避けようかどうしようかと迷っているうちに、躊躇いのないくちびるは、ちゅっと音を立ててくちびるに触れた。

「カイ」

「ぇへ。ね、いっちゃん」

「ね、カイ!」

「おい、んっ」

――カイがキスした以上、当然予想してしかるべきだった。

がくぽがなにか言うより先に、くちびるにイトのくちびるが触れて離れる。

そうやってがくぽにキスしたうえで、顔を寄せたまま、二人はにっこりと笑った。

「がくぽ、僕といっちゃんがキスしようとすると、絶対に来るから」

「探して呼ぶより、こっちのほうが早いんだもん神威がくぽ限定しょーかん術!」

「な………っ召喚…………っんぁあ………っっ?!」

がくんと顎を落として言葉を失ったがくぽに、カイもイトもうれしそうに擦りつく。

「ヤキモチ妬きさんなんだよね、がくぽぇへ、かわいーい!」

「おれたち、神威がくぽのこと、はぶんちょになんかしないのにさー」

「んな、な、な……………っ」

愕然とするがくぽに、カイとイトは羽ばたくようなキスと、こねこのように無邪気な擦りつきとをくり返す。

交互にキスの雨に晒され、しかも言っている内容が内容だ。

がくぽは一瞬、回路が切れかけてがっくんと後ろに仰け反ってから、主に胆力とか根性とか、なにかしらそういうもので復活した。

しがみつく二人から腕を取り戻すと逆に抱きこみ、髪の毛をわしゃわしゃと掻き回す。

「おかしな術を編み出すな!!他人を玩具にするようなら、仕置きをくれてやるぞ!!」

「「ゃーーーーーっっ☆」」

叫ぶがくぽに、二人はまったく反省のない嬌声じみた悲鳴を上げ、しがみついた。