女子高生ノリで、頻繁に他人の思考と視界に設定年齢と容姿に関するフィルタを掛けるカイとイトだが、これでいて男だ。成人男性だ。

オトナのオトコの矜持というものがある。

らしい。

――たぶん。

愛と欲望のチョココロネ

「やってできないことは、ないと思うんだよね」

主不在のがくぽの部屋だ。畳の上に敷いた三組の布団のうち、真ん中の布団にへちゃんと座ったカイは、いつも通りのおっとりとした口調で言った。

夜で、そろそろ就寝時間を過ぎている。しかしがくぽは、マスターであるミトトシの手伝いを切りのいいところまでやると言って、まだ書斎だ。

先に寝ていろとは言われたものの、そんなつもりは毛頭ないのでさっくりと聞き流した、同衾者二人だ。

部屋には先に引き上げ、寝間着に着替えて布団も敷いたものの、中に入ることはない。

「大体の場合、どっちが先制するかっていうのが、勝負の分かれ目だから」

カイの話し方はおっとりほわんとしていて、ひたすらにやさしい。話し方だけではなく、カイは性格も健気でやさしかった。

しかしなにかあって戦略を立てるとなると、活躍するのはカイだ。

だからといって、乖離性――多重人格ではない。カイの中には誰にでもある多面性としてごく自然と、不戦によって相手から傷つけられることを甘受する思考と、戦況を分析して敵を撃破する思考が同居していた。

「ねほら、僕たちって、いっつも――」

「そっかそういえばおれたちいっつも、初めにびっくりしちゃうっていうか……いきなり変わった空気に呑まれて、押されっぱなしになる!」

カイの分析に頷いたのは、同じく布団の上、対面に座るイトだ。

イトもKAITOシリーズだが、その特性であるおっとりさはあまり、窺えない。どちらかといえば稚気が目立っていて、やんちゃで生意気、一見するとワガママな俺様気質だ。

感情表現も派手で、勝負ごとでは勝利にこだわり、負けると地団駄を踏んで悔しがる。

しかしだからといって、敵を撃破する作戦は考えられない。

おばかさんだからではない。そう思われているが実のところ、『負かす』=『傷つける』(可能性がある)ことを考えるのが、苦手なのだ。

プログラミング的に、思考を制限されているわけではない。イトは単純に、すべてのロイドが起動後に持つ一個人の思考傾向――個性の一環として、『誰かを傷つける』言動を苦手とし、ほとんど『無意識』に弾いてしまうのだ。

たまさかうっかり、誰かを傷つけた、もしくは傷つけたと思い込んだ場合、己に対する拒絶反応が激しいのはだから、カイよりもイトのほうだ。ひどく消沈して嘆き、復活させるのは容易なことではない。

「うん、だからねその『びっくりしちゃう』のって、僕たちがあんまり予想とか覚悟とか、してないからでしょつまり僕もいっちゃんも、先制されちゃってるの。後手なの」

「ごて………」

「うん。ごてごて」

「ごてごて?」

「ごてごて!」

「「ごてごててーーーー☆」」

――なぜか、きゃーーーーーっとでも続きそうな女子高生ノリでハイタッチを交わしてから、カイとイトはその手をきゅっと握り合い、こっつんと額をぶつけた。

一瞬前のノリはなんだったのかと思うような、真剣な表情を突き合わせる。

「確かに、先制されても巻き返して、勝つひともいるけど………それって実力でよっぽど差があるとか、先制したほうが油断したとかだから」

「油断しなかったら、おれたちでも勝てる………勝てる?」

カイの説明に頷いてから、イトは微妙に眉をひそめた。額を突き合わせたまま、ちょこりと首を傾げる。

「実力によっぽどの差があったら、先制されても巻き返せるって、言ったよな、カイなんかそこ、けっこー、……………割とおれたち、不利な気がするんだけど」

「うん」

不本意極まりないといった口調で、それでも正確に相手との実力差を計って不安を吐き出したイトに、カイはあっさり頷いた。

「よっぽどっていうか、この場合、月とすっぽんで、僕たちすっぽん」

「すっぽん?!」

「栄養価高いよ僕といっちゃんがすっぽんだから、すっぽん×2でしょ………栄養価も二倍。食べたお月さまフルムーン化」

「すっご………!!」

――話の流れが非常に怪しい。胡散臭いことこのうえない。

あくまでも真面目に連ねていくカイと、真剣に驚愕に染まるイトと――茶番ではなく、二人とも心底から本気でやっている。常態だ。

そして今ここには、話の軌道修正かもしくは、軌道修正を諦めた挙句の腰折れを図るツッコミ役、がくぽは不在だった。つくづくとなにかが不運で不穏だ。

不運と不穏を明確に暗示しながら、カイは驚愕に仰け反って額を離したイトを力強く見据える。

「でもね、いっちゃん。思い出してねうさぎとかめで、勝ったのはかめでしょ?」

「そっかすっぽんもかめだから、油断さえしなければうさぎに勝てる!」

月はどこへ行ったのか。

理論の乱暴さと軌道の見えなさ加減が果てしない話だったが、当人たるカイはこっくりと頷いた。

「そう。反対にうさぎ食べちゃう」

「うさ、……ったべ………っ!!」

かめはうさぎを食べていない。

昔話の結末を捻じ曲げたカイは、戦慄し、ちょっとばかり涙目になったイトへにっこりと笑いかけた。

「別に食べなくても……首輪して、いいこいいこって、飼ってもいいし。僕もどっちかっていうと、そっちのほうが………」

「おれもおれも!!飼うほう飼うほう!」

「うん、じゃあ、首輪して飼うほうで………」

「って、カイ首輪って、ぜったいしないとだめ?!なんかあれって、………かわいそうっていうか」

月はどこへ行き、かめはどこへ行き、それ以前にすっぽんはどうなって、さらにどうしてうさぎを飼うことに落ち着いたのか。

もはや他人にはとても、追いきれる話題の飛躍ぶりではない。

しかしおそらくそれとは違う理由で、イトはもごもごとカイに要望を出し、要望を出されたカイは黙った。

沈黙。

ちんもく。

ちーーーーーーーーんっ。

「………カイ?」

「えと、ぅん……………っ」

促したイトに、ほんわりと目元を染めたカイは俯き、もじもじと下半身を蠢かせた。

「カイどしたのなに?」

「うんっ」

屈んで顔を覗き込んだイトを、カイは恥じらいながら上目で見返す。ぇへへと、愛らしさ最高潮で笑った。

「くびわ…………………すっごく、えっちだったから………っっ」

「………………」

今度沈黙に落ちたのは、イトだった。

そのまま沈黙。

ちんもく。

ちーーーーーーーーーーんっ。

――微妙に過ぎる沈黙を破ったのは、からりと開いた襖の音だった。

「ああ、起きて待っていたのか、二人とも大丈夫か、眠くて愚図る…………」

軽口を叩きながら入って来た、部屋の主――がくぽは、後ろ手に襖を閉めたところで固まった。

いやんな予感がする。あまりにいやんな予感過ぎて、体が呪縛された。動かない。

漲る緊張感の中、がくぽと睨み合ったカイとイトは、ゆっくりと腰を浮かせた。

「カイ、どこで見たの。ちがうよな?」

「うん。ちがう。雑誌のグラビアで………よそのだったけど」

いつものカイとイトの動きでも、目つきでもない。ネズミを前にしたねこのごとく、二人は完全に『狩り』の体勢に入っていた。

今まさに部屋に入って来たがくぽには、話の流れが読めない。そもそも共にいたところで、理解不能だ。途中から聞いた会話の筋を追うことなど、不可能の業にも程がある。

後ろ手にした襖の把手から手を離せないまま、微妙に足を引くがくぽを見据え、カイとイトはこくんと頷いた。

「先制だよ、いっちゃん」

「先制だな、カイ」

「待て己ら、なにを企んで…………っっ!!」

――がくぽが皆まで言うことは、できなかった。

狩人の本能に目覚めたこにゃんこ二匹に全力タックルを掛けられて、逃げきれないまま堪えようもなく、無様に畳へ転がる。

「おい…………っ!」

伸し掛かられ押さえこまれて悲鳴を上げるがくぽに、ネズミもとい『うさぎ』を手にしたこにゃんこ二匹はきらきらと輝く表情で、殊更に甘く愛らしく笑った。

それはもう、背筋が戦慄に凍りつくほど、愛らしい笑みだった。

言葉を失って呆然と見入るがくぽに、カイとイトは笑みと同じく、甘く愛らしい声でさえずる。

「今日は僕たちが、してあげるね、がくぽ?」

「たまにはおれたちに負けろ、神威がくぽ!」

「して……って、カイ?!イトそもそも俺がいつ、己らに勝ったと………っ!!」

――今度もまた、がくぽの抗議が皆まで聞かれることはなかった。

カイもイトも男だ。オトナのオトコだ。矜持やそういったものが、ないわけではない。

らしい。

――たぶん。