おもむろに立ち上がったカイが、すっと拳を出す。その表情はいつものやわらかさもなく、緊張に強張っていた。

「いっちゃん……いっちゃんのことは、大好きだよ。それは、ぜったい。ぜったいだけど……オトコには、つけなきゃいけない勝負っていうのが、あるよね?」

表情だけでなく、声も硬い。

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そのカイに拳を突きつけられたイトのほうも、同じだった。緊張に引きつりながら立ち上がり、カイへと拳を突き出す。

「いくらカイでも、よーしゃはしない。たとえカイだって、負けられない勝負ってのは、あるんだ」

イトは懸命にカイのことを睨みながら、吐き出す。まるで自分へと言い聞かせるようでもあった。

どんなにどんなに大好きな相方であっても、決して手加減してはいけないのだと、あまりに憐れな覚悟を固めるための――

悲愴な表情で睨み合ったカイとイトは、突き合わせた拳を一度、引いた。そして今度は勢いをつけて、互いへと突き出す。

「血まみれ拳で豚骨砕波さいしょはぐーっ!」

「天誅下れらーめん汁残す奴じゃんけんほいっ!!」

――ソファに座ったがくぽは胡乱な表情で、視線を流した。非常に物申したい目線の先にいるのは、平和な昼下がりのリビングで、微妙な『勝負』に興じるカイとイトではない。

傍らに座る海斗――二人のKAITOシリーズ、カイとイトのマスターだ。

「誰だ、斯様に物騒な掛け声を教えたのは。豚骨らーめん屋の知り合いに、延々と愚痴でも垂れられたのか」

カイとイトの『じゃんけん』の掛け声は、物騒というかつまり、らーめん屋のなにかしらの恨み言か嘆きのようだった。もっとも苦労して作ったスープだというのに、客はやれカロリーだ塩分だと言い訳して、肝心要のものを飲み残してゆく――

もちろん本職のらーめん屋は、素手で豚骨を砕波した挙句、拳を血まみれにしたりはしない。が、どんぶりに残されたスープを見て、天誅下れお客様とは、考えることもあるかもしれない。

――話が逸れたが現在の問題は、らーめんのスープを如何にすれば最後まで飲み干してもらえるかでは、ない。

カイとイト、普段のふたりの無垢さや無邪気さからかけ離れた、じゃんけんの掛け言葉だ。デフォルトで組み込まれる言葉でもなし、誰かが教えたのだろうとは思う。

が。

「はいはーいっかわいー二人がぶっそいこと言いながらじゃんけんしてたら、かわいさ倍々どんで萌えもえじゃんってわけで、俺が教えましたー☆」

「案の定だな!」

まったくもって想定の範囲内だったため、反省絶無で明るく言い退けた海斗にも、がくぽはそう吐き出しただけで済ませる。

済ませられないのは、『かわいー二人vvv』の情人のほうではなかった。『かわいー二人vvv』に微妙な知識を植えつけた『マスター』のほうの、情人だ。

「おまえの歪みっぷりには、今さら言いたいこともないがちょっとそこに空気椅子で正座しなさい、海斗。説教します」

「敬語?!みぃがホンキだってか、どこからツッコんでいいかわかんないんだけど、みぃ?!言いたいことないなら説教てか、空気椅子でせいざ……!」

――普段、己のロイドであるがくぽにすら敬語で接するのが、ミトトシだ。唯一、海斗にだけは砕けた、少々乱暴な言葉遣いで対する。

それが敬語となれば、相当思うことがあるということだ。

泡を食ってツッコミを入れる海斗だが、ロイド保護官の恋人はこと、ロイドが絡むと無茶ぶり具合が半端ではなかった。

まったく気にせず、滔々と説教をまくし立て始める。

「………話が逸れていっておるが」

ある意味、いちゃべたらぶらぶしているマスター同士に冷たい横目をやってから、がくぽはリビングの真ん中で仁王立ちし、相対しているカイとイトに視線を戻した。

「ほいっ!」

「ほいっ!」

「ほいっ!」

「ほいっ!」

――力仕事中の掛け声のようだが、もちろん違う。カイもイトも顔を真っ赤にし、力仕事中のように踏ん張ってはいるが、しているのはじゃんけんだ。

そう、カイとイトの二人は、先の物騒な掛け言葉から延々えんえんえんえんえんえんエンドレスリピート延々と、じゃんけんを続けていた。

理由はひとつで、勝敗がつかないからだ。

頻繁に双子機のように振る舞うカイとイトだが、双子機ではない。双子機として設定されている鏡音シリーズのように、思考の同期はできない。

はずだが、最初から今に至るまで、二人は延々えんえんえんえんえんえんえんえんエンドレスリピート延々と、同じ手を出し続けていた。

つまり、あいこだ。勝敗がつかない。

勝敗がつかないので、終わりにならない。ゆえに、

「ほいっ!」

「ほいっ!」

「ほほいっ!」

「ほへいっ!」

「………そもそもあの二人、なにを競っておるのだ?」

珍しくも放り置かれた状態のがくぽは、困惑に染まりながらぼそりとつぶやいた。

常に仲良く、なんでも譲り合うか二人で共有するかとしているのが、がくぽから見たカイとイトだ。初めに見せたような緊張感漲る諍いも、白黒けじめをつけるための勝負も、ほとんど覚えがない。

勝負が始まるところでリビングにやって来たがくぽは、事態の推移が呑みこめずにいた。そのうえに、機敏な最新型の頭脳をもってしても推測しきれないのが、カイとイトの行動原理だ。

「これ。アイス俺の分」

「なに?」

途方に暮れるがくぽに、海斗がローテーブルに置いた本日のおやつ――カップアイスを取って、ふりふりと振ってみせた。

ちなみに海斗は現在、ミトトシから怒涛の説教漬け中だ。が、耳聡くも、ほんの小さな声で落とされたがくぽの困惑を拾ったらしい。恋人の説教をきれいに聞き流し、逃避の理由を探していたとも言う。

「好きじゃん俺の分、上げるよーって言ったら……」

「海斗……!」

「違うちがう、違うってば!」

怒涛の説教が怒号に変わりそうな気配を察した海斗は、一度は目を逸らしたミトトシに、慌ててカップアイスを振った。

「『仲良く半分こ!』って、言ったってば勝負して勝ったほうにとか、言ってないしでも……」

「愚か者KAITOシリーズに、アイスを半分こするスキルはない!」

「スキルなのか?!」

言い訳しても結局落ちた怒号だったが、聞いたがくぽは唖然として己のマスターを振り仰いだ。

怒りに染まってはいるが、ミトトシは真顔だ。言い換えて真面目だ。つまりアイスを半分ずつ分け合うというのは、スキル。修得を要する特殊技術、もしくは技能という――

「………まあ、KAITOシリーズゆえな………」

一瞬は唖然としたがくぽだが、割とあっさり納得した。

アイスが関わると、人格まで豹変すると言われるアイス狂が、KAITOシリーズだ。

そしてカイもイトも、KAITOシリーズ。

どれほど仲が良く、望まぬ争いであったとしても、それこそ『オトコには譲れない勝負がある』となるのだろう。

「大げさだが………」

「よほいっ!」

「よほほいっ!」

「よろれいひっ!」

「よれえいひっ!」

「………………………」

――しかしいくらどうでも、勝負がつかないにもほどがある。

掛け声まで怪しくなってきたが、そもそもふたりが賭けているのはアイスだ。すでに冷凍庫から出し済の。

これではたとえ勝負がついたとしても、待つのは笑劇的に過ぎる悲劇。

がくぽは首を振ってなにかを思い切ると、自分の分として持ってきたカップアイスを掲げた。

「カイ、イト、俺の分を――」

「私の分も上げますから」

「………」

「………」

奇しくも声が揃った主従は、首を巡らせると無言で見合った。

アイスが好きな、カイとイトの二人。

そのカイとイトに、だったら自分の分も上げるよとアイスを差し出したのは、海斗にがくぽにミトトシの三人。

KAITOシリーズに欠落しているという、『アイスを仲良く半分こ』するスキル。

「ま、マスター………っ!」

「いえ、ちょっ、これは、今のは……っそもそもがくぽ、おまえこそ、ちゃんとおやつを……!」

ぷるぷると震え、だけでなく涙目にすらなって睨み上げたがくぽに、ミトトシは狼狽えながら後退さった。

恋人には強気だが、ロイドには弱い。それがミトトシ――ロイド保護官だ。

が。

一瞬、勝負を止めたカイとイトが、再び悲愴な顔で見合った。

きゅっと握られた拳が、互いへと突き出される。

「負けないからね、いっちゃん………っ!」

「この勝負、おれがもらうからな、カイ………っ!」

震える声で言い合うと、拳を振り上げる。

「骨身を削って髄まで啜れさいしょはぐーっ!」

「天罰覿面えびの頭を残す奴じゃんけんほいっ!」

――なんにせよ、飲食業従事者には言いたいことも多かろうと推測される昨今。

「まあ、今回の場合……俺が俺の分を食べれば、済む話のような気がするよね?」

リビングで勃発した争い二つを眺めつつ、ひとり弾かれた態の海斗は、至極冷静につぶやいた。