目を閉じてソファに座ったがくぽの後ろから、にゅっと手が伸びる。

瞼を押さえると、耳に吹き込まれる、明るく弾む声――

「だーれだっ!」

海老フライと凧揚げ

「カイ」

「っぁあっ」

迷いもせずに即答したがくぽに、上がった悲鳴は耳に問いを吹き込んだほうではない。

「ぅーあーっ!!連敗記録がのびてくっ!!今カイ、すっごくおれだったのにっ!!」

「うーん。僕も今のは、自信があったのになー………」

基本的には勝負ごとにこだわらず、むしろ勝ち続けるがくぽが見たいカイだ。

それでも今の声色にはそれなりに思い入れがあったらしく、納得いかないように首を捻っている。

「ね、いっちゃん。『だーれだっ』」

カイは悔しがるイトに向き直って、もう一度くり返す。

イトは首振り人形と化して、こっくんこっくんと頷いた。

「おれすんごいおれ!!おれがふたり!!」

「ねー。いっちゃんと、すっごい練習したのに……」

「もうカイがいなくなるくらい、練習したのに………う、ぅえっ?!」

納得いかなそうにつぶやくカイに同意したイトだが、唐突にしゃくり上げた。

きょとんとして見たカイと、いやんな予感を抱いて振り返ったがくぽの前で、イトは盛大に瞳を潤ませる。

「か、カイがいなくなるっ?!か、カイ、いなくなんのっ?!や、やだやだやだやだ、おれ、おいてかないでよぉおっどこ行くのぉおおっ?!」

「えええ?!」

自分の想像が現実と入り混じった挙句、泣き喚きながら飛びついてきたイトに、カイは目を丸くする。

あたふたとしつつも、首にしがみつくイトをぎゅううっと抱きしめた。

「ぼ、僕、いなくならないよ!!え、でも僕が、すっごくいっちゃんになったら、僕いないよね?!だってすっごく、いっちゃんなんだもんど、どうしよう、そしたらどこ行くの、僕っ?!僕の行き先が僕にわかんないよっ?!」

「ぅわぁああんっ、カイぃいいっ!!」

「ぁ、あ、あ、なかな、泣かないで、いっちゃんで、でも、僕どこにいるのっ?!」

――ああもう、このおばかさんたちめ。

大騒ぎを繰り広げる二人を眺め、がくぽは最高にときめく自分を誤魔化して、生温く笑った。

想像と現実、ついでに言うと、比喩と事実との区別もついていない。

それでこうまで本気で愁嘆場となるのだからもう、ときめく以外にどうしろと。

自分では自覚しないが、着地点がずれるあまりに結論的におばかさんとなる相手を見ると、がくぽはどうしようもなくときめく。

だからある意味で、目の前の騒ぎに非常に癒されていたがくぽだ。

そうとはいえ、このままにしておくと愁嘆場は修羅場に突入し、訳のわからないドラマが展開された末に、なぜか本気でのっぴきならないことになる。

それがおばかさんのおばかさんたる由縁であり、特殊能力だ。

「イト、落ち着け、お主。お主が今、抱きついているのは誰だ」

言葉だけで諭しても聞かないので、がくぽはとりあえず手を伸ばし、抱き合うカイとイトの頭を鷲掴みにして引き離した。

「うーっっ!!」

「イト、答えろ。誰だ?」

乱暴な扱いに抗議の声を上げるイトに構わず、がくぽはしっかりと顔を覗きこんで訊く。

答えないと離してもらえないという程度のことは、混乱するイトにもわかった。

恨みがましい目でがくぽを見て、それから引き離されても手は繋いでいるカイへと視線をやる。

「カイ…………」

「そうだな。カイはここにいる。わかったか、カイお主も、どこにも行っておらず、ここにいる。な?」

「んっ、ぅん…………っうん!」

イトを覗き込んでいた顔を向き直して言い聞かせたがくぽに、カイは感激したように瞳を輝かせて頷いた。

素直に頷いたカイに微笑み、がくぽは鷲掴みしたままの頭を招き寄せて、肩口に埋める。

「よしよし…………なここにいるから、俺に抱かれることも出来るであろう?」

「ぅん…………っ」

短い髪から覗く耳朶に吹き込むと、カイはきゅううっと縋りついてくる。ねこの子のように、その頭が首筋に擦りついた。

「じゃあ、いなくなるのって、おれなの?」

「イト………」

『カイがいなくならない』ということは理解できたらしいが、なぜか思考が飛躍したイトのつぶやきに、がくぽは眉間に皺を刻んだ。

おばかさんの思考はどういう飛躍をするのか、さっぱり読めない。

瞬間的に眉間を揉んだがくぽだが、あまり考えこむこともできない。時間を置けば置くだけ、イトの結論は果てしない場所に行ってしまう。

「お主もいなくならん。ほら」

「んっ」

わずかにカイの位置をずらし、がくぽはイトのことも抱き込んだ。わしわしと、多少荒っぽく頭を撫でる。

「俺がこうやって抱いている。どこに行きようもなかろう」

「んー………………。そっか!」

束の間固まっていたものの、納得できたところで、イトもがくぽの首筋に擦りつく。

「よかったね、いっちゃん。みんないっしょ!」

「うんっ、いかったねっ!」

ソファ越しながら、がくぽに揃って抱き込まれてにこぱっと笑いあったカイとイトは、当然のようにお互いのくちびるをちゅっと合わせる。

「待てこら己ら」

「っや、いたっ、がくぽっ!」

「もーっいちいちヤキモチ妬くなあっ、神威がくぽっ!!」

「誰がヤキモチだこらっ!!」

抱いていたにも関わらず防ぎきれなかった行為に、がくぽは再びカイとイトの頭を鷲掴みにして引き離す。

「そういう仲でもないのに………っんぷっ」

きりきりと眉間に深い皺を刻んでいつもの説教をくり出そうとしたがくぽだが、そのくちびるはすぐに言葉を発せなくなった。

「も、がくぽは…………ちゅうなら、がくぽにもちゃんと、してあげるんだから」

「そーだぞ。カイにちゅうしたら、神威がくぽにも、ちゃんとちゅうするつもりだったんだぞ」

「ね、こうやって…………んっ、いっぱいしてあげるんだから…………機嫌直して?」

「いっしょにいるのに、………ん、神威がくぽだけ、はぶんちょになんてしないんだから、拗ねるなって」

「………………」

うっかり力弱かった手から逃れたカイとイトは、宥めつつも交互にがくぽのくちびるへ、ちゅっちゅとキスをくり返す。

問題が違う。

ここのところでの意思疎通が図れる気が、永久にしない。

がくぽはがっくりと項垂れつつ、何度も何度もついばむようなキスを贈ってくれるカイとイトを抱きしめた。