大木を癒したカイトはがくぽの元へ戻ってくると、再び頬を撫でた。

「………ほんとに、だいじょうぶ?」

念を押されて、がくぽはさりげなく、撫でる手から体を離す。心地よさがあってずっと浸っていたいが、同時に煽られる感情がある。

深く考えたくはない衝動もあって、束の間瞳を伏せた。

しょちぴるり

第1部-第7話

しかしすぐにカイトを見つめると、微笑む。

「大丈夫です。………言ったでしょう。私は剣士です。頑丈で命汚いのが取り柄なのです」

「……」

瞳を見張ったカイトに、『命汚い』までは言い過ぎだったと、がくぽは悔やんだ。そうまで卑下する理由はカイトには与り知らぬことだし、関係のないことでもある。

なによりその『命汚い』がくぽの命を今回拾ったのがカイトで、その憐れみ深い行為すらも汚す言葉だ。

言った言葉は取り戻せない。

どう取り繕おうかと、高速で思考を空転させたがくぽに、カイトは瞳を瞬かせて首を傾げた。

「いのち………なに?」

「………」

がくぽは思わず、視線だけで天を仰ぐ。

そうだった。少しでも言い方を難解にしてしまうと、理解出来なくなるのがカイト――

そこまで思って、ふと違和感を覚えた。

ミクとルカとの会話を思い出す。

そして、メイコ――彼女は何度も叫んだ。『むつかしい言葉をつかうな』と。カイトもだ。

だが、ミクとルカは――

「カイト殿。ミク殿とルカ殿ですが……あの方たちも、神なのですよね?」

「んうん。神さま」

頷くカイトに、がくぽは言葉を探し、眉をひそめた。

違和感がある。が、それをどう表せばいいのかがわからない。

「その…………あなたと、あの方たちと、なにか違う……気がするのですが……」

「なにかちがう……?」

言葉を探して言い淀むがくぽに、カイトは首を傾げる。

違和感は明確ではない。曖昧模糊として、掴み難い。

見た目に大きな違いがあったわけではないのだ。性格に難はあれ、ともに非常に美しく、魅力的な神だ。

しかし違和感が――二つは違うものだという、拭えない感覚がある。

がくぽはさらに言葉を探し、瞳を移ろわせた。

「ええ、なにか………その、違うような……」

がくぽに言いやすい言葉でなら、表せるような気もする。しかしカイトと会話する以上、それらは平易な言葉に直さなければならない。

口ごもるがくぽを、しばらく不思議そうに眺めていたカイトだが、唐突に頷いた。

「ああ、うん。ちがうよ」

あっさりと言って、笑う。

「おれは、ふるい神さま。ミクとルカは、あたらしい神さま」

「………」

ごく当たり前のように言うカイトだったが、がくぽの困惑が解けることはなかった。いや、かえって深まったと言おうか。

「古い………新しい………とは?」

神は神だと思ってきた。その種類に、『古い』と『新しい』で表されるものがあったなど、神学に詳しくないがくぽは知らない。

戸惑うがくぽの問いに、カイトはわずかに上目遣いになって考えた。

「んとね、おかーさんとおとーさんが最初に生んだのが、ふるい神さま。そのあと、おかーさんがべつのおとーさんと生んだのが、あたらしい神さま」

「………」

つまるところ、異父きょうだい。

端的にまとめたが、父親が違うだけで、こうも変わるのが神というものらしい。

確かに人間でも片親が違うだけで、かなりの差が生まれることもあるものだが、神も変わらないということか。

「いや……」

そう思ったものの、がくぽはすぐに考えを改めた。

人間でもというより、神だからこそと、考えたほうがいいのかもしれない。

神の個体差、能力の差の大きさを考えれば、片親が変わることは、かなり大きな違いを生む原因にもなるのだろう。

その結果として、父親違いの神たちが『古い』と『新しい』で分けられる結果となった。

見たところ、そうやって分けたとしても、きょうだいたちは仲良くやっているようだが――

「………そういえば、カイト殿。森には、カイト殿以外に男ノ神はいないのですか」

思いついて訊いたがくぽに、カイトはきょとりと瞳を瞬かせた。

「おのかみ………?」

「……」

不思議そうにくり返されて、がくぽは軽く項垂れる。失敗した。平易な言葉だ。

「オトコの神です」

「ああ、男……」

ようやく納得したように、カイトは頷いた。

カイトは難解な言い回しや言葉は、いつまで経っても理解してくれない。しかしひどく曖昧模糊としていても、感覚的に訴えたほうが、かえって理解してくれた。

先のが、いい例だ。なにか違う、としか言っていないのに、がくぽが訴えたいことをきちんと汲み上げている。

そうとはわかっても、平易な物言いが難しいように、曖昧で感覚的な物言いも、がくぽにとっては難易度が高い。

カイトとは日に何度も会話を交わすが、項垂れる回数は減らない――それでも決して話すのがいやだということはなく、むしろもっと話して、カイトのことを知りたいと思う。

そのがくぽの問いに、カイトははんなりと首を傾げた。自分が癒したばかりの木の根元を指差す。

「すわる?」

「……はい」

がくぽはまだ、全快していない。カイトは自由気ままに森を歩き回ったが、こうしてがくぽを気遣うことも忘れなかった。

自分のことなど単なる駒として考えて欲しいと思いつつ、気遣いがうれしいことも事実だ。

複雑な思いを抱えながら、がくぽは示されるままに木の根元に座る。カイトはそのすぐ傍らに座ると、がくぽにしなだれかかるように膝に手を置いた。

「男の神さまは、森からおいだされたの。もしあたらしく生まれても、おいだされるの」

「………え?」

カイトはあくまでも、はんなりとした笑顔だった。そのまま、やわらかな声で吐き出している言葉がしかし、少しもやわらかくない。

瞳を見張るがくぽに、カイトは自分の咽喉を指差した。

「男の神さまは、『破滅のうた』をうたうから。森にいたら、いけないことになってるの」

「………『破滅のうた』、ですか」

訊いたがくぽに、カイトは頷く。

「ぜんぶ、こわしちゃううた。世界のぜんぶ、人間も神さまも、ケモノも大地もこわしちゃう、うた」

「……」

がくぽはカイトが示す、咽喉元を見つめる。

小さく喉仏が張り出し、細さから筋が浮いている。そこからきれいに鎖骨へと流れる、線。

「………しかし、あなたは」

魅入られたまま危うくなりそうなその場所から瞳を逸らし、がくぽは微笑むカイトの顔を見た。

カイトは頷く。

「おれは、『破滅のうた』じゃなくて、『いのちのうた』がうたえたから、トクベツにいていいよって。でも、ほかの男の神さまは、おいだされた。だから、森にいる男の神さまは、おれだけ」

「………」

がくぽは、おぼろな記憶を漁る。

イクサ神の多くが、男ノ神だった――覚えは、ないが。

それに確かにイクサ神はうたうことによって破壊を呼びこんだが、世界の全部を壊すほどではない――連綿と続く歴史が、なによりそれを物語っている。

人間も神もすべてを壊すというなら、がくぽが今ここにいる理由がわからない。世界は間違いなく時を紡ぎ続け、こうして生きて在る。

それにそもそも、外に放り出せば、人間に狩られることになる。狩られて幽閉され、自分の意思も関係なしに、ただの駒として扱われる日々が。

暮らしのすべてを見たことがあるわけではないから断言はできないが、扱いによっては恨みに思う神もいるはずだ――その神が恨みを募らせた結果、すべて滅べと勝手に『破滅のうた』をうたわない可能性は、絶無に等しい。

それくらいなら、森に囲っておいて、決してうたわぬようにと教育するほうが合理的なはずだ。

理解が及ばないと困惑顔を晒すがくぽに、カイトはくちびるに指を当てて考えこんだ。

「んと………森から出ると、おれたち、あんまり力、つかえない」

「……え?」

カイトの説明に、がくぽは意味が理解出来ずに瞳を瞬かせた。

まだくちびるに指を当てたまま、カイトは考えかんがえ、言葉を吐き出す。

「………ここが、おれたちが生きられるさいごの場所って、なったときにね<森>と、ケイヤクしたの。ぜったいにここを守るから、<森>もおれたちを守ってって。おれたちの力をつよくするのに、<森>の力をかしてって。ケイヤクが成って、おれたちは前より強い力を手に入れたんだけど………その代わりに、森のそとにでたら、ほとんど力がつかえなくなっちゃったの」

「それは………」

内心、がくぽは引きつる。

あまりにまずい秘密だ。

カイトはほとんど力が使えなくなると言っているが、その状態の神ですら、人間は重宝し、欲するのだ。

森の中では無敵を誇る神も、外に出たなら弱体化する――狩ろうと思ったなら、なんとかして森の外におびきだせばいい。

狡知の点で神を遥かに凌ぐのが、人間だ。その結果としての神の北行であり、最後の棲息地なのだから。

神がどう抵抗しても、森の外に出なければならない手を考えることは、容易くやってのけるだろう。

「だからね、そとに出た男の神さまは、『破滅のうた』がうたえるだけの力がのこらない。でも森にいると、うたえちゃうから…………」

「………」

がくぽは思わしく、カイトを見つめた。

「………それは、神にとって重大な………大きな、秘密ですよね?」

「……」

問われて、カイトは瞳を瞬かせた。きょとんとして、無邪気にがくぽを見つめる。

もしや神にとってはそれほどの大事という認識がないのかと焦るがくぽに、カイトは頷いた。

「そうだね………おっきいヒミツだね」

言ってから、それがどうかしたかとばかり、不思議そうに首を傾げる。

あまりの無防備さに、がくぽは眉をひそめ、額に指を当てた。

「外に出された神は、そのことを人間に話したりしないものですか。その、追い出されたことを恨んで……」

もっともな懸念だったが、カイトにとっては予想外だったらしい。

さらに無邪気に、きょとんとした。言葉は平易で『むつかし』くはないが、理解が及んでいない顔だ。

「しゃべれないよケイヤクのこと、わすれちゃうもの」

「………」

神の契約が実際にはどういった体裁を取られるものか、イクサに生きてきた剣士に過ぎないがくぽには、想像がつかない。

つかないが、追い出された神が外部に漏らすことがないよう、口封じをすることも含まれているのかもしれない。

困惑したまま見つめるがくぽに、カイトは指を伸ばした。眉間の皺を、伸ばすように揉まれる。

そもそもが木に寄りかかっている。逃げ場がなく、下手に身を引けばカイトに怪しまれる可能性もあって、がくぽは体を強張らせて必死に耐えた。

こんな無邪気な触れ合い程度で、大袈裟だとは思う。

けれど最近、下手に触れられると体が騒いで、血が逸って落ち着かない。

ややしてカイトは、伸びない皺に諦めの境地に達して、指を離した。その代わりに、がくぽの手を取る。

「だからおれ、こんなにおっきい男を見たのも、しゃべるのも、がくぽがひさしぶりなの。すっかりわすれちゃってた。女だって、わるくないけど、おんなじ男って、なんだかたのしいね!」

「………」

陶然と見つめられて、がくぽは懸命に身の内の衝動と戦った。

カイトのしぐさすべてが妖しい理由が、わかった。

『男』に免疫がないのだ。代わりに、女性の所作に馴染んでしまっている。

とりもなおさず、周囲に女性しかいなかったがために。

「………っ」

頭の痛い問題が増えて、がくぽは空いているほうの手で眉間を押さえるとしばらく、考え込んでいた。