わんたすてぃっく・わーるど

「あのさあ。ミクとリリィちゃんと、どっちが適任だと思う?」

珍しくも渋面で考えこむ生徒会長が放った問いに、がくぽは余程、知ったことかと返してやりたかった。

これはなにも、がくぽが全校に知れ渡るほどの『問題児』だからではない。

反抗心の有無以前の問題で、今回の場合、がくぽは本当にまったく、カイトから相談されたことの内実がわからないのだ。

ことの発端は、昼休みだ。

中庭で過ごそうと連れ立って歩いていたところで、カイトが一人の生徒に声を掛けられた。

顔を真っ赤にし、過ぎる緊張にがたぶると全身を震わせる、その相手に――

話を聞いてほしいと乞われたカイトは、がくぽを放って了承した。いや、正確に言うともう少し、ひどかった。

――五秒待って。

生徒へそう告げるや、カイトはがくぽの胸座を掴んだ。ちょうど中庭へと続く渡り廊下に出たところだったのだが、その廊下の端、もうひとつの校舎との出入り口にまで、それで引きずっていく。

挙句、壁へ押しつけるようにがくぽを放すや、ひと言だ。

――がくぽ。ステイ。

ひとをなんだと思っているのかという話だ。そこまで犬か、それほどに犬かと――

しかしがくぽに吠える間も与えず、カイトはさっさと、件の生徒の元へ戻ってしまった。

そして、トドメだ。

狂犬の形相で睨むがくぽを窺い、いいのかと問いかけた生徒へ、カイトはいっさい悪びれない笑顔で答えた。

――だいじょーぶ君のほうが、大事なんだから。

がくぽの耳に届いた会話といえばそれが最後で、あとの話など、まったく聞こえなかった。

激情のあまり、耳が塞がれたということもある。

が、一番は距離だ。物理的な、実測値としての。

カイトはぬけぬけと『君のほうが大事』などと言いながら、相手をがくぽを置いたのとは反対側の出入り口にまで誘導したのだ。

しかも、ここまで計算したかどうかは不明だが、だとしても、がくぽが置かれたほうが風上だった。

風はさほど吹いてはいなかったが、やはり音は流れて聞きにくい。ましてや顔を寄せ合い、声を潜めて話されればもう、一語とて聞き取れるほうが奇跡だ。でなければ超能力だ。

せめてがくぽが本当に犬であれば、もしかして聞き取れたかもしれないが――

そう、これでがくぽがなににもっとも腹を立てたのかといえば、自分にだ。

言われた通り、否、命じられたまま、微動だにできない自分。

追うことも去ることもできず、命令を守って無為と立ち尽くすだけの、そこまで犬で、それほどに犬であり、こうまで犬でしかない――

話が終わったカイトが戻ってきたころには、がくぽは諸々の感情に焼け焦げ、消し炭となっていた。

そのがくぽに対し、戻ってきたカイトの第一声が、ミクとリリィと、どちらが適任かという。

知ったことかと――

「リリィのほうじゃないのか」

罵倒する代わり、自棄含みで投げ捨てるように答えたがくぽへ、カイトは上の空の笑みを返した。

「ん、俺もそう思った。さっすががくぽ、以心伝心っと、わっ?!」

さすがにそこで、がくぽの我慢が切れた。もとよりそう、堪え性があるほうでもない。

勢いよく腕を伸ばすと、カイトを乱暴に抱きこむ。掻き抱き、肩口にぐりぐりぐりと額を擦りつけた。

「ぃたっ、ちょ、がく……、いっ、………て、もぉっ」

束の間慌てたカイトだが、すぐになにかしら察したようだった。きつく絡みこまれて苦労しながらも腕を伸ばし、がくぽの背に回すと、あやすように軽く、叩く。

――こんなことは、どうかしている。

ますますきつく、縋るようにカイトに組みつきながら、がくぽは思う。

一語とて漏れ聞こえてはこなかったが、様子を見ているだけでもわかったことはあった。

件の生徒がカイトへ持ちこんだ『話』とは、『厄介ごと』だ。

人望篤い生徒会長への、思慕の情や恋情の告白ではなく、窮状の訴えだ。手に余る問題を抱え、どうか助けてくれまいかと。

なにを言う前からもう、相手の様子でカイトはそれと察した。だから『今は』『君のほうが大事』だ。

わかっている。わかっているのだ。よくよく理解している――

「おまえの一番大事な相手は、誰なんだ」

――それでも訊いてしまうから、がくぽは自分がどうかしているとしか思えない。

そもそもカイトと自分がまず、なんでもない仲だというのに、もはや頭が沸いている以上に、煮溶けてなくなった問いだ。

しかし思えば、がくぽはつい先ほど、焼け焦げて消し炭となったところだった。煮溶けてはいないが、消し炭ではあるのだ。

どのみち同じだ。まともではあり得ない。

「そんなの、がくぽに決まってるでしょ俺の『いちばん』は、いつだって、がくぽだよ」

「ならば、二番は」

――いろいろ察した挙句に、きっと気を遣われている。

ことさらやわらかい声で与えられたカイトの温情に、わかっていてもがくぽは問いを重ねた。

対するカイトといえば、堪えきれないとばかりに吹き出した。擦りつくがくぽの頭に、頬を寄せる。

あやし叩いていた手も上がり、まるで大型犬でも相手にしているかのようにわしゃくしゃと、がくぽの頭を撫ぜ混ぜた。

明々朗々として翳ることのない声が、迷いもためらいもなく、まっすぐ答える。

「がくぽ以外、みんな☆」