いつもはマスターである海斗と三人で行動しているか、さもなければカイとイトの二人でなにかをしている。

それが今日は珍しくも、マスターとカイの二人でお出かけとなり、イトはお留守番を仰せつかった。

センチメートルジャーニー

といっても、未だにがくぽの家に居候中の『カイト』三人衆だ。イトはひとりでお留守番をするわけではなく、がくぽが共にいる。

しかし玄関にお見送りに出たイトと、見送られるカイの様子は、どう考えても深刻に愁嘆場だった。

「カイ、カイ、いいか。おれがいないんだから、カンタンに泣いたらだめだぞ」

「ん、いっちゃんもね。さびしくっても、泣き過ぎたりしないで。いいこにしててね?」

「んっ。オトコとオトコの約束だ、カイ」

「うんっ、約束、いっちゃん」

「……………」

お出かけは、ほんの数時間だ。宿泊してくるわけでもなく、半日すら空けるわけでもない。そこまで大げさな別れの儀式が、必要なのか。

イトの背後で複雑な表情を晒すがくぽはさらに、微妙に視線を移ろわせていた。

カイとイトはもはや、定例のごとくにくちびるとくちびるを交わし、誓いとともにちゅっちゅちゅっちゅとやっている。

いつもなら、そういう仲でもないのにくちびるを交わすなと止めて、説教するところなのだが――今日は、微妙にやりづらい。

確かに、二人が離れ離れになることなど滅多にないのだろうし、不安もひとしおだろう。

その不安がくちびるを交わすことで、少しでも発散されるなら――

「良くない………気が、しないでもない………」

ぼそりとつぶやいたがくぽに、イトとひとしきり別れを惜しんだカイが、潤んだ瞳とともに手を伸ばしてきた。

「がくぽ、がくぽも……」

「あー……」

あまりに不安そうで放っておけず、がくぽは招かれるまま、カイに近づいた。

「あのね、がくぽ。いっちゃんのこと、よろしくねあんまりいっぱい泣かないように、見ててあげて」

「ああ」

「あとね、あとね、がくぽ。僕のこと、忘れないで。おねがい………」

「………」

どういうおばかさんだと、たかが数時間の別離で、これだけインパクトがある相手を忘れるというのか――がくぽは記憶障害やら、特殊な機能不全を患っているわけでもないというのに。

心細さはわかるが、心配の仕方があまりにおばかさんだ。だというのに健気で可憐な風情もあり、がくぽはうっかりきゅんきゅんと、体の某所諸共ときめいた。

健気で可憐な相手は、がくぽのアレ的好みのドツボだ。ついでに、『あはん』とナナメに笑ってしまうようなおばかさんも。

「忘れたりせん。イトのことも、きちんと見ていてやるゆえ……」

さっさと行って、さっさと帰って来い。

言葉は皆まで言えずに、カイのくちびるに塞がれる。

「ん………」

「……」

がくぽはここ最近の倣いで、重なるカイのくちびるに舌を伸ばす。軽く舐めると、馴らされたカイは抵抗もなく口を開いた。

巧みな舌に口の中を弄られ、カイはがくぽにしがみついて体を跳ねさせる。

「んっ、ん…………ぁ、………っ」

「はいさー、がっくーんカイがお出かけできるとこで一回、たんまよろー」

「っっ」

玄関の外でロイドたちのお別れが終わるのを待っていた海斗が、明るい声で割って入ってきた。さすがに長時間待たされて、覗いてみたらてんてんてん、だ。

「………すまん」

二重三重の意味で謝ったがくぽに、海斗はぷらぷらと軽く手を振った。

「いーよいーよ、別に。俺こそごめんねーもちっと時間あったら、思う存分させてあげたんだけどー」

「………いや、そこは止めような………」

自分ががくぽのマスター:ミトトシとそういう仲なせいか、海斗は己のロイドが『そう』であっても、構わないらしい。

しかしそれはそれとして。

わずかに足をふらつかせつつ、カイはイトの頬に最後のキスをして、ようやく海斗とともに出かけた。

「…………」

「…………」

イトとがくぽ、二人で玄関に立ち尽くすこと、一分弱。

それもどうだと思ってがくぽは踵を返したが、イトは微動だにしなかった。

「………」

まあ、気が済めば探しに来るだろうと考え、がくぽはイトが見つけやすいように、リビングへ入った。ソファに座ると、カイの感触が残るくちびるに触れる。

そのまま、十分。

「…………動かない」

それとなく耳を澄ませていたが、家の中に物音がしない。つまりイトは未だに、玄関。

渋面になったがくぽは、ソファに凭れていた体を起こした。軽くくちびるを噛み、宙を睨む。

さらに、数分。

「………仕方のない」

カイに頼まれたということもあるが、元気印で姦しいの筆頭であるイトが静かだと、妙に不安だ。

がくぽは立ち上がると、玄関に行った。

「イト」

「んー」

イトは見送ったままの場所に、膝を抱えて座りこんでいた。そうやって、すぐには開くことのない扉を微動だにすることなく、凝視している。

いつもなら、がくぽに呼ばれると満面の笑みとともに飛びついてくるのに、生返事を寄越しただけ。

「………帰ってくるまで、そうしているつもりか?」

今、出かけたところだ。数時間で帰ってくるとはいえ、――そう、数時間で帰ってくるというのに。

訊いたがくぽを振り返ることもなく、イトは扉から目を離さないまま、頷いた。

「ぅん」

「…………」

返事に、あまりにも力がない。背中が全力で、寂しいさみしいと言っている。

確か、お留守番中のねこや犬が、こんなふうにしている映像が――

愛らしくも切ない隠し撮り動画を思い返しながら、がくぽはしばらくイトを見ていた。

動かない。

「…………やれやれ」

手を当てて首をこきりと鳴らすと、がくぽは踵を返した。リビングに行くと、いくつかクッションを持つ。

玄関に戻ると、イトからわずかに後ろへ離れ、壁に凭れて座った。尻の下には、持って来たクッションを敷く。

片膝を抱えて半眼になると、がくぽもまた、微動だにしなくなった。

「…………んっ。ん?」

ややして動いたのは、イトのほうだった。

抱えていた膝から手を離し、きょときょとと周囲を見渡す。くるりと振り返ったところで、がくぽに気がついた。

「あれ、…………」

声を上げてから、言葉にならずにもごつかせ、結局口を噤んだ。動物のような四つん這いで、ぺたぺたとがくぽに近づく。

目の前にへちゃんと座り込むと、イトはことんと首を傾げ、がくぽを見つめた。

「あのさ、神威がくぽ」

「………ああ」

わずかに瞳を上げたがくぽに、イトは神妙な顔を寄せた。合わせて開いてくれた胸に、すりりと頭をすり寄せる。

「えと、………ごめんなさい。さびしかった?」

「………」

寂しかったのは、そちらだろう。

思いつつも、がくぽは口にせず、イトの頭を撫でた。

そうとは思っても確かに、イトが相手にしてくれなくてさみしかった、と。

そういう気持ちが、ないとは言い切れない。

「あのさ、神威がくぽ。おれね、カイのこと、待ってたいの。おうち帰ってきたらいちばんに迎えて、よくがんばったなって、ぎゅってしてやりたいんだ」

「ああ」

「前のうちはね。玄関開けたら、すぐにおうちだったの。だから、おれ、いっつも、………」

イトの言う『前のうち』は、アパートだ。成人した男三人で住むには、かなり手狭な造りだったらしい。

間取りを詳しく訊いたことがないので推測になるが、廊下などというものはなく、玄関からすぐに続き間で、居室になっていたのだろう。

イトはこういうことがあるたびに、そこで座り込んで扉を見つめ、ぼんやりとカイの帰りを待って――

「来い」

「ん?」

撫でていた手を体に回し、がくぽはイトを膝の間へと招いた。

きょとんとしつつも素直に嵌まったイトに、がくぽは笑う。

「………板間で、斯様に何時間も座り込んでいては、尻が痛くなる。いざカイが帰ってきても、迎えて抱きしめてやるどころではないぞ」

「ん、あー。かったいもんな」

「そうだ。クッションくらい、使え」

言いながら、髪を掻き混ぜる。

目を細めたイトは、ちょんとくちびるを尖らせると、がくぽの体に凭れた。すりすりと、頭をすり寄せる。

「いっしょに、待ってくれんの」

「ああ」

「神威がくぽも、さびしーの」

「…………ああ」

素直に頷くと、胸の中でイトが笑み崩れた。きゅっと着物を掴み、いつものように輝く瞳でがくぽを見つめる。

「じゃあ、いっしょに待たせてやる。も、ほんっと、神威がくぽはおれたちがいないとだめだよなさびしんぼであまえんぼの、困ったさんで!」

偉そうに言うイトを抱きしめ、がくぽはその頭に顔を埋めた。

くちびるが、笑みを刷く。

「そうだな。お主らがおらぬと、まったく困るな、俺は………」