「始音先生」

You've Got Kisses!

「わあ、名字呼びキたこれ。カイトせんせはくるんと踵を返してさよならしますさよなら神威がくぽくん」

家庭教師として訪れたばかりのがくぽの部屋を、入った勢いそのまま、カイトは躊躇いなく背を向けた。

普段は、堅苦しくていやだからと言うカイトが請うまま、下の名前に『先生』をつけて呼んでいるがくぽだ。

その呼び方を止めてわざわざ名字で呼ぶときというのは、相手に対してなにかしら物思うことがある。

よくわかっているカイトは、あっさりと逃げに入った。

――が、生徒にお説教されそうなので今日の授業はなしです、とは、がくぽの親にも雇用元にも、言い訳として通らない。

取っ手に手をかけたところで自ら止まったカイトは、同化したいとばかりにべたっと扉に張り付き、視線だけがくぽに向けた。

「で、なんですか今日は。なにをせんせがやらかしたと」

「昨日の夕方、街中で男のひとと抱き合っている先生を見ました」

「兄です」

「はい」

がくぽの言葉に即答してから、カイトはごん、と扉に頭をぶつけた。

「嘘です。兄じゃないです。俺は長男です」

「知ってます」

詳しい家族構成までは知らないものの、がくぽもカイトが長男だということくらいは、知っている。

「♪ゆーがった、ゆーがった、ゆーがった、みゅーじっっあぁああーっもぉっ、――きのーのゆーがたきのーのゆーがたったら、………テルちゃんあーうんうん、テルちゃんだわ。はあ抱き合ったえー………記憶ない。ああいや、待てまて。そういや抱きついた。嫌がらせで」

探り出した記憶に、カイトはさらにべたっと扉に懐いた。経過説明が入り組んで複雑を極め、面倒だ。

がくぽは生徒だが、それだけではない。大事なカレシ、恋人だ。

恋人がこういう話題を振ったということは、とりもなおさず自分に掛けられているのは、ウワキ疑惑。

年の差だとか、そもそも教師と生徒だとか、いろいろ問題はあってもさっぱり別れる気はない相手だ。

抱かれた疑惑は完全に誤解だが、ある意味、言い訳のしようもない。関係性上、説明がひたすら面倒なのだ。

しかし別れる気がない以上はなにかしら、誠意を見せなければならない。

扉と抱き合ってしばし懊悩したカイトだったが、すぐさまきっぱりと思い切った。

くるりと振り返ると、じっと見つめて待つだけのがくぽの前に行き、べちゃっと床に正座する。

「がくぽくん、誤解です。せんせは不倫もプリンも浮き輪も浮気もしてません。オンリーがくぽくん。ワンウェイがくぽくん。でも、疑われるようなことをしたのは事実なので、謝ります。ごめんなさい」

言って、潔く頭を下げる。

やわらかな髪の踊る後頭部を眺めて、がくぽは小さくため息をこぼした。

こういうとき、カイトは常にまっすぐ真っ正直、そして不親切極まりなく、一切の説明も言い訳もなしで、潔く頭を下げて終わらせてしまう。

「……………友達ですか友人としての、ハグ?」

「まあ、トモダチったらトモダチだけど。ハグじゃなくて、イヤガラセ」

訊かれて、頭を上げたカイトはさばさばと答える。けれどそれ以上の詳細を語ることもない。

がくぽは再び小さくため息をつき、椅子から腰を浮かせた。床に正座するカイトに伸し掛かり、顔を掬い上げる。

「………嫌がらせであっても、俺はショックでした。他の男のひとに抱きつく先生を見るなんて」

「はい、ごめ…………ん」

「お詫びしてくださいね、先生俺が受けたショックの分だけ」

食むようにくちびるを重ねながらやわらかに命じると、カイトの腕はがくぽの首に回った。

「ん。いっぱいいっぱい、お詫びする……………がくぽが赦してくれるまで」

蕩けた声で甘くささやくと、カイトは伸び上がり、未だにへの字の恋人のくちびるにくちびるを重ねた。